B型肝炎は、B型肝炎ウイルス(Hepatitis B Virus:HBV)の血液感染によっておきる疾患で、ヒトとチンパンジーの肝細胞でのみ感染が成立する。我が国における患者数は、現在約100万人であり、輸血による感染をほぼ完全に防ぐことが可能となったため、患者数は減少傾向にある。一方、世界的には、現在も3億人以上の患者がおり、その半数以上はアジア地域の住民である。HBVは、Hepadnaウィルス属に分類されるDNAウィルスであり、表面タンパク質(Hepatitis B Surface Protein:HBs)と脂質からなる被膜をもつ。インフルエンザウイルス等の被膜ウイルスは、宿主細胞の細胞膜より出芽して生成することが知られ、ウイルス粒子の構成機構についても詳細な解析がされている。一方、HBVは、小胞体ルーメン側へウイルス粒子が出芽し、分泌小胞によって細胞外に放出されることが知られているが、ウイルス粒子の構成機構は不明である。これまでの研究で、被膜ウイルスの被膜は、宿主細胞細胞膜の出芽部位と同様の脂質組成を示すことが明らかにされているが、HBVは、患者血中でも極めて少なく、研究材料として十分な量を確保することが困難であるため、未だに脂質組成も明らかにされていない。B型肝炎患者の血中には、HBV以外に、HBsのみをタンパク質成分とする小型球形粒子(HBs粒子)が存在する。HBs粒子は、患者血中に比較的多く認められ、感染性もないことから、HBV生成機構研究の材料として有用である。本研究は、HBs粒子の脂質組成及び脂質膜構造を解析することによって、HBs粒子の生成機構を解明し、HBV生成機構解明の手がかりをつかむことを目的として行なった。 本研究では、まず初めに、HBVに感染したヒト肝癌患者から分離・樹立され、HBs粒子産生能を持つ二つの細胞株、huGK-14、PLC/PRF/5より産生されたHBs粒子の脂質組成分析を行なった。材料として用いたHBs粒子は、両細胞株を大量に無血清培養(細胞株が飽和密度になるまで増殖する間は10%の牛胎児血清を加えて培養)して得られた培養上清を膜フィルターにて濃縮した後、抗HBsモノクローナル抗体を用いたアフィニティーカラムに供し、更にリポプロテイン等の混入物を極力少なくするため、塩化セシウム、ショ糖の密度勾配遠心分離法にて精製した。ここで用いたモノクローナル抗体カラムは、私が作製したHBsに対する各種モノクロナール抗体の中から、アフィニティークロマトグラフィーに最も適した抗体を選んで作製したもので、これによって初めて大量かつ効率よくHBs粒子を精製する方法が確立された。精製したHBs粒子と産生細胞株の脂質は、Bligh&Dyerの方法により抽出し、薄層クロマトグラフィー(TLC)で各脂質に分離後、コレステロール、コレステロールエステルは酵素法により、その他の中性脂質はガスクロマトグラフィーにより、リン脂質はリン定量により定量した。更に、ホスファチジルコリン(PC)、ホスファチジルエタノールアミン(PE)は、ホスホリパーゼCで処理した後にアセチル化し、TLCで分離後、ガスクロマトグラフィーにて定量することにより、ジアシル型、アルキルアシル型、アルケニルアシル型のサブクラス分析を行なった。何れの細胞株で産生されたHBs粒子も、脂質組成ではリン脂質が90%以上を占め、リン脂質組成ではPCが80%以上を占めていた。また、PC、PEのサブクラス組成では、何れのHBs粒子でもジアシル型が85%以上を占めていた。一方、産生細胞株では、何れの細胞株も、脂質組成におけるリン脂質の割合は40%程度、リン脂質組成におけるPCの割合は50%程度、PCのサブクラス組成におけるジアシル型の割合は35%程度、PEのサブクラス組成におけるジアシル型の割合は20%程度となっており、HBs粒子の組成とは著しく異なっていた。 上述の通り、肝癌細胞株産生HBs粒子に含まれる脂質の殆どはジアシル型PCであったが、これが、宿主である肝癌細胞株の性質によるものか、HBs粒子の構成機構に関係するものかを確認するため、私は次に、HBV遺伝子の中のHBs遺伝子のみが導入されており、安定的にHBs粒子を産生するマウス繊維芽細胞株MS128を大量培養し、前述の方法と同様に培養上清からHBs粒子を精製して、その脂質組成を分析した。その結果、MS128細胞株産生HBs粒子の脂質組成はリン脂質が90%以上、リン脂質組成ではPCが80%以上、PCのサブクラス組成ではジアシル型が80%以上を占め(PEは実施せず)、肝癌細胞株産生HBs粒子とほぼ同じであった。また、産生細胞株MS128では、全脂質に占めるリン脂質の割合は70%程度、リン脂質中のPCの割合は約45%、PCのサブクラス組成におけるジアシル型の割合は約80%であり(PEは実施せず)、肝癌細胞株同様、HBs粒子とは著しく異なっていた。このことより、HBs粒子は、HBs遺伝子のみの発現によって構築され、その脂質組成は、産生細胞株の種類に関わらずきわめて類似しており、HBsに脂質構成に関するシグナルが存在することが示唆された。また、HBs粒子の脂質が、産生細胞株で合成された脂質のみならず、細胞株の初期培養で添加した牛胎児血清の血清リポプロテイン等からの移入分も含んでいる可能性を確認するため(細胞株が十分増殖した後は無血清培養)、32PのMS128細胞株及び同細胞株産生HBs粒子における各リン脂質への取り込みを比較したところ、32P添加後72時間において、32Pの分布は、細胞株、HBs粒子ともにリン脂質組成とほぼ同一であったため、産生細胞株において合成されたリン脂質が、HBs粒子に組み込まれていることがわかった。 次に、私は、HBs粒子の膜構造と粒子構成機構の解明を目指し、脂肪酸スピンラベル剤を用いたESRによる解析、及びホスホリパーゼA2とリン脂質輸送タンパク質を用いた生化学的手法での解析を行なった。ESRによる解析では、MS128細胞株産生HBs粒子、このHBs粒子よりBligh & Dyer法で抽出した脂質を再構成したリポソーム、脂質二重層を被膜に持つセンダイウイルス(HVJ)に、各種脂肪酸スピンラベル剤(5、7、12、16位にニトロキシド基を持つステアリン酸のオキサゾリジン誘導体、5SLS、7SLS、12SLS、16SLS)を加えて脂質膜に取り込ませ、各スピン剤のESRスペクトルを測定した。その結果、再構成リポソームおよびHVJは、類似したESRスペクトルを示し、典型的な脂質二重層のシグナルが得られたが、HBs粒子では、膜深層部の動きを示す16SLSにおいて、タンパク質と強く相互作用するBoundary Lipid、及び回転相関時間の大きい高粘性のBulk脂質の存在がみられ、膜深層部の動きを制限する因子の存在が示唆された。HBs粒子は、HBsと脂質のみから構成されていることから、この脂質の動きを制御しているのはHBsであると考えられ、HBs粒子の膜構造は、典型的な脂質二重層ではなく、特異的な膜構造を有すると考えられた。そこで次に、3H-CholineでラベルしたMS128細胞株産生HBs粒子と単層リポソームのPCに対し、ホスホリパーゼA2を用いて加水分解を試みたところ、単層リポソームのPCが一定量以上のホスホリパーゼA2を加えることによって約50%だけ加水分解されたのに対し、HBs粒子のPCは同量のホスホリパーゼA2によってほぼ100%分解されたため、HBs粒子の脂質膜は、単層構造であると考えられた。さらに、牛肝臓由来PC特異的輸送タンパク質を用い、3H-CholineでラベルしたMS128細胞株産生HBs粒子と単層リポソームのPCが、輸送先の多層リポソームにどの程度輸送されるかを測定したところ、単層リポソームのPCが輸送タンパク質の量に依存して輸送されたのに対し、HBs粒子のPCは全く輸送されなかった。PC特異的輸送タンパク質は、タンパク質と強く相互作用しているPC分子は輸送できないことが知られているので、HBs粒子では、HBsと脂質が強く相互作用しているものと思われた。これらの知見より、HBs粒子の脂質は、非常に強くHBsと相互作用しており、HBs粒子の膜構造は典型的な脂質二重層ではなく、HBsの疎水部を脂質が覆うように取り囲んでいる単分子膜をなしていると考えた。更に、私は、HBs粒子が、小胞体において、PCが局在している小胞体脂質二重層膜のルーメン側リーフレットの脂質を特異的に組み込んで構成されるという新たなHBs粒子構築の機構を考察した。 |