内容要旨 | | 近年、様々な曲面グラファイト構造が発見され、そのナノメートル規模の微小な大きさから量子効果や超小型デバイスへの応用等の興味が持たれている。なかでも、その直径がナノメートル規模であるナノチューブと呼ばれる、グラファイト平面を円筒状に巻いた1次元構造は、その円周や蜂の巣格子の螺旋度によって金属的にも半導体的にもなることから、特に注目されている。これらの炭素原子間結合ネットワークは回位によって特徴づけられる。回位とは、単層グラファイト中の6員環以外のn員環欠陥のことで、n<6の時は円錐形の頂点、n>6の時は馬の鞍形の鞍点になり、それぞれ正、負の曲率をつくる。例えばフラーレンはその構成炭素原子数によらず5員環を12個含んでいる。また、円周の異なるナノチューブの間に5員環・7員環の対による円錐の一部の形をした接合ができ(ナノチューブ接合系、図1参照)、それをさらに周期的に接合していくことで、らせん形ナノチューブも形成できる。さらに、ナノチューブの端は5員環を6個持つフラーレンの半分の半球状の構造(キャップ構造)によって閉じることができる。このような構造は電子顕微鏡によって実際に観測されている。本論文では、このような2次元単層グラファイト中や、ナノチューブ中の回位の電子状態を議論する。 本論文中では簡単のため各原子に1つの軌道のみを考える強結合モデルを用いる。すなわち、原子iの軌道と原子jの軌道を結ぶハミルトニアンの行列要素Hi,jはiとjが最近接の場合一定値<0、それ以外の場合はゼロというハミルトニアン行列を用いる。この回位のモデルでは、どの原子についても最近接原子数が3という局所的な構造は平面グラファイトと変わらず、また、位置エネルギーに相当する対角要素Hi,iの乱れもない。 この系中の電子を、曲面上に束縛されているが面内方向には自由な電子とみなすと、その波動関数の方程式は自由平面のものと同じ式 になるが、境界条件が平面と異なる式 となるために、平面上の波動関数と異なるものになる。ここで式(2)中の(r,)は、n員環中心を原点とする曲面にそって測った極座標である。図1(b)中に、5員環に原点を持つこのような極座標の方向の軸を示す。5員環の周りを一回囲む閉経路について、式(2)が成り立つことがわかる。波動方程式には現れず、境界条件(2)に現れるこのような回位の効果は、アハロノフ・ボーム効果に類似したトポロジカルなものである。式(1)、(2)から成る自由電子モデルでは、mはバンドの分散関係E=/(2m)から求まる有効質量mである。しかし、単層グラファイトの場合、フェルミレベル(E=0)付近で、分散関係はE∝と線形になるため、式(1)を用いることができない。この場合の有効質量方程式は、次のように求める。まず、蜂の巣格子の副格子A,B上の波動関数A,Bを、包絡波動関数FK,FK’とブリルアンゾーンの頂点K点,K’点のブッロホ波動関数K,K’を用いて、A,B=と表し、それを強結合モデルの式に代入する。E=0付近ではFの空間的な変化が格子間隔に比べてゆっくりしているので、その空間座標についてのテーラー展開の1次の項までをとる。その結果、質量ゼロのディラック方程式と数学的に同等な方程式が得られる。 図1:ナノチューブ接合系の電子顕微鏡写真(a)とそのの模式図(b)。S.Iijima,Proc.4th NEC symposium on fundamental approaches to new material phases,p.172より引用。 以上のようなグラファイトに特有なバンド構造が、回位の電子状態に及ぼす影響を明らかにすることが本論文の目的のひとつである。また、回位は回位中心にのみn(≠6)員環があり、それ以外はすべて6員環であるという点では局所的な点欠陥である一方、波動関数が従う境界条件を平面のそれから式(2)に変化させるトポロジカル欠陥でもあるという対照的な2つの特徴を持っており、それらがどのように電子状態の中に現れるのかを示すことがもう一つの本論文の目標である。まず前者について、次に後者について以下に要旨を述べる。 グラファイトに特有な線形分散関係が回位の電子状態にどのような影響を与えるのか、という点について得られた主な結果は以下の通りである。 複数の回位がある時のフェルミレベル付近の電子状態は、フェイズラインの有無によって定性的にその性質を変える。ここで本論文では、回位間の配置とケクレパターンの不整合を表す線をフェイズラインと呼ぶ。図2にフェイズラインの例を示す。これは、以下のように説明される。包絡波動関数Fについての境界条件はブロッホ波動関数によって変化する。例えば、円周のナノチューブの周期境界条件はであるが、Fについてのそれはとブロッホ波動関数から来る因子が必要となる。同様に、回位がある系についてもからくる因子が境界条件に現れる。これと、とケクレパターンが共通の空間周期、周期、を持つことを考え合わせると、フェイズラインの有無が定性的に電子状態を変化させる理由は、それがFについての境界条件の違いを表しているためであることがわかる。 図2:フェイズラインの例。領域CBAB’C’は取り除かれその境界線はABがAB’と、BCがB’C’と一致するようにはりあわせられる。その結果、Aに5員環回位が、B(=B’)に7員環回位が形成される。ケクレパターンは、細いボンドと太いボンドによって、回位が細いボンドだけを持つように描かれている。(b)のように、回位の配置とケクレパターンの不整合は、フェイズラインによって表せる。 図1に示すような、2つの金属的ナノチューブを接合する系の透過率Tを、フェルミレベルE=0付近でナノチューブのチャンネル数が2であるエネルギー領域|E|<Ecについて求めた。図3中の動径ノルムは、Tや接合部中の波動関数の絶対値の振るまいを示している。ここで、動径ノルムとは波動関数の絶対値の2乗の回位中心付近の値のうち透過側のものを入射側のもので割った値である。これは、有効質量近似で解析的に求まり、それと透過率との関係はT2/(+1)と表せられる。接合されたナノチューブの円周をR5とR7(R5R7)とする。R7≪R5の時、Tは円周比の3乗(R7/R5)3にほぼ比例し、接合中の波動関数も同様なべき的な減衰を示す。これは非局在と局在の中間的な状態として興味深い。一方0.7<R7/R5<1の場合、接合中の波動関数はその絶対値も位相も平面波の性質をもつ。すなわち、平面波の波数をkとして、絶対値の振動の空間周期は平面波の半波長/kにほぼ等しい。これと線形分散開係k=|E|より、透過率の共鳴ピークのエネルギー値が求まる。また接合部を透過する波の位相のずれも平面波の波数に接合の長さをかけたk(R5-R7)にほぼ等しい。この位相はTにはまったく影響しないが、これを周期的に接合した系のバンドやギャップのエネルギー幅には寄与する。 図3:有効質量近似で解析的に求めた動径ノルム。とR7/R5は対数軸で示している。 点欠陥効果とトポロジカル欠陥効果の関係について得られた主な結果は、以下の通りである。 点欠陥効果とトポロジカル欠陥効果を考える時、強結合近似は両方の効果を含んでいるのに対し、有効質量近似の連続空間描像には’環’という格子の不連続性からくるものがないためトポロジカルな効果のみが含まれていることがわかる。この2つのうちどちらがより支配的になるかは、考える物理量や系によって異なる。局所状態密度(LDOS)については、回位はトポロジカル欠陥としてよりもむしろ点欠陥として振る舞う。例えば単層グラファイト中の5員環・7員環回位ではそれぞれ電子の過剰と不足がおきるが、その空間分布は回位中心から格子間隔程度の領域に限定されている。また、ナノチューブ末端のキャップ構造では、キャップに局在する波動関数が現れる。 一方、ナノチューブの単一接合系の透過率や周期接合系のバンド構造については、トポロジカル欠陥効果が支配的である。すなわち、有効質量近似により解析的に求めた結果と強結合モデルにより数値的に求めた結果の間には相対的に小さい差しかない。この差は前述したように点欠陥効果によるものだが、これらの物理量に対しては回位付近以外の多くの点での波動関数が関係しており、回位付近の局所的な変化である点欠陥効果は小さな影響しか与えない。しかし、フェイズラインのない周期接合のエネルギーバンドは例外で、有効質量で求まるものではフェルミレベルでのギャップがないのに対し、強結合モデルではギャップを生じるという定性的な差を点欠陥効果は与える。このような点欠陥効果の、系の大きさに対する依存性は、弱い局所的な有効不純物ポテンシャルとボルン近似を用いることによって定性的に解析できる。 |
審査要旨 | | 1991年にNEC基礎研究所の飯島によって発見されたカーボンナノチューブは全く新しい天然の量子細線として注目されている新物質である.ナノチューブは2次元グラファイトを丸めて得られる円筒形をしている.2次元グラファイトは蜂の巣格子をもち,炭素原子6個が6角形に並んだ6員環で特徴づけられる.この論文では,ナノチューブとその基礎となるグラファイト面におけるトポロジカルな欠陥である5員環や7員環の電子状態と輸送現象に及ぼす効果を理論的に研究した. 平面状の2次元グラファイトに5員環を導入すると5員環の部分を頂点とする平べったい円錐状の面に変化する.また,7員環の場合には7員環の部分が鞍点となった負の曲率をもつ面へと変化する.このようなトポロジカルな欠陥が存在しても,各炭素原子の周りの原子数は3個で平面グラファイトから変化せず,また炭素原子に局在した電子のポテンシャルエネルギーもほとんど変化しない.もちろん,実際には形状の変化にともない原子間距離がわずかに変化するため,ポテンシャルや周りの炭素原子との相互作用の大きさも多少は変化するが,その効果はそれ程大きくないと考えられる. この論文では,このようなトポロジカルな欠陥の効果を明らかにするために,つぎの物理量を理論的に計算した. (1)2次元グラファイト平面に導入した各種トポロジカルな欠陥の局所状態密度. (2)先端がキャップ状に閉じたナノチューブ・キャップの局所状態密度. (3)異なる直径と構造をもつナノチューブ接合系のコンダクタンス. (4)ナノチューブ接合を周期的に繰り返したナノチューブ超格子の電子状態. この中では(1),(3),(4)がこの論文の主な主題であり,計算(1)によりトポロジカルな欠陥がどのような有効的な局所ポテンシャルとして機能するかを明らかにし,(3)と(4)ではトポロジカルな欠陥が波動関数の大域的なトポロジーに及ぼす効果と有効局所ポテンシャルとしての効果が観測可能な物理量にどのように現れるかを明らかにした.また,(2)ではナノチューブ・キャップにどのような局在状態が存在するかを具体的に予言した. この論文では主に,2次元グラファイトを記述する模型として,各炭素原子に面垂直方向を向いた軌道だけを考慮し,最近接原子間にのみ共鳴エネルギーを導入した強束縛模型を採用した.2次元グラファイトはフェルミエネルギーのまわりで対称なエネルギー帯をもつ.また,それらはフェルミエネルギーの近傍で波数に関して線形な分散をもち,ブリルアン域の端のK点とK’点付近で交差する.上記の簡単な強束縛模型は2次元グラファイトの電子状態のこの重要な特徴をよく記述する.一方,電子の波動関数の大域的なトポロジーだけを取り入れるためには,この特徴を反映するように拡張した有効質量近似を用いた. この論文は7章よりなる.第1章でこの論文の目的について述べ,第2章ではこれまでの関連する研究を概観している.第3章から第6章で上記(1)-(4)の計算の詳細について述べ,第7章はこの論文全体のまとめである.以下では第3章から第6章で述べられている理論的計算とその結果について概説する. 第3章では,2次元グラファイト面に5員環や7員環などの欠陥を導入した系の局所状態密度を強束縛模型でグリーン関数に対するリカージョン法を用いて計算した.その結果,5員環と7員環のまわりでは電子状態がエネルギーの正負の対称性が大きく崩れることが示された.この最大の原因は波動関数に対する大域的なトポロジーの効果である考えられるが,この論文ではその解析を行っていない.しかし,トポロジカルな欠陥のまわりの電子の密度分布を計算し,5員環は弱い引力的なポテンシャル,7員環は逆に斥力的なポテンシャルのように振る舞い,それによる2次元グラファイトからのずれが格子定数程度に局在することを示した.これは5員環や7員環が局所ポテンシャルとしての効果をもち,それが電子状態に格子定数程度の短距離的で弱い効果を与えることを示している.これらの特徴は孤立した炭素の5員環や7員環の場合との類推でほぼ定性的に理解できる.第4章では,ナノチューブ・キャップの局所状態密度を計算し,波動関数がキャップから指数関数的に減少する局在状態がフェルミエネルギーの近傍に存在することを示した. 第5章では,構造と直径が異なるさまざまな金属的ナノチューブの間の接合のコンダクタンスをランダウアーの公式を用いて計算した.得られたコンダクタンスはほぼ接合を構成する二つのナノチューブの太さの比の普遍的な関数で表されることが示された.これはこの論文で得られた最も興味深い結果である.なお,この特徴的な結果は,その後他の研究グループにより有効質量近似を用いた計算で解析的に再現できることが示され,それが電子の波動関数の大域的なトポロジーで決まっていることが明らかになった.この章では,接合のコンダクタンスを与える透過確率と散乱行列の位相についても計算し,有効質量近似からの微小なずれについても考察し,ずれがほぼ短距離的な局所ポテンシャルの効果として理解できることを示すとともに,有効質量近似を一般のエネルギーに拡張することに成功した. 第6章では,接合を周期的に並べたナノチューブ超格子の電子状態を強束縛模型と有効質量近似で計算し,バンド構造の全体の特徴が有効質量近似で再現できることを示した.ただし,フェルミ準位付近でのギャップの存在などいくつかの重要な点で不一致があり,これが前章で議論したトポロジカルな欠陥の局所ポテンシャル散乱による位相差によることを示した.なお,ナノチューブ超格子は最近発見された螺旋状のナノチューブに対応する. 以上,この論文では,ナノチューブとその基となるグラファイト面におけるトポロジカルな欠陥である5員環や7員環などが電子状態と輸送現象に及ぼす効果を理論的に研究し,トポロジカルな欠陥の効果が大域的なトポロジーと局在した有効散乱ポテンシャルの効果として理解できることを明らかにした.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した. なお,本論文の主たる業績は,塚田捷教授らとの共著の形ですでに公表,あるいは公表予定であるが,実際の計算の遂行や解析などにおいて学位申請者の寄与が重要であることが認められた. |