アパタイトは構造中に希土類元素を含有することなどの理由から、古くから鉱物学の重要な研究対象であった。そのひとつである水酸アパタイト(化学量論組成:Ca10(PO4)(OH)2)が脊椎動物の骨や歯などの硬組織の無機主成分であることが確認されて以来、この化合物に対する関心は鉱物学のみならず医学・歯学・材料学など多くの分野に広がっている。医学の分野では、骨の構造や身体の中で骨が成長・再生する機構を根本的に理解して骨折の治療や骨粗鬆症の予防に応用する視点から、また歯学の分野では、歯周病の予防や治療の視点から、アパタイトに関係する基礎研究が盛んに行われている。さらに,材料学の分野では、生体親和性の優れた生体硬組織代替材料の有望な素材のひとつとして、水酸アパタイトが重要な研究対象となっており、バイオミネラリゼーションの解明へと展開している。 水酸アパタイトの結晶構造の理解は、鉱物学的な意義にとどまらず、これら医学・歯学・材料学の研究を進めるにあたって最も基礎となる知見のひとつとして極めて重要であり、したがって水酸アパタイトの構造を知るための研究はこれまでに多くの研究者によって進められてきた。その結果、CaイオンとPO4イオンを骨組としたアパタイト構造の概略はほぼ確定したといえる。しかし、アパタイト構造中のc軸に沿ったチャンネルに分布しているOHイオンの配置は、結晶構造全体の対称性や化学反応性に関与して極めて重要であるにもかかわらず、未だに詳細には決定されていない。その大きな理由のひとつが、精密なX線構造解析のために必要な単結晶を得ることの困難さにある。 生体中の水酸アパタイトの特徴のひとつは構造中にCO3イオンを含有していることである。CO3イオンは水酸アパタイト中のOHサイト(Aサイト)およびPO4サイト(Bサイト)を置換することができ、炭酸水酸アパタイトの組成式はCa10-x/2[(PO4)6-x(CO3)x][(OH)2-2y(CO3)y]と表される。CO3イオンは生体アパタイトの表面構造や溶解度積を制御するパラメータとして重要であり,骨のリモデリングや鮎歯の発生メカニズムと深く関っている。そのためアパタイト中のCO3イオンの配置の理解もOHイオンと同様に不可欠であるが、やはり炭酸アパタイト(Ca10-x/2[(PO4)6-x(CO3)x]CO3)の良質の単結晶が得難いという理由のため、直接のX線構造解析はほとんど行われていない。また、炭酸水酸アパタイトの単結晶育成法の確立は、CO3イオンがアパタイトの物性に及ぼす効果を評価し、炭酸水酸アパタイトを用いた新しい生体活性な骨置換材料を開発する上でも重要である。 本研究では以上のような背景を鑑み、水酸アパタイトと炭酸アパタイトの単結晶を育成する方法を確立し、得られた結晶を用いてX線構造解析により水酸アパタイトにおけるOHイオン、炭酸アパタイトにおけるCO3イオンの配置の詳細決定を行うことを主な目的とした。さらにこれに付随して、炭酸水酸アパタイトの単結晶育成における炭酸量の制御を試みた。また生体材料としてのアパタイトセラミックスの生体中における物性に関連して重要な水酸アパタイト結晶表面の元素分布を、電子分光分析によって調べた。 以下に本論文における各車の内容について述べる。 第1章では序論として、主にアパタイトの構造の概略と、これまでに国内外の研究者により水酸アパタイト、炭酸アパタイトの合成、構造解析に関して行われてきた研究について記述した。 第2章では水酸アパタイトと炭酸アパタイトの単結晶育成について述べた。水酸アパタイトの結晶育成は一般には主に水熱法で行われているが、本研究ではCa3(PO4)2とCa(OH)2を出発原料としたフラックス法を採用した。圧力はアルゴンガスを用いて50〜l00MPaとし、温度は1400〜1500℃で保持した後徐冷した。得られた単結晶は無色透明六角柱状で、最大のものは径11mm、長さ7mmに及んだ。組成はCa10(PO4)6(OH)2であった。 炭酸アパタイトの単結晶育成はCa3(PO4)2とCaCO3を原料とするフラックス法で行った。圧力はアルゴンガスを用いて50〜l00MPaとし、温度は1400〜1500℃で保持した後徐冷した。得られた単結晶は無色透明六角柱状で、最大のものは径0.5mm、長さ5mmに及んだ。組成はCa9.75[(PO4)5.5(CO3)0.5](CO3)1.0であり、Aサイトは完全にCO3イオンによって置換されており、Bサイトのl/12がCO3イオンによって置換されていた。 また、これに加えてCa3(PO4)2-CaCO3-Ca(OH)2系およびCa3(PO4)2-CaCO3-Na2CO3系からなる原料での結晶合成を行い、炭酸含有アパタイトにおけるCO3イオン量の制御を試みた。 第3章では第2章で合成した水酸アパタイトの単結晶を用いたX線構造解析について記述した。理想的な水酸アパタイトの空間群は単斜晶系P21/bであるが、高い六方対称の傾向を有する。化学量論組成からの乖離に伴う対称の変化や双晶の存在のない、単斜晶の単結晶を得ることの難しさが、これまで精密なX線構造解析によるOHイオンの配置の詳細決定を困難にしてきた理由である。第2章で得られた単結晶のひとつを用いて、h01.0k1、hhlの3方向についてX線回折強度を測定した結果、それらのうち1方向のみにおいて単斜晶系に特有な回折が観測され、この結晶が双晶をなさない空間群P21/bの単結晶であることが確認された。格子定数はa=0.9419(3)nm、b=1.8848(6)nm、c=0.6884(2)nm、=119.98(2)°であった。この結晶を用いて回折データを測定して構造解析を行った結果、OHイオンの配置を確定することができた。RWは3.3%であった。OHイオンのOの位置は21螺旋軸上だが、Hは21螺旋軸上からシフトしており、そのずれは21軸に最も近いPO4イオンのOの方向であった。HはこのPO4イオンのOと相対的に強い結合を有しているものと考えられた。 第4章では第2章で合成した炭酸アパタイトの単結晶(Ca9.75[(PO4)5.5(CO3)0.5](CO3)1.0)の、偏光赤外反射スペクトル測定およびX線回折による構造解析について述べた。 偏光赤外反射スペクトルの測定の結果、C軸に対してAサイトのCO3の三角形は平行、BサイトのCO3の三角形は垂直であることがわかった。また、X線回折実験の結果、h01、0k1、h1の3方向の回折強度測定からは単斜晶に特有の回折は観測されず、00l方向の回折強度の測定から螺旋軸の存在が否定されたことから、この結晶の空間群は六方晶系P6と結論された。格子定数は=0.9480(3)nm、c=0.6898(1)nmであった。回折データを測定して構造解析を行った結果、AサイトのCO3イオンの位置を決めることができた。RWは2.7%であった。AサイトのCO3イオンは、Cと1個のOを6軸上に置き、残り2個のOが6軸の周りで3通りの配置をとるように位置していた。さらにc軸に垂直な鏡面対称のため、CO3イオンには単位胞あたり6通りの配置が可能であり、CO3イオンがこのうちどれか1個所を統計的に占有することによって、結晶全体がP6の対称を持っていると考えられた。BサイトのCO3イオンの配置は本実験の結果からは決定することができなかった。 第5章では水酸アパタイトの表面をオージェ電子スペクトルおよびX線光電子スペクトルの測定によって分析した結果について記した。水酸アパタイトの結晶表面近傍には、Caが欠損し、CO3イオンを含有した層が存在することがわかり、こうした表面特有の元素の分布が、水酸アパタイトの表面電気物性や生体との反応、焼結体の物性などと大きな関連を持つことが示唆された。 第6章では全体の総括的なまとめを行い、本研究で得られた結果の意義などについて述べた。 |