学位論文要旨



No 214617
著者(漢字) 末次,寧
著者(英字)
著者(カナ) スエツグ,ヤスシ
標題(和) 水酸アパタイトと炭酸アパタイトの結晶育成と構造解析
標題(洋) Crystal Growth and Structure Analysis of Hydroxyapatite and Carbonate Apatite
報告番号 214617
報告番号 乙14617
学位授与日 2000.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14617号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 杉山,和正
 無機材質研究所 総合研究官 田中,順三
 東京大学 教授 田賀井,篤平
 東京大学 助教授 小暮,敏博
 東京大学 講師 小澤,徹
内容要旨

 アパタイトは構造中に希土類元素を含有することなどの理由から、古くから鉱物学の重要な研究対象であった。そのひとつである水酸アパタイト(化学量論組成:Ca10(PO4)(OH)2)が脊椎動物の骨や歯などの硬組織の無機主成分であることが確認されて以来、この化合物に対する関心は鉱物学のみならず医学・歯学・材料学など多くの分野に広がっている。医学の分野では、骨の構造や身体の中で骨が成長・再生する機構を根本的に理解して骨折の治療や骨粗鬆症の予防に応用する視点から、また歯学の分野では、歯周病の予防や治療の視点から、アパタイトに関係する基礎研究が盛んに行われている。さらに,材料学の分野では、生体親和性の優れた生体硬組織代替材料の有望な素材のひとつとして、水酸アパタイトが重要な研究対象となっており、バイオミネラリゼーションの解明へと展開している。

 水酸アパタイトの結晶構造の理解は、鉱物学的な意義にとどまらず、これら医学・歯学・材料学の研究を進めるにあたって最も基礎となる知見のひとつとして極めて重要であり、したがって水酸アパタイトの構造を知るための研究はこれまでに多くの研究者によって進められてきた。その結果、CaイオンとPO4イオンを骨組としたアパタイト構造の概略はほぼ確定したといえる。しかし、アパタイト構造中のc軸に沿ったチャンネルに分布しているOHイオンの配置は、結晶構造全体の対称性や化学反応性に関与して極めて重要であるにもかかわらず、未だに詳細には決定されていない。その大きな理由のひとつが、精密なX線構造解析のために必要な単結晶を得ることの困難さにある。

 生体中の水酸アパタイトの特徴のひとつは構造中にCO3イオンを含有していることである。CO3イオンは水酸アパタイト中のOHサイト(Aサイト)およびPO4サイト(Bサイト)を置換することができ、炭酸水酸アパタイトの組成式はCa10-x/2[(PO4)6-x(CO3)x][(OH)2-2y(CO3)y]と表される。CO3イオンは生体アパタイトの表面構造や溶解度積を制御するパラメータとして重要であり,骨のリモデリングや鮎歯の発生メカニズムと深く関っている。そのためアパタイト中のCO3イオンの配置の理解もOHイオンと同様に不可欠であるが、やはり炭酸アパタイト(Ca10-x/2[(PO4)6-x(CO3)x]CO3)の良質の単結晶が得難いという理由のため、直接のX線構造解析はほとんど行われていない。また、炭酸水酸アパタイトの単結晶育成法の確立は、CO3イオンがアパタイトの物性に及ぼす効果を評価し、炭酸水酸アパタイトを用いた新しい生体活性な骨置換材料を開発する上でも重要である。

 本研究では以上のような背景を鑑み、水酸アパタイトと炭酸アパタイトの単結晶を育成する方法を確立し、得られた結晶を用いてX線構造解析により水酸アパタイトにおけるOHイオン、炭酸アパタイトにおけるCO3イオンの配置の詳細決定を行うことを主な目的とした。さらにこれに付随して、炭酸水酸アパタイトの単結晶育成における炭酸量の制御を試みた。また生体材料としてのアパタイトセラミックスの生体中における物性に関連して重要な水酸アパタイト結晶表面の元素分布を、電子分光分析によって調べた。

 以下に本論文における各車の内容について述べる。

 第1章では序論として、主にアパタイトの構造の概略と、これまでに国内外の研究者により水酸アパタイト、炭酸アパタイトの合成、構造解析に関して行われてきた研究について記述した。

 第2章では水酸アパタイトと炭酸アパタイトの単結晶育成について述べた。水酸アパタイトの結晶育成は一般には主に水熱法で行われているが、本研究ではCa3(PO4)2とCa(OH)2を出発原料としたフラックス法を採用した。圧力はアルゴンガスを用いて50〜l00MPaとし、温度は1400〜1500℃で保持した後徐冷した。得られた単結晶は無色透明六角柱状で、最大のものは径11mm、長さ7mmに及んだ。組成はCa10(PO4)6(OH)2であった。

 炭酸アパタイトの単結晶育成はCa3(PO4)2とCaCO3を原料とするフラックス法で行った。圧力はアルゴンガスを用いて50〜l00MPaとし、温度は1400〜1500℃で保持した後徐冷した。得られた単結晶は無色透明六角柱状で、最大のものは径0.5mm、長さ5mmに及んだ。組成はCa9.75[(PO4)5.5(CO3)0.5](CO3)1.0であり、Aサイトは完全にCO3イオンによって置換されており、Bサイトのl/12がCO3イオンによって置換されていた。

 また、これに加えてCa3(PO4)2-CaCO3-Ca(OH)2系およびCa3(PO4)2-CaCO3-Na2CO3系からなる原料での結晶合成を行い、炭酸含有アパタイトにおけるCO3イオン量の制御を試みた。

 第3章では第2章で合成した水酸アパタイトの単結晶を用いたX線構造解析について記述した。理想的な水酸アパタイトの空間群は単斜晶系P21/bであるが、高い六方対称の傾向を有する。化学量論組成からの乖離に伴う対称の変化や双晶の存在のない、単斜晶の単結晶を得ることの難しさが、これまで精密なX線構造解析によるOHイオンの配置の詳細決定を困難にしてきた理由である。第2章で得られた単結晶のひとつを用いて、h01.0k1、hhlの3方向についてX線回折強度を測定した結果、それらのうち1方向のみにおいて単斜晶系に特有な回折が観測され、この結晶が双晶をなさない空間群P21/bの単結晶であることが確認された。格子定数はa=0.9419(3)nm、b=1.8848(6)nm、c=0.6884(2)nm、=119.98(2)°であった。この結晶を用いて回折データを測定して構造解析を行った結果、OHイオンの配置を確定することができた。RWは3.3%であった。OHイオンのOの位置は21螺旋軸上だが、Hは21螺旋軸上からシフトしており、そのずれは21軸に最も近いPO4イオンのOの方向であった。HはこのPO4イオンのOと相対的に強い結合を有しているものと考えられた。

 第4章では第2章で合成した炭酸アパタイトの単結晶(Ca9.75[(PO4)5.5(CO3)0.5](CO3)1.0)の、偏光赤外反射スペクトル測定およびX線回折による構造解析について述べた。

 偏光赤外反射スペクトルの測定の結果、C軸に対してAサイトのCO3の三角形は平行、BサイトのCO3の三角形は垂直であることがわかった。また、X線回折実験の結果、h01、0k1、h1の3方向の回折強度測定からは単斜晶に特有の回折は観測されず、00l方向の回折強度の測定から螺旋軸の存在が否定されたことから、この結晶の空間群は六方晶系P6と結論された。格子定数は=0.9480(3)nm、c=0.6898(1)nmであった。回折データを測定して構造解析を行った結果、AサイトのCO3イオンの位置を決めることができた。RWは2.7%であった。AサイトのCO3イオンは、Cと1個のOを6軸上に置き、残り2個のOが6軸の周りで3通りの配置をとるように位置していた。さらにc軸に垂直な鏡面対称のため、CO3イオンには単位胞あたり6通りの配置が可能であり、CO3イオンがこのうちどれか1個所を統計的に占有することによって、結晶全体がP6の対称を持っていると考えられた。BサイトのCO3イオンの配置は本実験の結果からは決定することができなかった。

 第5章では水酸アパタイトの表面をオージェ電子スペクトルおよびX線光電子スペクトルの測定によって分析した結果について記した。水酸アパタイトの結晶表面近傍には、Caが欠損し、CO3イオンを含有した層が存在することがわかり、こうした表面特有の元素の分布が、水酸アパタイトの表面電気物性や生体との反応、焼結体の物性などと大きな関連を持つことが示唆された。

 第6章では全体の総括的なまとめを行い、本研究で得られた結果の意義などについて述べた。

審査要旨

 本論文は、6章からなる。重要な造岩鉱物のひとつであるアパタイトは、脊椎動物の骨や歯などの硬組織の無機主成分でもあり、鉱物学のみならず医学および歯学など広範囲の研究分野の関心となっている。特に医療材料学の分野では、水酸アパタイト[Ca10(PO4)6(OH)2]が、生体硬組織代替素材として注目を集めているが、主として精密な結晶構造解析に耐えうる単結晶作成が困難であるため、その生体親和性を原子レベルで担う水酸イオンの構造的役割が未解明であった。また、生体中の炭酸水酸アパタイトCa10-x/2[(PO4)6-x(CO3)x][(OH)2-2y(CO3)y]に関しても、表面構造や溶解度積の制御のキーポイントである炭酸イオンに関する構造的な議論が極めて不充分な現状にある。

 本論文の最も重要な成果は、水酸アパタイトおよび炭酸アパタイトの良質な単結晶を育成する新しい方法を開発し、さらに精密な単結晶X線構造解析を通じて、アパタイト結晶構造における水酸イオンおよび炭酸イオンの配置に関する最終的な結論を得ることに成功した点にある。また、水酸アパタイト単結晶表面に存在する層構造を分光分析によって解明し、表面の元素分布と表面電気物性および生体反応との関連性を解明した点も重要な研究成果である。

 第1章では序論として、本研究で研究対象とする水酸アパタイトおよび炭酸アパタイトに関するこれまでの研究を概説し、これらアパタイトの結晶構造の完全な解明が、鉱物学および医歯学材料学の研究を進めるにあたって不可欠であることを指摘している。

 第2章では水酸アパタイトおよび炭酸アパタイトの単結晶育成について記述している。本論文では、従来法である水熱法の限界をブレークスルーするCa3(PO4)2とCa(OH)2を出発原料とした高圧フラックス法(50〜100Mpa、1400〜1500℃)を開発し、水酸アパタイトの単結晶育成に成功した。得られた単結晶は無色透明六角柱状で、長さ7mmに及ぶ化学量論組成Ca10(PO4)6(OH)2の単結晶であった。炭酸アパタイトはCa3(PO4)2とCaCO3を原料とする高圧フランクス法(50〜100Mpa、1400〜1500℃)で育成した。最大長5mmにも及ぶ単結晶の化学組成はCa9.75[(PO4)5.5(CO3)0.5](CO3)1.0であり、水酸イオン席は完全に、またPO4四面体のl/12も炭酸イオンによって置換されていた。また、CaCO3-Na2CO3系複合フランクスを利用することによって、炭酸アパタイトの炭酸イオン量の制御を可能とする応用性の高い結晶育成法を確立した。

 第3章では、水酸アパタイトの単結晶を用いたX線構造解析について記述した。単結晶(Ca10(PO4)6(OH)2:P21/b,=0.9419(3)nm,b=1.8848(6)nm,c=0.6884(2)nm,=119.98(2)°)の精密構造解析を行った結果、水酸イオンの配置を実験的に確定することに成功した。水酸イオンの酸素原子は21螺旋軸上に位置するが、水素原子は最近接のPO4イオンの方向に移動している。特定の酸素原子との強い水素結合が、格子を歪ませ結晶対称性の低下の主因であることを解明した。

 第4章では、炭酸アパタイトの単結晶の、X線構造解析について記述した。偏光赤外反射スペクトルの測定および精密なX線回折実験の結果を相補的に利用し、炭酸アパタイト(Ca9.75[(PO4)5.5(CO3)0.5](CO3)1.0:P6,=0.9480(3)nm,c=0.6898(1)nm)の結晶構造の決定に世界で初めて成功した。炭酸イオンは、単位胞あたり6通りの配置に統計的に分布している。このユニークな炭酸イオンの配列が、今回結晶育成に成功した炭酸アパタイトの新奇な対称性の主因であることを明瞭に示した。

 第5章では水酸アパタイトの表面構造をオージエ電子分光およびX線光電子分光の測定によって解明した。水酸アパタイトの結晶表面近傍には、Caが欠損しかつ炭酸イオンを含有した特異な層構造が存在することを発見し、この表面固有な元素分布が水酸アパタイトの表面電気物性や生体との反応と大きな関連を持つことを指摘した。

 第6章では全体を総括し、水酸アパタイトおよび炭酸アパタイトの単結晶育成、水酸アパタイトの単結晶構造解析、炭酸アパタイトの単結晶構造解析および水酸アパタイトの表面構造の特徴などを纏め、これらの実験データおよびその解析で得られた結果が、すべて新しい知見であることを示している。

 本論文は、従来不可能であった水酸アパタイトおよび炭酸アパタイトの単結晶育成法を新たに開発し、精密な単結晶構造解析を通じてアパタイト構造におけろ水酸イオンおよび炭酸イオンの挙動に関する原子レベルの構造解析に世界で初めて成功した。また、水酸アパタイトの生体親和性に反映する表面構造に関する新しい知見を与えた。これらの研究成果は、鉱物学および結晶学の発展に寄与するところが少なくない。なお、本論文の一部は、田中順三氏、高橋靖彦氏、岡村富士夫氏、下矢一良氏、菊地正紀氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与するにふさわしいと認める。

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