学位論文要旨



No 214618
著者(漢字) 川口,太郎
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,タロウ
標題(和) 大都市圏の地域構造と郊外の生活空間
標題(洋)
報告番号 214618
報告番号 乙14618
学位授与日 2000.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14618号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 松原,宏
内容要旨

 わが国の大都市圏は,かつて高度経済成長による時代効果と団塊世代による世代効果が相乗して大量の若年人口の流入を経験した。そして1960年代以降,そうした人々の世帯形成にともない郊外化が著しく進展し,大都市圏の拡大は郊外の成長と同義であるといってもよい状況が出現した。

 郊外の歴史をふりかえると,18世紀に新興ブルジョワジーが貴族のライフスタイルをまねた田園郊外の成立に遡ることができるが,今日みられるような大衆化した郊外社会は,19世紀以降の産業構造の変化や交通・技術の発展と軌を-にして成長していった。そして第二次大戦後,大量生産・大量消費システムの発達にともない郊外社会が量的・質的に拡充され,都市でもなく農村でもない社会としてその特質を露わにするようになった。その意味では,郊外の形成はまさに近代の所産ともいえ,職住の分離,生産と消費の分離によってもたらされた近代家族やその消費主義的な生活様式の発達と不可分の関係にある。

 しかし今日,過大化した大都市圏は人間的なスケールをはるかに超えた存在となるとともに,その主役である中産階級家族の変質・崩壊がみられるようになり,またその資源消費型の生活スタイルが問い直されている。さらには高度成長期に郊外を切り開いた世代が高齢化し郊外を故郷とする第二世代へのバトンタッチが進んでいるように,郊外社会は大きな転換の時期を迎えている。

 本研究は,このような認識のもとに,郊外に住む人々の生活活動の実態を通して郊外という空間の変貌を明らかにし,それが近代化の過程で膨張を続けてきた大都市圏の地域構造にどのような変容をもたらしたのか,あるいは郊外の家族や社会にどのような問題を投げかけているのかを論じ,さらにはそれらを規定してきた近代の意味づけを問い直そうとするものである。

 第1章で上述のような問題意識と研究目的を提示した後,第2章以下では東京大都市圏を題材にとり,統計資料やアンケート調査の分析をもとに郊外の生活空間の成り立ちや変容を明らかにし,そこから帰結される諸問題を論じていく。

 まず第2章では,住居経歴調査の分析から,大都市圏に流入した世帯がどのような過程を経て郊外に定着していったのかを明らかにする。大都市圏に流入した人々は,結婚後1〜2回の住居移動の後,20歳代後半から30歳代の前半にかけて郊外に持家を取得し,その後住居移動のモビリティは大きく低下する。すなわち持家の取得が郊外化の主翼を担い,地域への定着につながっていくことが示される。また,そうした住居移動の空間的特徴は,1回1回の移動距離は短く,その方向はランダムであるものの沿線に沿ったセクター性を強く持つ。すなわち,従来から住み慣れよく知っている近隣において次の住居が選択されており,このことは住居の探索空間が日常の生活空間と不可分に結びついていることを示唆するものである。

 このような過程を経て郊外には多くの人々が滞留し,そして著しい発展をとげたが,それは大都市の付属物として位置づけられてきた郊外の存在を見なおし,大都市圏の地域構造を再考する必要をもたらした。第3章では,東京大都市圏の地域的な構造変化の動向を人口や雇用の変動にもとづいて検討し,そして通勤や買物などの郊外住民の行動指標をもとにその変化を解釈する。

 人口や消費サービス,そして雇用の量的な側面からみると,大都市圏郊外の成長は中心市を凌駕し,買物や通勤などにおける郊外間の流動が増加して,中心市への求心的構造に変化を生じていることが確認される。しかしながら就業空間の変化を仔細に見ると,壮年男性層を主体とする基幹労働力は中心市へ,主婦層をはじめとする補助的労働力は郊外の地元へといったように就業空間に乖離がみられる。つまり,郊外における地元就業者の増加は,中枢管理的業務を担う就業核が郊外に新たに形成されたことを必ずしも主張するものではない。また,買物行動においても中心市指向率の低下と地元指向率の上昇が確認できるが,この中で郊外の既存商業地への集中は必ずしもみられず,結果として特定の核が強力な吸引力をもつような構造はみられない。つまり,買物空間としては郊外の中で完結するような範域に収束しつつあるものの,その中で買物行動の流動パターンは明瞭な指向性をもたず,拡散化の動きがみられる。

 以上から,わが国の大都市圏は,特定の郊外拠点に大都市の機能を代替あるいは補完するような機能が集積したのではなく,分散的な多数の核とその錯綜する勢力圏の集合として郊外が全体として自立化していくものとしてとらえることができる。

 こうした郊外の自立化の内実を示すため,第4章では,生活活動調査の分析をもとに,住民の日常生活活動の基本的な特徴を把握し,その空間的な広がりすなわち生活空間の成り立ちを明らかにする。そして,そうした生活空間の基本構造をふまえて,職住の分離や男女の役割分担という郊外を特徴づけてきた機制が,今日みられるような通勤の遠距離化や女性の社会進出のなかで大きな問題を孕んでいることを論じる。

 全ての行動から仕事目的の行動を除いて目的地までの距離の累積頻度分布を求め,指数曲線にあてはめると,1km,6kmの2点を境界とする3つの圏域に分離することができる。すなわち,我われの生活動の空間的領域はおおむね3つの圏域からなっており,こうした構造は,大都市圏であっても地方都市であっても一定の人口集積を持つ場所であるならば,それほど違いはない。この3つの圏域のどこをおもな活動の舞台としているかは,人それぞれ,あるいは地域によって異なっているが,平均的にみれば,居住地のまわりの5〜10km程度の範囲が日常の生活空間ということができる。

 そうした際,大都市圏の郊外に住む都心通勤者のみが,日常の生活空間から垂離した就業空間に「追い出され」,1日の大半を過ごしている。たしかに職住の分離は資本主義の発達とともに都市形成の原動力となってきたが,今日の過大化した都市圏は,家族や地域の生活の場から通勤者である夫を疎外し,存在感を希薄にしている。一方,家庭の主婦は家事や育児に忙しい毎日を送っている。こうした活動は時間の総量としてみればそれほど多くはないとしても,時間配分を細切れにして活動の空間的展開を制約し,妻を日常生活空間のなかに「閉じこめ」ている。自らの能力や才能をどのようにして活かすかは個人の裁量の問題であるとしても,限られた空間のなかで選択肢を満たさざるを得ない現状は不幸なことである。

 以上,日常生活活動の構造を明らかにすることを通じて,郊外の生活空間が大きな矛盾を孕んだものであり,そこに住む人々に大きな負担を強いている姿を確認した。しかしながら,そうした不自然な状態を克服し,ここで指摘したように5〜10kmの生活空間にさまざまな機能が充足され,生活活動がそのなかに収斂していく動きを認めるならば,それを大都市圏の構造変化の原動力として考えることができる。第5章では,その具体的な事例として郊外における商業の発展を買物行動の分析から明らかにする。

 日常の買物活動は「平日の買物」と「休日の買物」の二つに分類される。これを象徴的にいえば,主婦の買物と家族の買物であり,近隣商店街の買物と中心商店街の買物である。少なくともかつて買物活動の重要な位置を占めていたのは「平日の買物」であり,「休日の買物」は文字どおり非日常の買物であった。しかしながらモータリゼーションの普及によって行動圏が拡大し,また時間の希少性が増大するようになると,日単位ではなく週単位で買物活動がスケジュール化され「休日の買物」が日常生活のなかに組み込まれるようになった。

 そのとき,自家用車の利用は自由度の高い行動圏を拡大することにより,これまで未開拓であった5〜10kmの行動圏に対応する地域の商業活動を大きく変えた。公共交通機関の基本的な機能は末端需要を結節点に集中させることにあり,そうした後背地からの集客力を背景に中心商業地は形成されてきた。それに対して自家用車は道路交通に支障の多い中心部から郊外に買物活動を拡散させるベクトルを持つ。したがって,交通手段として融通性・裁量性に富む自家用車の利用が進むとともに,従来交通(公共交通)の結節点としての中心商店街から郊外のロードサイドに空間資源の優位性をもたらし,その結果,結節的な地域体系が拡散化する動きにつながっていったのである。

 第6章では,以上の議論をふまえて本研究の結論を述べる。そもそも大都市圏とは,都心を核とする都市域の拡大によって形成され,その過程で居住空間としての消費生活に特化する郊外と,就業空間として業務に純化する都心に分化していったものと解されてきた。こうした機能分化による空間的分業はまさしく近代産業化の所産であるが,それは郊外の住宅地を人的資源の供給基地として労働力の再生産の視点から見つめ,大都市圏を単核的・求心的なものとしてとらえるものに他ならない。

 しかし今日,郊外の地域に根ざした人々の生活を見据えたとき,数時間単位の裁量により実行可能となる活動の行動圏は,社会・地域への参加や余暇の充実を保障とする際に大きな可能性を提供する。住宅地域の「生活の質」は決して住宅の広さや自然環境の豊かさだけで保障されるものではなく,適当な生活空間の広がりのなかにさまざまな活動を幅広く展開できる選択肢の豊かさが,本当の「生活の質」を意味すると思われる。そうした「地元」での生活の充実を求める欲求が自家用車の普及と相まって郊外間の流動を増加させ,大都市圏の中に郊外の生活圏を確立したと解釈されるが,それは結局,多くの地元圏のからなる生活圏の連合として過大化した大都市圏が再構築されることを示す。そしてこのことは,大都市圏の郊外が地方都市化していくことを彷佛させるとともに,郊外を規定してきた時空間の分節化が融解する動きを惹起させ,大都市圏や郊外を形づくってきた近代の機制が大きく変貌しつつあることをみることができるのである。

審査要旨

 先進国・途上国を問わず、現代社会においては大都市がさまざまな社会経済活動の中核となっており、大都市圏の地域構造の把握は都市地理学において最も重要な課題である。わが国の大都市圏でも、高度成長期以降の著しい拡大過程の中で、とりわけ郊外地域が急速に肥大化し、従来、単核的・求心的としてとらえられてきた大都市圏の地域構造が大きく変容しており、その解明が求められている。本論文は、大都市圏郊外に居住する住民の生活活動の実態分析を通して、大都市圏研究に生活空間という視点を導入し、大都市圏の地域構造に関する新たな理解を得ようとするものである。

 本論文は6章からなる。

 第1章では、まず郊外の発達史を概述し、職住の分離、生産と消費の分離によってもたらされた生活様式の発達と不可分の関係にあることを示した。

 第2章以下では、東京大都市圏を題材にとり、統計資料やアンケート調査の分析をもとに郊外の生活空間の構成や変容を明らかにし、そこから帰結される諸問題を論じている。

 まず第2章では、住居経歴調査の分析をもとに、大都市圏に流入した人口がどのような過程を経て郊外に定着していったのかを実証的に明らかにした。東京大都市圏では、高度経済成長による時代効果とベビーブーム世代によるコーホート効果が相乗して大量の若年人口の流入を経験したが、そうした都市圏内の住居移動の空間的広がりはきわめて限定されていて、住居の探索空間が日常の生活空間と不可分に結びついていることが明らかにされ、流動人口が定着人口に転換するプロセスが示された。

 第3章では、東京大都市圏の地域的な構造変化の動向を人口や雇用、および、通勤や買物などの郊外住民の行動指標をもと分析した。その結果、東京大都市圏の構造変化は、米国に叢生するエッジ・シティのように、特定の郊外拠点に大都市都心の機能を代替あるいは補完するような機能が集積したものではなく、分散的な多数の核と錯綜したその勢力圏の集合として郊外が自立化していく過程としてとらえられるとの見解が得られた。

 こうした郊外の自立化の内実を示すため、第4章では、生活活動調査の分析をもとに、住民の日常生活活動の基本的な特徴を把握し、その空間的な広がり、すなわち生活空間の構成を明らかにした。その結果、郊外住民の生活空間は3重の同心円的圏域からなり、そのうち居住地をとりまく5〜10km程度の圏域での生活活動が郊外の自立化の現象をもたらしていることが判明した。

 第5章では、郊外の生活空間のなかにさまざまな地域機能が充足され、生活活動がそのなかに収斂していく動きの具体的な事例として、郊外における買物行動を時間地理学の手法を用いて生活活動の時空間配置から検討した。郊外の買物行動の変化は、モータリゼーションの普及によって生活活動の空間的制約が緩和される一方、住民にとっての時間の希少性が増大するなかで、買物という生活活動を時空間のなかに合理的に配置するための枠組みの変化であることが論じられている。

 最後に第6章では、以上の議論をふまえて本研究の結論が示される。すなわち、数時間単位の活動時間に対応する行動圏が生活空間の基礎であり、郊外地域においては、そうしたいわば地元圏の連合として大都市圏全体が構成されている。そのために、生活空間の面からは、大都市圏郊外は地方都市と類似した成立基盤を持つものとして理解されるべきである、と論じている。

 本論文において展開された大都市圏郊外地域の生活空間に関する実証研究は、土地利用や産業立地といった可視的な事象を主たる対象としてきた都市地理学に対して、住民の生活活動という把握が難しい事象をもその対象に加えることが可能であり、それによって、都市空間に関する新たな認識が切り開かれることを示した点で、都市地理学の進展に大きく貢献するものである。

 よって、本論文の提出者川口太郎は、博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51142