内容要旨 | | 菌類は,生活環における一時期の植物からの栄養摂取性(trophism)の観察によって内生菌,植物病原菌(殺生菌),腐生菌(分解者)に分類されている.しかし,この分類による名称は,単に各栄養摂取性の長さの違いを現しているに過ぎないため,多くの菌種は,本来複数の栄養摂取性を持つ.従って,菌が植物体上または体内で優占種になる時,全ての分類群の菌種と植物体上のスペースと栄養を競合すると考えられ,菌類と植物の関係は,現在考えられている以上に複雑である.特に,植物病原菌に分類されている条件的寄生菌は,共生者・病原体・分解者の性質を持ち,植物に対して強い病原性はないが,植物体上で菌類の遷移が起こるなかで,しばしば病原菌として顕在化する.この分類群の菌の動態に関する研究はきわめて少ない. 条件的寄生菌が優占種になる要因の明確化は,生態系における菌類の役割や病原性の分化など,菌類生態学上,植物病理学上の重要な研究課題である.本研究では,条件的寄生菌に分類されるPestalotiopsis属のうち,多犯性で様々な植物から高頻度に分離されるP.neglecta(MAFF237893)が植物体上の菌類遷移の中で優占種となるための要因の解明を試み,生活環における本菌の動態を生理生態学的手法と形態学的手法によって明確にし,その特徴から本菌が優占種となるための適応的な戦略について考察した. 1)Pestalotiopsis neglectaの生活環 P.neglectaの生活環はi)分生子の発芽,ii)定着,iii)分生子層と分生子の形成,iv)分生子の飛散,v)植物への付着の5ステージで構成される.これを菌の戦略的な動態として見直すと,基質への付着と分生子の発芽は"場を確保する",定着は"場を確立して防衛する",そして分生子の形成と飛散は"新たな場を開拓し生残する"という意味をそれぞれ持つ. 2)場の確保(分生子の付着・発芽) 分生子の付着は,分生子を覆う粘液質や付属系と基質の間で起こる疎水性相互作用による弱い付着と,新たな分泌物による強い付着(固着)の2段階に分けられた.弱い付着は代謝を必要としない一時的な付着である.これは飛散後の分生子が発芽に不適な物質に到達した時の付着でもあり,分生子が再び飛散するために重要であると推察された.一方,好適な発芽条件下では,分生子は活性化し,処理後約3時間以降に分生子尾部から粘液質を分泌して基質に固着し,発芽後は発芽管からの分泌物で基質に固着した.P.neglectaの分生子は,このように場に適応した強度で基質に付着すると考えられる.また,本菌の形態的特徴である付属糸は,水を媒体として解離・飛散する本菌において,強い水流抵抗を受けずに分生子を植物体に付着させる重要な役割を持つと考えられた. P.neglecta分生子の発芽は,内囲条件と外囲条件から制御されていた.内囲条件として,自己発芽抑制物質が分生子を覆う粘液質中に含まれており,発芽を制御していることが示された.この自己発芽抑制物質は,分生子完成時には既に粘液質中に存在しているが,この物質は異なる溶媒で分配され,それぞれの溶媒可溶画分に発芽抑制活性が認められたことから,異なる性質を持つ数種の物質の混合物であると推定された.しかし,形成後90日経過した分生子の粘液質には,発芽の抑制よりも促進効果があるという結果が示された.従って,分生子は形成後90日経過すると,植物の傷の有無に関わらず,粘液質中の栄養分が発芽を促進すると考えられる.外囲条件として,分生子は温度・pH・酸素などの影響を受け,10℃〜30℃,pH3.1〜9.0の範囲の有酸素下で発芽が起き,その至適条件は25℃・pH7.8であった.一方,本菌の発芽時における栄養要求性を調べたところ,本菌は0.2%ペクチン(w/v)+0.2%ペプトン(w/v)によって発芽率が著しく上昇し,分生子を覆う粘液質の有無には左右されにくいという結果が得られた.さらに,宿主細胞壁のペクチンは本菌の分生子の分泌するペクチン分解酵素によって分解され,そのうちアラビノースとグルコースが分生子の発芽を引き起こすことが推定された. 以上のように,本菌の分生子の付着および発芽が起こる時,分生子を覆う粘液質は,i)分生子の一時的な付着に関与し,ii)分生子の自己発芽を抑制する物質を含有して発芽を制御する,しかし,iii)それはペクチンが存在する場所ではその活性をほとんど示さない,などの重要な役割を持つと考えられる.すなわち,雨滴などによって分生子層から分生子が解離した時の分生子濃度が高い水滴中では,分生子は粘液質で一時的に付着するが,粘液質中の発芽抑制物質が無駄な発芽を回避している.さらに,この粘液質が流失した時に分生子は,活性化して新たに粘液質を分泌し,これによって植物に強く付着し,ペクチン分解酵素を分泌し,同時にペクチンを分解しながら発芽する.また,分生子を覆う粘液質中の自己発芽抑制物質は,植物の傷上のようにペクチンが裸出している場合には,ほとんどその活性を示さないことから,確実に定着可能な植物体上では,機会を逃さずに発芽が起こると考えられた. 3)場の確立と防衛(定着) 場を確保したP.neglectaは発芽可能な温度・pHで菌糸を伸長させた.形成された菌叢から水を用いて発芽抑制物質の抽出を試み,抽出液をジエチルエーテルで液-液分配してジエチルエーテル相可溶画分を得た.この抽出画分の濃度を変え,7属8種11種類の糸状不完全菌類と9属13種の分生子果不完全菌類に対する発芽抑制活性を調査したところ,1.36mg/mlではGeotrichum candidumとAspergillus nigerを除く全ての菌種に対して発芽抑制が認められた.しかし,抽出画分を0.34mg/mlまで希釈すると,分生子果不完全菌に対してのみ顕著な発芽抑制効果が認められた.これを0.17mg/mlまで希釈すると,Pestalotiopsis属,Phoma sp.,Phomopsis citiri,およびSeptoria属などのPestalotiopsis neglectaと同じ生態的地位にあると考えられる菌種に対してだけ,強い発芽抑制効果があった.この発芽抑制物質は植物体上で本菌が定着後,他の菌種との競合に勝つための直接的な要因であると考えられ,一旦確保した宿主植物の場への他の菌種の侵入を妨げていると推察された. 4)新たな場の開拓と生残(分生子の形成と飛散) 水によって解離した本菌の分生子は雨滴や霧によって近距離を飛散する.また,この時,地表面に落ちた分生子は土壌粒子と共に風で長距離を飛散する.本菌の分生子は,発芽に不適な4℃,37℃あるいはpH2.0,12.5などの条件下では他発休眠状態を保ち,適条件下で発芽する.また,本菌の分生子は発芽可能な細胞を複数有するため,一度発芽した分生子が,途中で不適条件のためにその発芽管が死滅した場合には,はじめに発芽した細胞とは異なる細胞から再び発芽が起きる可能性が高い.従って,分生子層から解離した分生子の発芽と菌叢形成の機会は,好適な植物体に到達するまで複数回あると考えられる. 5)Pestalotiopsis neglectaの適応戦略 P.neglectaは,植物の生体に寄生し,植物の老化に伴い腐生的な生活を送る.つまり,生態系における本菌の役割は分解者でありながら,生態的地位の獲得戦略として,本菌は宿主がまだ健全な時から宿主に寄生している.従って,P.neglectaの菌類間の競合における適応的な戦略のうち最も重要な鍵は,場の確保(分生子の付着と発芽)にあると考えられ,本研究からもこの時期の重要性が見出された.また,場の確保後は迅速に場を確立し,発芽抑制物質で防衛しながら分生子を形成し,新たな場を開拓するために,効率良く分生子を飛散させることが明らかとなった. 以上を要するに,条件的寄生菌である針葉樹ペスタロチア病菌P.neglectaの生活環に関して,分生子形成から飛散・定着までのメカニズムを生理生態的ならびに形態的に解析した結果,本菌が植物体上で優占種となるのは,分生子層と分生子の付属糸などの形態がもつ飛散・付着時の役割,環境に対する分生子の耐性,分生子を覆う粘液質の付着や自己発芽の制御,付着時と発芽時に新たに生産される物質の作用,および定着後に生産される他の菌に対する発芽抑制物質などが,総合的に作用する結果であると結論づけられた. |