学位論文要旨



No 214621
著者(漢字) 峯崎,善章
著者(英字)
著者(カナ) ミネザキ,ヨシアキ
標題(和) 中性子を用いたニワトリ卵白リゾチームの全構造決定と結晶成長初期過程の研究
標題(洋)
報告番号 214621
報告番号 乙14621
学位授与日 2000.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14621号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 清水,謙多郎
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 日本原子力研究所 研究主幹 新村,信雄
内容要旨

 現在、X線、NMRによる構造解析により数多くのたんぱく質、核酸の立体構造が決定され、分子レベルでの生命現象が明らかになってきた。しかしながら原理的にX線は原子の核外電子により散乱され、水素原子からの散乱強度は非常に弱く水素の情報を得ることは大変難しい。ところが中性子は原子核と散乱するため、水素は酸素、炭素と同程度の強さで散乱しかつ軽水素と重水素か明瞭に区別できるという特徴を持つため、生体分子中半分を占める水素を含めた全構造を決定することができる。しかしながら実際に利用できる中性子ビームがX線・放射光のビームと比べてたいへん弱く、なかなか生体高分子に応用されてこなかった。

 今回、中性子ラウエ法と中性子イメージングプレートを用い、わずか10日間の測定時間で全データを収集し、ニワトリ卵白リゾチームの水素を含めた全構造の決定に成功した。中性子によるタンパク質全構造の決定は世界的にみても10数年ぶり7件目であり、日本で行われたのは初めてのものである。今まで半年程度の測定時間を要していたことを考えると一桁以上測定時間の短縮を可能とし、また中性子ラウエ法、中性子イメージングプレートが十分な実用に耐えうることを示し、中性子タンパク質結晶構造解析の分野に飛躍的な進歩をもたらした。

 タンパク質としてニワトリ卵白由来のリゾチームを用い、単結晶はD2O母液中で濃度勾配法により温度18゜Cで結晶成長させた、正方晶型(P43212、a=b=80.8Å、c=37.1Å)の2.0×2.0×1.5mm3大のものを用いた。実験はフランス、Institute-Laue-Langevin研究所(ILL)に設置された中性子ラウエ回折計(LADI)を用いて行った。7度ごとに測定時間8時間〜24時間で結晶を回転させ、10日間で15フレーム、90度回転させてデータを収集した。積分強度解析用のソフトはCCP4 laue suiteを用い、1フレーム当り2500〜3000の反射を収集した。初期モデルとして、独自にX線で決定した座標データ(未発表)を用い、2.0Å分解能で1以上の全反射数38278個(内独立な反射6700個、completeness81.4%)のセットを用いた。X-PLORのパラメータファイルを中性子用に書き換え、タンパク質分子をリファイメントしたところ、最終的に248個の水分子を置いた段階で、R値(Rfree値)21.0%(32.3%)まで下げることが出来た。

 今回pH=7.0で結晶化させたが酵素活性部位であるGlu35、Asp52は共に水素が解離状態になっているのが確認された。最大活性条件下のpH=5.0ではGlu35がプロトネイトした状態で、Asp52は解離状態であることがわかっているが、Glu35の水素が解離することで酵素活性が不活性になったことが構造学的に確認された。

 X線の結果だけでは構造化学的に予測できない水素の位置を決定することができた。2つ例を挙げる。

 1)重水中で結晶化すると窒素に付いている水素は重水素と置換され、炭素についている水素は置換されない。このため、ヒスチジン15のイミダゾールリングの窒素原子と炭素原子が明瞭に区別することができた。2)チロシン53では-OH基が向かって左後方向を向いていて、根元の酸素と隣の残基が水を介して水素結合でつながっている。もし水を介さずに水素結合させようとすると距離が離れすぎているため届かない。

 また、様々な水和水が見つかった。

 1)トリプトファン62のインドール環の上にのっている水分子が確認され、6員環の中央ではなく結合の上にのっていた。2)タンパク質内部ではこの他に周囲の4ヵ所と水素結合している水分子や3)疎水基のポケットに囲まれた水分子4)2本のバックボーンの間に挟まれている水分子などが見つかった。タンパク質表面では、5)親水基に強く結合している水分子、6)タンパク質と直接結合せずに水分子同士でクラスターを形成している水分子などが見つがった。

 中性子解析によって決定された水素原子の位置と幾何学的に理想的な計算による水素原子の位置を比較したところ、水素結合に寄与しない水素原子位置の差に比べ、水素結合に関与している水素原子位置の差は一桁以上大きいことがわかった。

 タンパク質の二次構造の形成・安定に重要な、N-D...O型(重水結晶を解析したため軽水から重水に置換している)の主鎖間の水素結合について水素結合距離、水素結合角の解析を行ったところ、水素供与体と水素受容体の距離は約3Åと平均的な結合距離を示したが、水素原子-水素受容体間の距離は約2.2Åと平均距離2Åよりも長い傾向を示した。結合角を調べたところ145度付近にピークを持つ比較的ブロードな分布を示し直線型の180度のものはほとんどなかった。つまりタンパク質内ではアミノ酸という幾何学制限があるため一番エネルギー的に安定である直線型をとれずに角度を持ち、そのために水素原子-水素受容体の距離が長くなる傾向があることがわかった。これは基本的な二次構造の枠組みであるヘリックス中においても同様で、教科書にあるように直線的にではなくある程度の角度を持っていることがわかった。

 次に通常水素結合として議論される一重型水素結合(X-H...Y)以外の水素結合の解析を行った。二股及び三股水素結合の解析を行った結果、すでに報告されている低分子結晶内の二股及び三股水素結合の確率よりもタンパク質内でのそれは高いことがわかった。これは球状型タンパク質内では多くの水素結合アクセプターやドナーが密接して存在するので、二股及び三股水素結合を形成する可能性が低分子結晶より高いためと考えられる。ヘリックスやシート内でもかなりの数の二股及び三股水素結合が見い出された。

 次に主鎖-主鎖間で、ある残基を基準として何番目の残基と水素結合をしているのかを解析したところ、圧倒的に3番目と4番目の残基と水素結合を形成していることがわかった。これを(n-n+3)型、(n-n+4)型水素結合と呼ぶ。(n-n+3)型、(n-n+4)型のN-D...O型水素結合について調べたところ、(n-n+4)型は典型的なN-D...O型水素結合の値を示したが、(n-n+3)型は水素結合距離、結合角共に大きい傾向を示した。

 今までのことを総合して考えると以下の結論が得られた。ヘリックスはエネルギー的にもっとも安定な直線(n-n+4)型の単純水素結合によって形成されているのではなく、実際にはほとんどの結合がある結合角を持ち、(n-n+3)型、(n-n+4)型の二股水素結合をとっていることがわかった。また二股結合をとってはいるがやはり(n-n+4)型か主であり、(n-n+4)型がずれることにより(n-n+3)型の水素結合を形成し二股水素結合を形成していることがわかった。

 タンパク質結晶構造解析には単結晶作成が必要不可欠であり、中性子構造解析にはさらに大きな単結晶が必要である。しかしながらタンパク質の結晶成長機構についてはほとんどわかっておらず、未だに経験と試行錯誤によっているのが現状である。最近、結晶成長機構解明を目指して、光散乱、干渉計、光学顕微鏡、AFM、SNOAM等を用いての研究が盛んに行われれている。そこで結晶構造解析と平行し、中性子及びX線小角散乱法を用いてタンパク質結晶成長の研究を行った。その結果、中性子及びX線小角散乱法が結晶成長初期過程の研究に有効であることを見い出し、未飽和状態ですでに結晶成長に関連すると思われる会合状態の存在を確認し、過飽和状態の実験から結晶成長初期過程モデルを提出した。

審査要旨

 X線、NMRによる構造解析により数多くのタンパク質、核酸の立体構造が決定され、分子レベルでの生命現象が明らかになってきている。しかしながら原理的にX線解析では水素原子の情報を得ることは非常に難しいのに対し、中性子解析では原子核で散乱するため、水素原子は酸素原子,炭素原子と同程度の強度で散乱し、かつ軽水素と重水素が明瞭に区別できるという特徴を持つ。そのため、生体分子中半分を占める水素原子を含めた全構造を決定することが可能である。今まで利用できる中性子線ビームが大変弱く、生体高分子に応用することは困難であったが、本研究では中性子イメージングプレートと中性子ラウエ法を組み合わせることでわずか10日間の測定時間で全データを収集し、ニワトリ卵白リゾチームの全構造の決定に成功した。

 第1章では緒言を述べた。

 第2章では構造解析の原理と実際について述べた。タンパク質としてニワトリ卵白由来のリゾチームを用い、単結晶はD2O母液中で濃度勾配法により温度18℃で結晶成長させた、正方晶型の2.0×2.0×1.5mm3大のものを用いた。実験はフランスInstitute-Laue-Langevin研究所(ILL)に設置された中性子ラウエ回折計(LADI)を用いて行った。7度ごとに測定時間8時間24時間で結晶を回転させ、10日間で15フレーム、90度回転させてデータを収集した。初期モデルとして、独自にX線結晶構造解析で決定した座標データと、2.0Å分解能で1以上の全反射数38278個(うち独立な反射6700個、completeness81.4%)の回折強度データのセットを用い、最終的に248個の水分子を置いた段階で、R値(Rfree値)を21.0%(32.3%)まで下げることが出来た。

 第3章では水素原子について述べた。本研究ではpH=7.0で結晶化を行い、酵素活性部位であるGlu35、Asp52は共に水素原子が解離状態になっていることを確認した。最大活性条件下のpH=5.0ではGlu35がプロトネイトした状態で、Asp52は解離状態であることが知られているが、Glu35の水素原子が解離することで酵素活性が不活性になったことが構造学的に確認された。

 第4章では水和構造について述べた。X線結晶構造解析の結果だけでは構造化学的に予測できない水素原子の位置を決定することができた。重水中で結晶化すると窒素原子に付いている水素原子は重水素と置換され、炭素原子についている水素原子は置換されない。このため、ヒスチジン15のイミダゾール環の窒素原子と炭素原子を明瞭に区別することができた。親水基に強く結合している水分子は配向をはっきり同定することができたのに対し、疎水基表面の水和水はタンパク質との結合部位が存在しないため熱振動が高く、配向がはっきりしないクラスター状になっているのが確認された。

 第5章では水素結合について述べた。本研究で決定された960個の水素原子の位置情報を用い水素結合の解析を行った。二股及び三股水素結合の解析を行った結果、タンパク質内で二股及び三股水素結合を形成する確率が非常に高いことがわかった。ヘリックスやシート内でもかなりの数の二股及び三股水素結合が見い出された。ヘリックスの主鎖のC=O...D-N間の水素結合を解析したところ、圧倒的にn番目のC=Oに対してn+3番目とn+4番目の残基と水素結合を形成している確率が高いことがわかった。これを(n-n+3)型、(n-n+4)型水素結合と呼ぶが、さらに詳しく解析した結果、(n-n+4)型は典型的なN-D...O型水素結合の値を示したが、(n-n+3)型は水素結合距離、結合角共に大きい傾向を示した。今までのことを総合して考えると以下のようなヘリックス像が得られた。ヘリックスはエネルギー的にもっとも安定な直線(n-n+4)型の単純水素結合によって形成されているのではなく、実際にはほとんどの結合がある結合角を持ち、(n-n+3)型、(n-n+4)型の二股水素結合をとっていることがわかった。また二股結合をとってはいるがやはり(n-n+4)型が主であり、(n-n+4)型がずれることにより(n-n+3)型の水素結合を形成し二股水素結合を形成していることがわかった。

 第6章では小角散乱法によるタンパク質結晶成長初期過程について述べた。タンパク質結晶構造解析には単結晶作成が必要不可欠であり、中性子構造解析にはさらに大きな単結晶が必要である。しかしながらタンパク質の結晶成長機構についてはほとんどわかっておらず、未だに経験と試行錯誤によっているのが現状である。そこで結晶構造解析と並行し、中性子及びX線小角散乱法を用いてタンパク質結晶成長の研究を行った。その結果、中性子及びX線小角散乱法が結晶成長初期過程の研究に有効であることを見い出し、未飽和状態ですでに結晶成長に関連すると思われる会合状態の存在を確認し、過飽和状態の実験から結晶成長初期過程モデルを提出した。

 第7章では今後の展望について述べた。

 本研究では、中性子ラウエ法と中性子イメージングプレートを用い、わずか10日間の測定時間で全データを収集し、ニワトリ卵白リゾチームの水素を含めた全構造の決定に成功した。今まで半年程度の測定時間を要していたことを考えると一桁以上測定時間の短縮を可能とし、また中性子ラウエ法、中性子イメージングプレートが十分な実用に耐えうることを示し、中性子タンパク質結晶構造解析の分野に飛躍的な進歩をもたらした。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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