現在、X線、NMRによる構造解析により数多くのたんぱく質、核酸の立体構造が決定され、分子レベルでの生命現象が明らかになってきた。しかしながら原理的にX線は原子の核外電子により散乱され、水素原子からの散乱強度は非常に弱く水素の情報を得ることは大変難しい。ところが中性子は原子核と散乱するため、水素は酸素、炭素と同程度の強さで散乱しかつ軽水素と重水素か明瞭に区別できるという特徴を持つため、生体分子中半分を占める水素を含めた全構造を決定することができる。しかしながら実際に利用できる中性子ビームがX線・放射光のビームと比べてたいへん弱く、なかなか生体高分子に応用されてこなかった。 今回、中性子ラウエ法と中性子イメージングプレートを用い、わずか10日間の測定時間で全データを収集し、ニワトリ卵白リゾチームの水素を含めた全構造の決定に成功した。中性子によるタンパク質全構造の決定は世界的にみても10数年ぶり7件目であり、日本で行われたのは初めてのものである。今まで半年程度の測定時間を要していたことを考えると一桁以上測定時間の短縮を可能とし、また中性子ラウエ法、中性子イメージングプレートが十分な実用に耐えうることを示し、中性子タンパク質結晶構造解析の分野に飛躍的な進歩をもたらした。 タンパク質としてニワトリ卵白由来のリゾチームを用い、単結晶はD2O母液中で濃度勾配法により温度18゜Cで結晶成長させた、正方晶型(P43212、a=b=80.8Å、c=37.1Å)の2.0×2.0×1.5mm3大のものを用いた。実験はフランス、Institute-Laue-Langevin研究所(ILL)に設置された中性子ラウエ回折計(LADI)を用いて行った。7度ごとに測定時間8時間〜24時間で結晶を回転させ、10日間で15フレーム、90度回転させてデータを収集した。積分強度解析用のソフトはCCP4 laue suiteを用い、1フレーム当り2500〜3000の反射を収集した。初期モデルとして、独自にX線で決定した座標データ(未発表)を用い、2.0Å分解能で1以上の全反射数38278個(内独立な反射6700個、completeness81.4%)のセットを用いた。X-PLORのパラメータファイルを中性子用に書き換え、タンパク質分子をリファイメントしたところ、最終的に248個の水分子を置いた段階で、R値(Rfree値)21.0%(32.3%)まで下げることが出来た。 今回pH=7.0で結晶化させたが酵素活性部位であるGlu35、Asp52は共に水素が解離状態になっているのが確認された。最大活性条件下のpH=5.0ではGlu35がプロトネイトした状態で、Asp52は解離状態であることがわかっているが、Glu35の水素が解離することで酵素活性が不活性になったことが構造学的に確認された。 X線の結果だけでは構造化学的に予測できない水素の位置を決定することができた。2つ例を挙げる。 1)重水中で結晶化すると窒素に付いている水素は重水素と置換され、炭素についている水素は置換されない。このため、ヒスチジン15のイミダゾールリングの窒素原子と炭素原子が明瞭に区別することができた。2)チロシン53では-OH基が向かって左後方向を向いていて、根元の酸素と隣の残基が水を介して水素結合でつながっている。もし水を介さずに水素結合させようとすると距離が離れすぎているため届かない。 また、様々な水和水が見つかった。 1)トリプトファン62のインドール環の上にのっている水分子が確認され、6員環の中央ではなく結合の上にのっていた。2)タンパク質内部ではこの他に周囲の4ヵ所と水素結合している水分子や3)疎水基のポケットに囲まれた水分子4)2本のバックボーンの間に挟まれている水分子などが見つかった。タンパク質表面では、5)親水基に強く結合している水分子、6)タンパク質と直接結合せずに水分子同士でクラスターを形成している水分子などが見つがった。 中性子解析によって決定された水素原子の位置と幾何学的に理想的な計算による水素原子の位置を比較したところ、水素結合に寄与しない水素原子位置の差に比べ、水素結合に関与している水素原子位置の差は一桁以上大きいことがわかった。 タンパク質の二次構造の形成・安定に重要な、N-D...O型(重水結晶を解析したため軽水から重水に置換している)の主鎖間の水素結合について水素結合距離、水素結合角の解析を行ったところ、水素供与体と水素受容体の距離は約3Åと平均的な結合距離を示したが、水素原子-水素受容体間の距離は約2.2Åと平均距離2Åよりも長い傾向を示した。結合角を調べたところ145度付近にピークを持つ比較的ブロードな分布を示し直線型の180度のものはほとんどなかった。つまりタンパク質内ではアミノ酸という幾何学制限があるため一番エネルギー的に安定である直線型をとれずに角度を持ち、そのために水素原子-水素受容体の距離が長くなる傾向があることがわかった。これは基本的な二次構造の枠組みであるヘリックス中においても同様で、教科書にあるように直線的にではなくある程度の角度を持っていることがわかった。 次に通常水素結合として議論される一重型水素結合(X-H...Y)以外の水素結合の解析を行った。二股及び三股水素結合の解析を行った結果、すでに報告されている低分子結晶内の二股及び三股水素結合の確率よりもタンパク質内でのそれは高いことがわかった。これは球状型タンパク質内では多くの水素結合アクセプターやドナーが密接して存在するので、二股及び三股水素結合を形成する可能性が低分子結晶より高いためと考えられる。ヘリックスやシート内でもかなりの数の二股及び三股水素結合が見い出された。 次に主鎖-主鎖間で、ある残基を基準として何番目の残基と水素結合をしているのかを解析したところ、圧倒的に3番目と4番目の残基と水素結合を形成していることがわかった。これを(n-n+3)型、(n-n+4)型水素結合と呼ぶ。(n-n+3)型、(n-n+4)型のN-D...O型水素結合について調べたところ、(n-n+4)型は典型的なN-D...O型水素結合の値を示したが、(n-n+3)型は水素結合距離、結合角共に大きい傾向を示した。 今までのことを総合して考えると以下の結論が得られた。ヘリックスはエネルギー的にもっとも安定な直線(n-n+4)型の単純水素結合によって形成されているのではなく、実際にはほとんどの結合がある結合角を持ち、(n-n+3)型、(n-n+4)型の二股水素結合をとっていることがわかった。また二股結合をとってはいるがやはり(n-n+4)型か主であり、(n-n+4)型がずれることにより(n-n+3)型の水素結合を形成し二股水素結合を形成していることがわかった。 タンパク質結晶構造解析には単結晶作成が必要不可欠であり、中性子構造解析にはさらに大きな単結晶が必要である。しかしながらタンパク質の結晶成長機構についてはほとんどわかっておらず、未だに経験と試行錯誤によっているのが現状である。最近、結晶成長機構解明を目指して、光散乱、干渉計、光学顕微鏡、AFM、SNOAM等を用いての研究が盛んに行われれている。そこで結晶構造解析と平行し、中性子及びX線小角散乱法を用いてタンパク質結晶成長の研究を行った。その結果、中性子及びX線小角散乱法が結晶成長初期過程の研究に有効であることを見い出し、未飽和状態ですでに結晶成長に関連すると思われる会合状態の存在を確認し、過飽和状態の実験から結晶成長初期過程モデルを提出した。 |