仕込みの初めに多量の酵母を必要とするビール醸造では、発酵終了とともに起こる酵母の凝集によりタンク底部に沈降した酵母を回収し再使用される。このことから、酵母の凝集は非常に重要な形質である。この形質は、FL01、FLP5、FLO8、TUP1,SSN6等の遺伝子によって引き起こされることが知られている。酵母の凝集のメカニズムは、細胞表層に存在するマンノース結合性のレクチン様蛋白質と、マンノース鎖の結合によって起こると考えられているが、レクチン様蛋白質の同定はまだなされていない。本論文は、酵母のレクチン様蛋白質の同定を目的として、凝集を制御する遺伝子、また、ビール酵母での凝集に直接関与する遺伝子等について詳細に解析したものである。 第1章では、非凝集性酵母(Saccharomyces cerevisiae)YPH500に凝集性を付与する遺伝子として、凝集性酵母ATCC60715からのFLO8遺伝子のクローニングについて述べている。FLO8遺伝子の破壊によって凝集性は失われること、FLO8遺伝子と他の凝集遺伝子の関係をノーザン解析によって調べたところ、FLO8遺伝子は、別の凝集遺伝子であるFLO1遺伝子の転写活性化を介して凝集性を発現していることが示唆された。 第2章では、FLO1遺伝子の転写制御の解析を行っている。ノーザン解析の結果がら、TUP1とSSN6の両遺伝子の他に、劣性の凝集性遺伝子SFL1とSIN4も、FLO1遺伝子の転写活性化を介して凝集性を発現していることを示し、FLO1遺伝子の転写に関するカスケードの存在を示唆している。さらに、FLO1の転写制御の機槙を明らかにするために、FLO1遺伝子のプロモーターの解析を行い、転写活性化に関する領域(UAS)と転写抑制に関する領域(URS)を見い出した。 第3章では,FLO1以外のFLO8遺伝子産物による転写制御のターゲット遺伝子を探す目的で、酵母DNAマクロアレイを用いた転写物の包括的な解析を行なっている。その結果、FLO8遺伝子産物は、FLO1遺伝子の他に、偽菌糸形成に関与するFLO11遺伝子、および分泌グルコアミラーゼをコードするSTA1遺伝子の転写を活性化していることを明らかにした。 第4章では、下面発酵ビール酵母からのFLO1相同遺伝子のクローニングについて述べている。酵母の凝集性は、それを阻害する糖の種類によって、マンノースによってのみ阻害されるFlo1タイプと、マンノースとグルコースによって阻害されるNewFloタイプの表現型に分類される。もしもFLO1遺伝子がレクチン様蛋白質をコードするのならば、Flo1タイプの凝集性株のFLO1遺伝子をNewFloタイプのFLO1相同遺伝子と置換することによって、凝集性の表現型もFlo1タイプからNewFloタイプへと変わるとの想定のもとで、NewFloタイプの下面発酵ビール酵母のFLO1相同遺伝子の調査を行なった。その結果、FLO1の相同遺伝子を見い出し、Lg-FLO1と命名した。次に、Flo1タイプの凝集性株のFLO1遺伝子を破壊し、Lg-FLO1遺伝子を導入したところ、得られた形質転換体は予想通りにNewFloタイプの凝集性を示した。このことは、FLO1遺伝子および、Lg-FLO1遺伝子はそれぞれ、マンノース特異的および、マンノース/グルコース特異的なレクチン様蛋白質をコードしている可能性を強く示唆している。 第5章では、Flo1蛋白質の機能領域の推定を行っている。Flo1蛋白質とLg-Flo1蛋白質のキメラを酵母で発現させて表現型を調べ、全長1,537アミノ酸からなるFlo1蛋白質のうち、196番目から240番目までの配列をLg-Flo1蛋白質の配列と置換するだけで、凝集の表現型がFlo1タイプからNewFloタイプへと転換されることを明らかにした。 以上、本論文は、FLO1以外の既知の遺伝子による凝集性が全てFLO1遺伝子の転写活性化を介して発現していること、Flo1タイプの凝集性酵母のFLO1遺伝子とNewFloタイプの凝集性酵母のLg-FLO1遺伝子がそれぞれの凝集の表現型を支配していることを示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |