学位論文要旨



No 214622
著者(漢字) 小林,統
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,オサム
標題(和) 酵母の凝集機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 214622
報告番号 乙14622
学位授与日 2000.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14622号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨

 発酵終了後にタンク底部に沈降した酵母を回収・再使用するビール醸造において、酵母の凝集は非常に重要な形質である。この形質は、FLO1、FLO5、FLO8等の優性遺伝子や、tup1、ssn6、sfl1、sin4等の劣性遺伝子によって引き起こされることが知られている。酵母の凝集のメカニズムは、細胞表層に存在するマンノース結合性のレクチン様蛋白質と、マンノース鎖の結合によって起こると考えられているが、レクチン様蛋白質の同定はまだなされていない。そこで酵母のレクチン様蛋白質を同定する目的で、以下の実験を行った。

 まず第一に我々は、ショットガン発現クローニング法によって、優性の凝集性遺伝子であるFLO8のクローニングを行なった。得られた遺伝子は第V染色体に座上する新規な遺伝子であった。FLO8遺伝子の破壊によって凝集性は失われた。FLO8遺伝子と他の凝集遺伝子の関係をノーザン解析によって調べたところ、FLO8遺伝子は、別の凝集遺伝子であるFLO1遺伝子の転写活性化を介して凝集性を発現していることが示唆された。一方ノーザン解析の結果から、これまでに報告のあったtup1とssn6の両遺伝子の他に、劣性凝集性遺伝子であるsfl1とsin4もFLO1遺伝子の転写活性化を介して凝集性を発現していることが示された。これらの遺伝子は転写因子をコードしていることから、FLO1遺伝子の転写に関するカスケードの存在が示唆された。そこで、FLO1の転写制御の機構を明らかにするために、FLO1遺伝子のプロモーターの解析を行なったところ、転写活性化に関する領域(UAS)と転写抑制に関する領域(URS)が見い出された。また、FLO8遺伝子産物は、URSが関わる転写抑制を解除することによってFLO1遺伝子の転写を誘導していることが示唆された。URS配列をプローブに行なったゲルシフトアッセイによって、URSに結合するトランス因子の存在が示唆されたが、この因子がFLO8遺伝子産物を含む既知の蛋白質であることを示す傍証は得られなかった。ところで、TUP1とSSN6の両遺伝子は、FLO1遺伝子を含む多数の遺伝子の転写を制御していることが示されている。一方、FLO8遺伝子はその表現型から判断して、TUP1、SSN6遺伝子ほど数多くの遺伝子の制御には関わっていないことが示唆された。そこで、FLO1以外のFLO8遺伝子産物による転写制御のターゲット遺伝子を探す目的で、酵母DNAマクロアレイを用いた転写物の包括的な解析を行なった結果、FLO8遺伝子産物は、FLO1遺伝子の他に、偽菌糸形成に関与するFLO11遺伝子および、分泌グルコアミラーゼをコードするSTA1遺伝子の転写を活性化していることが見い出された。

 これらのことより、FLO1以外の遺伝子による凝集性は、FLO1の転写活性化を介して行なわれていることが示された。このことは、FLO1遺伝子が凝集性に関わるレクチン様蛋白質をコードしている可能性を示している。一方、酵母の凝集性は、それを阻害する糖の種類によって、マンノースによってのみ阻害されるFlo1タイプの凝集性と、マンノースとグルコースによって阻害されるNewFloタイプの表現型に分類される。もしもFLO1遺伝子がレクチン様蛋白質をコードするのならば、Flo1タイプの凝集性株のFLO1遺伝子をNewFloタイプのFLO1相同遺伝子と置換することによって、凝集性の表現型もFlo1タイプからNewFloタイプへと変わるはずである。そこで我々は、NewFloタイプの下面発酵ビール酵母のFLO1相同遺伝子の調査を行なった。その結果、下面発酵ビール酵母の凝集性と深く関わっている可能性のあるFLO1の相同遺伝子を見い出し、Lg-FLO1と命名した。Lg-FLO1遺伝子の全長はPCR法で取得された。次にFlo1タイプの凝集性株のFLO1遺伝子を破壊し、Lg-FLO1遺伝子を導入したところ、得られた形質転換体は予想通りにNewFloタイプの凝集性を示した事から、FLO1遺伝子および、Lg-FLO1遺伝子はそれぞれ、マンノース特異的および、マンノース/グルコース特異的なレクチン様蛋白質をコードしている可能性が強く示唆された。これまでの研究報告から、Flo1蛋白質は細胞壁蛋白質の一種であり、アミノ末端を細胞外に露出している可能性が考えられている。そこで、Flo1蛋白質の糖結合領域はアミン末端に近い部分に存在しているのではないかと考え、Flo1蛋白質とLg-Flo1蛋白質のキメラを酵母で発現させて表現型を調べたところ、全長1,537アミノ酸からなるFlo1蛋白質のうち、196番目から240番目までの配列をLg-Flo1蛋白質の配列と置換するだけで、凝集の表現型がFlo1タイプからNewFloタイプへと転換された。さらにこの領域を詳細に調べたところ、Flo1蛋白質のTrp-228とLg-Flo1蛋白質のThr-202がそれぞれ、Flo1タイプとNewFloタイプの凝集性に深く関わっている可能性が示された。

 本研究によって、FLO1以外の既知の遺伝子による凝集性が全てFLO1遺伝子の転写活性化を介して発現していることおよび、Flo1タイプの凝集性酵母のFLO1遺伝子とNewFloタイプの凝集性酵母のLg-FLO1遺伝子がそれぞれの凝集の表現型を支配していることが示された。これらの結果は、FLO1とその相同遺伝子が、凝集に関するレクチン様蛋白質をコードしている可能性が強く示唆している。しかしながら、Flo1蛋白質のマンノース結合活性は、未だに検出されていない。今後、Flo1蛋白質と糖との結合をin vitroで再現できるようになれば、酵母の凝集という現象に対する理解がさらに深まるのではないかと思われる。

審査要旨

 仕込みの初めに多量の酵母を必要とするビール醸造では、発酵終了とともに起こる酵母の凝集によりタンク底部に沈降した酵母を回収し再使用される。このことから、酵母の凝集は非常に重要な形質である。この形質は、FL01、FLP5、FLO8、TUP1,SSN6等の遺伝子によって引き起こされることが知られている。酵母の凝集のメカニズムは、細胞表層に存在するマンノース結合性のレクチン様蛋白質と、マンノース鎖の結合によって起こると考えられているが、レクチン様蛋白質の同定はまだなされていない。本論文は、酵母のレクチン様蛋白質の同定を目的として、凝集を制御する遺伝子、また、ビール酵母での凝集に直接関与する遺伝子等について詳細に解析したものである。

 第1章では、非凝集性酵母(Saccharomyces cerevisiae)YPH500に凝集性を付与する遺伝子として、凝集性酵母ATCC60715からのFLO8遺伝子のクローニングについて述べている。FLO8遺伝子の破壊によって凝集性は失われること、FLO8遺伝子と他の凝集遺伝子の関係をノーザン解析によって調べたところ、FLO8遺伝子は、別の凝集遺伝子であるFLO1遺伝子の転写活性化を介して凝集性を発現していることが示唆された。

 第2章では、FLO1遺伝子の転写制御の解析を行っている。ノーザン解析の結果がら、TUP1とSSN6の両遺伝子の他に、劣性の凝集性遺伝子SFL1とSIN4も、FLO1遺伝子の転写活性化を介して凝集性を発現していることを示し、FLO1遺伝子の転写に関するカスケードの存在を示唆している。さらに、FLO1の転写制御の機槙を明らかにするために、FLO1遺伝子のプロモーターの解析を行い、転写活性化に関する領域(UAS)と転写抑制に関する領域(URS)を見い出した。

 第3章では,FLO1以外のFLO8遺伝子産物による転写制御のターゲット遺伝子を探す目的で、酵母DNAマクロアレイを用いた転写物の包括的な解析を行なっている。その結果、FLO8遺伝子産物は、FLO1遺伝子の他に、偽菌糸形成に関与するFLO11遺伝子、および分泌グルコアミラーゼをコードするSTA1遺伝子の転写を活性化していることを明らかにした。

 第4章では、下面発酵ビール酵母からのFLO1相同遺伝子のクローニングについて述べている。酵母の凝集性は、それを阻害する糖の種類によって、マンノースによってのみ阻害されるFlo1タイプと、マンノースとグルコースによって阻害されるNewFloタイプの表現型に分類される。もしもFLO1遺伝子がレクチン様蛋白質をコードするのならば、Flo1タイプの凝集性株のFLO1遺伝子をNewFloタイプのFLO1相同遺伝子と置換することによって、凝集性の表現型もFlo1タイプからNewFloタイプへと変わるとの想定のもとで、NewFloタイプの下面発酵ビール酵母のFLO1相同遺伝子の調査を行なった。その結果、FLO1の相同遺伝子を見い出し、Lg-FLO1と命名した。次に、Flo1タイプの凝集性株のFLO1遺伝子を破壊し、Lg-FLO1遺伝子を導入したところ、得られた形質転換体は予想通りにNewFloタイプの凝集性を示した。このことは、FLO1遺伝子および、Lg-FLO1遺伝子はそれぞれ、マンノース特異的および、マンノース/グルコース特異的なレクチン様蛋白質をコードしている可能性を強く示唆している。

 第5章では、Flo1蛋白質の機能領域の推定を行っている。Flo1蛋白質とLg-Flo1蛋白質のキメラを酵母で発現させて表現型を調べ、全長1,537アミノ酸からなるFlo1蛋白質のうち、196番目から240番目までの配列をLg-Flo1蛋白質の配列と置換するだけで、凝集の表現型がFlo1タイプからNewFloタイプへと転換されることを明らかにした。

 以上、本論文は、FLO1以外の既知の遺伝子による凝集性が全てFLO1遺伝子の転写活性化を介して発現していること、Flo1タイプの凝集性酵母のFLO1遺伝子とNewFloタイプの凝集性酵母のLg-FLO1遺伝子がそれぞれの凝集の表現型を支配していることを示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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