学位論文要旨



No 214626
著者(漢字) 山下,法幸
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,ノリユキ
標題(和) 微生物由来抗腫瘍性物質に関する研究
標題(洋)
報告番号 214626
報告番号 乙14626
学位授与日 2000.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14626号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 早川,洋一
内容要旨

 これまで、癌の化学療法剤は癌細胞を死滅させることを目的に開発されてきた。最近ではtaxane類や、従来から臨床で用いられているフッ化ピリミジン系経口薬およびビンカアルカロイド系注射剤の選択的効果を狙った誘導体が登場し、その有用性が期待されている。しかし一方で、化学療法には強い毒性に伴う副作用や耐性発現の問題が常につきまとい、化学療法剤により一時的な奏効が得られても、生存期間の延長には寄与できない例がある。これらの問題を解決するために、既存の抗癌剤には無い新たな作用機序を持つ新薬の開発が望まれている。新たな作用機序、あるいは標的分子を見いだすことで、副作用の軽減や耐性の克服などが期待される。さらには既存の化学療法剤では効果の弱い癌種に対しても有効な薬剤の発見に繋がる可能性があり、このような薬剤を投与することで一時効果だけでなく延命効果をも期待できる。

 そこで著者は、生体の恒常性の維持や免疫、血液系の細胞の増殖あるいは分化において重要な役割を果たすと考えられているサイトカインの機能に注目し、その情報伝達の制御によって新たな知見が得られると声えた。多種のサイトカインの中で血液細胞の分化に関与するIL-3、IL-5およびGM-CSF受容体においては共通鎖の機能解析から、DNA合成の促進に必要なJAK-STAT経路の活性化を担う頼域とRasやその下流のMAPK、PI3K-S6キナーゼ経路の活性化、Bcl-2の発現誘導により細胞死の抑制を担う領域が存在することが示され、細胞の長期増殖にはこの両者のシグナルが必要であると考えられている。そこでまず、JAK-STATの情報伝達経路を阻害する物質の発見を目的として、微生物の代謝産物からの探索研究を実施した。

 また、Rasの活性化が細胞死の抑制に重要な役割をしていると考えられているが、その下流のシグナル分子は多種にわたり、それらの役割も多様である。IL-3依存性細胞についての細胞死の機構解析から、サイトカイン除去によるアポトーシスにおいてもcaspase-3の活性化が示され、その特異的阻害剤が有効であることがらプロテアーゼカスケードの存在も示された。しかし、細胞死の機構やRasなどのシグナルとの関わり合いなど不明な点が多い。そこで次に、細胞にアポトーシスを誘導する物質を探索することにより、新たな作用機序を有する細胞増殖阻害物質の発見あるいは細胞死の機構解明のためのプローブを得ることが出来ると考えて、微生物の代謝産物からのアポトーシス誘導物質の探索研究を実施した。その結果、cytovaricin B、FE35A、FE35Bおよび6-hydroxytetrangulolの3化合物を活性成分として見い出した。

 Cytovaricin Bは、Ba/F3細胞のSTAT5の転写阻害作用を指標とする探索の結果、放線菌3197-GM1株の培養液からJAK2-STAT5のシグナル伝達阻害物質として見い出された。本生産菌は、その微生物学的性状によりStreptomyces torulosusと同定した。Cytovaricin Bを培養液から精製し、NMRを中心とする各種機器分析の結果、その構造を既知のマクロライド系化合物であるcytovaricinのメチルエーテル体と決定し、cytovaricin Bと命名した。

 

 Cytovaricin BのSTAT5転写阻害作用は濃度依存的であり、そのIC50値は32nMであった。Ba/F3細胞をcyiovaricin Bで処理した後、細胞を破壊して得られた細胞抽出液をJAK2およびSTAT5の抗体で免疫沈降させ、得られた沈殿物をゲル電気泳動に供し、JAK2およびSTAT5それぞれのリン酸化の状態をみたところ、cytovaricin B処理により、STAT5のリン酸化が阻害されていた。方、JAK2のリン酸化はほとんど抑制されなかったことから、cytovaricin BはSTAT5のリン酸化を阻害することによりそのシグナル伝達経路を遮断している考えられた。以上の結果から、cytovaricin BはJAK-STAT経路を阻害する抗腫瘍剤を開発するうえでのリード化合物として有用であると考えられるとともに、JAK-STAT経路と他のシグナル伝達経路との関わり合いを研究するための新しい低分子プローブとしての利用も期待できる。また、血液細胞のみならず多くの腫瘍細胞の増殖阻害作用も有することから、in vivoにおける生物学的活性を評価することが必要と考えられる。

 Ba/F3細胞やその他の血球系の腫瘍細胞に対してアポトーシスを誘導する物質を探索した結果、FE35AおよびFE35Bは放線菌3218-GM2株の培養液から見い出された。生産菌である3218-GM2株はその微生物学的性状によりStreptomyces rocheiと同定した。FE35AおよびFE35Bを培養液から精製し、NMRを中心とする各種機器分析に供し、それらの構造をbenzonaphthopyranone骨格を有するravidomycinの新規類縁体であると決定し、FE35AおよびFE35Bと命名した。

 

 FE35AおよびFE35Bはヒト単球系白血病細胞U937細胞に対してアポトーシス誘導作用を示し、そのIC50値は0.37Mおよび0.46Mであった。FE35AおよびFE35Bが誘導する細胞死においてはいずれもcaspase-3様プロテアーゼの活性化が確認され、阻害剤を用いた阻害実験から、この細胞死はアポトーシスによるものと結論した。Ravidomycin類をはじめとする多くのhenzonaphthopyranone類縁体がトポイソメラーゼIIの阻害作用を示すことが知られている。また数種のトポイソメラーゼII阻害剤が各種腫瘍細胞に対してアポトーシスを誘導することが示されていることから、これらの化合物はトポイソメラーゼIIの阻害作用を介してアポトーシスを誘導していることが考えられた。さらに詳細なアポトーシス誘導のメカニズム解析を行なうことにより、Rasやその下流のシグナルカスケードとの関連の解明に利用できる新たな低分子プローブとなる可能性がある。

 6-HydroxytetrangulolはFE35AおよびFE35Bと同じく、Ba/F3細胞やその他の血球系の腫瘍細胞に対してアポトーシスを誘導する物質の探索において、放線菌NA30664株の培養液から見い出された。生産菌であるNA30664株はその微生物学的性状によりStreptomyces sp.と同定した。NA30664株が産生する活性物質を培養液から単離・精製し、NMRを中心とする各種機器分析に供した結果、それらの構造を6-hydroxytetrangulolであると決定した。

 

 6-Hydroxytetrangulolは複数の腫瘍細胞に対して0.2〜0.3M以上の濃度でアポトーシス誘導作用を示した。6-Hydroxytetrangulolが誘導するアポトーシスにおいてはFE35AおよびFE35Bと同様にcaspase-3様プロテアーゼの活性化が確認され、阻害剤による阻害実験からcaspase-3特異的な作用であることが示唆された。6-Hydroxytetrangulolの基本骨格であるbcnzanthraquinone類縁体の一部は、トポイソメラーゼIIの阻害作用を示すことが知られており、6-hydroxytetrangulolはトポイソメラーゼIIの阻害作用を介してアポトーシスを誘導していることが考えられた。さらに詳細なアポトーシス誘導のメカニズム解析を行なうことにより、Rasやその下流のMAPK、PI3K-S6キナーゼ経路、Bcl-2の発現阻害などとの新たな関連が明らかになる可能性がある。

 本スクリーニングではIL-3、IL-5およびGM-CSF受容体共通鎖からのシグナル伝達を阻害する物質を、2つの経路から探索し、cytovaricin B、FE35A、FE35Bおよび6-hydroxytetrangulolの3つの活性成分を発見した。これらの活性成分の作用点を明らかにしていくことで、細胞増殖抑制の新たな制御機構の解明にも繋がり、新たな抗癌剤の創薬への足掛かりとなり得る。さらに、IL-3、IL-5およびGM-CSF受容体共通鎖の機能解析研究の有用な分子プローブとなることも期待される。

審査要旨

 近年細胞増殖のシグナル伝達機構の詳細が判明しつつある。この経路の阻害剤は、その伝達機構の解析研究に有用なだけでなく、新たな作用機序を有する癌治療薬となることも期待される。

 本論文はこのような背景に基づき、JAK-STATシグナル伝達の阻害活性、あるいはアポトーシス誘導活性を指標として微生物の代謝産物を探索した結果、新規化合物cytovaricin B、FE35A、FE35Bおよび6-hydroxytetrangulolを見い出し、それらの単離、構造決定を行い、生物活性を明らかにしたものであり、序論とそれに続く3章よりなる。

 序論は、本研究の意義を説明したもので、IL-3、IL-5およびGM-CSF受容体の共通鎖からの情報伝達とJAK-STAT、あるいはRas/MAPKシグナル伝達経路等との係わり合いについて述べている。

 第1章では、Ba/F3細胞を用いたSTAT5の転写阻害物質のスクリーニングと、その結果得られたcytovaricin Bについて説明している。探索の結果、Streptomyces torulosusが活性物質を生産していることを見いだし、その培養液から活性物質を単離した。機器分析の結果、その構造をcytovaricinのメチルエーテル体と決定し、cytovaricin Bと命名した。本物質で処理したBa/F3細胞では、STAT5のリン酸化が濃度依存的に阻害されていた。一方、JAK2のリン酸化はほとんど抑制されなかったことから、cytovaricin BはSTAT5のリン酸化を阻害することにより、そのシグナル伝達経路を遮断していることが判明した。

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 第2章は、アポトーシス誘導物質であるFE35AおよびFE35Bに関するものである。Ba/F3細胞やその他の血球系の腫瘍細胞に対してアポトーシスを誘導する物質を探索した結果、streptomyces rocheiが活性物質FE35AおよびFE35Bを生産していることを見い出した。両化合物を培養液から精製し、ravidomycinの新規類縁体であると決定した。FE35AおよびFE35Bが誘導するアポトーシスにおいては、いずれもcaspase-3様プロテアーゼの活性化が確認され、プロテアーゼカスケードの関与が示唆された。

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 第3章では6-hydroxytetrangulolについて述べている。6-Hydroxytetrangulolは血球系の腫瘍細胞に対してアポトーシスを誘導する物質の探索において、Streptomyces sp.NA30664株の培養液から見い出された。活性物質を培養液から単離・精製し、その構造を決定した。本物質が誘導するアポトーシスにおいては、caspase-3様プロテアーゼの活性化が確認され、プロテアーゼカスケードの関与も考えられた。

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 以上本論文は、JAK-STAT経路を阻害するcytovaricin Bと血球系細胞にアポトーシスを誘導するFE35A、FE35Bおよび6-hydroxytetrangulolの単離、構造決定を行ない、それらの生物活性を明らかにしたものであって、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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