内容要旨 | | 本論文の第一のテーマは、状況的行為,あるいは,相互的行為がリソースや道具などによって,どのように組織化されているかを具体的に明らかにすることである.本論文の第二のテーマは,状況的行為の分析を基礎にしながら,学習を,個人の頭の中に何かができあがることではなく,いくつかのコンテキストの相互的構成としてとらえ直すということである.具体的には,まず,コンテキストと様々な道具やその他のテクノロジーの相互的構成がどのようになされるかを明らかにした.さらに,いくつかの事例の分析を通して,学習が,いくつかのコンテキストやコミュニティの相互的構成,現在と過去の相互的構成として見なせることを示した.最後に,本論文では,以上の本研究の主な二つのテーマを関連づけて,学習を可視化することや可視化するリソースや道具も,また,学習を組織化していることをいくつかの事例をあげながら示した. 以下では,本研究が明らかにしたことを,各章の内容に即してより具体的に示していくことにしよう. 1.状況的行為と認知的道具の使用の関係について 1章「プランと状況的行為」においては,主には,旋盤技術者の様々な道具を用いた状況的行為の組織化の具体的な分析を行った.その分析の中で,明らかにしたことは,未来の行為は,作り出している対象の中に,また,その作り出している対象を可視化する道具を用いた行為の中に見えるのであって,プランを作り出すことによってではないということである. もちろん,段取りを行うという作業はプランニングに似ているが,これも実際には,対象,道具やその配置を作り出しながら具体的な未来の行為の可能性を可視化するというものであって,目的に対応させて手段を生成するというようなプロセスではない. 1章で示したように,何かを作り出す作業では,プランのようなリソースが用いられないとすれば,問題は,こうしたものがどういう実践において,どのような視点から用いられるかということであろう.本論文の4章では,プランや行為をルール的に記述するリソースや道具が,具体的にはどのような実践で用いられるかを明らかにした.例えば,こうしたリソースは,旋盤を用いて機械部品を生産する工場で,生産全体を管理し,あるいは,顧客に生産のあり方や生産物のクオリティを理解可能な形で示すという作業に従事する一群の人々によって用いられることを示した.こうした分析によって,プラン",あるいは,ルール的に行為を記述するリソースや道具は,どのようなものであったか,どのようにして用いられるかといったことは,生産に関与する様々な当事者たちの多視点性といったことを見ることなしには明らかにすることはできないことを示した. 2.コンテキストの組織化と学習 ここでは,会話分析・エスノメソドロジー研究のこうした背景を受け,まず,2章の「道具とコンテキストのデザイン」において,第一に,コンテキストの組織化,とりわけ,いくつかのコンテキストの境界のマネージということと道具使用を結びつけて分析した.第二に,道具の使用は,それによってある作業を行うというだけではなく,協同的活動においては,相互に何をやっているか,現在どのようなコンテキストが組織化されていて,また,進行中かを,相互に可視的,理解可能にするという点に焦点を当てた.この第二の点は,ハッチンス(Hutchins,1990)の"オープン・ツール"という道具の概念化に関係してるが,ここで明らかにしたことは,そうした道具のオープン・ツール性が道具にそのものの特徴ではなく,様々な道具の並置のあり方,および,コンテキストの組織化のあり方に依存したものだということである. しかし,本研究におけるコンテキストの組織化に関する主な関心は,単に,コンテキストの組織化の分析方法を洗練するということではなく,むしろ,学習の再定式化ということと関連している.こうしたことから,本研究では,学習とコンテキストの組織化がどのように関連しているかを明らかにするために,まず,新たな概念を学習するというように見える場面において,コンテキストの組織化がどのようになされているかを分析した.例えば,3章の「コンテキストやコミュニティの相互的構成」の前半において,運動力学の諸概念の理解とコンテキストの組織化のあり方と関連づけて分析した. 3章の後半では,主に仕事場の活動に焦点を当て,コミュニティの相互的組織化,および,新旧の技術の相互的構成のあり方を具体的に分析した.例えば,日本の工場における新しい技術としてのCNC旋盤の導入に焦点を当てた分析によって,熟練者と呼ばれる人たちも,ある意味では初心者であり,旧い技術も,新しい技術との関係で再構成されているし,初心者と呼ばれる人たちも,旧い世代の経験をくり返すわけではないことが示された. このようにして,本研究では,学習とは,「初心者から熟達者に至るステップ的な道筋」であるとか,「周辺的参加から十全的参加へのプロセスだ」といったものとは根本的に異なった見方を可能にした.つまり,熟練者にしても完成した存在ではないし,また,コンテキスト,コミュニティも,予めそこにあるものではないとすれば,学習は,むしろ,様々なコンテキスト,コミュニティ,あるいは,新しいものと旧いものの相互的構成の中に見て取れる何かである. 本論文では,最後に,第一に,変化を可視化するためには様々なテクノロジーが必要であること,第二に,学習理論とは,プランなどと同様に,ある変化を秩序立てて説明したり,理解するためのリソースであり,個人の知識や技能の変化を文字通り記述したものではないことを指摘した.このようにして,ある実践に埋め込まれているものとして学習理論や学習を可視化するテクノロジーの分析することによって,従来とは異なった形で学習を可視化することが可能であることを示した. |