本研究は、感性豊かな地図表現と、多次元的な科学的情報をより多く含む地図表現が、国土空間およびその環境を正しく理解することに貢献するとの認識から、新しい地図の概念を確立し、感性を考慮した地図表現手法を開発することを目的とする。 具体的には下記の研究項目を目指す。 1)条件付加による仮想現実を創成し、感性を考慮した地図表現を開発する。 本研究では、光源および陰影条件の付加による光輝陰影法、天候条件の付加の一つである降雪シミュレーション、透明条件の付加による墨絵的画像表現、投影法の変更による曲面投影法の開発を試みた。 2)等高線地図の3次元表現アルゴリズムとして、ポリゴンシフト法とよぶ簡略化アルゴリズムを拡張応用する。 3)感性テストによる市街地図の配色デザインの提案を行う。 第1章は「序論」であり、研究の背景、研究の目的、論文の構成、従来の研究が述べられる。 第2章は「新しい地図表現の概念」であり、感性を考慮した地図表現およびバーチャルリアリティマップの概念が提唱される。本研究の最大の特色は、感性工学とバーチャルリアリティの統合であり、本章はそのコンセプトを明らかにする。即ち、本研究においては、「感性豊かな地図表現」を第一義の目標としているので、地図を制作する者および地図を利用する者の感性が当然問われることになる。前者は能動的に感性を訴える側であり、後者は与えられる地図から受動的に感性を喚起される側である。地図製作者は地図利用者がどう感じるかを想定して積極的に感性を地図に注入することになる。 地図から呼び起こされる感性とは、地図が本来持つべき情報(位置、方向、属性等)のほかに、色、濃淡、線の太さや種類、文字、記号の表現などから受ける、形容詞対で構成される感性ワードで表される感情をいう。 感性を考慮する場合に生ずる問題点を整理すると次のようになる。 1)感性は個人によって、それぞれ異なるので、絶対的な物理尺度は得られない。たとえば「美しい地図」には個人差がある。しかし多人数の感性テストを通じて大多数の者が美しいと感じる平均的な感性表現を求めることは可能である。 2)一方で、気候、住環境、時代背景などによって受け容れ易い感性が存在する。いき(粋)な色や模様は日本人特有の感性として研究されている。一般的傾向として日本人は彩度が小さく淡い色を好むことが知られている。しかし地図の配色デザインにおいては、地図本来の表現対象との色彩からくる印象と整合を図らなければならない問題が生じる。 3)地図は一般に伝統的な地図仕様が与えられ、自由な地図表現が制約されている。本研究では感性豊かな地図表現を目標とし、従来の地図仕様に縛られずに自由に色彩や地図記号を選択できるものとして研究を進めた。 4)地図を見た時の人間の視覚反応は、物理的、生理的および心理的要因によって支配され、特に感性は心理的な要因に強く影響を受ける。心理的な反応には浮沈効果などのように三次元の起伏感を擬似的に創成させるものがあり、地図を常に二次元表示として位置づける必要はない。 本研究では積極的に三次元効果等の心理的要因を感性の中に取込む努力を行った。 5)感性工学を考慮して創成される地図表現の成果に対する評価は数量的に判定することはきわめてむずかしい。従来の方法によるものと、新しい感性手法によるものを並べて被験者に心理テストを施す方法を取らざるを得ない。しかし、製作者の主観的な判断が介入することを完全に除去することも難しい。 第3章は「感性を考慮した地図表現手法の開発」であり、次の4通りの条件付加を試みた。 1)光源条件の付加として、光源を地形等の起伏形状に照射した時得られる光輝または陰影の違いを色彩の違いとして地図表現に取り組むことで、従来の地図表現より立体的かつ美的に地形表現する手法を開発した。本研究ではこの手法を光輝陰影法と名づけた。 2)天候条件の付加としては、いろいろな天候条件が考えられるが、本研究では降雪シミュレーションにより雪のない景観に雪を付加した画像を創作する試みを行った。 衛星画像データと数値標高モデル(DEM)を結合させ、降雪シミュレーションモデルにより雪景色の画像を作り、実際に積雪の衛星画像と比較してその真迫性を評価した。 3)大気条件の付加に関しては、一般に遠くの山が霞み青っぽく見える、いわゆる遥青効果は大気の散乱効果として知られている。コンピュータで製作される三次元景観図はこのような遥青効果を採用されることは殆どないため、遠景の景観図には仮想現実感が欠如していた。本研究では遥青効果では特に山の尾根線(輪郭)以外は霞んで詳細地形が見えないことを知識として与え、遥青効果を持つ墨絵的地形遠景図の作成を試みた。 4)投影法の変更では、三次元景観図は斜投影か中心投影(透視変換)かのいずれかが多用されている。山岳など地形の起伏は斜め方向に見る方が理解しやすいが、平野など平坦的な部分は斜めよりむしろ鉛直方向に見た方が見やすい。近くに平野があって遠くに山並みがある風景の場合、平野を鉛直に近い角度で眺め、遠くに行くにつれ斜めから最後には水平に眺めるような投影法があると上記の欠点を補うことができる。そこで曲面投影法と称する新しい投影法を開発して東京湾(平坦部)から遠く富士山を眺望する特殊な三次元景観図を作成する試みを行った。 第4章は「ポリゴンシフト法による地形の3次元表現」であり、ポリゴンシフト法と称する3次元地形景観図作成手法を開発し、これを応用して地形が他の地形に落す陰影をコンピュータモニタ上で創成できるようにした。このことにより、従来の拡散面反射による陰影(shading)に加えて、投影による影(shadow)を加えることにより、より仮想現実に近づける工夫を行った。 同じ手法で文字や記号の輪郭に陰影を施すことにより、文字や記号が擬似的に浮いたり沈んだり見える浮沈効果を創出した。 第5章は「感性テストによる市街地図の配色デザイン」である。大縮尺の市街地図の表現はカーナビゲーション、電子地図、地下鉄案内地図などいろいろな色彩表現が見られるが、いずれも地図デザイナーの個人的好みで設計されており、体系化されてない。 また殆どの地図表現は平板的(立体的に見えないという意味で)であり浮沈効果を積極的に取入れていない。 本研究では感性テストを試行した結果から、地図の感性を支配する、"軟い対硬い"、"派手対地味"という二感性因子軸を取出し、感性に応じて地図の色彩条件を選べるようにした。また、色彩条件に浮沈効果を加えて地図表現に立体感を高める工夫を施した。 第6章は「結論および今後の課題」である。本研究においては、日本人の持つ感性を研究し、地図表現における感性を物理量に変換することによって、感性を考慮した新しい地図の概念を開発した。 本研究に示した光輝陰影法および曲面投影法は既に特許(特許番号第2862844号および第2889209号)を取得しており、その独創性が認められていることから、研究の成果は得られたと判断できる。また、本研究に示した新しい地図概念に基づく画像表現は(社)日本測量協会の機関誌「測量」の表紙に掲載され、多数の読者から好評を得た経緯から、感性に訴えるバーチャルリアリティマップが例示できたと言える。 感性テストによる市街地図の配色デザインにおいては、市街地図の感性面からの評価因子を見出し、これを配色デザインに採り入れる提言を行った。 以上を要約するに、本研究は感性を考慮した新しい地図の概念を提言し、そのアルゴリズムと事例を示し、地図利用者の感性評価を得る方法論を確立したものと言える。 |