学位論文要旨



No 214634
著者(漢字) 廖,年祈
著者(英字)
著者(カナ) リョウ,ネンキ
標題(和) 亜硝酸塩系防錆剤による塩化物含有コンクリート中の鉄筋防食手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 214634
報告番号 乙14634
学位授与日 2000.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14634号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 友澤,史紀
 東京大学 教授 菅原,進一
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 塩原,等
 東京大学 助教授 野口,貴文
内容要旨

 海砂を使用した鉄筋コンクリート構造物に対する従来の補修では、鉄筋露出部やかぶりコンクリートに大きなひびわれが生じている部分については鉄筋をはつり出し直接防錆処理を施す方法が取られているが、鉄筋の腐食が進行初期の状態にあって微細ひびわれが生じている程度の部分についてはコンクリート中の塩分は置き去りにされてしまうことが多い。全ての鉄筋をはつり出すことは不可能であり、コンクリート表面に変状の生じていない鉄筋については何ら根本的な対策が施されない状況にある。本研究では、これら微細なひびわれ部やまだ外面に変状の現れていない剖分について、防錆剤の注入・含浸を施すことにより、大規模なはつり作業や断面復旧作業を必要とすることなく、海砂を使用した鉄筋コンクリート建築物の耐久性改善・保全を図る工法を開発することを目的とする。

 塩化物イオンの鉄筋腐食作用に対する亜硝酸塩系防錆剤の防食効果は、防錆剤をコンクリートに練り混ぜて使用する場合についてはこれまで多くの実験によって認められているものの、腐食進行中の鉄筋にコンクリート表面から注入・含浸して使用する場合については、まだ次のような点が未解決となっている。

 (1)コンクリート中の塩化物イオン量に対応する防錆剤の所要含浸量

 (2)防錆剤の濃度分布が鉄筋の腐食抑制効果に及ぼす影響

 (3)所要量の防錆剤を有効に浸透・含浸させる方法

 本研究では、これらの点を学術的に解明し、亜硝酸塩系防錆剤を用いた鉄筋防食工法を実用化するために以下のような研究開発を行った。

 第4章では、亜硝酸塩系防錆剤の材料としての品質および基本性能の確認を行うために、塩化物イオン量、phなどを変化させた様々な水溶液中での亜硝酸塩系防錆剤の鉄筋の腐食抑制性能を調べ、腐食抑制に必要な亜硝酸塩系防錆剤量を把握した。その結果、(1)pHが13.5を超えるような高アルカリ環境下では、塩化物イオン濃度が高い場合でも腐食は発生しない、(2)pHが10.0〜11.5の領域、すなわちコンクリートの中性化試験ではフェノールフタレイン指示薬により呈色し、未中性化領域に含まれるが、CaCO3の存在によりpHが低下している領域では、塩化物イオンが存在しない場合でも鉄筋は腐食し易い状態にあった、(3)腐食抑制に必要な塩化物イオンに対する亜硝酸イオンのモル比の値は、pHによって変化し、pHが10.5以上の範囲では0.1以上のモル比で、pHが中性域の場合にもモル比が0.3以上で腐食抑制効果が得られた。上記の性質は水溶液中のような均質でイオンの移動が容易な相の場合に限られる。

 第5章では、上記で確認された水溶液中での防錆剤の性能が、コンクリート中においても発揮されることを確認するために、塩化物イオン含有量および亜硝酸塩系防錆剤添加量の異なる鉄筋コンクリート試験体を用いて高温乾湿繰り返し条件下で腐食反応を促進させ、鉄筋の腐食抑制に必要な亜硝酸塩系防錆剤量について検討した。その結果、塩化物イオンを含むコンクリート中での鉄筋の腐食進行を許容可能なレベル(孔食1%以下、腐食面積率5%以下)に抑制するためには、塩化物イオン量に応じて、下式を満足する亜硝酸イオンをコンクリート中に供給する必要があった。

 

 また、鉄筋に腐食が発生するのを完全に抑制するためには、塩化物イオン量にかかわらず、モル比1以上の濃度になるように亜硝酸イオンを供給する必要があった。

 第6章では、実際の補修に際してコンクリート表面から亜硝酸塩系防錆剤を浸透させると、その濃度をコンクリート中で均質にすることは困難であるため、濃度分布が存在する場合の腐食抑制効果を明らかにする必要がある。そのため模擬的に亜硝酸塩系防錆剤の濃度分布を生じさせた塩分含有鉄筋コンクリート試験体を作成して高温乾湿繰り返し試験を行い、亜硝酸塩系防錆剤の腐食抑制効果に及ぼすその濃度分布の影響について検討した。その結果は、(1)ひびわれの発生前には、自然電位の測定により鉄筋の腐食位置を確認することは困難であった。(2)コンクリート中に亜硝酸イオンの存在しない部分があり、その部分が亜硝酸イオンの存在する部分より小さな領域である場合には、マクロセル作用によるアノード部の腐食促進が観察された。(3)亜硝酸イオンがモル比0.5以上の濃度でコンクリート全体に渡って存在する場合、亜硝酸イオンの濃度差による鉄筋の腐食促進は認められなかった。(4)モル比1以上の亜硝酸イオンをコンクリート全体に分布させれば、鉄筋の腐食を十分に抑制することが可能であった。以上のことから亜硝酸イオンを外部からコンクリート中に浸透させて鉄筋を完全に防食するためには、亜硝酸イオンを腐食抑制に必要なモル比以上の濃度で鉄筋全長に渡り、その周囲に行き渡らせる必要があるが、マクロセル作用による腐食促進を抑制するためには、その半分程度の濃度の亜硝酸イオンが存在していればよいと推論された。

 第7章では、実際の補修においては、亜硝酸塩系防錆剤の鉄筋位置までの浸透量が腐食抑制効果を大きく左右し、その浸透量は、コンクリートの空隙量および含水状態の影響を受けることが予想されるため、亜硝酸塩系防錆剤の効率的な浸透方法を見出すことおよびその拡散挙動を明らかにすることを目的として、水セメント比および含水率の異なるコンクリート試験体を対象に、様々な含浸手法を適用して亜硝酸塩系防錆剤の浸透状態を確認するとともに、経時的な亜硝酸塩系防錆剤の拡散状況を調査した。その結果、ひびわれを通じて亜硝酸塩系防錆剤を低圧で注入することによって、鉄筋付近に容易に亜硝酸イオンを高濃度に存在させることができることが明らかになった。しかし、コンクリートの水セメント比が小さい場合および湿潤状態にある場合には、注入圧力を高くする、注入時間を長くするなどの工夫が必要になると考えられた。また、補修直後に鉄筋周囲に高濃度で存在した亜硝酸イオンが、時間の経過に伴いコンクリート全体に拡散し、鉄筋周囲の濃度が徐々に低下していくため、低圧注入工法と水溶液塗布工法または含有モルタル工法を併用し、長期的に鉄筋周囲に高濃度の亜硝酸イオンを存在させることが望ましいと考えられた。

 第8章では、以上の検討を踏まえて、鉄筋の腐食した鉄筋コンクリート構造物に対する亜硝酸塩系防錆剤を用いた補修工法の効果・実用性について、大型のモデル試験体を用いて検討した。その結果、以下の書店があきらかとなった。(1)亜硝酸塩系防錆剤の低圧注入工法は、塗布工法に比べて亜硝酸イオンを迅速に高濃度で広範囲に浸透させることができ、長期間に渡って腐食抑制に必要なモル比以上の亜硝酸イオン量を鉄筋周囲に維持させることが可能であった。(2)亜硝酸塩系防錆剤を低圧で注入する補修工法は、鉄筋周囲の亜硝酸イオン量を容易に有効モル比以上の濃度にすることができるため、表面に微細ひびわれを生じさせる程度の腐食状態にある鉄筋に対して非常に有効な防食手法となった。(3)ひびわれ幅が大きいほど注入できる亜硝酸塩系防錆剤量は多くなった。

 第9章では、上記の一連の亜硝酸塩系防錆剤による補修工法に関する検討と現在一般的に行われている補修工法とを総合的に考察し、鉄筋の腐食により劣化した鉄筋コンクリート構造物の実用的かつ効果的な補修戦略について検討した。すなわち、コンクリートの表面劣化が激しい部分に対してはかぶりコンクリートの除去および断面修復を行い、劣化の軽微な部分に対してはコンクリート表面部の補修に留めるといった従来型の補修システムでは、補修後にマクロセルが生じ、表面部のみ補修の施された部分に存在する鉄筋の腐食は却って進行することになる。しかしながらひびわれを通じて低圧注入された亜硝酸塩系防錆剤は、注入点より10cm程度離れた鉄筋周囲にまで供給され、注入器1本当たり10g程度の亜硝酸イオンが供給される場合には、3年間経過後にも腐食した鉄筋の腐食の進行を抑制するのに十分な亜硝酸イオン量が鉄筋周囲に確保される。したがって塩害による鉄筋腐食により劣化した鉄筋コンクリート構造物に対しては、表面劣化の激しい部分はかぶりコンクリートの除去および断面修復を行うが、軽微なひびわれの生じている部分は防錆剤の低圧注入を行い、ひびわれの生じていない部分はコンクリート表面へ防錆剤の塗布を行うといった補修を行うことで、構造物の延命を図ることができる。

 以上、本研究は、亜硝酸塩系防錆剤の補修工法への適用に関して系統的に研究を行い、結論として、塩害により劣化した鉄筋コンクリート構造物に対する実用的な補修戦略を提示したものである。

審査要旨

 本論文は、「亜硝酸塩系防錆剤による塩化物含有コンクリート中の鉄筋防食手法に関する研究」と題し、海砂を用いるなどによってコンクリート中に塩化物を含有した鉄筋コンクリート構造物において鉄筋腐食が進行しつつある場合、特に腐食の初期段階にある鉄筋に対して防錆剤である亜硝酸塩溶液をコンクリート表面から注入または含浸させることにより、コンクリートをはつりとることなく有効に内部の鉄筋を防錆する手法について研究したものである。

 従来、海砂使用などにより鉄筋が腐食し始めた鉄筋コンクリート構造物に対する鉄筋防食補修では、鉄筋露出部やかぶりコンクリートに大きなひびわれが生じている部分については、コンクリートを除去して鉄筋をはつり出し、錆落としや防食処理を施した後断面修復する、など直接的な手法がとられる。しかし、これらの部分に隣接する腐食がより初期的段階にある部分、あるいは腐食が初期段階であってコンクリート表面にごく微細なひびわれしか生じていなかったり、未だ変状が現れていない部分などは、なんら根本的な防食処置が施されることなく表面塗装仕上のみですまされ、数年を経ない内に腐食が進行して再度大がかりな補修を必要とするような例が多い。しかし、一方でこのような部分まですべてかぶりコンクリートをはつりとるような補修は構造躯体コンクリート断面に損傷を与えることにもなり、容易に実施することができないのが実状である。

 本研究は、このような微細ひび割れ部や未だ変状が表面に現れていない部分に対し、防錆剤を注入したり含浸させることにより、大規模なはつりや断面修復を必要とすることなく、塩分を含有するコンクリート中の鉄筋の防食を行い、例えば海砂を使用した鉄筋コンクリート構造物の耐久性向上を図る工法を開発しようとしたもので、次の未解決の課題を明らかにする事を中心に研究しでいる。

 (1)コンクリート中の塩化物イオン量に対応する防錆剤の所要含浸量

 (2)防錆剤の濃度分布が鉄筋の腐食抑制効果に及ぼす影響

 (3)所要量の防錆剤を有効に浸透・含浸させる方法

 論文は、10章で構成されている。

 第1章「序論」は、研究の背景・目的・方法を述べている。

 第2章「塩害の実態と補修の現状」は、昭和40年代から使用され始めた海砂の使用実態、未洗浄海砂使用による鉄筋腐食被害問題、鉄筋腐食被害に対する補修工法の状況などを概観した。

 第3章「塩化物イオンを含むコンクリート中での鉄筋腐食と防食」は、この問題の既往の知識をまとめたもので、特にこの研究で対象としている亜硝酸塩系防錆剤の効果について言及している。

 第4章「水溶液による鉄筋の腐食抑制に必要な亜硝酸イオン量の検討」では、亜硝酸塩系防錆剤の墓本的な性能を確認するため、塩化物イオン量、pHを変化させた溶液中での防錆剤の腐食抑制性能について実験し、腐食抑制に必要な亜硝酸・塩化物イオンモル比をpHの領域ごとに明らかにした。

 第5章「コンクリートによる鉄筋の腐食抑制に必要な亜硝酸イオン量の検討」では、上記の水溶液中での防錆性能と同様にコンクリート中での亜硝酸塩の防錆性能を実験的に確認し、コンクリート中の塩化物イオン濃度に対応する防錆に必要な亜硝酸イオンモル比を明らかにしている。すなわち、塩化物イオン濃度をCl(kg/m3)とすると、鉄筋の腐食の進行を許容出来るレベル以下に抑制するための亜硝酸イオンの塩化物イオンに対する有効モル比Mefは、

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 であり、腐食を完全に抑制するためには、塩化物イオン濃度に係わらず、Mefは1.0以上が必要であるとしている。

 第6章「鉄筋の腐食抑制効果に及ぼす亜硝酸イオンの偏在の影響」は、実際の補修工事において生じることが考えられる亜硝酸イオンのコンクリート中での偏在が腐食抑制効果に及ぼす影響を明らかにするため、人工的に亜硝酸イオンを偏在させた試験体の促進腐食試験を行い、マクロセル作用を生じさせない条件を明らかにしている。

 第7章「亜硝酸イオンの浸透・拡散性」では、防食すべき鉄筋の近傍での所要亜硝酸イオン濃度を確保するためのイオンの浸透・拡散挙動およびイオンが鉄筋近傍からコンクリート中に拡散して鉄筋近傍での濃度低下をもたらす状況を実験的に明らかにした。特に本研究で新しく提案しているひびわれからの低圧注入工法による鉄筋近傍への亜硝酸イオンの供給およびそのコンクリート中への拡散状況を明らかにし、その有効性を確認している。

 第8章「鉄筋コンクリート試験体における亜硝酸塩含浸工法の鉄筋防食効果」では、鉄筋を一定程度腐食させた小型の鉄筋コンクリート試験体を用い、以上検討した亜硝酸塩系防錆剤の注入・含侵による鉄筋防食方法と通常行われている一般的な補修工法によって処置した後、促進腐食試験を行って比較検討し、コンクリート表面からの防錆剤の低圧注入工法および含浸工法の有効性を確認した。

 第9章[模擬部材試験体による亜硝酸塩系防錆剤含浸工法の鉄筋防食効果」では、実際の構造部材を模擬した大型試験体を用い、実際の構造物において見られるような、種々の段階の腐食による変状が混在する状況における防錆剤注入・含侵等の防食補修方法の有効性と必要な条件を3年間の屋外暴露試験によって確認している。これらの結果に基づき、最終的に、塩害による鉄筋腐食を生じている鉄筋コンクリート構造物に対し、その部分部分の腐食の進行程度に応じて断面修復、防錆剤注入、防錆剤含浸などの工法を組み合わせて適用する実用的かつ有効な補修戦略を提示している。

 第10章「結論」は、研究を総括し、得られた成果をまとめている。

 以上を要するに、本研究は、海砂使用等により鉄筋腐食が生じている鉄筋コンクリート構造物の防食補修について、亜硝酸塩系防錆剤を用いた手法を系統的・実証的に研究し、防錆剤低圧注入工法および含浸工法を中心とする実用的な補修戦略を提案して塩害鉄筋コンクリート構造物の耐久性の維持および延命のための有効な手段を提供したものであって、コンクリート工学の発展に大きく寄与するものである。よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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