学位論文要旨



No 214647
著者(漢字) 松井,康浩
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,ヤスヒロ
標題(和) 1.55m帯量子井戸レーザの歪補償による高速化とフェムト秒領域光パルス圧縮に関する研究
標題(洋)
報告番号 214647
報告番号 乙14647
学位授与日 2000.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14647号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
内容要旨

 次世代のテラビット級超高速光通信システムや光ミリ波融合通信システムの構築ならびにその評価・制御において光源となる半導体レーザの高速変調および半導体レーザの超短パルス化技術はキーテクノロジーであり、半導体レーザの性能向上がこれらの分野での技術革新を支える原動力ともなっている。分子線エビタキシーあるいは有機金属気相成長法による結晶成長技術の進歩は、活性層への注入キャリアを電子のド・ブロイ波長と同程度の厚みを持つポテンシャル井戸に束縛することを可能とし、電子に対する量子閉じ込め効果を利用した半導体レーザの性能向上がこれまで盛んに検討されてきた。その成果として、半導体レーザのしきい値電流やその温度特性、最大光出力といった特性の改善が達成されてきたが、高速変調特性に関しては、従来の量子効果を用いないパルク活性層構造の半導体レーザの性能を凌ぐことすら困難であった。この課題点は、基板に格子不整合する材料を井戸層として用いることで光学利得特性の改善を試みた歪量子井戸構造においても解決が困難であると結論され、その原因として、量子井戸を多重化して高速変調特性を改善しようとする際にキャリア輸送効果のために注入ホールが井戸間で不均一に分布することが指摘されていた。我々は、歪導入による光学規な量子井戸構造として、歪補償InGaAlAs/InGaAsP量子井戸構造に着目し、理論的、実験的研究を行った。その結果、長波長帯半導体レーザの小信号変調帯域として世界最高となる30 GHzを達成した。

 図1 に示すバンドダイアグラムを用いてその動作原理を説明する。障壁層としてInGaAlAsを用いているため価電子帯のバンド不連続量は小さくなっている。このInGaAlAs/InGaAsP量子井戸構造において歪補償を行うと、井戸の軽い正孔のポテンシャル障壁が浅くなり、重い正孔との波動関数の重なりが減少するためバンド混合効果が抑制され、価電子帯状態密度が低減されることで微分利得などの光学利得特性が改善される。これは、従来の歪量子井戸構造が価電子帯サブバンド間のエネルギー準位を引き離すことでバンド混合効果を低減していることと原理を異にしている。また、本構造では、軽い正孔のポテンシャル障壁が浅くなる結果、キャリア輸送の律速過程であるホールの井戸からの熱放出時間が低減される。このため、光学利得特性改善とキャリア輸送効果低減が両立され、井戸数を増大することで半導体レーザの高速化が実現されるものと期待される。素子を実際に作製し、その静特性、動特性の評価を行った結果、井戸数を20層に増加させても顕著なキャリア輸送効果は観測されず、価電子帯状態密度低減に起因する大きな微分利得と小さなKファクターが得られた。さらに素子構造として寄生容量を低減したマッシュルームストライブ構造を採用し、共振器長を最適化することで緩和振動周波数として24.5GHz、小信号変調帯域として30GHzが達成された(図2)。

 本論文では、さらに超高速光パルス発生技術として利得スイッチ法による高繰り返し光パルス発生および光ファイバー非線形を用いたフェムト秒光パルスの発生を行った。利得スイッチ法では、従来その繰り返し周波数は緩和振動周波数程度がその上限であるとされており、通常高々10GHz程度であった。本研究では、歪補償InGaAlAs/InGaAsP量子井戸構造半導体レーザを用いて高速変調特性を改善することにより20GHzの繰り返し周波数での利得スイッチ法によるパルス発生を実現した。さらに、半導体レーザの高速化に伴う非線形現象としてのカオス動作が量子井戸レーザで初めて実験的に観測され、カオス理論との対応が明らかになった。このようなカオスの観測は物理的な興味の対象ではあるが、実用上の観点からはその制御も重要であると考えられる。本研究では、半導体レーザ共振器への外部からの微弱な光注入によって発振特性が大幅に変化する光注入同期現象に着目し、外部光注入によって緩和振動周波数およびそのダンピング周波数を制御することでカオス制御を試み、理論的、実験的にその有効性を確認した。図3は、注入光波長を変化させながら光パルス列のピーク値をプロットすることで計算により作製した分岐ダイアグラムである。単線で表されている部分は動作状態が規則的な単周期状態にあることを示しており、注入光の波長制御により不規則動作が抑圧される様子が理解できる。実験的にも傾向としてこれとよい一致が得られた。また、注入光波長を変化させることで40nmという広帯域波長可変動作も実現した。この時の光パルス線形圧縮後のパルス幅は5.8ps以下(最短4ps)であり、高繰り返しの波長可変ピコ秒光パルスの発生が可能となった。

 超高速光パルス発生技術として発生光パルスの超短パルス化も重要な課題である。超短パルスの極限性能として、短波長帯では僅かサブ10fsのパルスが発生されているが、これらは大掛かりな高出力固体レーザを光源として用いている。本研究では、半導体レーザからのピコ秒パルスを光源として長波長領域でエルビウムドープ光ファイバー増幅器(EDFA)および光ファイバーの非線形効果を用いたパルス圧縮法の検討を行い、この波長帯で世界最短となる20fs(4光周期)の光パルスの発生に成功した。図4にSHG自己相関波形を示す。この時の繰り返し周波数は2GHzであり、また、ここで検討したパルス圧縮法により、10GHzでは65fsのパルス発生も可能となった。また、超短光パルスのファイバー伝搬に伴うラマン周波数シフトを積極的に利用することで100nmに渡る波長可変動作も実現した。パルス圧縮法としては、高次ソリトン圧縮、EDFAによる増幅に伴う圧縮、分散減少ファイバー(DDF)を用いたソリトン断熱圧縮・分散フラットファイバー(DFF)を用いた高次ソリトン圧縮を順次用い、フェムト秒光源の低コスト化、省スペース化、高性能化を実現した。この圧縮過程の第一段では、高次ソリトン圧縮に伴うペデスタルが生成されているが、ラマン周波数シフトや第二段の圧縮ステージであるEDFAでの利得、および第三段の圧縮ステージであるDDFでの分散減少が高次ソリトンパルスに対する摂動として働き、ペデスタルの分離された超短光パルスの発生に重要な働きをしていることを明らかにした。

図表図1 歪補償量子井戸構造のバンドダイアグラム / 図2 井戸数20のマッシュルームストライプ構造歪補償InGaAlAs/InGaAsP量子井戸レーザの小信号応答特性 / 図3 不規則動作する利得スイッチ半導体レーザへの光注入を行った場合の注入光波長に対する光パルスビーク値の分岐ダイアグラム / 図4 利得スイッチ半導体レーザを光源として非線形光ファイバー圧縮により得られた20fsパルスのSHG自己相関波形。圧縮に用いた分散フラットファイバー(DFF)への入射パルスのSHG自己相関波形も合わせて示した。
審査要旨

 本研究は「1.55m帯量子井戸レーザの歪補償による高速化とフェムト秒領域光パルス圧縮に関する研究」と題し、全6章からなる。

 次世代のテラビット級超高速光通信システムや光ミリ波融合通信システムの構築ならびにその評価・制御において光源となる半導体レーザの高速変調および半導体レーザにおける超短パルス発生技術はキーテクノロジーであるが、在来の半導体レーザでは不十分であった。

 第1章は序論であり、半導体レーザ高速化技術の進展、なかんずく利得スイッチ法による超短光パルス発生の進歩を展望し、従来不十分であった特性を改善するには物質設計に立ち戻って系統的な検討を行い、新たな技術開発を進めることが重要であると指摘し、本研究の目的としている。

 第2章は「半導体レーザ高速化のための量子井戸構造の設計」と題し、半導体レーザの高速化においてボトルネックとなっていたキャリア輸送効果を抑制して直接変調応答帯域を広くするには、従来型の量子井戸構造では正孔の蓄積が障害となるのに対し、歪補償InGaAlAs/InGaAsP量子井戸構造ではこの障害が取除ける可能性のあることに着目し、詳しく理論的,実験的な検討を行った結果について述べている。本組成についてバンド構造計算を実行し、正孔に対するポテンシアル障壁が下げられることが明らかにされたが、これは輸送効果の抑制に役立ち、半導体レーザの高速化をもたらすと予言している。

 第3章は「InGaAlAs障壁層歪補償量子井戸レーザによる30GHz動作」と題し、実際に本構造について結晶成長を試み、半導体レーザを作製し、その小信号直接変調特性を測定している。波長1.55ミクロン帯では世界最高の3dBカットオフ周波数である30GHzが達成された。これらにより、バンド構造設計手法を用いて価電子帯の波動関数を制御することが半導体レーザ特性の顕著な向上へのブレークスルーとなることを実証した。

 第4章は「高速半導体レーザを用いた利得スイッチ光パルス発生」と題し、高利得、広い帯域の半導体レーザのパルス動作における不安定現象について詳しく検討している。すなわち広帯域半導体レーザでは非線形応答性が強まり、カオス効果が出現しやすくなることが見出された。実際、歪補償量子井戸レーザの利得スイッチ動作において高い出現率でカオスないしカオスに至る不規則動作が生じる様子を観測し、カオス理論によってその特徴が良く整理できた。ただしこの現象は高速レーザの利用の観点からは障害となる。半導体レーザ共振器への外部光注入を行って緩和振動周波数およびそのダンピング周波数を制御すればカオス発生の条件を制御できることを予想し、実験によってその有効性を確認している。

 第5章は「利得スイッチ光パルスのファイバー非線形現象を用いた20fsパルス発生」と題し、高速光システムの高時間分解計測に必要なフェムト秒領域超短光パルスを半導体レーザから発生させる方法について研究している。発振波長1.5m帯の量子井戸半導体を利得スイッチさせることによってピコ秒光パルスが発生するが、これをさらに圧縮するために従来から検討されている多段ファイバー非線形パルス圧縮技術について詳細な検討を加え、最適な組合わせ法を探索した。特に光パルス圧縮過程で生じるペデスタル成分を主パルスから分離するために、ファイバー光増幅器中での利得と分散、圧縮用ファイバーの分散値やラマン効果などに注目して圧縮系を構築し、従来の世界記録であった65フェムト秒を超える20フェムト秒の超短光パルスを達成した。

 第6章は「結言」であり、得られた成果とまとめるとともに今後の課題と展望に言及している。

 以上のように、本研究は半導体レーザの高速化の障害となっていたキャリア輸送への障壁を取り去るバンド構造を理論的に探索し、それに合致する歪補償量子井戸結晶を用いて半導体レーザを作製することによって、波長1.5m帯では世界最高の変調帯域である30GHzを得るとともに、それに伴うカオス不安定性の観測およびその抑圧法の提案を行い、また光ファイバーの非線形特性と分散特性の精密な設計によって20フェムト秒パルスを実現するなど、電子工学、特に超高速半導体光エレクトロニクスに貢献するところが多大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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