本研究は「高速GaAs集積回路用FET閾値電圧の制御法に関する研究」と題し、全5章からなる。GaAsは高い移動度を持つ半導体であり、半絶縁性基板結晶が得られるためにシリコンよりも高速な集積回路を作成するにのに適した物質であることが1970年代以来明らかになってきており、ディジタル信号処理、通信等における次世代技術として注目されていた。本研究が開始された1980年台前半に最も実現性が高い技術はイオン打ち込み法によるGaAsショットキーゲート電界効果トランジスタ(MESFET)集積回路であったが、トランジスタスイッチの閾値電圧がウエーハ面内で変動することが見出され、実用化への最大の難点とみなされるようになっていた。 第1章は「序論」であり、研究の背景、特に上記の問題を説明するとともに、対象となるMESFETの基本動作理論を要約し、また基板結晶中の転位の分布と閾値電圧の相関が見出された事実を出発点に、集積回路用GaAs基板結晶の構造と電気的特性を非破壊で評価する方法を開発し、均一化の方法を探索することを本研究の目的としている。 第2章は「閾値電圧変動の機構解明」と題し、ウエーハ面内での閾値電圧変動の主原因の一つとして考えられる転位の影響を調べるために、ショットキーゲート付ホール素子を2次元的に配列したテストウエーハを作成し、シートキャリア密度およびFET動作閾値の分布測定をおこない、エッチピットの分布図との相関を調べている。実験結果の解析によって転位の周囲約75mの領域で能動層キャリア密度上昇が起こっていることを明らかにした。その原因として転位近傍でAs空孔とGaAs空孔の比が減少し、GaサイトのSiドナー形成が促進されるためと解釈している。熱力学的考察から導かれる深い準位EL2の密度とキャリア密度の正の相関が実験的に確認され、本解釈の妥当性が強められた。 第3章は「共注入による閾値均一化」と題し、前章の推測に基づいて試作された無転位結晶に対してホール効果マッピングの基礎測定を行い、キャリア密度が均一化されていることを確かめた。ただし無転位領域はインゴット中央部14mm程度に限定されているのが欠点であった。この問題を解決するため新たにシリコン(Si)と燐(P)を同時にイオン注入する方法を提案した。すなわちV族元素である燐(P)を3種類の加速エネルギーで空間的に均一密度となるように打ち込むと、活性化熱処理の際に高濃度のGa空格子点が形成される。この領域にSiを注入することによってSiは選択的にGa格十点を占有してドナーとなるため、キャリア濃度が高められる(活性化率の増大)。実際にこの処理を施した試料についてキャリア密度分布の測定を行い、高い活性化率を確認した。評価用FETを多数作り込んだ試料ウエーファについて閾値の2次元分布を測定すると、共注入した試料では共注入しない試料に比し、均一性の顕著な向上が確認できた。 第4章は「ヘテロ接合MESFETの非破壊閾値電圧予測」と題し、近年実用化が始まっているヘテロ構造FET集積回路用の結晶を非接触で評価する方法の開発について述べている。本研究の対象としたInGaAs/InGaP組成の高ドープ薄膜チャンネルFET(DMT)に関し、閾値の分布を正確に予測するには膜厚および電気的特性の空間分布を非接触で測定しなければならない。これらの測定データに基づき、推定した閾値の分布が実際の分布と一致すれば、閾値均一性のモニタリングが可能となる。積層ウエーハの構造を評価するために分光エリプソメトリ法とx線回折ロシキングカーブ法の測定を組合わせた。これによって各層の厚さを10%以内の誤差で評価できた。次に電気的性質を非接触で評価するために渦電流測定系を設計・製作した。その2次元分布データからトランジスタの閾値分布の予測を行い実験値と比較したところ良好な一致が確認された。 第5章は「結論」であり、得られた成果をまとめている。 以上のように、本研究は情報通信および情報処理分野への応用が進められているGaAs系高速集積回路においてトランジスタスイッチの閾値電圧が空間的に不均一となる困難を解決するため、基礎物性諸量の面内分布測定を組合わせることによって不均一性の原因を推定し、次いで活性化率を高めることを狙って燐とシリコンの共注入法を提案し、実際にその有効性を確認するとともに、ヘテロ構造FET集積回路用の積層エピタキシアル結晶について非接触評価法を提案し、閾値分布を精度良く推定することを可能にしたもので、電子工学、ことに高速集積エレクトロニクスに貢献するところが多大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |