学位論文要旨



No 214649
著者(漢字) 岩村,英俊
著者(英字)
著者(カナ) イワムラ,ヒデトシ
標題(和) 超格子半導体の光物性とそのデバイスへの応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 214649
報告番号 乙14649
学位授与日 2000.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14649号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
内容要旨

 光通信・光情報処理の進歩に伴い、それに用いられる光源・検出器・機能素子などの光半導体デバイスに対してはさらに高度で高性能な特性が要求されるようになってきた。一方、分子線エピタキシー法(MBE法)、有機金属気相堆積法(MOCVD)と呼ばれる半導体薄膜結晶技術の発展に伴い、1原子層程度の厚さの制御性、界面の組成の急峻性を有し、電気的・光学的に優れたGaAs-AlGaAsヘテロ接合が製作されるようになってきた。その結果、超格子構造など自然界に存在しない人為結晶と呼ばれる新しい材料形態が製作できるまでに至った。

 超格子構造は室温において量子サイズ効果が出現すること、状態密度が階段状に変調がされることなど、従来のバルク結晶には見られない新物性を創製する。この新物性を利用すると、デバイス性能の飛躍的な向上が期待できることから、超格子構造は物性物理上のみならずデバイス物理上からも興味のある材料形態であると期待されていた。

 本研究を開始した1980年頃は、このような可能性を秘めた半導体超格子構造の新光物性を抽出し、デバイスへの適用性を明らかにすることは技術的な課題となっていた。

 第2章では通常のダブルヘテロ(DH)構造の半導体レーザの活性層に超格子半導体を内蔵した量子井戸(MQW)レーザを作製し通常のDHレーザとの詳細な比較検討を行った結果、(1)MBE成長で製作したMQW、通常のDHレーザの閾値電流は比較的よく直線に乗っており、ウェハー内の均一性はLPEなどの他の成長法に比較して優れていること、(2)MQWレーザは通常のDHレーザに比較して閾値電流が約2/3で低く、電流に対する光利得特性が優れていること、(3)MQWレーザに深いパルス変調を掛けるとレーザの緩和振動は観測される。この結果はAndersonらの結果と異なること、(4)MQWレーザに深い変調を掛けた場合の時間平均スペクトルは通常のDHレーザに比較して1/2から1/3で狭い。これは利得の半値幅が狭いことに起因していること、(5)セグメント電極レーザの閾値電流特性からMQW導波路と通常のDH導波路の非励起領域の伝搬損失を見積もった結果DH構造の約1/4で、光励起で測定した結果と一致すること、などのMQWレーザの特長についての結論を得た。

 第3章ではMQWレーザの発振機構、偏波特性について詳細な検討を行った。Illinois大学のHolonyakらのグループはMOCVD法で製作したGaAs-AlGaAs量子井戸レーザにおいて、光励起又は電流注入によるレーザ発振が最低準位の量子化レベルよりも約30meV低エネルギー側で起こることから、レーザ発振にLO-フォノンが介在していると報告した。

 一方Bell研のグループはMQWレーザの発振についてLO-フォノンの関与に関して報告がなされておらず存在に関して疑問視されていた。量子井戸レーザが通常のDHレーザと異なる機構で発振するかどうかは当時としては重要な研究課題であった。

 光増幅利得スペクトルに関与する自然放出光スペクトル、誘導発光(図1)の注入電流依存性に着目し、レーザ発振におけるLO-フォノンの介在に関し導波路光、自然放出光スペクトルの詳細な検討を行った結果LO-フォノンの寄与はないことを実験的に明らかにした。その後、他の研究機関から同様な研究がなされMQWレーザの発振にLO-フォノンの関与に関しては筆者らの結論を支持する報告がなされた。

図1 MQWレーザの導波光のスペクトル(TE偏波)

 MQWレーザの導波光がTE、TM偏波で異なること(TM偏波の方が約14meV高エネルギー側にあること、利得スペクトルに大きな差があること)を見出した(図2)。この偏波による違いはMQW中で電子と重い正孔、軽い正孔の遷移に選択則が成り立つためで、階段状の状態密度、k-選択則、3次元の状態密度を使用した簡単なモデル計算で光増幅利得・自然発光特性の偏波依存性の説明ができた。偏波特性はMQW構造の1つの特長であり、デバイス設計特性評価上重要な結果である。

図2 MQWレーザの光増幅利得スペクトルの偏波特性

 第4章では超格子構造における室温励起子ピークの温度特性を詳細に検討し、励起子吸収が500Kの高温まで保持していること、また励起子吸収の線幅の温度特性から、低温における励起子吸収の広がりは単原子層の揺らぎに依存することを明らかにした。

 GaAs/AlGaAs量子井戸の励起子吸収の電界効果を測定し、電界によるシフト量は重い正孔による励起子方が軽い正孔の励起子よりも大きいこと、n=2の励起子の電界によるシフト量はn=1の励起子のシフト量よりも小さいこと、電界を増加すると通常のn=1,2,3…などの重い正孔、軽い正孔に関した励起子吸収以外に禁制遷移による励起子吸収が生じ、電界が強くなるほど相対的に吸収が増加することを見出した。

 さらに、量子井戸の電界効果の応用例として低電圧、高消光比の導波路型変調器を提案し、高速変調動作(約900 Mbit/s)を確認した。この結果は、MQW導波路の低損失性を利用したモノリシック集積化光源の可能性を示唆するものである。

 第5章ではGaAs/AlGaAs系MQW材料のレーザ発振の短波長限界を実験的に明らかにするためにAlGaAs量子井戸と薄いGaAs量子井戸との比較をフォトルミネッセンス特性から評価した。結果は、AlGaAs量子井戸でAl組成を増加させ、短波長化を図る方法が、GaAs量子井戸で井戸層厚を薄くする方法よりも短波長までPL強度が低下しないこと(図3)、PLの半値幅も短波長領域では狭いことを確認した。

図3 GaAS量子井戸超格子、AlGaAs量子井戸超格子のPL強度のピーク波長依存性

 GaAs量子井戸、AlGaAs量子井戸超格子のバンド交差と発光効率の解析を行い、バンド不連続量には85%則より60%則を仮定するとPL強度の発光波長依存性の実験結果を説明できることを明らかにした。以上の検討結果を基にAlGaAs量子井戸レーザの短波長限界を検討した。MBE成長条件を最適化し、超格子バッファー、傾斜バッファー、高Al組成クラッド層の閉じ込め、GRIN-SCH構造の導入など通常のMQWレーザの閾値電流を低減する手法が有効であることを明らかにし、結果的には660nm(室温)までcw発振を確認した(図4)。MQWレーザの波長がバンド交差に近くなるとクラッドのキャリア閉じ込めが極端に小さくなり特性温度T0が小さくなり実用的でないことが分かった。

図4 最高cw発振温度の波長依存性

 第6章ではGaAs/AlGaAs系の量子井戸構造が光デバイスの特性改善に極めて効果が大きいことが明らかになり、光通信に重要な1.5mの超格子構造を製作するためにガスソースMBE法を取り上げ装置改良、成長条件の最適化を行った。長波長系の超格子をデバイス応用するための成長法としてはガスソースMBEが高品質で急峻な組成、高精度のドーピング制御が可能であり、長波系での新機能光デバイスの提案、開発を行った。

低温成長InGaAs/InAlAs MQWを用いた超高速全光スイッチ

 1.55m帯の波長域で励起子吸収の非線型性を利用する光制御-光素子の高速化を目的に光励起キャリアの高速緩和技術を提案した。低温成長、Beドープを組み合わせたInGaAs/AlGaAs歪み量子井戸は非線型性を損なうことなくサブピコ秒の高速なキャリア緩和を示すことを見出した。この低温成長InGaAs/InAlAs MQW構造は超高速の光制御-光スイッチの材料として有望であり注目されている。このMQW構造を利用した面型光制御光スイッチはpsのスイッチング時間を示す高速で高消光比の光ゲートであり光DEMUX等高速の多重信号から低速の信号を切り出す全光スイッチとして利用されている。

電界制御型MQW双安定レーザ

 電界制御型MQW安定レーザは、QCSE効果を利用して印加電界によりヒステリシス特性の制御が可能であり、逆バイアス電圧を可飽和吸収領域に印加することによってキャリア寿命の減少が期待でき、100ps以下の高速のスイッチング速度を達成した。さらに、双安定レーザの可飽和吸収部に直交する導波路を設けることで双安定レーザの入射感度の波長依存性低減できる横注入型双安定レーザを考案しその動作を確認し、光デジタル信号処理への可能性を示した。

超格子APD

 GaAs/AlGaAs超格子APDはBell研究所の提案であるがGaAsの結果であること、他機関からの追試の報報告とも結果は異なったため効果は疑問視されていた。結果の違いが超格子のバリアー層のAl組成によるものと着目し、超格子APDのイオン化率比の詳細な評価を行い、直接遷移の領域であれば超格子構造の効果のあることを明らかにした。この結果により長波長系での超格子APDの研究が活発化した。

 長波長系の超格子APD材料として暗電流を低減し、超格子構造の効果を低減させない材料系としてInGaAsP/InAlAs超格子をガスソースMBEで成長し、APDの特性評価し、InGaAsPは超格子APDの増倍層に有利であることを実証した。

 以上のようにMBE成長したInGaAs-InAlAs-InP系の超格子材料は量子効果や超格子特有のバンド構造を利用した光通信の高度化に必要な新機能光デバイス開発に極めて有望であることが明らかになった。

審査要旨

 本研究は「超格子半導体の光物性とそのデバイスへの応用に関する研究」と題し、全7章からなる。

 第1章は「序論」であり、半導体の電子的、光学的特性が超格子構造の導入によって顕著な変化を示すこと(量子サイズ効果)がようやく明らかになり始めた1980年頃から開始した超格子半導体に関する著者の一連の研究をまとめたものである。種々の興味ある物質応答は光通信を始めとする光エレクトロニクス先端分野の新しい可能性を示唆していたが、その実現性は当初には明らかでなかった。本研究では超格子構造における光物性の実験的検討、分子線エピタキシー(MBE)法による再現性の良い超格子構造の作製、および半導体レーザ、光変調器、受光素子等の新たな光デバイスの開発を研究の目標として設定している。基本となるMBE法、超格子構造の基礎物性とx線回折による基礎評価、光学特性の基礎評価法(フォトルミネッセンス、屈折率分散、励起子吸収)、主要な光デバイスについて概観するとともに、本論文の構成について述べている。

 第2章は「量子井戸レーザの製作およびその特性」と題し、3次元バンド構造の結晶で作成されていた二重ヘテロ(DH)構造に対して量子閉込め構造の半導体レーザが優れた光利得特性を示すこと、2次元バンド構造特性を反映する応答を示すこと、などの新しい知見を1980年代冒頭に得て、半導体レーザの主流を量子井戸レーザに向かわせることに貢献している。

 第3章は「量子井戸レーザの発振機構と光導波路特性」と題し、当初示唆されていたフォノンを媒介とする発光遷移という仮説および量子井戸準位にもとづく遷移に関する疑問を解くためにその導波特性、偏光特性について理論的、実験的な検討を加え、2次元バンド状態間の直接遷移がレーザ発振を担っていることを明らかにしている。

 第4章は「超格子中の2次元励起子の高温特性とその電界効果」と題し、低次元構造中の励起子は束縛エネルギーが大きくなるとの理論予測を裏付ける実験結果を良質な超格子構造結晶で観測し、室温以上において明確なエキシトン吸収が得られることを示すとともに、その電界効果を利用した導波路型電気光学変調器を作製し、高速変調に有望であることを他に先駆けて示した。

 第5章は「AlGaAs系超格子構造の短波長化の限界」と題し、可視光領域で動作する半導体レーザの候補としてAlGaAs系量子井戸構造を評価した研究について述べている。発振波長を短波長化するには量子井戸幅を狭くする方法とアルミニウムの組成比を増す方法があるが、組成制御のほうが技術的に安定であることを示すとともに、室温で波長660nmまでの短波長化に成功している。ただし、組成がGaAsから離れると間接遷移型半導体への交差点に近づき、量子井戸からのキャリア漏れが特性劣化を招くことを明らかにしている。

 第6章は「InP系超格子構造の作成と光デバイスへの応用」と題し、光ファイバ通信への適用に好適なInGaAsP系量子井戸構造の作成とその光デバイスへの応用について述べている。まず制御性よく超格子構造を作成するためにガスソースMBE装置を導入し、成長条件の最適化を図った。試作結晶の評価はフォトルミネッセンス、電子線回折、光吸収スペクトルなどによっておこない、十分急峻な界面での組成変化が実現していることを確認している。最適化された結晶成長条件を利用して、双安定半導体レーザ、超高速全光スイッチ(LOTOS)、超格子アバランシフォトダイオード(APD)のそれぞれについて優れた特性の素子試作に成功している。

 第7章は「結論」であり、得られた成果をまとめている。

 以上のように、本研究は分子線エピタキシー法による超格子構造の試作とその光デバイスへの適用を他に先駆けて実施するとともに、その基礎となる光物性機構を詳しく検討することによって高速光通信に適する各種光デバイス構造を提案し、かつその動作特性を理解し、設計指針を明確化したもので、電子工学、ことに半導体光・量子エレクトロニクスに貢献するところが多大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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