学位論文要旨



No 214650
著者(漢字) 楳田,洋太郎
著者(英字)
著者(カナ) ウメダ,ヨウタロウ
標題(和) InP系HEMT集積回路高速・低雑音化設計に関する研究
標題(洋)
報告番号 214650
報告番号 乙14650
学位授与日 2000.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14650号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 浅田,邦博
 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
内容要旨

 近年、急速に発展しつつあるマルチメディアによって、多様でかつ大量の情報が通信ネットワークに流れ込むようになる。さらに、21世紀の通信は画像伝送が主体となると考えられ、高精細度の動画像の伝送を考慮すると、基幹回線には現在より3桁大きいテラビットオーダーの伝送容量が要求される。光の超広帯域性を利用する光ファイバ伝送は、伝送路の帯域が広く、損失が少ない特徴を持つため、伝送の大容量化と低コスト化に貢献してきたが、21世紀に必要とされるテラビット級の基幹伝送網の構築を可能とし、単位伝送量当たりの伝送コストを下げ、マルチメディアをさらに普及・高度化するためには、この光ファイバ伝送システムのさらなる大容量化と経済化が必須である。

 これまでの光ファイバ伝送システムでは、高集積電子デバイスにより処理される低速の信号を、高速トランジスタを用いるICにより電気的に信号を時分割多重化し、高速での電気・光変換ののち光信号を伝送していた。これに対し、近年では大容量の光波長多重やの超高速の光時分割多重などの光レベルでの多重化技術が出現し、低速の電子回路と高速の光回路のインタフェースをどこでとるかというシステム設計の自由度が生じた。しかし、光回路は、電子回路と比べ制御が難しく、現在の技術レベルでは回路の小形・集積化、経済化の点で同機能の回路を比べた場合、電子回路とは成熟度において大きな隔たりがある。このため、現在から21世紀初頭の近い将来の技術では、なるべく高い伝送レートまで電子回路による多重化を行うことが経済性の点で有利と考えられ、光ファイバ伝送における高速電子回路の必要性は依然変わらないと考えられる。

 これに対し、マルチメディアの一翼をになうワイヤレス系でも、ワイヤレスLANや衝突防止レーダ等のミリ波システムが進展しつつありミリ波帯での高機能ICが要望される。その実現のためには、ミリ波帯で充分な利得と低雑音性を有するミリ波ICの実現が必要である。

 材料系のすぐれた輸送特性により、Si系トランジスタと比べて、高速でかつ低雑音な特徴を持つGaAs、InP等の化合物半導体を用いたトランジスタは、このような高速・低雑音電子集積回路の研究実用化を先導してきた。。中でも、InP系トランジスタは、GaAs系トランジスタに対する、さらなる高速化、低雑音化の要求に応えるため研究されてきており、現在では、常温で最高速、最低雑音のトランジスタとしての地位を確立している。

 このInP系HEMTを用いたデジタル回路で動作の高速化を図るには、トランジスタが利得の大きい飽和領域内のみで動作するSCFL(Source-Coupled FEF Logic)回路が有利であるが、本研究以前には、InP系HEMTを用いたSCFLディジタルICは、HEMT本来の高速性を発揮することができなかった。この理由としては、SCFL回路は差動部分のしきい値ばらつきの許容度が小さく、当時の未熟なプロセスによるInP系HEMTでは充分なしきい値均一性を得ることができなかったこと、および配線やレベルシフトダイオード等の寄生効果により速度低下を起こしていたことが考えられる。一方、本研究以前にもInP系HEMTを用いたモノリシックミリ波低雑音増幅器がわずかに報告されたいたが、InP系HEMTの再現性および低雑音設計技術が確立されていなかっため、InP系HEMT単体の超低雑音性能を反映できていなかった。

 本研究では、超高速、超低雑音の舞徴をもつInP系HEMTを用いて、将来のテラピット級光ファイバ伝送システムに適用する超高速電子集積回路、およびミリ波通信・情報システムに適用するモノリシック・ミリ波集積回路を実現するための、基本的なIC設計技術を確立する。

 特にInP系HEMTでは、本研究の開始当時プロセスによる構造ばらつきが比較的大きく、ICの特性ばらつきや製造歩留まりの低下を生じやすかった。また、InP系HEMTが極めて高速、超低雑音であるため、相対的に、トランジスタ以外の素子や配線により生じる寄生効果により、回路としての性能が制限されやすい。この、デバイスばらつきによるIC特性ばらつきと歩留まり低下の抑制、および寄生効果の定量化と低減を、本研究の中心課題とした。

 研究を進めるに当たり、InP系HEMTを用いてデジタルICの高速化を検討するための試験回路としては、SCFLデジタル分周器を、モノリシック・ミリ波ICの低雑音化を検討するためには、モノリシックミリ波低雑音増幅器を使用した。

 本研究の結果、モノリシックミリ波低雑音増幅器の低雑音・高歩留まり設計に関するつぎの指針を得た。

(1)低損失コプレーナ線路を用いた低雑音増幅器設計技術の確立

 ユニプレーナMMIC構造の増幅器の雑音指数を低減するためには、低損失の太いコプレーナ線路を用いることが有効である。しかし太いコプレーナ線路をこのICの整合回路に通常用いられるショートスタブとして使用したときには、スタプのフリンジ部分の寄生パラメータが回路特性に影響を与える。このため、低損失の太いコプレーナ線路を使うとともに、コプレーナ線路フリンジのパラメータの平面形状スケーリングを用いた簡易算出法を用いて設計に取り入れることにより、低損失コプレーナ線路を用いたミリ波増幅器低雑音化設計技術を確立した。

(2)プロセス構造ばらつき耐性を有する低雑音増幅器設計指針の明確化

 HEMTは、通常ゲートリセス構造を採用するが、通常のエッチストパを用いないHEMTでは、ゲートリセス深さはエッチング時間により制御するため、ゲートリセス深さのばらつきが大きい。このため、ゲートリセス深さばらつきの低雑音増幅器の雑音指数への影響をHEMT雑音の一次元二領域物理モデルを用いて定量的に評価し、プロセス構造ばらつきを考慮した増幅器雑音特性均一化の指標を得た。その結果、リセスエッチストッパを用いないゲートリセス深さばらつきが大きい場合でも、雑音整合設計とすることにより増幅器の雑音特性を低く均一にできることを示した。

(3)増幅器の雑音と利得を両立する設計法の確立

 完全な雑音整合による設計では、雑音指数は低くなるがミリ波帯では利得が低くなるため、実用的な増幅器では、雑音整合とインピーダンス整合の中間をとり低い雑音と高い利得を両立する設計とすることが多い。この増幅器の雑音指数と利得の中間的な設計で、安定化手法の改良による、増幅器雑音指数と利得の最適化を検討した。その結果、低雑音と高利得を両立するための、雑音整合とインピーダンス整合の中間的な設計において、誘導性負帰還と周波数依存性損失を組み合わせることにより雑音・利得特性が大きく改善できることを示した。

 上記(1)〜(3)の設計指針の試作への適用により、InP系HEMTの低雑音性をはじめて反映した超低雑音モノリシックミリ波増幅器を実現した。

 また、本研究の結果、SCFLデジタルICの高速化・高歩留まり設計に関するつぎの指針を得た。

(4)SCFLデジタルIC高速・高歩留まり動作のためのデバイス・回路設計指針の確立

 線形周波数領域モデルを用いた分周器の動作速度と動作マージンの負荷抵抗依存性解析式を用いて、動作速度および動作マージンの電流スイッチ負荷抵抗依存性を明確化し、SCFLフリップフロップを高速、高歩留まりを実現するための負荷抵抗設計の指針を得た。

 また、SCFLフリップフロップ動作歩留まりとInP系HEMTしきい値ばらつきの関係を定量化し、SCFLフリップフロップが高歩留まりで動作するためにHEMTに要求されるしきい値ばらつきの上限を明らかにした。このしきい値均一性の要求を満足するためにHEMTにInPゲートリセス・エッチストッパを導入し、SCFLスタティック分周器を高速・高歩留まりに実現した。

(5)SCFLデジタルIC配線遅延律速の明確化とその低減設計法の確立

 InP系HEMTを用いたSCFLデジタルICに関して、動作速度を制限する要因を明確化し、その定量化を行うとともに、制限要因の緩和によるSCFLデジタルIC高速化の指針を得た。特に、配線遅延によるIC動作速度低下の定量化を行い、その低減を図るための配線、ダイオードの設計指針を示した。

 すなわち、LC線路とインピーダンス整合の近似による配線遅延の簡易評価法を用いて、SCFLインバータとT-FFの遅延時間解析を行い、その高速化には配線遅延の低減が必要であることを示した。この指針より、回路パタンの縮小と小形・低抵抗の縦型ダイオードの導入を行い配線長を短縮し、スタティック分周器として初めて40GHz動作を実現した。さらに、配線遅延の小さい低誘電率BCB層間膜二層配線系の導入により、50GHz級動作を実現した。また、低インピーダンスの薄層マイクロストリッブ配線を用いた送信端インピーダンス整合設計により、多重反射による波形劣化を抑え、マルチプレクサICの80Gbit/s動作を実現した。

 上記(4)、(5)の設計指針の試作への適用により、InP系HEMTの超高速性をはじめて反映した超高速SCFLデジタルICを実現した。また、その技術は40Gbit/s光ファイバ伝送用ICの実現に反映され、これを用いて最初の40Gbit/s全ETDM光ファイバ伝送実験が行われた。

 以上により、本研究では、InP系HEMTを用いて超高速光ファイバ伝送用ICおよび低雑音モノリシックミリ波ICを高速・低雑音かつ高均一・高歩留まりに実現するための基本となる設計技術を確立した。

 本研究で設計した低雑音モノリシックミリ波ICとSCFLスタティック分周器の到達点をそれぞれ、図1、2に示す。

図表図1 本研究の到達点1(InP系HEMTによる多段モノリシック低雑音増幅器) / 図2 本研究の到達点2(スタティック分周器)
審査要旨

 本研究は「InP系HEMT集積回路高速・低雑音化設計に関する研究」と題し、全6章からなる。化合物半導体は高い移動度を有し、高速集積回路に適する点が注目されてきた。既に広く実用化されているガリウム砒素(GaAs)集積回路を凌駕する可能性のあるインジウム燐(InP)のヘテロエピタキシアル結晶技術に基づいた高移動度電界効果トランジスタ(HEMT)集積回路は高速光通信やワイヤレス通信などの高速電子回路を実現する有力候補とみなされている。一方で、ミリ波帯能動回路や10Gbit/s以上の高速ディジタル回路については分布定数回路論に基づく設計が必要であり、これと能動デバイス製作技術の両立性を図ることは重要な課題であるが従来十分に検討されてこなかった。

 第1章は「序論」であり、InP系HEMT集積回路の歴史的背景をまとめ、高いポテンシアルを持つ半面、プロセスによる構造ばらつきが大きいこと、周辺素子や配線によって生ずる寄生効果の影響を受け易いことを指摘し、これらを解決するためにデバイス作製技術を踏まえた回路の最適設計手法の確立を本研究の目的に掲げ、解決するべき具体的な課題を列挙するとともに、論文の構成を要約している。

 第2章は「Inp系HEMT IC用デバイスの構造と特性」と題し、トランジスタの最高速レベル特性を実現するゲート長0.1ないし0.18ミクロンのHEMT集積回路の特性評価の結果をまとめるとともに、その性能を引き出すために必要な周辺技術の改良について述べている。特にInPゲートリセスストッパー導入の提案によってしきい値電圧の均一化が図られ、ディジタル回路への適用の道を開き、また電圧配分用のレベルシフトダイオードの低抵抗化のために面積の大きい縦形ダイオードをFET上に設置する構造の提案はCR時定数を下げ、回路速度を向上させるのに有効であった。さらに低誘電率有機物薄膜BCBを層間絶縁膜とする構造が配線容量を下げ、高速化に役立つことを実証している。

 第3章は「InP系HEMTを用いたミリ波増幅器の設計」と題し、40GHz以上で動作する低雑音ミリ波増幅器を設計する回路手法の開発について述べている。第1に損失の少ない配線のために幅の広いコプレーナ線路を導入するとともにフリンジ効果を良い近似で求めるスケーリング手法を提案し、電磁界解析手法との比較によって有効性を確認した。フリンジパラメータを考慮した回路シミュレーションを実施し、試作した40GHz帯モノリシック低雑音増幅器の特性と比較し、良い一致をしめすことが確認された。第2にHEMT構造パラメータに対する雑音感度解析の系統的手法を提案した。実際に試作した増幅器に適用し、雑音指数の低減にはショットキ接触層厚を薄くすることが有効であること、ゲートリセス深さのばらつきは雑音指数のばらつきの主原因ではないことを明らかにし、再現性良く、低雑音のミリ波増幅器の実現に貢献している。

 第4章は「増幅器雑音ばらつきのゲートリセス依存性検討」と題し、ソース結合FET論理回路(SCFL)形式の高速ディジタル回路を設計する手法の改良について述べている。第1にTフリップフロップ(T-FF)回路を線形周波数領域モデルで表現し、周期動作についてシミュレーションを行うことによって動作速度の負荷抵抗依存性の評価を高い確度で速く評価することを可能にした。第2にSCFL回路の信号遅延を詳細に評価する手法を開発し、配線遅延および段間回路のインピーダンス不整合による多重反射に基づく遅延を評価するとともに整合条件に基づく回路設計および試作を行い、これら付加的遅延がインバータの真性遅延時間と同程度まで短縮できた。第3に第2章で述べた改良されたゲートリセスプロセスによるFETを用い、本章で記述した設計手法によって最適化した高速分周器を試作評価し、最高38.7GHzまでの動作を確認した。第4に縦形ダイオードの導入による高速化の効果を調べ、これを用いた分周器が初めて40GHzを超える動作をすることを確認した。第5に低誘電率有機薄膜による層間絶縁の効果を評価し、分周器最高周波数49GHz動作を確認した。第6にDラッチのクロックドインバータ化によりダイナミック動作を導入した効果を調べ、最適負荷が2倍以上になることを示すとともに、上述のスタティック分周器に比し、1.7倍の動作周波数(最高63.5GHz)を実現し、報告時点(1997年)で世界最高値を記録した。

 第5章は「大容量光ファイバ伝送用ICへの応用」と題し、上記の諸手法を総合して40Gbit/s光ファイバ伝送システム用のディジタルICファミリーを設計、試作し、評価した結果について記述している。実際に300km伝送後のビット誤り率が10の-9乗となる受信機電力は-24.3dBとなることを確認し、その実用性をしめしている。さらにマルチプレクサ部分についてはオンウエーハ評価で80Gbit/sの動作を確認するに至っている。

 第6章は「結論と将来展望」であり、得られた成果をまとめている。

 以上のように、本研究では本来的に高速性の特徴を有するInP系HEMTデバイスによるモノリシック集積回路をミリ波通信および40Gbit/s級ディジタル光通信に応用することを目標に設計手法の改良を行い、デバイスプロセスへの種々の提案を行うとともに、性能測定、再現性評価、雑音指数評価、およびディジタル光伝送評価を実施して、世界最高レベルの低雑音ミリ波増幅器(40GHz)、高速分周器(80GHz)、および40Gbit/sマルチプレクサ・デマルチプレクサの実現を確認したものであり、電子工学、ことに高速集積エレクトロニクスに貢献するところが多大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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