学位論文要旨



No 214651
著者(漢字) 入澤,寿美
著者(英字)
著者(カナ) イリザワ,トシハル
標題(和) モンテカルロ・シミュレーションによるエピタキシャル成長過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 214651
報告番号 乙14651
学位授与日 2000.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14651号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西永,頌
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨

 エピタキシャル成長過程のシミュレーションは,実験の説明だけにとどまらず,理論と実際の現象との橋渡しをする役割を持っている.原子・分子レベルでのシミュレーション法には分子動力学法とモンテカルロ法がある.本研究では分子動力学法では現状計算時間がかかりすぎてシミュレーションが難しい,「MBE成長条件下での表面構造の周期変化」,「核形成過程における運動学的効果」,「二成分系の結晶成長過程における分圧依存性」,等の問題に注目した.これらは主に多くの原子による協力現象が伴うもので,モンテカルロ・シミュレーションで現象の理解と解明を行った.MBE成長では表面構造が周期変化できるための成長条件を定量的に求め.また,成長を特徴付ける長さは臨界核サイズと密接な関係があることを定量的に示した.基板面上に形成される二次元臨界核には運動学的影響,すなわち表面拡散過程の核形成過程へのかかわりを議論した.二成分系では,理論の適用範囲を定量的に調べ議論し,また,核形成への運動学的影響やInGaN混晶結晶成長の相分離に対する結晶成長学的解釈を与えた.

 第1章は序論であり,シミュレーションの位置付けと分子動力学法とモンテカルロ法の長所と短所について述べ,希薄環境相からの成長のように結晶内での原子の振動数に比べ成長速度が遅い(現象の進行が遅い)場合は,モンテカルロ・シミュレーションが現状では,現象の理解に不可欠であることを述べた.

 第2章では,第3章,第4章,第5章で用いるモンテカルロ・シミュレーション法について述べた.

 シミュレーション方法は結晶成長でよく使われるギルマー・ベンネマのモデル[1]に基礎をおくものであり,結合の異方性および表面拡散の異方性を取り入れたモデルへの拡張と二成分系への拡張を行った.結晶成長で興味がある現象に対するシミュレーションの多くは,原子間の結合エネルギーが大きい,または,成長温度Tが低いことから/kTが大きく原子の吸着・離脱等の事象の変化が小く,彼等のモデルをそのまま使用すると計算時間がかかりすぎて現実的でない.そこでBorz[2]らが提唱した待ち時間法を採用し,独自で開発した記憶容量の節約法,2分探索法による事象の検索等のアルゴリズムを採用することにより計算を飛躍的に高速化した.ラフニング温度付近の高温でも待ち時間法を採用したほうが約4倍早いことを示し,一般に結晶成長のシミュレーションで有効なことを示した.本研究で用いられたシミュレーションプログラムにより,計算機の高速化と大容量化に伴い,シミュレーションも大規模化と精密化が可能になり,第3章以下のシミュレーション結果を得ることができた.

 第3章では,基板原子からの再蒸発が無視できるMBE成長様式の詳細を述べた.

 MBE成長のように基板温度が極低温で基板原子からの再蒸発が無視できるという条件で,表面構造が周期的変化を伴って平坦に層成長できる理由は,従来定性的説明はあったが定量的に示した例は無かった.本論文ではオーバーエスティメイトではあるが,吸着原子密度を具体的な形で求め,理論的に説明した.これを確認するため,入射フラックスJと結合エネルギー/kTの広範囲なパラメータ空間でシミュレーションを行い,代表的長さc≡(Ds/J)1/4が4a以上であれば周期変化が見られること,及び,cが表面拡散距離s以下であれば再蒸発を無視してよいことを見出した.ここにDsは表面拡散係数,aは成長結晶の格子定数である.また,従来結論付けられていなかったMBE成長を特徴付ける長さはの形であり,臨界核サイズi(1と2について確認した)に対応するベキii=i/(2i+4)であることが,微斜面成長のシミュレーションより得られた.これはVillain[3]の主張を裏付けたことになる.

 表面のクラスタ分布の時間発展を調べることにより,MBE成長条件下での二次元臨界核のサイズを見積った.クラスタ分布は本論文で示したマスター方程式と良い一致をみた.また,成長中の拡散場は実験的に調べることは困難なので,微斜面成長中の表面拡散場を求め,ステップフロー成長時では理論で予想される2次関数となり,層成長時ではテラス間にクラスタが形成されるために過飽和度はテラスの中央で平らになることを見出した.更に,高さの相関を調べることにより,テラスの中央で最初に核が形成されることが分かった.

 成長初期に基板表面に形成される異方性の強いクラスタの生成の起源は表面拡散の異方性ではなく,結合の異方性であることがシミュレーションで確かめられた.

 基板温度が極低温での薄膜成長で得られるDLA(Diffusion Limited Aggregate)タイプの凝集体の熱緩和過程の緩和機構について,律速過程として(1)脱着機構,(2)表面拡散,(3)エッジ拡散の3つの過程に関し周の長さの時間変化に対するベキ則を理論的に求めた.それを確かめるためにシミュレーションを行い,全ての機構が現実に観測されることを確かめた.これは,基板表面上の微細構造を制御する技術に応用できると期待される.この点に関して実験が待たれる.

 第4章では,基板表面に形成されるクラスタサイズの時間変化を詳細に捉えることにより,二次元臨界核サイズを精密に測る方法を提案し,表面拡散等運動学的振る舞いと従来の熱力学的な振る舞いとの比較検討を行った.

 ここで用いた臨界核サイズおよび核形成までの待ち時間のシミュレーションによる求め方は,本論文で初めて提唱したものであり,その精度の高さについても論じた.この方法で求めた臨界核は西岡らの理論[4]で提唱された運動学的なものと対応でき,形の揺らぎも自動的に入り,形を仮定して得られる従来の理論値とは異なり,より現実に近いものとなっている.過飽和度依存性等定性的な振る舞いは熱力学的に得られた結果と同等なものであることを示したが,運動学的効果が顕著に現れる現象として,これまで理論では考慮されることの無かった表面拡散を考慮したシミュレーションを行った.その結果,臨界核サイズが表面拡散距離に依存することが明らかとなり,経験式としてを得た.ここに,は臨界核サイズ,fは臨界核の形をあらわす因子,はステップ自由エネルギー,は蒸気相と結晶相での化学ポテンシャル差,は運動学的に定まるべき表面拡散距離の関数である.ここで提唱した経験式への運動学的効果の入り方は,臨界核サイズを高精度で求めることができたため信頼できるものであり,表面拡散を考慮した理論を構築する第一歩となるであろう.

 また,MBE成長条件での安定核サイズに関し,蒸着速度が遅い(化学ポテンシャルが小さい)場合は,いくつかの安定な構造があり,クラスタの形状ならびに格子構造によることを明らかにした.この現象を利用して基板上での微細構造を制御できる可能性がある.

 第5章では,二成分系のエピタキシャル成長について述べた.

 結晶がA-B市松模様になる場合について,高田・大川の理論[5]を検証し,その適用範囲を示した.ここに,A,Bは原子種を表す.また,二成分系の核形成理論が未だ少ないので,それに関するシミュレーション結果を示し,以下の指摘をした.(1)蒸気相の分圧比の違いは核の形に影響を与え,その結果核サイズを単純系より大きく見積もる必要がある.(2)核サイズが小さい範囲ではステップエネルギーに関して分圧依存を考慮する必要がある.(3)表面拡散の依存性を考慮する必要がある.(3)についてはシミュレーション結果から経験式n*=(/s+)[f/]2を導き,表面拡散距離が短い範囲における表面拡散係数の臨界核サイズへの入り方を提案した.ここに,,は運動学的に定まるべき定数である.

 現在注目を集めているMOVPE成長で得られたInGaN混晶結晶の組成について,低温成長では入力の分圧比(InとGaの分圧比)に対し結晶組成はその比に見合ったものになるが,高温成長では混ざりにくいという実験結果[6]に対し,シミュレーションによって以下のような解釈を与えた.この系の平衡状態では結晶組成は蒸気相の分圧比から大きくずれる.成長温度が低温の場合は蒸発頻度が小さく,結晶化の駆動力が大きくなるため付着成長様式となり,組成は分圧比に近いものとなる.一方,高温の場合は,蒸発頻度が大きくなり結晶化の駆動力が小さく系が平衡状態に近いため,平衡組成に近い組成が得られることを明らかにした.これは平衡論からは得られず,結晶成長というダイナミックスを考慮する必要があることを指摘したものである.なお,この現象はInGaNに限らずあるパラメータ範囲では一般的なことで,本論文では系を制御するパラメータとその傾向についても示した.

 第6章は結論であり,本論文で示した理論及びシミュレーション結果を要約したものである.

 以上,本論文は,エピタキシャル成長過程を原子・分子レベルで理解と解明することを目的とし,モンテカルロ・シミュレーションを行った.これにより得られた結果や解釈は新たな理論や実験のための一助となることを確信する.

参考文献[1]G.H.Gimer and P.Bennema,J.Appl.Phys.,43(1972)1347.[2]A.B.Borz,M.H.Kalos and J.L.Lebowitz,Comput.Phy.,17(1975)101.[3]J.Villain,Comments Cond.Mat.Phy.,Vol.16,No.1(1992)1.[4]K.Nishioka and Igor L.Maksimov,J.Cryst.Growth,163(1996)1.[5]M.Takata and A.Ookawa,J.Cryst.Growth,24/25(1974)515.[6]T.Matsuoka,N.Yoshimoto,T.Sakai and A.Katsui,J.Electron.Mater.,21(1992)157.
審査要旨

 本論文は、熱平衡から離れた状態で多数の原子・分子がどのようにエピタキシャル成長に関与するかを明らかにするため、モンテカルロ・シミュレーションを用い、核形成、表面拡散、二成分系における成長および過飽和と相分離の関係等を調べた研究をまとめたもので6章からなる。

 第1章は序論であり本研究の位置付けおよび、意義について述べている。

 第2章は本研究で新に開発したモンテカルロ・シミュレーション法について説明している。通常用いられているギルマー・ベンネマの手法を改善し、結合の異方性と表面拡散の異方性をとりいれ、さらに二成分系に適用出来るように拡張している。また、計算を高速・大容量化するためBooz等の待ち時間法を採用し、本研究で新に開発した記憶客量の節約法、事象の検索に関する新たなアルブリズムの採用により、計算を飛躍的に高速化することに成功している。この様な方法を開発することにより3章以下のシミュレーションを可能にした。

 第3章では熱平衡からかなり離れた所での成長法である分子線エピタキシ(MBE)の振舞をシミュレーションにより詳しく調べた結果につき述べている。MBEのように高い過飽和度のもとでは成長表面は一般には原子的に荒れると考えられているが、反射高エネルギー電子線解析による振動が観測されており、これは原子的に平坦な面が出現していることを示している。そこで、入射フラックスと温度で規格化した結合エネルギーをパラメータにとり、広範囲に成長条件を変化させ、モンテカルロ・シミュレーション法を用いて表面状態を調べた。その結果Ds,Jを各々表面拡散係数、入射フラックスとし、特性長さとしてc=(Ds/f)1/4を定義とすると、これが格子定数の4倍以上の時平坦な面が出現することを示した。

 次に成長表面のクラスター分布の時間変化からMBEにおける二次元核の大きさを見積もることに成功した。さらに微傾斜面上でのMBE成長に関しシミュレーションを行いステップフロー成長の時は表面原子の分布が距離の二次関数になること、核はステップ間の中央で出現することなどを示している。また、形成される核の異方的形状は、表面拡散の異方性にあるのではなく、結合の異方性にあることも示した。

 第4章では、基板表面に形成されるクラスターの大きさの時間変化を調べることにより核形成における運動学的平衡と熱力学的平衡のどちらが支配的かという問題を論議している。本研究で新たに開発した臨界核の大きさと核形成までの待ち時間を求めるプログラムを用い、運動学的平衡にもとづく臨界核を与える経験式を求めている他、臨界核の大きさの決定に対し、表面拡散が重要であることを明らかにしている。また、過飽和度が低い場合はいくつかの安定な構造がありクラスター形状、並びに格子構造によることを明らかにしている。

 第5章では、二成分系のエピタキシャル成長に関するモンテカルロ・シミュレーション結果について述べている。先づ、既に出されている解析的理論との比較を行い、理論が用いたのと同じ条件の場合は理論とシミュレーションが確かに一致する事を確認し、シミュレーションの正しさを確認したあと、様々な問題にシミュレーションを適用している。その例として、有機金属気相エピタキシ(MOCVD)法で成長されているInGaN混晶の組成が成長条件によってどのように変わるかをシミュレーションにより調べた。すると、低温成長では原料の組成とほぼ等しい組成の混晶が得られるが、成長温度が高くなると、相分離の傾向を示すことがわかった。これは実験事実を良く説明している。このように多数の原子・分子が関与する成長において過飽和度が組成にどのように影響するかを明らかにするにはシミュレーションが最も適しており、このような手法により過飽和のもとでの成長に対する原子スケールでの描像がかなり明らかとなった。

 第6章は、総括であり成果をまとめ本研究の結論を述べている。

 以上本論文は熱平衡から離れた状態でおこなわれる結晶成長という現象を原子スケールで理解するためモンテカルロ・シミュレーション法を用い、手法の改良から始め、過飽和度と表面平坦性、運動学的臨界核に対する表面拡散の効果、二成分系に対する成長下での相分離と過飽和の関係を明らかにし、これ等を通じエピタキシャル成長過程の原子的描像を明らかにしたもので電子工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51144