学位論文要旨



No 214655
著者(漢字) 平本,一男
著者(英字)
著者(カナ) ヒラモト,カズオ
標題(和) 鉄鋼プロセスにおける放射温度計測技術の開発研究
標題(洋)
報告番号 214655
報告番号 乙14655
学位授与日 2000.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14655号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤村,貞夫
 東京大学 教授 石川,正俊
 東京大学 教授 安藤,繁
 東京大学 教授 舘,すすむ
 東京大学 教授 前田,正史
内容要旨

 温度計測は,工業製品の製造・品質管理上きわめて重要なパラメータであり,鉄鋼業でも、熱電対や放射温度計等に関する技術の基礎的な研究だけでなく、実ライン適用技術の開発が行われてきている.鉄鋼業は,高温プロセスであることに加えて高速で移動する物体を温度計測の対象にするため,非接触測定が可能な放射温度計が広く用いられている.放射温度計測で高精度の測定を実現するためには,測定対象物体の放射率を正確に知る必要があるが,実際の製造プロセスでの放射率を測定することは困難であるばかりでなく,プロセス中で放射率が大きく変化する場合もある.

 本論文では,この放射率の問題について特に鉄鋼製造プロセス中で放射率の変化が大きいプロセスでの放射率挙動を調査,解析し,その結果に基づいて開発したオンラインで放射率を補正可能な放射温度計測技術の研究開発について述べた.

 まず,鉄鋼プロセスの中で特に放射率変化の大きい以下の2つを取り上げる.ひとつは自動車用防錆鋼板として広く製造されている合金化溶融亜鉛めっき鋼板における鉄と亜鉛の合金化プロセスであり,もうひとつは優れたプレス加工性などの機械的特性を鋼板に付加するための連続焼鈍炉における鋼板表面の酸化プロセスである.この2つのプロセスで,分光放射率の測定を中心に放射率変化の挙動を調査した.その結果,溶融亜鉛めっき鋼板の合金化プロセスでは,合金化の進行に伴い表面粗さの増加と鉄と亜鉛の合金層の形成によって放射率の絶対値は大きく増加するが,合金化の全過程で分光放射率は波長に関する1次の多項式で表されることを明らかにした(図1).この結果は次に述べる多波長温度計の開発の設計とその簡略化に役立った.

図1 亜鉛めっき鋼板の合金化プロセスにおける分光放射率の波長依存性

 鋼板表面の酸化プロセスにおける放射率変化は非常に複雑であるが,酸化膜表面と鋼板表面との間での干渉現象でその変化は説明できることを明らかにした.またSi濃度の高い冷延鋼板での酸化による放射率変化が小さい原因が,酸化膜の成長速度が異なるためであることを実験的に確かめた.

 上述の放射率変化の挙動を参考にして,鉄鋼プロセスのオンラインで放射率補正が可能な新しい放射温度計として,放射情報のみを利用する受動的な手法と補助光源の反射情報を利用する能動的な手法の2方式を提案した.

 受動的な手法とは,測定対象物体の分光放射率を波長の関数(以下,放射率関数と呼ぶ)で表し,複数の分光放射輝度と放射率関数から,未知数である放射率と温度とを最適化演算手法のひとつである線形計画法を用いて,演算で求める多波長温度計測法である.この方法に基づいて,温度計を工業的にオンラインで適用するための設計指針を明確にした.溶融亜鉛めっき鋼板の合金化プロセスへは,放射率関数として未知の係数を1つだけ含む波長の1次多項式を用い,3つの分光放射情報を使用する多波長温度計を適用した.また電磁鋼板の熱処理における酸化プロセスへは,未知の係数を2つ含む1次多項式の放射率関数で,4つの分光放射情報を使用した.両者ともに,オンラインで±10℃の精度で測定できることを確認した.

 効果としては,和歌山製鉄所No.3CGL(溶融亜鉛めっきライン)及び鹿島製鉄所No.2CGLの合金化保持帯に開発した多波長温度計を設置し,材質によって合金化速度の異なる冷延鋼板に対して,多波長温度計を用いた正確な温度測定によって,最適な合金化処理の制御が可能であることを明らかにした.最近では,合金化炉は従来の直火加熱から誘導(IH:Induction Heating)加熱方式に移行しており,より高速な加熱が可能になっている.そのため本温度計による加熱制御の重要性も増してきている.また和歌山製鉄所の電磁鋼板の熱処理プロセスに適用することで,熱処理温度の適正な管理が従来よりも向上したことで,製造歩留りが大幅に改善された.

 能動的な手法として,多波長温度計の適用が困難な測定対象物体に対して,補助的な光源を用いて反射率を測定し,キルヒホッフの法則をもとにして反射率から放射率をその場で推定する方法を改良した放射率補正型温度計の開発について述べた.通常製造される範囲の冷延鋼板の表面粗さにおいては,散乱反射光強度の角度依存性の測定結果から,入射方向から35度までの限られた角度範囲の反射光を検出することで正確な半球反射率が測定可能なことを示した.さらにこの測定原理が温度計と測定対象物体と距離や角度変化に対して影響を受けやすいこと,広い角度範囲の反射光検出には光学系が大型になること等の問題点を,反射光検出の光学系に独自の構造を考案することで改善し,工業用に適した小型の放射率補正型温度計を開発した.実験室とオンラインでの試験で測定精度を評価し,冷延鋼板の酸化プロセスにおける放射率変化に対して,放射率は±13%(図2),温度は±10℃の精度があることを確認した.

図2 放射率の測定精度評価結果

 効果としては,本温度計を鹿島製鉄所のNo.2連続焼鈍ラインに適用することで,熱処理温度測定精度向上による管理温度はずれ製品の減少と過剰な酸化膜がロールに付着して鋼板表面に発生するきずの減少との2つの改善が達成された.

 放射率補正技術以外では,高速で走行する高温の冷延鋼板や表面処理鋼板に対して,放射温度計の放射率決定や上述した放射率補正型温度計のオンライン精度検証のために必須である接触式温度計を2方式開発した.市販の接触式温度計では測定ヘッド部分の耐熱性,耐久性に課題があり高速走行する高温の鋼板に安定して接触させ,測温することができない.接触する部分については2方式ともセラミックローラを使用することで250m/分の走行速度まで安定した測定が可能になった.2方式のうち,熱電対型温度計は通常は800℃まで,短時間であれば900℃までの測定が応答時間8秒以下,精度±3.5℃で可能である.また半球面鏡型温度計は測定対象物体の放射率に依存するが,鋼板表面からの付着物の影響がないことが利点であることを確認した.従来は手動で接触させていたため,操作者のスキルに大きく依存していたが,この開発では高温炉内に自動で鋼板に接触させることが可能な昇降機構と冷却機構を持たせることで,鋼板の上下変動±40mm,変動周波数2Hzにも追従可能なことを確認した.

表1 開発した接触式温度計の仕様

 この温度計は,前述の2つの放射率補正型温度計のオンラインへの適用の際に,精度検証のために用いることで放射率補正の高い性能が確認できた.また鹿島製鉄所の第2薄板工場のNo.2連続焼鈍ラインとNo.2CGLの新設に際し,連続熱処理炉内に設置する多くの放射温度計の放射率設定を決めるために,熱電対型温度計が適用された.

 最後に,放射率のオンライン補正技術の将来の展望と,放射温度計に今後望まれるその他の技術の研究開発課題について述べた.

審査要旨

 温度は工業製品の製造・品質管理上きわめて重要なパラメータである.その計測に関して,特に鉄鋼業では,高温プロセスであることに加えて高速で移動する物体を計測対象とするため,非接触測定のできる放射温度計が広く用いられている.放射温度計測で高精度の測定を実現するためには,測定対象の放射率を正確に知る必要がある.実際の製造プロセスでは放射率を測定することが元来困難であることに加え,オンライン・実時間で変化の大きい放射率を決定しなければならないという問題もある.

 本論文では,特に放射率の変化が大きいプロセスでの放射率挙動を測定,解析し,その結果に基づく,オンラインで放射率を補正する実用的な放射温度計の開発について述べている.

 本論文は6章より構成されている.

 第1章「序論」では,鉄鋼プロセスにおける放射温度測定技術の現状と課題をまとめ,放射率補正技術について従来の研究の特徴と問題点について述べ,本研究の目的を明らかにしている.

 第2章「鉄鋼プロセスにおける鋼板の放射率挙動」では,鉄鋼プロセスの中で特に放射率変化の大きい鉄と亜鉛の合金化プロセスと高温処理中の鋼板表面の酸化プロセスとを取り上げている.前者は自動車用防錆鋼板として用いられる溶融亜鉛めっき鋼板の製造プロセス,後者はは鋼鈑にプレス加工性などの特性を付与するための連続焼鈍プロセスに見られる.この2つのプロセスで放射率変化の挙動を測定し,合金化プロセスでは,放射率の絶対値は大きく増加するが,合金化の全過程で分光放射率は波長に関する1次多項式で近似できることを明らかにしている.一方,鋼板表面の酸化プロセスにおける放射率変化は複雑であるが,基本的には,その変化が酸化膜表面と鋼板表面との間での放射の干渉現象で説明できると指摘している.

 第3章「多波長型放射温度測定技術の開発」では,放射の測定のみを利用する受動的な放射率補正手法として,測定対象の分光放射率を波長の関数(以下,放射率関数と呼ぶ)で表し,複数の分光放射輝度と放射率関数から,未知数である放射率と温度とを線形計画法を用いて求める多波長温度計測法を示している.この方法に基づいて,工業的にオンラインで使用できる温度計の設計指針を示している.溶融亜鉛めっき鋼板の合金化プロセスでは,放射率関数を未知係数を1つだけ含む波長の1次多項式で表し,3つの波長での測定による多波長温度計が適用できることを示している.また電磁鋼板の熱処理における酸化プロセスでは,未知係数を2つ含む2次多項式の放射率関数で,4つの波長での放射測定で温度を決定する方法を提示している.両者ともに,オンラインで±10℃の精度で測定できることを確認している.

 これらの技術は複数の製鉄所の実ライン(溶融亜鉛めっきライン)において使用されており,熱処理温度の管理精度が向上したことで,歩留りが大幅に改善されたことを報告している.

 第4章「反射情報を利用した放射率補正型温度測定技術の開発」では,多波長温度計の適用が困難な測定対象に対し,能動的な手法として,補助的な光源を用いて反射率を測定し,反射率から放射率を推定する方法を用いた放射率補正型温度計の開発について述べている.通常の冷延鋼板の表面粗さにおいては,入射方向から35度までの角度範囲の反射光を測定することで半球反射率が測定できることを示し,このことを光学系の設計に活用している.

 なお,この方法は測定条件の変化の影響を受けやすく,また光学系が大型になる等の問題があるが,反射光検出の光学系に独自の構造を考案して,工業用に適した小型の放射温度計を開発し,実験室とオンラインでの試験で測定精度を評価している.冷延鋼板の酸化プロセスにおける放射率変化に対して,放射率は±13%,温度では±10℃の精度で測定できることを確認している.本温度計を連続焼鈍ラインに適用し,管理温度はずれ製品の減少と鋼板表面に発生するきすの低減などの効果が得られている.

 第5章「走行中の鋼板の接触式温度測定技術の開発」では,高速で走行する高温の冷延鋼板や表面処理鋼板の接触式温度計の開発について記述している.これは,放射温度計の放射率決定や放射温度計のオンラインでの精度検証に欠かすことができない.熱電対を用いる方式と半球面鏡を用いる放射測温方式の2方式を開発しており,セラミックローラで対象と接触させることで250m/minの走行速度まで安定した測定ができるとしている.熱電対方式は短時間であれば900℃までの測定が応答時間8秒以下,精度±3.5℃で実現でき,半球面鏡方式は鋼板表面からの付着物の影響なしに測定ができる.これらに,高炉内で自動的に鋼板に接触させる昇降機構と冷却機構を加えることで,鋼板の上下変動±40mm,変動周波数2Hzにも追従できることを示している.

 この温度計は,上記の2つの放射温度計をオンラインに適用する際の精度検証や,連続熱処理炉内に設置する種々の放射温度計の放射率設定のために用いられて効果を挙げている.

 第6章「結言」では,放射率のオンライン補正技術の将来の展望と,放射温度計測に望まれる研究開発課題について述べている.

 以上要するに,本論文は,放射測温において従来問題とされてきた放射率の補正の問題について,放射率を波長の関数として表し,多波長での放射測定から推定する受動的手法,ならびに,反射率の測定に基づいて放射率を推定する能動的な手法を用いて,鉄鋼の製造プロセスにおいて有効な放射測温法を考案して実用化し,実際の現場において効果を挙げたもので,計測工学上の貢献が大きい.博士(工学)の学位論文として合格と判定した.

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