学位論文要旨



No 214663
著者(漢字) 雨宮,健太
著者(英字)
著者(カナ) アメミヤ,ケンタ
標題(和) 軟X線分光器の開発およびその表面化学、表面磁性研究への応用
標題(洋) Development of a high-resolution soft x-ray monochromator and its application to the study on surface chemistry and surface magnetism
報告番号 214663
報告番号 乙14663
学位授与日 2000.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14663号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 岩田,耕一
 物質構造科学研究所 教授 柳下,明
内容要旨 要旨を表示する

 XAFS(X線吸収微細構造)は、元素を特定してその局所構造を解析する手段として、広く応用されている。また最近磁性の研究に用いられるようになってきたXMCD(X線磁気円二色性)は、元素選択性があるうえにスピンと軌道磁気モーメントを分離して求められることから、特に薄膜磁性体などの研究に有効である。これらの手法を適用するには吸収端近傍で波長可変なX線(直線偏光および円偏光)が不可欠であり、表面化学、表面磁性の研究において最も重要なC,N,Oなどの軽元素および3d遷移金属やランタニド元素の吸収端はすべて100-1500eVに位置している。ところがこのエネルギー領域において大強度高分解能の単色光の供給が可能で、かつ広い波長範囲を安定な光強度で掃引できる分光器は世界的にもほとんどなかった。そこで本研究ではまず、大強度高分解能の軟X線分光器の設計製作を行った。さらにこれを改良して表面におけるXAFS, XMCD測定法を確立し、表面吸着構造および表面磁性の研究に応用した。

【軟X線分光器の開発】

 図1に本研究で設計製作した軟X線ビームライン(高エネルギー加速器研究機構・放射光研究施設BL-11A)のレイアウトを示す。不等刻線間隔の回折格子(VLSG)を用いた最新の方式を採用することにより、高分解能を保ちながら長い波長範囲を安定に掃引することが可能になる。分光器の設計においては、次のような新たな手法を開発した。第一は回折格子の刻線パラメータ(間隔をどのように変えていくかを示すもの)の、より厳密な最適化である。従来は球面鏡(M1またはM2)によって光は完全に集光されると仮定していたが、本研究では球面鏡の収差の効果を厳密に取り入れた解析を行い、設計上従来の1.5倍以上の分解能を得ることに成功した。第二は非球面波ホログラフィック露光法の導入である。従来、不等刻線間隔の回折格子は刃を押し付けて溝を切る方法(機械切り)で製作されてきたが、表面が荒れるために散乱光が多いことが知られている。そこで本研究では、2つの点光源からのレーザー光によって生じる干渉縞を溝として記録する、ホログラフィック露光法を導入した。その際、点光源と基板の間に球面鏡を挿入する手法(非球面波露光法)を開発し、機械切りと同等の分解能で散乱光の少ない回折格子の製作を可能にした。第三は誤差に関する検討で、ホログラフィック露光時の光学系設置の誤差、および分光器内の球面鏡の曲率誤差などが分解能に与える影響を見積もり、その補正法を考案した。これは実際の製作や調整の際に極めて重要である。

 こうして設計製作を行った結果、400eVにおいてλ/Δλ=5000程度の分解能を実際に得ることができた。全体の分光特性を図2に示すが、広いエネルギー範囲で強く安定な光を取り出せることがわかる。さらに、ホログラフィック回折格子は、機械切りに比べて高い強度が得られ、しかも散乱光が格段に少ないことがわかった。一方問題点として高次回折光が10%程度混入しており、表面吸着系の測定が極めて困難なため、高次光除去ミラーMwを製作した。これは分光器の波長スキャンに同期させて2枚の平行ミラーを回転させ、カットオフのエネルギーを最適に保つ機構とした。これにより高次回折光を検出下限以下にまで抑えることが出来た。

【XAFSによるCu(111),Ni(111)表面に吸着したメトキシ種の局所構造解析】

 Cu表面上のメタノール吸着はメタノール合成や酸化反応などの観点から、精力的に研究されてきた。Cu(111)表面では200K程度でメトキシ(CH3O)種の存在が知られているが、吸着構造はまだ確定しておらず例えばO-C軸の配向は議論が分かれている。そこで本研究ではCu(111)および比較のためNi(111)表面上のメトキシ種のO-K吸収端NEXAFS(吸収端近傍X線吸収微細構造), EXAFS(広域X線吸収微細構造)を測定解析し、その表面構造決定を行った。

 試料調製は過去の一連の研究を参考にした。Cu(111)の場合は超高真空中で清浄化した表面に予め酸素を吸着させた後に200Kでメタノールを導入し、250Kまで昇温した。Ni(111)の場合は単純に清浄表面に200Kでメタノールを導入した。O-K吸収端XAFS測定は部分電子収量法(阻止電場-420V)を用い、入射角θ=90°(直入射),55°,30°で測定した。

 図3にCH3O/Cu(111),CH3O/Ni(111),固体メタノール(multilayer)のNEXAFSを示す。ピークBは01s→σ*(C-O)に帰属でき、Ni,Cu上ともに直入射で消失しているのでO-C軸は表面垂直と予測される。ピーク強度解析から傾きは0±20°と求められた。またピークのエネルギー位置からO-C原子間距離が概算でき、Ni上では固体メタノールの1.43Åと変わらず、Cuでは1.46Åとやや伸張していることがわかった。一方ピークAは高分解能の恩恵で初めて観測できたもので、O1s→2e遷移に帰属できる。2e軌道はCH3O-のHOMOにあたり、メトキシ種が完全にアニオンになっていれば占有されるべき軌道であるから、この遷移が観測されていることは2e軌道が基板金属との共有結合によって一部空準位となっていることを示している。Ni(111)上でこの遷移が強く観測されていることから、Niの方がCuよりメトキシ種と共有結合しやすく、Cu上の方がよりイオン結合的であると結論できる。

 図4にCH3O/Cu(111)系のO-K吸収端EXAFS関数のフーリエ変換を示す。1.7Å付近のピークはO-Cu配位に対応している。これを逆フーリエ変換してフィッティングした結果、メトキシ種の酸素はCuのthreefold hollow位置に吸着し、O-Cu距離は2.00Åであることがわかった。

【XMCDを用いたコバルト超薄膜上に吸着したO,COの磁性の検討】

 強磁性薄膜は磁気モーメントの増大や特異な磁気異方性など、バルクにはない特徴を持つことから注目されている。また最近磁性薄膜に原子や分子が吸着した場合に薄膜の磁性に大きな影響を及ぼすことが明らかにされてきた。さらに吸着種の磁化に関しても実験的、理論的な研究が徐々に行われ始めた。ごく最近の理論計算では、Co表面上にOやCOを吸着させた場合Oにしみ出した磁化はCoと強磁性的であるが、COがatop位置に吸着するとCOの磁化はCo全体と反強磁性的となることが報告されている。本研究ではCo薄膜上にO,COを吸着させてO-K吸収端XMCDを測定することにより実験的にO,COの磁化を検討することを試みた。

 実験は超高真空中で行い、清浄化したCu(100)にCoを室温で蒸着してfcc Co(100)薄膜を作製した。これに室温で酸素を導入することでc(2×2)O吸着系を、200KでCOを導入することでCO吸着系を得た。試料の磁化はコイルにパルス電流を流すことで行った。Co薄膜は面内に磁化されるため斜入射(30°)で測定し、検出は部分電子収量法(阻止電場O:-400,Co:-500V)を用いた。また、XMCD測定に必須な楕円偏光を得るには電子蓄積リングの軌道面から上か下にずれた方向の放射光を取り込む必要がある。これは図1に示したスリットSoを上下にずらせば実現できるが、十分な円偏光度が得られるまでずらすと、光が回折格子からはみ出すために単色光の強度が非常に不安定になる。そこでMo’を適切に動かすことによって光を回折格子の中心に導く方法を考案し、光の安定性を保ったままで円偏光度0.6程度を得ることができた。

 図5にO原子、CO分子を吸着させたCo薄膜のCo-LIII,II XMCDスペクトルを示す。これはサンプルの多数スピンと光子のスピンが平行な場合と反平行な場合の吸収強度の差をとったものである。右側にスペクトルから求めた、Co一原子あたりのスピン磁気モーメントms、と軌道磁気モーメントm1を示した。O,COの吸着によって磁気モーメントは減少している。

 図6にO-K吸収端NEXAFS・XMCDスペクトルを示す。c(2×2)O吸着系では532eV付近で負の二色性が観測された。532eV付近の共鳴はCo3d軌道と強く混成しているO2pz、軌道(zは表面法線方向)への遷移である。K吸収端XMCDの場合、基本的にMCDはp軌道磁気モーメントm1に比例し、負の二色性はO2pz、軌道磁気モーメントが全体の磁化と同じ向きであることを示している。一方CO分子吸着系ではNEXAFSにCO2π*,6σ*への遷移がそれぞれ535,550eVに現れ、その入射角依存性からCOの分子軸は表面垂直に近いことがわかる。XMCDはπ*共鳴に対して正に観測され、σ*共鳴に関しては観測されなかった。従ってCO2π*軌道由来のO2p軌道の軌道磁気モーメントは全体の磁化と反平行で、O吸着系とは全く逆となる。なお図には示していないが、Co薄膜を完全に酸化させた系ではCoOが反強磁性であることを反映して、Co-L,O-KともにXMCDは観測されていない。

 K吸収端XMCDは軌道磁気モーメントを見ているのに対し、はじめに述べた理論計算はスピン磁気モーメントを求めているという違いはあるが、共にOはCoと平行でCOは反平行という、良く対応する結果が得られた。

【まとめ】

 軟X線分光器の開発により表面XAFS,XMCDの測定が可能になり、世界でも数例しかない軽元素の分子吸着系でのEXAFS測定および、初めての吸着系K吸収端XMCD測定を行うことが出来た。今後、表面構造と磁性との関係など多くの重要な研究への発展が可能となった。

図1 BL-11Aのレイアウト(模式図)。光学素子間の距離はm単位。

図2 M2使用時のBL-11Aの分光特性

図3 メトキシ種および固体メタノールのO-K吸収端NEXAFS

図4 Cu(111)表面に吸着したメトキシ種のO-K吸収端EXAFSのフーリエ変換

図5 O,COの吸着にともなうCo薄膜のCo-L吸収端XMCD変化

図6 Co薄膜に吸着したO,COのO-K吸収端NEXAFS,XMCD

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなる。第1章は序論であり、表面化学、表面磁性研究の重要性と、それらの研究をするために重要な軽元素のK端、3d遷移金属のL端のエネルギー領域をカバーする、明るく、かつ、高分解能の軟X線分光器の開発が不可欠であることが述べられている。

 第2章にはX線吸収分光法の原理、特に、EXAFS、NEXAFSからどのような情報が得られるかについて述べられている。

 第3章には開発した軟X線分光ビームラインの詳細が述べられている。分光器としては単純な波長掃引機構でありながら高分解能が達成できる不等刻線間隔回折格子型を採用している。そして、特殊な回折格子製作のための、非球面波ホログラフィック露光法を導入し、これによって高分解能を保ちつつ、高い反射率と少ない散乱光が実現できたことが述べられている。また、光の純度を向上させるために、高次光除去用の2枚組ミラーを設計製作し、波長掃引と同期してミラーを回転させることにより十分満足な高次光カットができたことが述べられている。

 第4章にはこの軟X線分光ビームラインを用いた表面化学への応用が述べられている。試料としては、Cu(111),Ni(111)基板上のメトキシ基の吸着系を選んでいる。この系はメタノール合成、酸化の中間体として興味を持たれており、これまでも光電子回折や高分解能電子エネルギー損失分光、そして、O-K NEXAFSの報告がある。しかし、必ずしも同じ結果が得られていなかった。本論文では、従来の実験よりも高分解能のNEXAFS測定ができ、以前には報告されていなかった吸収前の1s->2eのピークを初めて観測した。このピーク強度はNi(111)の方が強く、Cu(111)よりも共有結合性が高いことを示している。また、偏光依存性からO-C配向角を決め、これがほとんど表面垂直であることを明らかにした。これは従来のNEXAFSの結果を覆すもので、光電子回折の結果と一致している。さらに、Cu(111)吸着系についてO-K SEXAFSの実験を行い、酸素原子がfourfoldhollowサイトに吸着していることを明らかにした。以上の結果は光電子回折と良く一致しており、これまでのNEXAFSとの不一致の原因が低い分解能のために生じたと考えられる。

 第5章はX線磁気円二色性(XMCD)を用いた表面磁性の研究への応用である。この章では、まず、XMCDの原理と測定法の開発について述べられている。光源としては偏向磁石から軌道面の上に0.4mrad、または、下に0.3mradずれた楕円偏光を用いている。円偏光度は約40-50%であるが、十分満足なXMCDスペクトル測定ができることを示した。対象とした研究テーマは、コバルト超薄膜の上にCOやOが吸着することによって、Coの磁性がどのように変わるか、また、吸着した原子、分子に磁性がどのように誘起されるかという問題である。非磁性のCu(100)単結晶上にCoを4原子層蒸着し、これにCOまたはOを吸着してCo-L,および、O-K XMCDを測定している。そして、COの場合、Coと反強磁性的に結合するが、Oでは逆に強磁性的な結合をするというく興味ある結果が得られた。そして、これらの誘起磁性の原因を最近の理論計算を参考にし、また、簡単な化学結合論に基づいて解釈している。このような軽元素の分子吸着系でのK吸収端XMCDを測定できたのは初めてのことである。

 第6章は結論と要約である。

 以上のように本論文は、研究の強力な武器となる高性能の分光器を作成したこと、表面化学で懸案であったメトキシ基の吸着構造を明らかにしたこと、そして、表面磁性で初めて吸着分子の磁性について測定できたことが述べられており、表面科学、磁気化学研究への寄与が大きく、博士(理学)に値する。

 なお、本論文は太田俊明、横山利彦、伊藤健二、北島義典、与名本欣樹、寺田秀、塚林弘樹らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、および、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42806