学位論文要旨



No 214664
著者(漢字) 木口,学
著者(英字)
著者(カナ) キグチ,マナブ
標題(和) 表面、界面における化学結合のXAFSによる研究
標題(洋) Chemical bonding at surface and interface studied by x-ray absorption fine structure
報告番号 214664
報告番号 乙14664
学位授与日 2000.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14664号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 斉木,幸一朗
 東京大学 助教授 佐々木,岳彦
 東京大学 助教授 吉信,淳
内容要旨 要旨を表示する

 表面、界面はバルクとは異なる物性を示す興味深い場である。しかし、表面、界面における原子間の化学結合がバルクの結合様式とどのように異なるのか、未だ明らかにされているとはいえない。EXAFSは、物質の局所的な構造解析手法として有効であるが、特に、光源として直線偏光をした放射光を用いることによって、表面・界面の化学結合の情報を選択的に取り出すことができる。そこで、放射光を光源にしたEXAFSの偏光依存性、温度依存性の測定、及び、モンテカルロ計算によるシミュレーションから表面、界面の局所的な化学結合の状態を詳細に調べた。対象とした系は、(1)絶縁体イオン結晶であるアルカリハライドのヘテロエピタキシャル膜、及び、(2)金属微粒子との対比でも興味の持たれるグラファイト上の金属薄膜である。

(1)界面における化学結合(アルカリハライドヘテロエピタキシャル薄膜)

 これまでアルカリハライド薄膜は絶縁体であるため、金属、半導体薄膜のような詳細な構造解析が行われてこなかった。しかし大きな格子不整合性を許すアルカリハライドヘテロ界面において、薄膜の原子間距離が基板の影響を受けてどのように変化しているのかを明らかにすることは興味深い。また、この研究が金属、半導体薄膜の成長様式を理解し、設計するに当たって何らかの知見を与えることも期待される。そこで本研究では蛍光XAFSという電子を用いない手法によりこのように興味深い界面の様子を明らかにする事を目的とした。

 試料は大気中で劈開したKBr(100),NaBr(100)面を真空中で加熱清浄化した後、KCl,NaClを真空蒸着し作製した。Cl-K吸収端XAFS測定は物質構造科学研究所、放射光研究施設、軟X線ビームラインBL-llBにおいて蛍光X線収量法を用いて行った。本実験ではX線の入射角は表面に対し垂直とし、表面平行方向の結合を選択的に観測した。

 まずKCl/NaBr(100)系においてCl-K 端 XANESを測定した。そのスペクトル形状からClの面内方向にNaが存在しないことが明らかになり、界面における混晶形成の可能性を否定することが出来た。Fig. 1にK-Cl薄膜のCl-K端EXAFSスペクトルのフーリエ変換を示す。2.5Å付近のピークが面内最近接K-Cl間の散乱に起因するものである。格子定数が膜のKCl(α0=6.3Å)より大きいKBr(α0=6.6Å)基板ではピーク位置が膜厚の減少とともに長い方へシフトし、逆に格子定数の小さなNaBr(α0=6.0Å)基板では短い方へシフトしている事が分かる。ピークを詳しく解析することで原子間距離をもとめ、Fig. 2に面内原子間距離の膜厚依存性をまとめた。図中の直線はバルクの原子間距離を示す。過去のRHEEDの結果を再現し、膜厚の大きなところでは膜物質のバルクの値で、膜厚の減少とともに基板の値へ漸近した。一方、RHEEDの実験では、界面で整合した結合が形成しているのではないかと考えられてきた。しかしEXAFSの実験結果は、1 ML薄膜の系でも膜の原子間距離が基板の原子間距離と大きく異なり、むしろバルクの値に近いことを示している。

 この回折法とEXAFSの差を説明するために2つの可能性を検討した。第1の可能性は、RHEEDが表面敏感な手法ではあるが元素選択性を持たず、膜と基板の平均構造を与えるのに対し、元素選択性を持ったEXAFSは膜だけの情報を与えるからというものである。一方、回折線は基板、膜由来の2本の回折線でなく、常にシャープな1本線として現れる。このことは、基板も緩和している事を示唆している。これを検証するため、KCl/KBr(100)系についてモンテカルロ計算により基板第1層目の緩和の様子を調べた。計算ではKCl第1層目の面内の原子間距離は3.20Aとバルクの値3.15Åより伸び、実験結果を再現した。そして基板第1層目のK-Br原子間距離は3.30Åとバルクの値から全く変化しなかった。即ち、基板の緩和は起こっておらず、この可能性は否定される。第2の可能性は長距離秩序と短距離秩序の差に起因するものである。今回作製した薄膜のように多くの欠陥を含む系において、回折法の与える整列した部分と乱れた部分の平均値(長距離秩序)と、EXAFSの与える整列した部分の平均値(短距離秩序)とは異なる可能性がある。ところで固溶体RbBrxCl1-xにおいて組成比xを変化させ、X線回折より格子定数、EXAFSによりRb-Brの原子間距離を調べた結果によると、格子定数は組成比に従って単調に変化し、回折線は常にシャープな1本線であった。しかしRb-Brの原子間距離は組成比に従って変化するが、格子定数から予想される程は緩和しなかった。すなわち、長距離秩序と短距離秩序は必ずしも一致しないことになる。この固溶体と同様の現象が今回の薄膜で観測されたと考えている。

 以上のように、格子不整合性の大きな系でpseudomorphicな成長をしていても、界面において整合した結合が形成されていないことが明らかになった。

(2)表面における化学結合(金属薄膜)

 Cu,Niなどの金属は微粒子の状態で、原子間距離が減少し、熱振動、非調和性が増大する事が知られている。これは表面の化学結合がバルクより軟らかいことを示している。本研究では相互作用の少ない基板の上に金属薄膜を蒸着し、EXAFSの度変化から表面における原子間の熱振動を定量的に評価する事を目的とした。

 試料はHOPGを大気中で劈開、超高真空下加熱清浄化した後、低温にてNi,Cuを蒸着し、室温までアニールする事で作製した。このような処理によって(111)配向した層状薄膜が成長することが知られており、実際にLEEDで6回対称の鮮明なスポットを確認した。XAFS測定は硬X線ビームラインBL-7C,12Cにて蛍光X線収量法により行った。表面平行、垂直方向の結合を区別して観測するために、X線の入射角を表面に対し直入射、30度入射の2偏光で測定した。また120,300Kの2つの温度でEXAFSを測定することで、熱振動に関する情報を得た。

 Fig. 3は最近接Ni-Ni又はCu-Cu結合由来のEXAFS関数を抽出した図である。低温のスペクトルを解析することで配位数、原子間距離などを求め、その結果を表1に示した。配位数が薄膜、特に斜入射で小さいことが分かる。これは薄膜がきちんと成長していることを意味している。原子間距離はバルクから顕著な変化は見られなかった。さらにFig. 3から高温のスペクトルの振幅が小さく、また位相が遅れてることが分かる。

 この振幅の減少から熱振動に関する情報(変位の2乗平均ΔC2)を、位相の遅れから非調和性の大きさに関する情報(変位の3乗平均ΔC3)を求めた。その結果、薄膜においてΔC2、ΔC3いずれもバルクより大きく、特に斜入射における値が大きいことが分かった。これは表面、特に垂直方向において原子間の結合が軟らかく、非調和に富んでいることを示している。そこで表面における熱振動を定量的に評価する事を試みた。まずCuのスラブモデルについてモンテカルロ計算を行い熱振動の大きさの情報を求めた。ポテンシャルはembedded atom methodに基づく多体効果も取り入れたものを用いた。計算結果から表面第1層の面内、第1層-第2層の面間の振動がバルクと大きく異なっている事が分かった。そこでこの2つの結合を表面結合とし、他の結合をバルクと仮定して、銅における偏光依存性、膜厚依存性のデータからそれぞれの熱振動の値を求めた。さらにデバイモデルを仮定し、デバイ温度に換算した結果をFig. 4にまとめた。

 以上、金属薄膜を用いることで、表面特に表面第1層面間の結合において原子間の熱振動が促進されていることを明らかにした。さらに定量的に表面におけるデバイ温度を求めることが出来た。

Fig. 1. Fourier transforms of EXAFS of the KCI films on KBr(100)and NaBr(100).

Fig. 2. The K-Cl and Na-Cl bond lengths as a function of film thickness.

Fig. 3. Filtered EXAFS functions for the first nearest neighbor contributions of Ni and Cu films.

表1: Ni,Cu薄膜の解析結果

Fig. 4. Debye temperatures of the bulk Cu, Cu thin films and surface Cu atoms.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は8章からなる。第1章は序論であり、表面、界面とバルクとの違い、そして、本論文の主題である表面、界面の化学結合が金属、イオン結晶、半導体など、さまざまな系でバルクとどう異なるのかについて概観している。また、化学結合を直接研究する手段としてXAFSが有効である事を述べている。

第2章は手法としてのXAFSの理論、特に、熱振動の解析からどのような情報が引き出せるかについて、また、本実験の為に新たに作成したXAFS実験装置の概要を述べている.

第3章ではKBr(001)劈開面にKCI薄膜をヘテロエピタキシャル成長させた系で、薄膜の厚さを変えてCl-K EXAFS実験・解析した結果について述べている。その結果、面内K-Cl結合はKBr基板の影響によって伸びているが、むしろ、バルクKCIの結合距離に近く、従来考えられていたようなコヒーレントな界面結合ではないことを明らかにしている。

第4章では、さらに系を拡張して、KCI/NaBr,NaCl/NaBrのように結合距離の異なる基板の上の薄膜も含めて実験と解析を行った結果について述べている。やはり、界面第一層では基板の結合距離にひきずられるものの、蒸着物質のバルクに近い結合距離を取る事、これらの結果を裏付けるためにMonte Carloシミュレーション解析した結果についても述べている。

第5章では、HOPG上に蒸着したNi,Cu薄膜についてNi-K,Cu-K XAFS実験を行い、その膜厚依存性、偏光依存性から、金属薄膜の熱振動の振る舞いを調べている。その結果、これらの薄膜が面内方向は比較的強い結合をしているが、面垂直方向ではDebye-Waller温度因子が大きく、また、非調和性も大きくなることを明らかにした。

第6章では、c(2x2)S/Ni(100)とc(2x2)Cl/Ni(100)という同じ表面吸着構造をしたSとCIの系について偏光依存表面XAFSの実験結果について述べている.そして、S,Clと第1層Ni原子、第2層Ni原子との結合における熱振動の異方性を解析し、それぞれの結合に対する原子間ポテンシャルを実験から求めている。一方、同じ系に対して分子動力学に基づく理論計算を行い、時間発展のフーリエ解析から振動スペクトルを求め、電子損失スペクトルと比較して、良い一致を得ると同時に、EXAFSから得られたポテンシャルの非調和性を定量的に説明し、これら吸着原子の熱振動の詳細な振る舞いを明らかにした。

第7章では、Cl/Cu(100)系での表面構造熱振動の被覆率依存性をCl/Ni(100)系と比較して議論している。表面XAFSの解析の結果、Ni(100)表面上ではCIの表面濃度が増すとSl-Ni結合距離が伸び、非調和性も大きくなるのに対して、Cu(100)面上では、逆の傾向を示すことを実験的に示した。この奇妙な現象を解析するために密度汎関数法を用いたクラスターモデル計算を行い、実験結果を満足に説明できることがわかった。これは、NiとCuとではCIとの化学結合の様式が異なり、Niでは局在した3d電子の寄与が、Cuでは非局在化した4s,4pの寄与が大きいことに起因するという描像から説明できた。

そして、第8章は結論と要約である。

 以上のように本論文は、XAFS法を実験的手法として駆使し、Monte Calro法、分子動力学、密度汎関数法等による理論シミュレーションを併用して、アルカリハライド系、金属薄膜系、金属表面原子吸着系における表面・界面の化学結合の様子を詳細に調べた研究として、表面科学への寄与は大きく、博士(理学)に値する。

 なお、本論文は太田俊明、横山利彦、近藤 寛、黒田晴雄、岡本裕一、寺田 秀・坂野 充、都築健久、松村大樹、北島義典らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、および、理論シミュレーション、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42807