学位論文要旨



No 214665
著者(漢字) 鈴木,秀士
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,シュウシ
標題(和) 走査トンネル顕微鏡によるTiO2(110)単結晶表面の原子・分子及び動的化学過程のその場観察
標題(洋) In situ Observation of Surface Atoms/Molecules and their Dynamic Chemical Processes on a TiO2(110)Single Crystal Oxide Surface By Means of Scanning Tunneling Microscopy
報告番号 214665
報告番号 乙14665
学位授与日 2000.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14665号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 教授 西原,寛
内容要旨 要旨を表示する

 金属酸化物は広範な触媒作用を示すばかりでなく、電子デバイスにおける絶縁膜・誘電体膜、防汚・防臭・殺菌効果のある薄膜材料、顔料などとして利用される機能性物質である。著者は、金属酸化物表面における化学反応や触媒作用の本質を理解するために、典型的な遷移金属酸化物であるTiO2(110)単結晶表面(図1)を用い、その反応サイトの原子構造を特定しつつ、表面の原子・分子およびその化学過程を追跡することを目指して、走査トンネル顕微鏡(STM)によるその場観察を行ってきた。STMは、実空間でしかも原子スケールでの表面構造観察ができる手法である。しかしながら金属酸化物表面のSTM観察は、半導体や金属に比べ導電性の点から質の高いSTM像をとるには高度な技法と多大な時間が必要である。近年、観察例は増えつつはあるが、未だ表面の原子像をとる事に終始した研究がほとんどである。本研究は、このような現状でありながらも金属酸化物の表面の原子・分子及びその化学過程の動的STM観察に着手し、超高真空中でのその場STM連続観察に成功し、表面科学及び触媒化学におけるいくつかの成果を挙げる事ができた。とりわけ触媒化学における固体表面上の反応、特に従来からの表面酸−塩基性や酸化−還元特性を用いて議論されてきた金属酸化物上で進行する触媒反応は、不均一な欠陥構造由来の反応が複雑に絡んだ反応であるので、反応の現場を捉える事以外に真の意味で触媒反応を理解しえない。従って、本研究で行った原子レベルでの動的化学過程のその場観察法はこれからの触媒研究における主流をなすとも期待される。上記を含む第一章では、これまでの表面科学的手法及び粉体における酸−塩基評価法によるTiO2(110)表面の研究についてまとめた。また、これまでのSTMによる動的化学過程の観察例として、Cu(110)表面及びTiO2(110)表面におけるいくつかの研究について紹介した。第二章では、STMの原理的背景と実際に用いた装置、試料調製法について説明した。第三章以下は、本研究の実験によるものであり以下にそれを概説する。

1)TiO2(110)表面の酸点と塩基性プローブ分子の相互作用の画像化

 触媒性能として重要な固体表面の酸-塩基性質を原子レベルで理解するために、TiO2(110)表面にピリジン分子を吸着させSTM観察した(図2)。STMではピリジンはTi原子列上に粒子として観察され、連続観察よりテラス上のルイス酸点と考えられる5配位Ti4+の列上に吸着はするものの、室温ではほとんどの吸着種が表面での移動度が非常に高く、物理吸着的であることを示した。更に昇温脱離、XPS、分子動力学計算からも、N-Ti間に結合を持たず、ピリジン環を表面に平行にした吸着を支持する結果が得られた(第3章)。これは、配位不飽和でなおかつピリジン吸着に十分な空間を持つと考えられる5配位4+上でも酸-塩基的吸着をしないことを示しており、従来の単純な概念は成り立たないことを原子レベルの実空間観察により明らかにした。

 TiO2(110)表面のステップ端にはテラス内より配位不飽和度の高い4配位Ti4+が存在する。STMによりステップ端にはテラス内に比べて移動度のずっと低いピリジン分子が観察されたが、その吸着の強さはステップの面内方位により異なり、特定のステップにしか強く吸着しないという新たな現象を見いだした(図3)(第4章)。つまり、同じ4配位Ti4+を持ちながら、吸着の強さはその第二近接より遠い原子配列により強く影響されることを見出した。金属酸化物表面の反応性はしばしば溶液中の錯体化学の類推に基づき理解されてきたが、この「ステップ方位に依存した反応性」は錯体化学のアナロジーを超えた固体表面独自の化学活性を示唆する。更に、STMにより測定した分子の高さ、吸着サイト、表面での移動度を組み合わせて、分子の吸着配向と吸着状態を識別する方法を提案した(第5章)。これはピリジンで主に観察された環を表面平行にした物理吸着的な種(A)の他に、環を表面平行にして酸素欠陥サイト近傍に吸着した種(B1)、環を表面垂直にN-Ti結合で吸着した種(B2)を識別することに成功した(図4)。

 以上からこの表面上にはピリジンは主に物理吸着的な弱い吸着しか起こらない事がわかったが、実験的に5配位Ti4+近傍の表面O原子列の分子吸着に対する立体障害因子を評価するため、ピリジンよりも分子サイズの小さいアンモニアの吸着実験を行った(第6章)。この時も表面にはごくわずかの吸着種しか観察されず、化学吸着という観点では表面O原子列は5配位Ti4+への吸着に対する立体障害とならないと結論した(図5)。これは、5配位Ti4+の化学吸着不活性は、近傍の表面O原子列による立体障害というより、5配位Ti4+そのものの電子状態が関与している事を示唆している。さらに、観察された吸着種の検討を行い、テラス上の吸着種は化学吸着種、ステップ端ではアンモニアの解離吸着種であるNHx(X=1,2)が観察されていたと解釈した。なお、ステップにおける吸着の方位角依存性もピリジンと同様に観察され、この現象もO原子の立体障害というより、4配位Ti4+から第二近接位置の原子を含んだ局所的な電子状態の関与が示唆された。

2)TiO2(110)表面上ピリジンガス共存下で起こる熱凝縮反応のその場観察

 原子レベルのSTMの検出感度は、これまで予期しなかった表面反応の発見に対しても威力を発揮した。上記のようにこの表面上にはピリジンは主に物理吸着的な弱い吸着しか起こらない。しかし、表面温度350〜380Kでピリジン気体を共存(1x10-6Pa)させると熱凝縮反応が起こる事がSTMその場観察によりわかった(図6) (第7章)。この反応は300Kで吸着させた分子を真空下で350Kに昇温した場合や400Kでピリジン雰囲気下に置いた場合は起こらない。気相にピリジンが存在しないと、また表面に十分な量の吸着分子が存在しないと反応は進行しない事がわかる。この研究は、少量の特別な反応経路がSTMその場観察を行うことにより、見つけ出せる可能性を示したものである。

 3)清浄化後のTiO2(110)表面上のブリッジO原子列位置に観察される輝点の同定

 これまで超高真空下でスパッタリング,900Kアニーリングによって清浄化したTiO2(110)表面上でプリッジO原子上に観察される輝点が酸素欠陥であるという報告がなされていた。ここでは、TiO2(110)表面に吸着させた水素原子の電子刺激脱離(ESD)とSTM観察の複合的手法によるキャラクタリゼーションから、その輝点がブリッジO原子に吸着した水素原子であることを同定した(第8章)。

 以上のように著者は、プローブ分子を用いたSTMその場観察によって、触媒表面に混在する吸着サイト・反応サイトの機能を識別し、その構造を原子レベルで明らかにするとともに、その分布をナノメータースケールで図示することが可能である事を示した。また著者は、その場観察STMを用いて触媒として重要でありながら、これまで表面科学的な研究が遅れていた金属酸化物表面上の化学過程を画像化する事に成功し、表面上で反応中の分子の一つ一つの挙動が追跡できる事を示した。さらに、触媒化学の重要な課題である未知の反応の探索というSTM研究の新たな可能性も提示した。

図1 TiO2(110)-(1x1)表面構造モデル。

図2 ピリジンに3L(1L=1.33x10-4Pa s)露出し、7時間後に観察した表面のSTM像。Vs:+2.5V,It:0.30nA,10x10nm2.

図3 (a)-(c)ピリジンに露出したTiO2(110)表面のステップ近傍でのSTM連続像。Vs:+2.5V,It:0.05nA,15x15nm2.(d)(a)での単原子ステップの方位とそれに沿ったピリジン分子吸着位置の模式図。

図4 TiO2(110)表面に吸着した4-メチルピリジンの構造モデル。

図5アンモニアに3L露出したTiO2(110)表面のSTM連続像。Vs:+2.0 V、It:0.05nA、27x27nm2。

図6ピリジン気相圧10-6Paに露出しながら基板温度350Kで連続観察したTiO2(110)表面のSTM像。Vs:+2.5V、It:0.05nA。20x20nm2。Xという吸着種が拡散し、Yという分子に凝集する動的過程。

審査要旨 要旨を表示する

 金属酸化物は広範な触媒作用を示すばかりでなく、センサー、電子材料、磁性材料、光学材料、環境材料、顔料などとして利用される機能性物質である。本論文では、金属酸化物表面における化学反応や触媒作用の本質を理解するために、典型的な金属酸化物であるTiO2の(110)単結晶表面を用い、その反応サイトの原子レベル構造を特定しつつ、表面の原子・分子およびその化学過程を追跡することを目指して、走査トンネル顕微鏡(STM)によるその場観察を行った結果をまとめたものである。本論文は9章からなる。

 第1章では、これまでの表面科学的手法によるTiO2(110)表面の研究例およびSTMによる動的化学過程の観察例を紹介し、本研究の背景と位置づけを述べている。

 第2章では、STMの原理と実際に用いた装置、試料調製法を述べている。

第3章−第8章では、大きく分けて、(1)表面と塩基性プローブ分子との相互作用および動的挙動、(2)ピリジン分子のガス共存化で進行する新規凝縮反応、および(3)表面に結合した水素原子像の観察・同定、の詳細が述べられている。

 第9章では、結論と展望が述べられている。

 以下に第3章−第8章を要約する。

(1)表面と塩基性プローブ分子との相互作用および動的挙動

 STMを用いて、プローブ分子として用いたピリジンがTiO2(110)表面の特定方位を持つステップにのみ選択的に吸着し、それは第2近接より遠い原子配列により強く影響されることを見いだした。酸化物表面では従来の酸_塩基性概念が成り立たないことを示したものとして注目される。さらに、分子の高さ、吸着サイト、表面移動度とから分子の吸着配向を決定できることを提案した。これにより、ピリジン環を表面平行にした吸着、環を平行にして酸素欠陥サイトへの吸着、および環を垂直にTi-N結合を形成した吸着の3種類が存在することを示した。また、ピリジン分子よりサイズの小さなアンモニア分子を用いて表面立体障害の寄与についての実験も行っている。その結果、表面に突出したブリッジ酸素列は吸着の立体障害ではなく、吸着にはむしろTi4+配位構造自体の電子状態が直接関与していることを示した。

(2)ピリジン分子のガス共存化で進行する新規凝縮反応のその場観察

 TiO2(110)表面のテラス上ではピリジン分子は弱い物理吸着が主であり、化学活性化は生じないと予想される。しかし、気相ピリジン存在下、350-400Kでは新規なピリジン凝縮反応が進行することを見いだした。ピリジンが吸着した表面を真空下で加熱しても凝縮反応は全く起こらず、また、気相ピリジン存在下でも物理吸着分子が脱離してしまう400K以上では反応が見られない。つまり、新規凝縮反応の前駆状態はピリジン物理吸着であることを示した。

(3)表面に結合した水素原子像の観察・同定

 清浄TiO2(110)表面でしばしばSTM観察される輝点はこれまで酸素欠陥であるとされていた。本論文では、種々の条件で電子刺激したTiO2(110)表面をSTMにより観察することにより、その輝点が水素原子によるものであることを示した。それら水素原子には、ブリッジ酸素原子に結合した水酸基型のものと酸素欠陥に存在するTi3+に結合したヒドリド型のものとの2種類が存在することを明らかにした。

 以上、本論文はプローブ分子を用いたSTMその場観察によって、TiO2(110)酸化物表面に混在する吸着サイト・反応サイトを識別し、その構造を原子レベルで明らかにした。また、ほとんど研究例が無い金属酸化物表面上の化学過程を画像化し動的挙動を追跡した。本論文はこれらの研究により新しい表面現象を捉えその解析に成功したもので、物理化学、特に触媒科学に貢献するところ大である。また、本論文の研究は、本著者が主体となって考え実験を行い解析したもので、本著者の寄与は極めて大きいと判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42808