学位論文要旨



No 214667
著者(漢字) 加藤,弘二
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,コウジ
標題(和) 公共牧場のレクリエーション便益の経済評価 : CVMとTCMによる計測
標題(洋)
報告番号 214667
報告番号 乙14667
学位授与日 2000.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14667号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 教授 原,洋之介
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 中嶋,康博
 東京大学 教授 齋藤,勝宏
内容要旨 要旨を表示する

 国内農業の生産基盤が脆弱になっている状況の中で,農業の多面的機能は広く認識されるようになってきている。それに伴い,農業の多面的機能を経済的に評価する研究が盛んに行われてきているが,畜産の多面的機能の評価については,現在のところ定量的な分析は限られている。本論文の目的は,畜産の多面的機能に対する経済評価の一環として,公共牧場のレクリエーション便益を評価することである。計測の対象は,観光化が進んでいる一つの公共牧場(栃木県大笹牧場)である。

 本論文の課題は以下の三点である。

 一つめは,トラベルコスト法(TCM)とコンティンジェント評価法(CVM)の二つの手法を用いて,同一の財を評価することである。二つの手法の計測結果を比較することで,計測の妥当性を相互に確認することが期待される。

 二つめは,TCMにおけるマーシャル近似の精度を評価することである。TCMで得られる評価額は,マーシャルの余剰測度であり,等価的余剰ESまたは補償的余剰CSの近似値として利用されている。しかし,近似精度を評価する一般的な方法はなく,重要な課題となっている。

 三つめは,二段階二項選択法のCVMの分析において,Cameron and Quiggin(1994)によって提示された2変量モデルを適用することである。このモデルを用いることにより,回答者が2回目の質問に対してどのように回答するかを統計的に明らかにすることができる。

 以下に,各章の内容を要約する。

 第1章では,畜産の多面的機能をそれぞれの機能が生む価値の特性によって整理し,本論文で計測の対象となる公共牧場のレクリエーション便益が,畜産の多面的機能の中でどのように位置付けられるかを明らかにした。

 第2章では,外部経済効果の評価手法を整理し,各手法の特長・問題点を比較した。CVM,TCM,ヘドニック法は,どれも農業の多面的機能を評価する際に有効な手法であるが,それぞれに特長・問題点をもっている。TCMとCVM,あるいはヘドニック法とCVMという二つの手法で同一の財を評価することは,互いの計測の妥当性を確認する上で有効である。また,TCMとCVMの計測結果を比較する際には,TCM(マーシャルの測度S)とCVM(等価的余剰ESまたは補償的余剰CS)で得られる測度が厳密には異なるということに注意が必要である。しかし,ESまたはCSに対するマーシャル近似の精度を評価する方法は確立されていないことが問題となっている。

 第3章では,マーシャルの測度SをESやCSに対する近似値として利用した場合の近似精度を評価する方法を導出した。マーシャル近似による相対誤差の上限,下限は,

 ・マーシャルの余剰測度M1(需要曲線の下側の面積)の大きさ

 ・環境財への潜在的な支出額と実際の支出額との差

 ・環境財への限界付け値bの市場財への支出nに対する伸縮性

 ・環境財価格rの所得mに対する伸縮性

 ・Sに対するM1の比率

によって計算できる。続いて,この方法に基づいてTCMにおけるマーシャル近似の妥当性を考察した。TCMで一般的に想定される数量制約の変化(最適消費量→0)が起こる場合,マーシャルの測度M1の所得に対する割合が小さければ高い精度のマーシャル近似が可能であることが,数値例より明らかとなった。

 第4章では,ゾーンTCMによって大笹牧場の来訪者が享受するレクリエーション便益を計測した。ここでは,多目的旅行者を除外するために,日帰り客のみを対象としている。また,時間の機会費用は時間あたり平均賃金の1βと評価している。不均一分散と符号条件に留意して関数型を選択した結果,対数-線形モデルとBox-Coxモデルが選ばれた。

 計測の結果,対象となった来訪者が大笹牧場を訪れることで享受する余剰は1億9000万円程度,来訪者一人あたりにすると600円あまりと評価された。また,ブートストラップ法によって余剰測度の信頼区間を評価したところ,来訪者一人あたり余剰の95%信頼区間は,対数-線形モデルでは572円〜711円,Box-Coxモデルでは567〜650円となる。余剰測度の信頼区間の上限と下限との差は20%程度であり,精度の高い計測結果が得られていると考えられる。

 第5章では,CVMによって大笹牧場のレクリエーション便益を計測した。質問形式は二段階二項選択法,支払い形態は一人あたり入場料である。2回目の回答行動を統計的に分析するために,Cameron and Quiggin(1994)によって提示された2変量モデル(CQモデル)を用いて推定を行った。その結果,1変量モデルよりも,CQモデルの方が統計的に優れていることが確認できた。このことから,対面調査において二段階二項選択法で質問した場合,1回目の回答と2回目の回答が同一のWTPに基づくのではなく,2回目の回答の際には評価をし直して回答が行われることがわかる。また,1回目と2回目の回答における付け値関数の誤差項ε1とε2の間には,予測されたとおり正の相関が認められた。

 回答者が2回目の回答でWTPを評価し直すとすると,1回目の回答自体が2回目のWTPに影響を与えることも考えられる。この場合,推定されるWTPが1回目の提示額によって影響を受けるので注意が必要である。そこで,1回目の回答I1を2回目の回答の説明変数に含めて計測した。その結果,推定された係数は0と有意差がなかった。したがって,1回目の回答が2回目の付け値に影響を与えているとは言えない。

 推定された付け値関数を用いて,来訪者の平均WTPを計算した結果,一人あたりの平均WTPは511.4円となった。大笹牧場には,年間100万人の訪問客があるので,訪問客の総WTPは約5億円ということになる。

 第6章では,日帰り客の1回あたりのWTPについて,TCMとCVMの計測結果を比較した。CVMの計測では等価的余剰ESが得られている。そこで,第3章の結果を利用して,TCMにおけるマーシャル近似の等価的余剰ESに対する精度を評価したところ,誤差は無視できるものであった。

 日帰り客の1回あたりのWTP(等価的余剰)は448円となった。これは,TCMにおける計測結果と比較すると約30%小さい値である。その要因はCVMの調査で支払い形態に入場料を採用したことによるものと考えられる。CVMの計測に支払い形態による下方バイアスが予測されているなかで,TCMの計測結果との差が30%程度であるということは,計測の妥当性を示すものである。入場料という支払い形態を用いた場合でも,CVMの計測結果を真のWTPの下限として利用することは十分可能だと言える。

 第7章では,結論と残された課題を示した。本論文のコントリビューションは以下の三点である。

 一つめは,TCMにおけるマーシャル近似の精度を評価する方法を示した点である。TCMで分析されるレクリエーション地の需要の場合,マーシャルの余剰測度M1の大きさは所得と比較するとごくわずかの割合であることが多い。したがって,TCMの計測では一般的に高い精度のマーシャル近似が可能である。

 二つめは,CVMにおいてCQモデルを採用し,二段階二項選択法の質問に対する回答行動を統計的に明らかにした点である。対面調査の場合,回答者は1回目と2回目で別のWTPに基づいて回答していると想定した方がよいことが明らかとなった。しかし,1回目の提示額・回答によって2回目の回答にバイアスが生じる可能性は小さい。したがって,個人の1回目と2回目の回答が同一のWTPに基づかないとしても,二段階の回答を利用して平均WTPを推定することには統計的なメリットがある。

 三つめは,CVMとTCMによって同一の財を評価し,計測結果を比較している点である。日本においては,このような比較の事例は少なく,研究事例の蓄積という意義は大きい。比較結果は,既往の研究とほぼ一致し,計測の妥当性を裏付けるものであった。

 最後に,本論文で計測された評価額がどのように生かされるかを考察した。本論文の計測は一つの公共牧場を対象としたものであるが,計測結果を他の地点の評価に利用することができれば,計測の意義はさらに大きくなる。これを可能にする一つの方法は,類似する環境財の便益の計測において,環境の質,推定方法などによって計測結果(一人あたりの評価額)がどのように変化するかを計測することである(メタ分析)。日本の場合は、まだメタ分析を行えるほど環境評価の計測事例が多くはないので,今後さらなる研究の蓄積が必要である。

 以上が,本論文の要旨である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、公共牧場が有する非市場的価値の評価方法に関する研究で7章からなる。

 第一章では、畜産の持つ多面的機能をそれぞれの機能が生む価値の特性によって整理し、本論文で計測の対象となる公共牧場のレクリエーション便益が、畜産の多面的機能の中でどのように位置付けられるかを明らかにした。

 第二章では、外部経済の評価手法を整理し、各手法のメリットとデメリットを比較した。この検討を通じて、TCM(トラベルコスト法)とCVM(コンティンジェント評価法)の計測結果を比較する場合、前者がマーシャルの測度Sを計測するのに対し、後者が等価的余剰ESまたは補償的余剰CSで得られる測度を用いていることを明らかにし、ESまたはCSに対するSの精度を評価する方法の必要性を提起した。

 第三章では、第二章の検討を踏まえ、マーシャルの測度Sを等価的余剰ESまたは補償的余剰CSに対する近似値として利用した場合の近似精度を評価する方法を導出した。また、この方法に基づいてTCMにおけるマーシャル近似の妥当性を考察し、TCMで一般的に想定される数量制約の変化が起こる場合、マーシャルの測度の所得に対する割合が小さければ高い精度のマーシャル近似が可能であることを明らかにした。

 第四章では、ゾーンTCMによって大笹牧場の来訪者が享受するレクリエーション便益を対数−線形モデルとBox-Coxモデルを用いて計測し、来訪者が大笹牧場を訪れることで享受する余剰は1億9000万円程度、来訪者一人あたりにすると600円あまりと評価された。また、先行研究ではほとんど行われていないブートストラップ法による余剰測度の信頼区間も評価された。

 第五章では二段階二項選択法のCVMにより大笹牧場のレクリエーション便益を計測した。その際、Calneron and Quigginによって提示された2変量モデルを適用した。推定された付け値関数を用いた来訪者一人あたりの平均支払い意思額WTPは511.4円となり、大笹牧場訪問客(年間約100万人)の総WTPは約5億円となった。

 第六章では、日帰り客の1回あたりのWTPについてTCMとCVMの計測結果を比較した。第三章の考察結果を利用して同一概念に置き換えた比較を試みた結果、CVMがTCMよりも約30%小さい値となった。(1)CVMでは下方バイアスが予測されている、(2)二つの手法の比較を試みた数少ない先行研究でも30%程度の差が認められている、点を考慮すると、計測結果が著しく妥当性を欠いたものとは考えられないことが明らかとなった。

 第七章では結論と残された課題を示した。

 以上、本論文はトラベルコスト法を用いて公共牧場のレクリエーション便益を評価したものであるが、その際、先行研究で無視されてきたマーシャル近似の精度を評価した点、同一概念でコンティンジェント評価法(CVM)と比較した点、二段階二項選択法のCVMの分析においてわが国における先行研究では適用されたことのないCameron and Quigginによって提示された2変量モデルを用いた点・において独創性があり、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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