学位論文要旨



No 214678
著者(漢字) 矢津,一正
著者(英字)
著者(カナ) ヤヅ,カズマサ
標題(和) 高度不飽和脂質の水分散系における酸化反応の動力学的研究
標題(洋)
報告番号 214678
報告番号 乙14678
学位授与日 2000.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14678号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 石井,洋一
内容要旨 要旨を表示する

 高度不飽和脂質の自動酸化反応については,食品の酸敗のみならず,生体の酸化的傷害の観点から,最近ますますその関心が高まってきている.これまでになされた,化学,生化学からの基礎的アプローチ,医学からの臨床的アプローチ,さらにそれに対処するための薬学的アプローチによる多くの研究において,生体の酸化的傷害に対する高度不飽和脂質の自動酸化反応の関与が指摘されており,種々の生活習慣病,発ガン,さらには,老化などとの因果関係についても次第に明らかにされてきている.しかしながら,分子レベルおよび素反応レベルでの解明は未だ不十分であり,基礎的アプローチからの研究の発展が期待されている.本研究では,その一翼を担うことを目的として,水分散系におけるPUFAおよびリン脂質などの高度不飽和脂質の酸化反応の動力学的検討を行った.

 本論文では,これらの内容が5章にわたって記述されている.

 第1章緒論では,高度不飽和脂質,および,高度不飽和脂質の溶液中および水分散系中での自動酸化反応について解説し,さらに,本研究の目的と意義について言及している.

 第2章では,水分散系での高度不飽和脂肪酸(PUFA)の自動酸化反応について述べられている.水分散系でPUFAの酸化され易さは,溶液中と異なり,不飽和度に比例せず,むしろ低下するとの報告がなされ,その原因が関心を集めているが,この現象に関しての適切な説明はなされていない.そこで,本研究では,その現象の確認およびその原因の推定を行うために,まず,均一系溶液中およびミセル水溶液中においてメチルイコサペンタエノーエート(20:5n-3)とメチルリノーリエート(18:2n-6)の空気酸化を行った.酸素吸収速度と基質消費速度の比,および,20:5n-3と18:2n-6の1:1混合物の酸化の結果から,より極性の強い20:5n-3由来のペルオキシルラジカルのミセルの中心から界面への移動が示唆され,これに起因する連鎖成長反応の抑制,および,連鎖停止反応の促進が,ミセル水溶液中での20:5n-3の酸化反応性の低下をもたらすと推定した.次に,この仮説を実証するために,ミセル水溶液中での存在位置の異なる3種の抗酸化剤,ジ-tert-ブチル-4-メチルフェノール(BMP), 2,2,5,7,8-ペンタメチル-6-クロマノール(PMC),および,2-カルボキシ-2,5,7,8-テトラメチル-6-クロマノール(Trolox)の20:5n-3と18:2n-6の空気酸化におよぼす効果について検討した.水溶性および脂溶性ラジカル開始剤による18:2n-6の酸化反応においては,すべての抗酸化剤が有効に作用したが,20:5n-3の場合はミセル中心に存在するBMPが酸化を有効に阻害できないことがわかった.以上の結果は,20:5n-3由来のペルオキシルラジカルがミセル表面に位置しやすいという仮説を支持した.最後に,水分散系中での高不飽和度PUFAの低酸化反応性に関する仮説に対する更なる証拠を得るために,均一系溶液中およびミセル水溶液中において,不飽和度の異なる一連のPUFAとして,メチルドコサヘキサエノーエート(22:6n-3),20:5n-3,メチルアラキドーネート(20:4n-6),メチルα-リノーリネート(18:3n-3),メチルβ-リノーリネート(18:3n-6),および,18:2n-6の空気酸化を行った.PUFAの酸化による基質消費速度は,均一系溶液中では不飽和度の増加にともない増加したが,ミセル中では逆に減少した.酸素吸収量と基質消費量の比,18:2n-6と他のPUFAの1:1混合基質の酸化,および,PUFAの酸化に伴うBMPの減少速度の結果は,高不飽和度のPUFA由来のペルオキシルラジカルのミセルの中心から界面への移動を示唆し,本研究での仮説を支持した.さらに,ミセル水溶液中でのPUFAの空気酸化反応の動力学的解析結果から,相間移動停止機構という新しい概念を提案した.

 第3章では,溶液中におけるリン脂質の自動酸化反応について述べられている.有機溶媒中でのホスファチジルエタノールアミン(PE)およびホスファチジルコリン(PC)の自動酸化反応におけるリン脂質の会合の影響について考察した.PEとPCの酸化反応性は,窒素原子団の相異に影響されず,ビスアリル水素の数のみに依存することがわかった.

 第4章では,水分散系におけるリン脂質の自動酸化反応について述べられている.水分散系におけるPEとPCの自動酸化反応におよぼす窒素原子団の影響について検討するために,ミセル水溶液中において,水溶性アゾ開始剤,および,Cu(II)イオン誘起による自動酸化反応を行った.水溶性アゾ開始剤による酸化反応では,PEとPCの酸化速度は,溶液中と同様に,ビスアリル水素の数のみに依存し,窒素原子団の相異には影響されないことがわかった.一方,Cu(II)イオンによる酸化反応では,PCに比べてPEが速やかに酸化されることがわかり,この原因としてPE-Cu(II)イオン錯体の生成を推定した.さらに,リポソーム膜系での自動酸化反応におよぼすPLクラスの影響について検討するために,水分散系中,脂溶性アゾ開始剤によるPCとPEの二成分混合物の空気酸化反応を行った.リポソーム膜系においてもPCとPEの酸化速度は,窒素原子団の相異に関わらず,ビスアリル水素の数のみに依存することがわかった.PE/PCモル比の増加は,酸化反応性の減少をもたらしたが,この原因としてリポソーム膜のミクロ粘度の増加が推定された.

 第5章結論では,本研究において得られた高度不飽和脂質の酸化反応に関する結果を簡潔にまとめた.

 以上,本論文は,高度不飽和脂質であるPUFAおよびPLの酸化反応について化学からの基礎的アプローチの観点から検討し,特に水分散系中での酸化反応におけるこれら分子の特徴的な挙動を明らかにできた.本研究の結果は,生体内および食品中などにおける高度不飽和脂質の自動酸化反応機構の解明において基礎的なデータを提供するものであり,特異な健康機能を有する22:6n-3や20:5n-3などの高不飽和度PUFAを含む機能性食品の開発等への応用が期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 高度不飽和脂質は生体成分中最も酸化されやすく,そのフリーラジカルを反応中間体とする自動酸化反応は動脈硬化やガンなどの成人病さらには老化の進行と深く関わっていると考えられており,近年大きな関心が寄せられている.しかし,高度不飽和脂質の自動酸化はこれまで有機溶媒中での動力学的研究,生成物から推定した反応機構の研究がほとんどで,本来研究すべき高度不飽和脂質の水分散系における酸化反応の研究は少なく,優れたものも限られている.本論文はこの点を動力学から追求したもので,5章から構成されている.

 第1章は緒論であり,高度不飽和脂質および高度不飽和脂質の,溶液中および水分散系中での自動酸化反応について解説し,さらに,本研究の目的と意義について述べている.

 第2章では,高度不飽和脂肪酸であるドコサヘキサエン酸,エイコサペンタエン酸,アラキドン酸,α-リノレン酸,γ-リノレン酸およびリノール酸のメチルエステル(PUFA)の37℃における空気酸化を,'クロロベンゼン均一溶液中およびトリトンX-100ミセル水溶液中で行っている.PUFAの酸化による基質減少速度は,均一系溶液中では不飽和度の増加にともない増加したが,ミセル中では逆に減少するという非常に興味深い現象を確認している.酸素吸収量と基質減少量の比が不飽和度の増加にともない1から3.4まで増加したことから,ドコサヘキサエン酸メチルやエイコサペンタエン酸メチルなどのより高度の不飽和脂肪酸メチルエステル由来のペルオキシルラジカルは,リノール酸メチル由来のペルオキシルラジカルに比べより極性が強いと考えている.また,ミセル水溶液中でのリノール酸メチルと他のPUFAの1:1混合基質の酸化で,PUFAとリノール酸メチルの酸化速度の比は不飽和度の増加にともない増加するのにも関わらず,基質減少速度の和は逆に減少したことから,より高度の不飽和脂肪酸メチルエステル由来のペルオキシルラジカルは連鎖反応の進行にほとんど関与しないと考察している.さらに,ミセル中心に存在することのわかっているブチルヒドロキシトルエンのPUFAの酸化に伴う減少速度は,不飽和度の増加にともない減少することを見いだしている.以上のデータから,より高度不飽和脂肪酸メチルエステル由来のペルオキシルラジカルはミセル中心から界面へ移動し,これにより連鎖停止反応が促進され,また連鎖成長反応が抑制されるため高度不飽和脂肪酸の酸化速度が減少するという,水分散系に特徴的な反応機構を提出し,相関移動停止反応機構と名付けている.

 第3章では,有機溶媒中でのホスファチジルエタノールアミン(PE)およびホスファチジルコリン(PC)の自動酸化反応について検討しており,PEとPCの酸化反応性は,窒素原子団の相異に影響されず,ビスアリル水素の数のみに依存することを明らかにしている.

 第4章では,水分散系(ミセルお系よびリポソーム膜系)でのホスファチジルエタノールアミン(PE)およびホスファチジルコリン(PC)の自動酸化反応について検討しており,水溶性のラジカル開始剤を用いた場合には,有機溶媒中と同じくPEとPCの酸化反応性は,窒素原子団の相異に影響されず,ビスアリル水素の数のみに依存することを明らかにしている.一方,Cu(II)イオンによる酸化反応では,PCに比べてPEが速やかに酸化されることが明らかにしている.これは,PE-Cu(II)イオン錯体が生成し,これにより脂質ヒドロペルオキシドの分解が促進されることによると推定している.

 第5章は結論で,本研究において得られた高度不飽和脂質の酸化反応に関する新しい知見を簡潔にまとめている.

 以上,本論文は、高度不飽和脂肪酸とリン脂質の酸化反応について動力学的な検討を加え,特に水分散系中での酸化反応機構に関し,相関移動停止反応機構という全く新しい考え方を提出している.本論文の成果は,生体内および食品中などにおける高度不飽和脂質の自動酸化反応機構の解明に必要な基礎的なデータを提供するものであり,また健康食品として有用なドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸の保存技術への応用が期待されている.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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