学位論文要旨



No 214679
著者(漢字) 横井,誠一
著者(英字)
著者(カナ) ヨコイ,セイイチ
標題(和) 有機物と水の相互作用の評価方法とその工業的応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 214679
報告番号 乙14679
学位授与日 2000.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14679号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 講師 山下,俊
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨 要旨を表示する

 化学の世界では、今に至るまで複数以上の化学物質が出会うことによって起こる現象を中心に研究が行なわれてきた。その結果、様々な反応が見い出され、有機物質についてはかなりの程度まで自由自在に材料を設計、作成できるようになってきている。これによって、今まで世の中に存在しなかった様々な機能を持つ材料が発明され利用されるようになってきた。一方、これと並行して特殊な環境での化学反応や相変化、物性についても研究が深められ、新しい材料や物性が次々に見つかってきている。近年の材料工学は、既存の材料の物性に合わせた応用を考えるというよりも、それぞれの応用に対する限定された仕様を満たす材料を探索したり作り出すことに主眼が置かれているために、広い範囲の物性や特殊な環境下での性質など複合化された状況を知ることが重要になってきている。更に、例えば、微粉を微細化すると爆発性が生じたり融点が下がったりするように、表面の性質つまり環境との接点を積極的に利用しようとする機会も増加してきている。また、材料の動的性質を使用する機会も増えてきており、環境に影響されやすいこれらの性質を効果的に使用する意味でも、様々な環境における材料の性質を知り制御することは急務の課題である。

 これらの内、学術的な関心の高さ、応用の有用性から、水は極めて重要な環境と言える。しかしながら、水の材料としての特殊性から、そこでの反応や物性は極めて複雑であることが認知されつつある。

 本論文中で、筆者は分子レベルでの機能が発現しやすい有機物と水の相互作用について、それを評価する方法、制御する方法を模索しつつ、実際の工業的な応用の可能性について調べた。始めに分子−分子レベルでの相互作用、ついで、分子集合体(クラスター)と分子の相互作用、最後に集合体間の相互作用について、工業的な応用の可能性を視野に入れつつ検討を行った。

 まず、これらの例として水溶液中のラジカル反応について調べた。一般にラジカル反応は高温の気相中など・高エネルギーの環境で観察されるが、水溶液中では異なった反応を示すことが知られている。そのために期待される応用も多く、そのランダムでかつ強い反応性によってカルボン酸などの安定な有機物をも分解させることができるために水処理などの方法として有望である。最終生成物が二酸化炭素と水という処理しやすい化合物に変換される点も好ましい。我々は水溶液中のカルボン酸をヒドロキシラジカルにより攻撃し、その分解生成物を全て回収し分析を行った。定常状態を反応系に適用し、生成物分布との比較から反応経路について検討を行った。その結果カルボン酸が十分に分解され、それぞれ対応する酸化物を生成することが明らかとなったまた、酢酸を基質とした場合の反応の初期において、カルボキシル基の水素とアルキル基の水素に対する引き抜き反応の速度の比率を求めた。更に、オゾンの共存する系についても検討を加え、異なる反応系が存在することを突き止めた。これらの系についてはESR(Electro spin resonance spectrum)によるSpin Trappingを行い、中間生成物であるラジカルを直接同定し、これらの反応経路の推定の傍証とした

 ところで、温和な条件でのラジカル反応の最も重要な応用は生体内反応であろう。我々は抗酸化作用を示すビタミンEなどの物質が、温和な条件の下でラジカルをトラップし、連鎖による自動酸化を防止していることを上記のSpin Trappingの手法を用いて突き止めた。また、一部のSpin付加物が光に対して不安定であることを見い出し、これらの系における矛盾した議論に一つの結論を示した。この研究は細胞の老化メカニズムや酸化防止機構の解明に大きく寄与している。

 水の中の分子集合体の機能をより直接的に応用した例として、生体類似の集合体を用いた、気体の分離現象について調べた。生体内でヘムが酸素を選択的に吸脱着することは良く知られているが、この系を人工的に再構成しpH変化に対応する可逆的な酸素吸脱着系を構築した。これを光による可逆的なpH変化系と組み合わせることにより、光応答性の空気からの酸素の選択分離装置の設計ができる。ここでは、ポルフィリン環を人工的なリポソーム構造の中に組み込み、リポソームの自己組織性を利用した吸着場を作成した。光によるpH変化にはマラカイトグリーンおよびその誘導体を用い、分子構造や照射光によって光応答性を制御した。この結果、光の照射による可逆的な酸素の吸脱着系が構築しうることを明らかにした。装置イメージを図1に示す。

 上記のようなリポソームに比べて、よりデバイス構築に有用と考えられる、水中の有機集合体の形状としてLangmuir-Blodgett膜(LB膜)が考えられる。これらは、金属やセラミクスの表面に機能性の有機物を直接非破壊条件で複合化させることが可能であるために、様々な応用が期待されている。また、前記の生体膜との構造的な類似性も認められるために、生体類似デバイスの構築や生体内現象の解明にも役立つことが期待できる。我々は、NOxセンサーを作成し水と有機物の相互作用の性能に対する効果を調べた。また、LB膜の構造をより直接的に評価する目的でレプリカ法による透過電子顕微鏡(TEM)による観察やFT-lRなどの分光学的な手法の開発を行った。その結果、LB膜で作成したセンサーは予想通り応答が速いものの、LB膜の形態学的な構造がセンサーとしての機能に大きく影響している可能性があることを突き止めた。また、レプリカ法によるLB膜の評価がセンサーとしての機能と対応していることも見い出した。なお、レプリカ法では、炭素含有ガス(エタン/エチレンや昇華させたナフタレン)をプラズマ中で処理して非晶質の炭素膜を基材上に作成したものを用いた。分光学的な手法(赤外分光、ラマン分光)からは、膜を構成する各分子がLB膜中での動きがかなり制限されていることを突き止めた。

 これらと反対に、水がクラスターとして集合体の性質を有し、接触する有機物が分子として作用する系としてクラスレートハイドレートが存在する。メタンと水は本来、互いには混じり合わず別な相に存在するが、低温、高圧力など一定の条件のもとでは、これらは混じり合い、包接化合物を作ることが知られている。包接化合物の安定性はメタン分子の大きさと形状、及びこれを取り囲む水分子でできたケージの形と安定性で決まることが予測されている。そこで、我々はこの系に第三成分を加えることによって、このケージの構造と安定性を制御し、結果としてメタンハイドレートの安定性を制御することを試みた。系統的な添加剤のテストにより、メタンハイドレートの安定化には、添加する分子の大きさが一義的に効果をもたらすことを見い出した。また、分子の極性や形状も効果を示すことが示唆された。このことは、添加成分が、ケージの一部として消費され、メタンに対する場の構造を支配していることを示していると考えられる。図2に平衡変化についての一例について示した。

 以上のような極めて微視的な有機物と水の相互作用に加えて、工業的にはより巨視的なレベルでの相互作用が重要な役割を演じる場合が多い。例えば、有機材料表面の濡れ性は伝熱、腐食、機械的な物性など、材料として極めて重要な条件の主要因となる。これを評価し制御することは、その意味で極めて重要である。一方、LB膜の評価を行うのに用いた直流プラズマによる製膜方法は、有機物などの柔らかい材料の上にその材料を傷つけることなく膜を形成しうることに特徴のある技術である。我々はこの性質を活かしてエラストマーなどの柔らかい材料の表面をフッ素化することを試みた。フッ素化により、有機材料の水に対する濡れ性は大きく変化し、上記のような諸物性に有用な変化をもたらすことが期待できる。この検討の結果、ゴム表面のフッ素化の可能な条件を見い出すことに成功した。また、表面の赤外分光(FT-lR)やはっ水角測定の結果から、この際のフッ素化メカニズムおよび濡れ性の評価と表面の化学組成の関係についても仮説を得た。なお、より一般的なプラズマ処理方法であるr.f.(高周波)プラズマによるフッ素化においても、フッ化ナトリウムや第三の電極の導入によりエッチングを防止し、濡れ性を制御しうることを明らかにした。図3に代表的な水の接触角の変化を示す。

 以上のように、本論文では様々な水と有機物の接点における化学反応について言及している。反応基質としては比較的単純な構造のありふれた材料を使用したが、特殊な接触の方法を提供することによって、様々な未知の物性や応用が考えられることが明らかになった。また、これらの相互作用を始めに設定してから材料を設計するような方法論が工業的には次第に重要になってきていることが期待できる。

図1 光駆動酸素分離装置の概念図

図2 メタンハイドレートの生成平衡変化

図3 直流プラズマによるゴム材料表面のフッ素化(水の接触角の変化)

審査要旨 要旨を表示する

 有機材料は分子レベル、分子集合体レベル、そしてバルク材料レベルで機能を発現し、個々の物質についてはかなりの程度まで自由自在に材料を設計、作成できるようになってきている。一方、これと並行して特殊な環境での化学反応や相変化、物性についても研究が深められ、新しい材料や物性が次々に見つかってきている.近年の材料工学は、既存の材料の物性に合わせた応用を考えるというよりも、それぞれの応用に対する限定された仕様を満たす材料を探索したり作り出すことに主眼が置かれているために、広い範囲の物性や特殊な環境下での性質など複合化された状況を知ることが重要になってきている。更に、例えばし微粉を微細化すると爆発性が生じたり融点が下がったりするように、表面の性質つまり環境との接点を積極的に利用しようとする機会も増加してきている。また、材料の動的性質を使用する機会も増えてきており、環境に影響されやすいこれらの性質を効果的に使用する意味でも、様々な環境における材料の性質を知り制御することは急務の課題である。

 これらの内、学術的な関心の高さ、応用の有用性から、水は極めて重要な環境と言える.しかしながら、水の材料としての特殊性から、そこでの反応や物性は同時に極めて複雑であることが認知されつつある。

 本論文中で、論文提出者は分子レベルでの機能が発現しやすい有機物と水の相互作用について、それを評価する方法、制御する方法を模索しつつ、実際の工業的な応用の可能性について調べた。(1)分子−分子レベルでの相互作用、ついで、(2)分子集合体(クラスター)と分子の相互作用、最後に(3)バルクレベルでの相互作用について、工業的な応用の可能性を視野に入れつつ検討を行った。

 (1)の例として水溶液中のラジカル反応について調べている。ヒドロキシラジカル、ペルオキシラジカルを水中で有機物として安定なカルボン酸、アルコールに作用させ、自動酸化による連鎖反応により、水、二酸化炭素、メタンなどのハイドロカーボンにまで分解させ、クリーンで安全かつ省エネルギー型の水処理を行うことを試みた。ここでは、その分解生成物を全て回収し分析を行ない、中間生成物のラジカルに定常状態を仮定し、生成物分布との比較から反応経路について検討を行った。その結果連鎖的な反応が進行し、それぞれの基質に対応する酸化物を生成することが明らかとなった。また、酢酸を基質とした場合の反応の初期において、カルボキシル基の水素とアルキル基の水素に対する引き抜き反応の速度の比率を求めた.更に、炭素―炭素二重結合を含むカルボン酸に対してはヒドロキシラジカルの付加反応が同時に起こることも突き止めた。オゾンの共存する系についても検討を加え、オゾンがラジカル反応を促進する効果を示すことを見い出した。この結果、水中のpH、ラジカル発生系の選択、オゾンや酸素の共存によってカルボン酸の水中での分解を制御できることを明らかにした。

 また、これらの有機ラジカルの生成制御では、その中間生成物である水中での酸化反応を担うと考えられているヒドロキシ、アルコキシ、ペルオキシラジカルを、温和な条件の下でトラップし、e.s.r.によって同定することに成功した。また、これにより生体内反応におけるラジカルの寄与についても直接的な中間体の捕捉を行った.また、一部のSpin付加物が光に対して不安定であることを見い出し、これらの系における矛盾した議論に一つの結論を示した。この研究は細胞の老化メカニズムや酸化防止機構の解明に大きく寄与している。

 水の中の分子集合体の機能をより直接的に応用した(2)の例として、生体類似の集合体を用いた気体の分離現象について調べた。生体内でヘムが酸素を選択的に吸脱着することは良く知られているが、この系を人工的に再構成しpH変化に対応する可逆的な酸素吸脱着系を構築した。これを光による可逆的なpH変化系と組み合わせることにより、光応答性の空気からの酸素の選択分離装置の設計が可能になった。ここでは、ポルフィリン環を人工的なリポソーム構造の中に組み込み、リポソームの自己組織性を利用した吸着場を作成した。光によるpH変化にはマラカイトグリーンおよびその誘導体を用い、分子構造や照射光によって光応答性を制御した。この結果、光の照射による可逆的な酸素の吸脱着系が構築しうることを明らかにした。

 上記のようなリポソームに比べて、よりデバイス構築に有用と考えられる、水中の有機集合体の形状としてLangmuir-Blodgett膜(LB膜)が考えられる。また、前記の生体膜との構造的な類似性も認められるために、生体類似デバイスの構築や生体内現象の解明にも役立つことが期待できる。ここでは、NOxセンサーを作成し水と有機物の相互作用の性能に対する効果を調べている。また、LB膜の構造をより直接的に評価する目的でレプリカ法による透過電子顕微鏡(TEM)による観察やFT-IRなどの分光学的な手法の開発を行った.その結果、LB膜で作成したセンサーは予想通り応答が速いものの、LB膜の形態学的な構造がセンサーとしての機能に大きく影響している可能性があることを突き止めた。また、レプリカ法によるLB膜の評価がセンサーとしての機能と対応していることも見い出した。分光学的な手法(赤外分光、ラマン分光)からは、膜を構成する各分子がLB膜中での動きがかなり制限されていること、膜の構成分子の幾何学的な構造の差異力tB膜上での会合状態に影響することを突き止めた。

 これらと反対に、水がクラスターとして集合体の性質を有し、接触する有機物が分子として作用する系としてクラスレートハイドレートが存在する。論文ではこの系に第三成分を加えることによって、このケージの構造と安定性を制御し、結果としてメタンハイドレートの安定性を制御することに成功している。また、系統的な添加剤のテストにより、メタンハイドレートの安定化には、添加する分子の大きさが一義的に効果をもたらすことを見い出した。また、分子の極性や形状も効果を示すことを示唆した。更に、添加成分が、ケージの一部として消費され、メタンに対する場の構造を支配しているとするモデルを提出した.以上により、メタンと水の共存系の状態を制御することが可能になった。

 これに加え、(3)の構造体としての有機物と水の関係について、濡れ性の制御に成功している。エラストマーなどの柔らかい材料の表面をフッ素化することにより、有機材料の水に対する濡れ性が大きく向上し、低膨潤性、高はっ水性、耐水性などの効果が得られた.また、表面の赤外分光(FT-I R)やはっ水角測定の結果から、この際のフッ素化メカニズムおよび濡れ性の評価と表面の化学組成の関係についても仮説を得た。なお、より一般的なプラズマ処理方法であるr.f.(高周波)プラズマによるフッ素化においても、フッ化ナトリウムや第三の電極の導入によりエッチングを防止し、濡れ性を制御しうることを明らかにした。

 本研究により、分光学手法として、FT-lR, RAMAN散乱、EDX, スピントラッピングによるe.s.r.及びナノレプリカとTEM観察の方法が水−有機物の相互作用を追跡し機能を最適化するのに有用な方法であることを明らかになった。また、水と有機物の接触を制御する方法として、LB膜や二分子膜およびハイドレートのような集合体の構造を制御することにようて全体の機能や物性を制御することに成功した。更に、水と有機物が分子間で接している場合にもpH、酸素の共存などによって全体の反応系を制御することを明らかにした。

 つまり、論文提出者の研究により、(1)水中での有機ラジカルの同定と生成制御が可能になり、(2)有機化合物及び水の集合体の構造制御により、その相互作用を応用用途に即して最適化できるようになり、(3)有機材料表面の水との濡れ性を制御できるようになった。このように、本研究により、様々なレベルでの有機物と水との相互作用を制御、評価、応用する方法論が大幅に拡充され、また・多くの未知の効果が明らかになった。これらの成果は一般の有機材料の応用だけでなく、生体反応の応用にも活かしうる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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