学位論文要旨



No 214682
著者(漢字) 豊島,美菜子
著者(英字)
著者(カナ) トヨシマ,ミナコ
標題(和) ヒトヘパラナーゼ : 精製、クローニング、酵素学的性質、病態に関する研究
標題(洋)
報告番号 214682
報告番号 乙14682
学位授与日 2000.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14682号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

 がんの転移・再発は固形がんの患者が死に至る主な原因であり、その克服は癌治療において最も難しい問題である。癌転移には大きくわけて、臓器表面間接触や体腔内への遊離による播腫性転移、リンパ行性転移とそして血行性転移の3つのルートがある。遠隔転移においては、血行性転移が重要なルートと考えられ、そのプロセスには、原発巣での血管新生、原発巣からの離脱、周辺組織への浸潤、血管内への侵入、血管内での生存と循環、標的臓器内の血管壁への接着または塞栓による定着、血管壁の破壊、組織内への浸潤、そして再び増殖の過程がある。

 さて、ヘパラン硫酸プロテオグリカンは様々な組織の細胞表面と細胞外基質、とくに基底膜の重要な構成成分であり、細胞の増殖、分化、運動の制御に関与している。基底膜浸潤性の癌細胞や活性化された免疫担当細胞にはヘパラン硫酸特異的エンドグルクロニダーゼ(ヘパラナーゼ)の高い活性がみられ、転移性腫瘍をもつ実験動物や癌患者の血液中では高レベルのヘパラナーゼが検出される。さらに、ヘパラナーゼ阻害剤は悪性癌細胞の血行性転移を抑制する。ヘパラナーゼ(HPSE)の生理的機能と転移性癌の診断と治療における標的分子としての可能性を考慮し、本研究ではヒトヘパラナーゼを精製し、cDNAをクローニングして、その酵素学的性質を調べるとともに、癌細胞に強制発現させて癌病態との関わりを研究した。

 まず、ヒトヘパラナーゼをWI38/VAl3細胞から4種類のクロマトグラフィーの手法(ヘパリンセファロースカラム、ConAアガロースカラム、CM-セファロース陽イオンカラム、フェニル-セファロース疎水結合カラム)を用いて精製し、最終的には3.6%の回収率、740倍の精製率で、880mgの粗たんぱくから500ngのヘパラナーゼ活性を有する精製たんぱくが得られた。精製たんぱくの分子量は50kDaであった。この精製たんぱくのN末端配列と内部アミノ酸配列の解析、及びホモロジー検索を行った結果、新規のたんぱくである事が判明した。そこで、WI38/VAl3細胞のcDNAをライブラリーからヒトヘパラナーゼ遺伝子のクローニングを行ったところ、長さの異なる2つのクローン、3726-bp(HSPE 1a)及び1759-bp(HSPE 1b)が得られた。両方とも同じ543アミノ酸からなるたんぱくをコードしており、alternative splicingによるものと考えられる。翻訳始まりのMetから158番目のLysからc末端側が精製された活性ヘパラナーゼたんぱくである。HSPE 1aの5'端はGCリッチであり、いわゆるコザックの法則にはあてはまらない、house keeping geneのプロモターの性質を有していることが判明した。このHSPE 1aのcDNAを組み込んだpBK-CMVベクターをNIH3T3細胞にトランスフェクションして強制的に発現させ、酵素活性の有無を調べた。NIH3T3細胞とベクターのみ導入した細胞では酵素活性が検出されなかったのに対し、ヘパラナーゼを導入した細胞では高い活性が検出された。さらに、HSPE 1bのcDNAでも同様の結果を得た。Cos-7細胞等、他の哺乳動物細胞に導入しても、未導入細胞に比べて高いヘパラナーゼ活性を検出した。したがって、クローニングした2つのcDNAは確かにヘパラナーゼをコードする遺伝子であることが判明した。また、FISHの結果、ヘパラナーゼ遺伝子は染色体4q22に存在していることが判明した。このlocusにはパーキンソン病の原因遺伝子があるとされていて、今後は神経細胞とヘパラナーゼの関連についての研究も興味深いものになると考えられる。

 次に、ヘパラナーゼの生化学的性質と基質特異性に関する研究を行った。ヘパラン硫酸はN-グルコサミン(GlcN)とウロン酸(グルクロン酸GlcA/イズロン酸IdoA)がβ(1-4)結合する繰り返し2糖の基本構造を有している。基本の繰り返し構造は単純だが、生合成途上で硫酸化など様々な修飾を受け、ヘパラン硫酸は多様な分子量、分子構造となり、不均一性を有する。このような不均一な分子をヘパラナーゼはどのような性質をもって分解するのかを研究した。生化学的性質であるが、精製酵素の至適pHは4.2であった。ヘパラナーゼは、細胞外の炎症部位などの局所的な酸性条件下、若しくは細胞内でリソソームに運ばれたヘパラン硫酸が分解される際に働いていると考察される。次に、バキュロウィルスによる発現系を用いてリコンビナントたんぱくの発現、精製を行った。発現されたたんぱくはプロセスされずに543aaの大きさを持ち、分子量は65kDaで、等電点はpI 7.4-9であった。昆虫細胞内で生成されるヘパラナーゼ蛋白のN-結合糖鎖による修飾の度合いにより、蛋白の表面の電荷がペプチドとしてのみの電荷より実際は少し低くなって、等電点が幅広く検出されたものと推察する。このリコンビナントヒトヘパラナーゼを用いて基質特異性を検討した。基質として用いたのは、ヘパラン硫酸/ヘパリンをヘパリチナーゼ処理して得られた分解産物をゲルろ過及びアミン結合シリカカラムによって分離精製した4糖〜8糖からなるオリゴ糖で、構造はすべて1H NMR解析により決定されている。20種の異なる配列をもつオリゴ糖とリコンビナントヒトヘパラナーゼを至適pHで反応させ、アミン結合シリカカラムにより反応産物を分離し、分解の有無を分析した。結果、リコンビナントヒトヘパラナーゼが切るヘパラン硫酸/ヘパリン特異的な配列は、GlcN-GlcA-GlcN(NS,6S)でGlcAの還元末端側を切断し、6糖の長さがあることが望ましいことが判明した。

 最後にヘパラナーゼ導入癌細胞の細胞学的性質及び転移性について研究した。培養細胞および臨床材料からの数々の研究報告から、転移巣を形成する時のヘパラナーゼの働きは、基底膜のヘパラン硫酸分解により癌細胞の基底膜通過を容易にさせる事、ヘパラン硫酸に結合している増殖因子や血管新生因子を遊離させて転移巣での増殖および血管新生を促進させる事、等であると推察されている。さらに、抗血液凝固活性を持たない多数のヘパラナーゼ阻害剤(例:suramin、calcium spirulan、2,3-O desulfated heparin、ペントーサン硫酸等)が合成及び発見されて、それらがマウスメラノーマの肺への実験転移を強く抑制することが報告されている。本研究では、ヒトヘパラナーゼ遺伝子を癌細胞に導入することによって、ヘパラナーゼの癌転移への関与をより直接的に証明することを試みた。

 まず、正常組織及び癌組織でのヘパラナーゼの発現をPCR法にて検討したところ、非常に高い発現が胎盤でみられ、低い発現が前立腺、膵臓、腎臓でみられた。ヌードマウス皮下に移植した癌組織では、肺癌、前立腺癌、大腸癌、卵巣癌、膵臓癌でヘパラナーゼの発現が確認された。次にヒトヘパラナーゼ遺伝子の翻訳開始Metからstop codonまでを発現ベクターに組み込み、悪性ヒトメラノーマ細胞A375Mに強制発現させて、細胞レベルでの浸潤能等の変化、転移能の変化を調べた。まず、ヘパラナーゼ導入メラノーマ細胞は、コントロール及びベクターのみ導入した細胞に比べて有意に浸潤能が高まっていた。そこで、浸潤能の高まった理由として、接着能と基底膜分解能の変化が考えられたので、これらの違いを調べた。接着能であるが、基質としてコラーゲンI、コラーゲンII、フィブロネクチン、マトリゲルを用いたが、いずれの基質でも有意な差は認められなかった。一方、基底膜分解能をヒト臍体上皮膜細胞が生合成した基底膜を用いて調べたところ、48時間後には2倍以上の分解能の向上がみられた。癌細胞が高いヘパラナーゼ活性を有することによって、基底膜のコラーゲンと非コラーゲン蛋白の結合に介在してマトリックスを構成・保護しているヘパラン硫酸を分解し、タイプIVコラーゲンマトリックスを破壊して、血管外や周辺組織への浸潤を容易にすることが可能になると推察される。最後に実際にヘパラナーゼ活性を付加された癌細胞の転移能を調べるために、A375M細胞、ベクターのみ導入、そしてヘパラナーゼ導入メラノーマ細胞をヌードマウスの尾静脈から移植し、肺への実験的転移能をみた。5x105個の細胞を尾静脈より移植して42日後に剖検し、肺にある結節の数を実体顕微鏡下で数えた結果、ヘパラナーゼ導入細胞は約10倍に結節数が増えていた。

 以上、本研究においてヒトヘパラナーゼを精製し、ヒトヘパラナーゼ遺伝子をクローニングして、その酵素学的性質を調べ、さらに癌細胞に強制発現させることにより癌細胞の転移能が高まることを示した。今後は、異なった癌組織におけるヘパラナーゼの発現部位などを免疫組織染色などの方法を用いて研究していきたい。さらには、癌の悪性化に伴う、若しくは手術後の転移の有無をみる予後因子のマーカーとしての可能性を探っていきたいと考えている。本研究により、ヘパラナーゼが転移の診断や治療の標的分子として重要であることが改めて確認された。今後は、ヘパラナーゼ阻害活性が高く、分子量の小さな化合物をドラッグデザインして全合成することにより、経口投与でも抗転移活性を発揮する化合物や薬剤を開発することが可能になるとともに、パーキンソン病など、癌以外での治療領域におけるヘパラナーゼの機能についても解明されていくだろうと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 がんの転移・再発は固形がんの患者が死に至る主な原因であり、その克服は癌治療において最も難しい問題である。癌が転移するためには、播腫性、リンパ行性、血行性などの主要ルートがあるが、リンパ節以外の遠隔の臓器に転移する場合は血行性転移が重要であると考えられている。血行性転移において癌細胞は、原発巣における増殖、血管新生、周辺結合組織への浸潤、血管内への侵入、特定器官内での血管内皮細胞や血小板との接着、再び基底膜を貫通して血管外への脱出と浸潤、血管形成を含む微小環境の確立、そして増殖というプロセスを経ることが、癌転移の多方面からの研究より明らかにされてきた。

 ヘパラン硫酸プロテオグリカンは、様々な組織の細胞表面や細胞外基質、とくに基底膜の重要な構成成分であるが、このヘパラン硫酸プロテオグリカンを分解する酵素として、ヘパラナーゼが知られている。ヘパラナーゼは上記に示した癌転移のプロセスのうち主に、細胞の増殖、分化、運動の制御に関与しているとされていて、高転移性細胞や、転移巣のある患者の血液中で高い活性が検出されている。しかしながら、これまで、この酵素の遺伝子はクローニングされておらず、その性質や生理的機能が十分に解明されていなかったため、ヘパラナーゼを標的分子した治療薬の開発のハードルとなっていた。そこで、本研究では、細胞外マトリックスの構成成分であるヘパラン硫酸に着目して、この巨大分子を分解するヒトヘパラナーゼを精製し、cDNAをクローニングして、その酵素学的性質を調べた。さらに、癌細胞にヒトヘパラナーゼを強制発現させて癌病態との関わりを研究し、転移性癌の診断治療の標的分子としての可能性を考察した。

1. ヒトヘパラナーゼの精製、cDNAおよびゲノムクローニング

 ヒト繊維芽細胞WI38/VAl3よりヒトヘパラナーゼの精製、クローニングを行った。4種類のクロマトグラフィーの手法を用いて精製した結果、ヘパラナーゼは約50kDaの糖たんぱくであることが判明された。そのアミノ酸配列よりcDNAをクローニングしたところ、大きさ約3.7kbのHSPE 1aと約1.8kbのHSPE 1bの2つのsplice variantsが得られた。クローニングされたcDNAを導入した細胞はヘパラナーゼ活性を発現したことから、この遺伝子は確かにヘパラナーゼをコードしていることが明らかになった。さらに、ゲノムクローニングによりヘパラナーゼ遺伝子は14のexonからなり、染色体座は4q22であることが判明した。

2. ヒトヘパラナーゼ酵素とリコンビナント酵素の生化学的性質と基質特異性

 ヘパラン硫酸はN-グルコサミン(GlcN)とウロン酸(グルクロン酸GlcA/イズロン酸IdoA)がβ(1-4)結合する繰り返し2糖の基本構造を有している。基本の繰り返し構造は単純だが、生合成途上で硫酸化など様々な修飾を受け、ヘパラン硫酸は多様な分子量、分子構造となり、不均一性を有している。このような不均一な分子をヘパラナーゼはどのような性質をもって分解するのかを検討した。まず、生化学的性質のうち精製酵素の至適pHを調べたところ、4.2であることが判明した。ヘパラナーゼは、細胞外の炎症部位などの局所的な酸性条件下、若しくは細胞内でリソソームに運ばれたヘパラン硫酸が分解される際に働いていると考えられた。次に、バキュロウィルスによる発現系を用いてリコンビナントたんぱくの発現、精製を行った結果、発現されたたんぱくはプロセスされずに543aaの大きさを持ち、分子量は65kDaで、等電点はpI 7.4-9であった。このリコンビナントヒトヘパラナーゼを用いて基質特異性を検討したところ、リコンビナントヒトヘパラナーゼが切るヘパラン硫酸/ヘパリン特異的な配列は、GlcN-GlcA-GlcN(NS,6S)で、GlcAの還元末端側を切断し、6糖の長さがあることが望ましいことが明らかとなった。

3. ヒトヘパラナーゼ導入細胞の細胞学的性質及び転移性

 ヘパラナーゼのcDNAをヒトメラノーマ細胞A375Mに導入し、発現させて、細胞の性質がどのように変化するかを調べた。まず、ヘパラナーゼ導入メラノーマ細胞は、コントロール及びベクターのみ導入した細胞に比べて有意に浸潤能が高まっていた。そこで、浸潤能の高まった理由として、接着能と基底膜分解能の変化が考えられたので、これらの違いを調べた。接着能は、いずれの基質でも有意な差は認められなかったものの、基底膜分解能をヒト臍体上皮膜細胞が生合成した基底膜を用いて調べたところ、48時間後には2倍以上の分解能の向上がみられた。癌細胞が高いヘパラナーゼ活性を有することによって、基底膜のコラーゲンと非コラーゲン蛋白の結合に介在してマトリックスを構成・保護しているヘパラン硫酸を分解し、タイプIVコラーゲンマトリックスを破壊して、血管外や周辺組織への浸潤を容易にすることが可能になると推察している。最後に実際にヘパラナーゼ活性を付加された癌細胞の転移能を調べるために、A375M細胞、ベクターのみ導入細胞、そしてヘパラナーゼ導入メラノーマ細胞をヌードマウスの尾静脈から移植し、肺への実験的転移能をみた。5x105個の細胞を尾静脈より移植して42目後に剖検し、肺にある結節の数を実体顕微鏡下で数えた結果、ヘパラナーゼ導入細胞は約10倍に結節数が増えていた。つまり、ヘパラナーゼ遺伝子を導入することにより、癌細胞の転移性が有意に高まることが明らかになった。

 以上、本研究は、ヒトヘパラナーゼを精製し、ヒトヘパラナーゼ遺伝子をクローニングして、その酵素学的性質を調べ、さらに癌細胞に強制発現させることにより癌細胞の転移能が高まることを示したものであり、ヘパラナーゼが転移の診断や治療の標的分子として重要であることが改めて明らかにされた。この成果は薬学、特に生命薬学における興味ある知見を明らかにしたものであり、博士(薬学)の学位を受けるに充分値するものと判断した。

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