学位論文要旨



No 214684
著者(漢字) 鈴木,睦
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ムツミ
標題(和) アルキル化剤の骨髄毒性軽減を目的とした薬剤耐性遺伝子の応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 214684
報告番号 乙14684
学位授与日 2000.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14684号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

 癌化学療法は、種々の化学療法剤の開発、既存の癌化学療法剤の併用による効果増強、支持療法などの進展にともない治療成績を顕著に上昇させてきている。その反面、現在上市されている癌化学療法剤の多くは用量規制因子として、消化器毒性、骨髄毒性などの副作用を有しており、充分な癌化学療法剤の投与が困難である場合も想定される。充分な癌化学療法剤の投与がなされない場合には、残存した癌細胞の1%がregrowthすることにより、癌が再発することとなる。そこで、癌再発のリスクを回避するため100%の癌細胞を殺すことを目的として、強化化学療法(intensive chemotherapy)が実施されている。また、作用機序の異なる癌化学療法剤を併用投与することにより、多方面から癌を縮小させ、効果的に殺腫瘍効果を期待する治療も実施されている。併用癌化学療法については、個々の薬剤の有する副作用のリスクを分散させる点からも非常に有効な手段であるが、やはり癌化学療法剤に共通して認められる傾向のある骨髄毒性などにより、癌化学療法剤は、充分に投与されていないことが多い。

 癌化学療法剤に共通した副作用の一つは、造血器系に障害を与える骨髄抑制である。さらにアルキル化剤の二次発癌も造血器系をターゲットとしたリンフォーマなどが主流をなすことから、正常な骨髄細胞に癌化学療法剤の耐性遺伝子を個々に導入することは、主要な副作用を軽減し、癌化学療法をより強化することが可能となる。この戦略をもとに、癌化学療法剤耐性遺伝子を用いた癌の遺伝子治療方法が開発研究され、アドリアマイシン、ビンカアルカロイド、パクリタキセル等の種々の抗癌化学療法剤に耐性を付与するP糖蛋白質をコードするMDR1遺伝子や、ニトロソウレア系化学療法剤によるDNA損傷を修復するDNA修復蛋白質をコードするMGMT遺伝子を骨髄細胞に導入する臨床試験が実施されている。国内では癌研究会付属病院においてMDR1遺伝子に関しての臨床試験の試験計画書が認可され、臨床試験が開始される。

 現在の癌化学療法の主流を占めるレジメは、複数の癌化学療法剤を用いる併用癌化学療法であることから、異なる2種類の耐性遺伝子を同時に用いることが、今後の導入する困難さが大きく改善された。しかしながら、生体内にこれらの蛋白質が生理的な変動を超えて共発現した場合のリスクあるいは効果に関しては、未知の部分が多く、実際の検証が必要となる。

 本研究は、異なる蛋白質を共発現させるレトロウイルスベクター(bicistronic retrovirus vector)において、主にアルキル化剤に対する耐性因子をコードするMGMT遺伝子と、vincristine(VCR)などの癌化学療法剤耐性遺伝子であるMDR1遺伝子を共発現させることにより、bicistronic retrovirus vectorの有効性を細胞毒性および遺伝毒性を中心に検討することを目的に実施した(Fig.1)。

 Ha-MDR-IRES-MGMTレトロウイルスを導入した各クローンは、親株であるHeLa MR細胞と比べ50〜120倍のVCRに対する耐性を獲得させ、7〜12倍のACNUに対する耐性を獲得していることが確認された。Ha-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入した各クローンは、親株であるHeLa MR細胞と比べ4〜21倍のVCRに対する耐性を獲得しさせ、23〜26倍のACNUに対する耐性を獲得させた(Fig.2)。親株と比較してHa-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスからのP糖蛋白質の発現量およびMGMT蛋白質の発現量および酵素活性は、癌化学療法剤に対する感受性と比例し変化した。また、ACNUによる遺伝毒性を軽減することが示された(Fig.3)。

 Ha-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを骨髄細胞に導入し、その後に薬剤において選別を実施すると、ほぼ全ての細胞において、P糖蛋白質の発現が認められた。これらの癌化学療法剤耐性細胞において、MGMT蛋白質の発現量の増加、およびMGMT酵素活性の上昇が認められた。また、VCRとACNUに対する感受性の検討においてFig.4の上段(A、B)はVCR選別前を示し、下段(C、D)はVCR選別後を示す。HaMDRレトロウイルスを導入したマウス骨髄細胞以外は、VCR選別前にレトロウイルスの導入の効果はほとんど認められなかった。VCR選別後は、Ha-MDR-IRES-MGMTおよびHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入したいずれのマウス骨髄細胞においてもVCRおよびACNUに対して耐性を獲得した(Fig.4)。耐性度の比較でP糖蛋白質の発現とほぼ一致し、Ha-MDR-IRES-MGMTレトロウイルスを導入した骨髄細胞ではVCRに対して27倍の耐性度の上昇が認められ、ACNUに対しては7倍の耐性度の上昇が認められた。同様に、Ha-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入した骨髄細胞は、VCRに対して8倍、ACNUに対して16倍の耐性度の上昇が認められた。ACNUによる遺伝毒性に対する効果では、VCRによる選別前(左)は姉妹染色分対交換の頻度の上昇はいずれのマウス骨髄細胞においてもコントロールのレベルとほぼ同様であった。しかし、VCR選別後で、Ha-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入した骨髄細胞では、3μg/mLのACNU存在下で、バックグランドレベルであった。以上のことから異なる作用機序を有する2種類の癌化学療法剤耐性因子を骨髄細胞に共発現させることが可能であること、さらにP糖蛋白質の基質となる癌化学療法剤を用いて他方の遺伝子を発現する骨髄細胞を選択に生体内においても増幅させられる可能性が示された。

 現在では、進行した脳腫瘍に対する、ビンカアルカロイド系薬剤とACNUなどと併用癌化学療法が実施される。よって、本研究によって試験を実施した異なるタイプの耐性遺伝子を発現させるレトロウイルスベクター、Ha-MDR-IRES-MGMTもしくはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスはこのような治療計画に対して、骨髄毒性および遺伝毒性の回避に有効なレトロウイルスベクターであると考えられる。

 MGMT遺伝子など癌化学療法剤耐性遺伝子は、癌化学療法の治療成績を悪化させているが、一方では、副作用軽減および強化癌化学療法を目的とした応用的な利用も注目されてきている。耐性遺伝子などの癌化学療法の分子標的を中心とした基礎的な研究をさらに応用させた治療方法の開発は、単に癌化学療法の治療成績を向上させるだけでなく、必要以上の副作用を軽減させ、QOLを向上させる一因にもなりえるものと考える。

Fig.1 レトロウイルスベクター構成図

Fig.2 各レトロウイルスを導入したHeLa MRクローンにおける薬剤感受性

Fig.3 各レトロウイルスを導入した各クローンにおける姉妹染色分体交換の頻度

Fig.4 各レトロウイルスを導人したマウス骨髄細胞における各薬剤に対する感受性の変化

Fig.5 各レトロウイルスを導入したマウス骨髄細胞における姉妹染色分体交換頻度。

審査要旨 要旨を表示する

 癌化学療法は、種々の化学療法剤の開発、既存の癌化学療法剤の併用による効果増強、支持療法などの進展にともない治療成績を顕著に上昇させてきている。しかし多くの癌化学療法剤に共通した副作用に造血器系に障害を与える骨髄抑制があり、この事により癌化学療法剤の投与量が制限されている。正常な骨髄細胞に癌化学療法剤の耐性遺伝子を個々に導入すれば、このような副作用が軽減され癌化学療法をより強化することが可能となる。この戦略をもとに、癌化学療法剤耐性遺伝子を用いた癌の遺伝子治療方法が開発研究され、アドリアマイシン、ビンカアルカロイド、パクリタキセル等の種々の抗癌化学療法剤に耐性を付与するP糖蛋白質をコードするMDR1 (multidrug resistance 1)遺伝子や、ニトロソウレア系化学療法剤によるDNA損傷を修復するDNA修復蛋白質をコードするMGMT(O6-methylguanine-DNA methyl transferase)遺伝子を骨髄細胞に導入する臨床試験が実施されている。現在の癌化学療法の主流を占めるレジメは、複数の癌化学療法剤を用いる併用癌化学療法であることから、異なる2種類の耐性遺伝子を同時に発現させることが不可欠となる。また、生体内にこれらの蛋白質が生理的な変動を超えて共発現した場合のリスクあるいは効果に関しては、未知の部分が多く、実際の検証が必要となる。本研究では、IRES(internal ribosome entry site)により、異なる蛋白質をLTRに制御された1本のmRNAから共発現させるレトロウイルスベクター(bicistronic retrovirus vector)を用い、主にアルキル化剤(ACNU)に対する耐性因子をコードするMGMT遺伝子と、vincristine(VCR)などの癌化学療法剤耐性遺伝子であるMDR1遺伝子を共発現させるレトロウイルス(Ha-MDR-IRES-MGMTレトロウイルス及びHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルス)を作製した。これらのレトロウイルスをHeLa MR細胞およびマウス骨髄細胞に導入し、癌化学療法剤の細胞毒性及び遺伝毒性に対する有効性を検討することによって以下の成果を得た。

1. Ha-MDR-IRES-MGMT及びHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルス導入による薬剤耐性の獲得。

 HeLa MR細胞にHa-MDR-IRES-MGMTレトロウイルスを導入した後の各クローンは、VCRに対し親株の50〜120倍の耐性を獲得し、ACNUに対し親株の7〜12倍の耐性を獲得していることが確認された。Ha-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入した各クローンは、VCRに対し親株の4〜21倍の耐性を獲得し、ACNUに対し親株の23〜26倍の耐性を獲得した。また、これらの各クローンにおいて、P糖蛋白質及びMGMT蛋白質の発現が確認され、それらの発現量は薬剤感受性の結果とほぼ相関した。

 さらにHa-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスをマウス骨髄細胞に導入し癌化学療法剤に対する感受性を検討した。VCRによる選別前は、いずれのレトロウイルスが導入されたマウス骨髄細胞においても非導入時とほぼ同程度の薬剤感受性であった。VCRによる選別後、Ha-MDR-IRES-MGMTレトロウイルスを導入したマウス骨髄細胞では、いずれもレトロウイルス非導入時と比べ、VCRに対して27倍、ACNUに対しては7倍の耐性度の上昇が認められた。同様に、Ha-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入したマウス骨髄細胞では、VCRに対して8倍、ACNUに対して16倍の耐性度の上昇が認められた。また、ほぼ全てのマウス骨髄細胞において、P糖蛋白質の発現が認められ、MGMT蛋白質の発現量の増加及びMGMT酵素活性の上昇が認められた。これらの結果より、マウス骨髄細胞においても共発現したP糖蛋白質及びMGMT蛋白質は、癌化学療法剤に対して耐性を獲得させていることが明らかとなった。

2. Ha-MDR-IRES-MGMT及びHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルス導入による遺伝毒性の軽減。

 HeLa MR細胞にHa-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入した各クローンにおける、3μg/mLのACNU存在下の突然変異の出現頻度及び姉妹染色分体交換頻度は、親株であるHeLa MR細胞のACNU非処理時と同程度であることが明らかとなった。これらの結果から、HeLa MR細胞に対するACNUの遺伝毒性は、Ha-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入することで、軽減することが確認された。

 マウス骨髄細胞にHa-MDR-IRES-MGMTあるいはHa-MGMT-IRES-MDRレトロウイルスを導入することによりin vivo系に近い状態における、ACNUの遺伝毒性に対する効果を検討した。VCRによる選別前、いずれのレトロウイルスを導入したマウス骨髄細胞でも、3μg/mLのACNU存在下で、レトロウイルス非導入時とほぼ同程度に姉妹染色分体交換の観察頻度の上昇が観察された。VCRによる選別後、いずれのレトロウイルスが導入されたマウス骨髄細胞においても、3μg/mLのACNU存在下で、姉妹染色分体交換の観察頻度の上昇は認められなかった。これらの結果より、マウス骨髄細胞においてもACNUの有する遺伝毒性が充分に軽減していることが明らかになった。

 以上のことから異なる作用機序を有する2種類の癌化学療法剤耐性因子を骨髄細胞に共発現させることが可能であること、さらにP糖蛋白質の基質となる癌化学療法剤を用いて他方の遺伝子を発現する骨髄細胞を選択的に増殖させられる可能性が示された。さらに、異なる癌化学療法剤耐性因子を骨髄細胞に共発現させることにより、癌化学療法剤の有する骨髄毒性を軽減させ、さらなる高用量の癌化学療法剤による治療の可能性を示した。これらの成果は、癌化学療法剤による癌治療の可能性が広がることを示したものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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