学位論文要旨



No 214690
著者(漢字) 手塚,克彦
著者(英字)
著者(カナ) テツカ,カツヒコ
標題(和) 造影剤が誤嚥時におよぼす、気道及び肺胞への刺激性に関する研究 : ラット誤嚥モデルを用いて
標題(洋)
報告番号 214690
報告番号 乙14690
学位授与日 2000.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14690号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新美,成二
 東京大学 助教授 西川,潤一
 東京大学 講師 中島,淳
 東京大学 講師 角田,俊信
 東京大学 講師 長瀬,隆英
内容要旨 要旨を表示する

1) はじめに

我々耳鼻咽喉科医は下咽頭や食道の腫瘤性病変、狭窄、嚥下障害などの検索を目的として日常的に咽頭食道造影検査をおこなっている。特に最近、高齢者の死亡原因の多くを占める嚥下性肺炎は注目され、その診断に咽頭食道造影検査は不可欠となっている。誤嚥をおこす可能性のある患者の嚥下機能検査として咽頭食道造影を実施するわけであるから造影剤が、誤嚥により下気道へ侵入するのは避けられないことである。それだけに造影剤の肺・気管支への安全性については切実な問題である。以前は、誤嚥が疑われる時には気管支造影剤を使用する場合が多かったが、気管支造影検査でイオピドールやプロピリオドンが死亡の原因になる症例がみられ、現在はその安全性の問題で発売中止となっている。また、一般に最も瀕用されている硫酸バリウムは気道内へ溜まり肉芽形成の可能性があるといわれている。そのため現在は食道造影剤としての適応がない血管造影剤を使用する傾向にある。しかし、食道造影への適応がないためか、これが誤嚥によって気管支、肺胞に入った場合の臓器への影響はあまり調査されていなのが実状である。臨床上、造影検査を施行した日に熱発したというのはよく経験することで、造影剤が気管支、肺胞にもたらす影響がしばしば短時間でおこることが考えられる。今回、我々は誤嚥の動物実験モデルを用いて造影剤の下気道への影響について、特に急性期について検討を試みた。

2) 対象および実験方法

対象:生後8〜10週、Body Weight 200〜300gのS-D系雄ラットを実験1では18匹、実験2では24匹、実験3では28匹用いた。

実験方法:腹腔内にpentobarbital sodium 50mg/kgを注射し痲酔した後、気管切開をおこなう。気管にチューブを挿入し、小動物用レスピレータに接続する(100%O2、呼吸回数60〜90/分、一回換気量10 ml/kg)。チューブより直接検査液を1ml/kg気管内に注入。

注入後1時間で開胸し、気管と肺を摘出し、1)10%ホルマリン液を気管より定圧注入し、更にホルマリン液中に固定した後、HE染色をおこない、病理学的に観察した。2)肺の水分量を測定するため、摘出肺の乾燥前(W1)と乾燥後(W2)の重量を量り、肺水腫の程度を(W1-W2)/W2を指標として測定した。乾燥方法は定温器を用い60℃で72時間加熱とした。3)気管支・肺胞内の病態をより直接調べるために気管支肺胞洗浄(BronchoalveolarLavage:BAL)をおこなった。BALで得られた液について細胞成分と液性成分の分析をおこなった。気道内に注入する液は6種類とし、コントロールとして生理食塩水注入(S)、造影剤では140%硫酸バリウム(B)、30%コンレイ(R)(30%イオタラム酸:C30)、60%コンレイ(R)(60%イオタラム酸:C60)、ガストログラフィン(アミドトリゾ酸:G)、オムニパーク140(R)(イオヘキソール:O)を用いた。

実験1)では各検査液ごとに3匹ずつ、2) 3)では、ともに4匹すづおこなった。また、実験3では生理食塩の影響をみるため何も注入しない群(non)を設けた。

3) 結果

実験1) 硫酸バリウムではところどころの肺胞内にバリウムと思われる異物粒子が残存した。強拡大ではその異物の周囲に少数だが炎症細胞の浸潤など炎症所見が出現していた。各血管造影剤とアミドトリゾ酸ではいずれも毛細血管の拡張、毛細血管内の赤血球の充満、肺胞内への血漿成分の漏出など軽度の急性肺水腫の所見が認められた。しかし、各種血管造影剤間での所見の差ははっきりせず、いずれも軽度の肺水腫の所見であった(表1)。

実験2) バリウムと生理食塩水、30%イオタラム酸とイオヘキソール、60%イオタラム酸とアミドトリゾ酸、イオヘキソールと生理食塩水を除いた各2群間で有意な差(p<0.05)が認められた(図1)。各造影剤の浸透圧比と乾湿重量比((W1-W2)/W2)との関係を回帰分析を用いて調べると、R2=0.749と有意に相関することが判明した(p<0.001)(図2)。

実験3) BALの回収率は,88.5〜94.1%と良好で各群間に差はなかった。

細胞成分の分析結果:総細胞数は全ての造影剤がコントロールと比べて有意に低値を示していた(P<0.05)(図3)。しかし各造影剤間の比較では有意な差はみられなかった。

液性成分の分析結果:気管支肺胞洗浄の上清(BALF)中のタンパク量については各造影剤間で有意な差は認められなかつた。糖については浸透圧比が高い60%イオタラム酸とアミドトリゾ酸がその他の造影剤やコントロールに比べ有意に高値を示していたが、浸透圧比とは明らかな相関はなかった。

3) 考察

近年、塩酸を用いた嚥下性肺炎のモデルによる研究は広くおこなわれており、その結果も数多く発表され、嚥下性肺炎の機序も徐々に解明されつつある。結果の考察にあたっては、注入する液体の違いなどがどのように影響してくるのかについて塩酸の嚥下性肺炎モデルと比較することにより、造影剤誤嚥後の肺の病態の解明につながるものと考え検討した。

実験1からは、水溶性造影剤では軽度ではあるが肺水腫の病理像が認められ、1時間という短時間のあいだでも血管外の水分が増加し肺水腫がおこっていることが確認された。これは塩酸注入に比べて早期に出現しているが、浸透圧と化学的な直接刺激のちがいによるものと考えられた。また、バリウムでは肺胞内へのバリウムの侵入に対する生体の防御機構が1時間という早期に発生し、炎症細胞の浸潤を少数だが確認した。

実験2からは、水溶性造影剤の浸透圧が肺水分量と有意な相関を示していた。このことより、注入後1時間の段階では肺水腫の程度に関しては細胞への直接傷害などによる血管透過性の亢進よりも造影剤の浸透圧がより大きな要因になっていることが推測された。バリウムに関しては肺水腫は惹起されなかった。

実験3では、総細胞数が有意に減少していたことから水溶性造影剤でも塩酸に匹敵するような短時間での細胞への直接傷害が存在する可能性があることを示唆していた。また、総細胞数の減少する中で好中球の割合は各水溶性造影剤で高めになっていた。この理由は細胞傷害に対する生体の炎症反応の一つと考えられた。バリウムについては総細胞数は減少していたが好中球の占有率は変化なく、生体の炎症反応がまだ始まっていないことを示唆していた。

以上より、水溶性造影剤では肺の間質細胞への直接的傷害と造影剤自体の浸透圧による傷害とが存在するが、しかし早期の段階で肺水腫を惹起する主な要因は浸透圧であった。またこの肺水腫は1時間以内という短い時間でも発現された。

硫酸バリウムについては早期には浸透圧による肺水腫は惹起されない。肺の間質細胞への直接的傷害は早期から認められたが、それに対するまた生体からの炎症反応は他の血管造影剤よりも逆に少なかった。

4)まとめ

誤嚥後早期における造影剤の肺への影響は2通りの原因が考えられ、直接的細胞傷害と浸透圧である。水溶性造影剤は直接的細胞傷害と浸透圧の両方を有している。しかし、肺水腫を惹起する要因は早期には主に浸透圧である。よって、早期の肺水腫を防ぐのには浸透圧の低い血管造影剤を用いることが有効と考えられるが、直接的細胞傷害についてはまだ未知の部分が残っている。現段階では直接的細胞傷害の危険性をふまえて低浸透圧血管造影剤を使用していくことが最も安全と考える。

表1 -:no ±:mild +:moderate ++:severe

図1: 乾湿重量比

図2: 浸透圧比と乾湿重量比

図3: BAL中の総細胞数

審査要旨 要旨を表示する

 我々は嚥下造影検査で誤嚥をおこした患者が1〜2時間後に熱発をおこすことを臨床上しばしば経験する。これは誤嚥された造影剤の肺への影響によるものと想像される。そのためラットをモデルとし、気管切開下に造影剤を気管、肺に直接注入する誤嚥のモデルを作製し、一定時間後の肺の状態を病理学的、生理学的に検討し、造影剤の下気道への影響について、特に急性期についての検討を試みた。本研究は造影剤の特性の中の何が気管支・肺胞にとって最もダメージを与え、影響してくるのかを調べることによって、より安全な嚥下造影検査を行うための基礎的データとすることを目的としておこなったもので、下記の結果を得ている。

 1. 1時間という短時間のあいだでも血管外の水分が増加し肺水腫がおこっていることが確認された。これは塩酸注入に比べて早期に出現しているが、浸透圧と化学的な直接刺激のちがいによるものと考えられた。また、バリウムでは肺胞内へのバリウムの侵入に対する生体の防御機構が1時間という早期に発生し、炎症細胞の浸潤を少数だが確認した。

 2. 水溶性造影剤の浸透圧が肺水分量と有意な相関を示していた。このことより、注入後1時間の段階では肺水腫の程度に関しては細胞への直接傷害などによる血管透過性の亢進よりも造影剤の浸透圧がより大きな要因になっていることが推測された。バリウムに関しては肺水腫は惹起されなかった。

 3. 総細胞数が有意に減少していたことから水溶性造影剤でも塩酸に匹敵するような短時間での細胞への直接傷害が存在する可能性があることを示唆していた。バリウムについては総細胞数は減少していたが好中球の占有率は変化なく、生体の炎症反応がまだ始まっていないことを示唆していた。

 以上、本論文は嚥下造影検査における造影剤の下気道への影響を動物モデルを用いて明らかにしたもので、今後の造影剤の選択、開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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