学位論文要旨



No 214696
著者(漢字) 吉永,信治
著者(英字)
著者(カナ) ヨシナガ,シンジ
標題(和) わが国診療放射線技師の低線量放射線長期被ばくとがん死亡リスク : 死亡追跡再調査による解析
標題(洋)
報告番号 214696
報告番号 乙14696
学位授与日 2000.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第14696号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,邦夫
 東京大学 教授 荒記,俊一
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 助教授 橋本,修二
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 低線量放射線長期被ばくによる健康影響のリスクを明らかにすることは、職業集団や一般集団の放射線防護の観点から極めて重要な課題である。そのためには、人間集団を対象とした疫学研究により低線量放射線長期被ばくによる健康影響を直接評価することが重要であるが、疫学研究では多くの対象者を長く追跡する必要があるため、その実施は必ずしも容易ではない。

 医療放射線作業者は低線量放射線に長期被ばくした職業集団の中で最も古く規模が大きい集団であり、白血病を初めとするがんが多く発生することが古くから報告されてきた。しかし、外国の先行研究の一部や、診療放射線技師を対象としたAoyamaらやAoyamaなど日本の先行研究の多くでは、白血病リスクの有意な増加は報告されていない。また、白血病以外のリンパ系・造血器系がんであるリンパ腫と多発性骨髄腫については、低線量放射線長期被ばくによるリスク増加を報告した研究は少なく、白血病と同様に、一貫した結果は得られていない。さらに、低線量放射線長期被ばくによる固形がんやがん全体のリスクについては、いくつかの先行研究で有意な増加が報告されたが、必ずしも一貫した結果は得られていない。特に、日本の先行研究は、研究対象者数や追跡期間などの面で十分でなく、また期待死亡数計算等の面で改善すべき余地が残されていた。

 被ばく線量とがんリスクの関係については、医療放射線作業者の先行研究ではほとんど検討されておらず、また、検討した一部の研究では対象者数や追跡期間が必ずしも十分でなかった。最近、原子力施設従事者を対象とした国際共同研究で、被ばく線量と白血病リスクとの間に有意な関連が示されたが、その知見についてはまだ確立していない。

 このような背景から、本研究では、低線量放射線長期被ばくによるがんのリスク評価を目的に、日本の診療放射線技師を対象と死亡追跡調査を再実施し、低線量放射線長期被ばくによるがん死亡リスクを解析した。死亡追跡にあたっては、対象者数や追跡期間を拡大し検出力の増加を図り、解析にあたっては期待死亡数計算方法などを改善した。

2,研究対象と研究方法

 研究対象は1975年末までに診療放射線技師免許を交付された、1950年以前生まれの日本人男性12,195人である。研究対象の生死は戸籍・除籍謄本によって確認し、死因は死亡診断書によって確認した。

 基準死亡率として日本人男性の暦年別・年齢別死亡率を用い、標準化死亡比(以下、SMR)を算定した。さらにHealthy Worker Effectを調整するために、データが利用可能な死因については就業者男性と専門的・技術的職業従事者男性の死亡率も基準とし、SMRを算定した。また、研究対象を、被ばく線量が比較的高いと考えられる1933年以前誕生群(以下、コホート1)4,595人と、低いと考えられる1934年以降誕生群(以下、コホート2)7,600人の2群に分け、それぞれでSMRを算定し比較した。さらに、コホート1の中で作業歴が得られた3,461人を線量推定群とし、作業歴から推定した被ばく線量を考慮してがんリスクを評価した。

3,研究結果

 1969年から1993年における観察人年は合計272,043人年で、一人あたりの平均追跡期間は22.3年であった。合計1,097人の死亡が観察され、そのうちがんは435例、その中にリンパ系・造血器系がんは合計45例含まれていた。さらにその中に白血病は20例含まれていた。

 表1は主ながんの観察死亡数とSMRを示す。日本人男性を基準とすると、全がん及び固形がんのSMRはそれぞれ0.81と0.77で有意に低かった。個々の固形がんでは有意に高いSMRはなかった。リンパ系・造血器系がんのSMRは、固形がんとは対照的に、リンパ腫で1.24、多発性骨髄腫で2.02、白血病で1.31、全体で1.36と高い傾向にあったがいずれも有意ではなかった。

 コホート1とコホート2の2群別にSMRを算定した場合、固形がんのSMRはそれぞれ0.77と0.79でともに有意に低かった。個々の固形がんの大部分では、コホート1のSMRとコホート2のそれはほぼ近い値であった。また、有意に高いSMRはいずれも固形がんにおいても示されなかった。一方、リンパ系・造血器系がんについては、コホート1のSMRがコホートのそれよりも高い傾向にあり、コホート1だけで1.59と有意に高かった。同様に、白血病を除くリンパ・造血器系がんのSMRも、コホート1だけで1.62と有意に高かった。しかし、リンパ腫、多発性骨髄腫、白血病のそれぞれを個々にみると、有意なSMRはなかった。

 就業者男性や専門的・技術的職業従事者男性を基準とした場合、全がんのSMRは、コホート1やコホート2及び研究対象全体でいずれも有意でなかった。このとき、白血病SMRは、コホート1で1,99と1,82で有意に高かったが、コホート2では有意ではなかった。

作業歴によって推定した線量推定群3,461人の平均被ばく線量は0.50Gyであった。推定線量によって分類した4群で各がんのリスクを検討したが一定の傾向は認められなかった。

4.考察

4.1 研究方法

 本研究では期待死亡数の計算に、各年の基準死亡率を用いるという一般的な方法を用いた。AoyamaらとAoyamaから提供を受けた解析データに対して、本研究方法で期待死亡数を計算しSMRを算定したところ、両研究で報告されたそれを大幅に下回った。先行研究では、期待死亡数が過小評価され、SMRが過大評価されていた可能性が大きい。

 就業者男性や専門的・技術的職業従事者男性を基準としてSMRを算定することにより、Healthy Worker Effect を調整した。しかし、利用可能な基準死亡率データが限られ、がんについては、全がん、胃がん、肺がん、白血病の4死因だけでこの調整が可能であった。

 対象者数と追跡年数を大幅に拡大することによって、リスクの検出力増加を図った。本研究における検出力は、全がんでは、61〜72%と一般に目安とされる80%よりは低かったが、白血病では87〜94%と十分高いことが試算された。いずれも、AoyamaらとAoyamaによる先行研究の検出力を大幅に上回っていた。

4.2 低線量放射線長期被ばくによるがん死亡リスクの評価

 先行研究の多くは白血病の有意なリスク増加を報告したが、必ずしも一貫していない。ここで、研究方法に注目し、ある程度の対象者数及び追跡期間が確保され、かつHealthy Worker Effectが調整された研究だけを見ると、本研究も含めて、いずれも有意に高い白血病リスクを示した。疫学的因果関係を判断する1基準である「一貫性」の観点からは、低線量放射線長期被ばくにより白血病リスクを増加させるといえる。

 本研究では線量推定に伴う問題などのため、線量とがんリスクの関係を詳細に検討することには限界があった。そこで、低線量放射線長期被ばくによる単位線量あたりの白血病リスクが高線量・高線量率被ばくのそれよりも小さい可能性に絞って検討した。本研究の線量推定群の平均線量0.50Gyと、専門的・技術的職業従事者男性を基準としたSMRの値1.87から、1Gyあたりの過剰相対リスクは1.74と見積もられ、低線量放射線長期被ばくにおける単位線量あたりの白血病リスクが高線量・高線量率のそれよりも小さいことが示唆された。

 リンパ系・造血器系がん全体及び白血病を除くそれのSMRは、日本人男性を基準とした場合にコホート1で有意に高くなり、低線量放射線長期被ばくがリンパ腫や多発性骨髄腫のリスクを増加させる二とを示唆した。しかし、先行研究では、それらのがんのリスクが増加することについて報告した研究は少ない。また、高線量・高線量被ばくの研究でも一貫した結果は報告されていない。これらのがんについては今後さらに検討する必要がある。

 固形がん全体、あるいはがん全体については、SMRは高くなく、また、コホート1とコホート2の間でほぼ等しく、低線量放射線長期被ばくによるそれらのリスク増加は示唆されなかった。しかし、先行研究のいくつかでは皮膚がんや全がんのリスク増加が示されており、本研究結果と異なる。この理由としては、被ばく線量の違いが考えられるが、先行研究ではそれらの情報が与えられていないため、被ばく線量の面から検討することには限界があった。

4.3 本研究の主な問題

 問題の1つに、研究対象者の交絡因子に関する個人情報が利用できなかったことが挙げられる。そこで、がんの重要なリスク要因である喫煙や飲酒について集団特性を検討したところ、本研究ではそれらが強い交絡因子となっている可能性は小さいと考えられた。

 また、本研究で用いた推定線量にも問題がある。これは、代表的な作業施設や作業期間における平均線量であるため、個人に適用する場合には大きな誤差を伴う可能性がある。作業歴による線量推定法の改善や、測定された個人線量の利用を検討する必要がある。

 さらに、死亡データの利用にも問題がある。死因情報の基礎とした死亡診断書は、死因の正確さに欠けたり、病型に関する情報が限られたりするため、がん発生データの利用可能性を検討する必要がある。

5.結論

 日本の診療放射線技師12,195人を対象として1969年から1993年までの死亡状況を戸籍謄本または除籍謄本及び死亡診断書を用いて追跡し、これまでの先行研究にあった方法論的間題を改善した上で、低線量放射線への長期被ばくによるがん死亡リスクを評価した。

 全がんや固形がん全体については、SMRは高くなく、低線畳放射線長期被ばくがそれらのリスクを増加させることは確認されなかった。また、個々の固形がんのリスク増加も認められなかった。

 白血病については、コホート1のSMRが、コホート2のそれを上回る傾向にあり、また、就業者男性や専門職男性を基準とするSMRはコホート1や研究対象全体で有意に高かった。これより、低線量放射線長期被ばくが白血病リスクを増加させることが確認された。

 リンパ系・造血器系がん全体及び白血病を除くそれについては、SMRがコホート1で有意に高かったが、コホート2及び研究対象全体では有意でなかった。これより、低線量放射線長期被ばくが白血病以外のリンパ系・造血器系がんのリスクを増加させることが示唆されたが、それらのがんを個々にみると、明瞭な傾向が見られず、さらに検討することが重要と考えられた。

 推定線量群3,461人に対して作業歴で推定した被ばく線量とがんリスクの関係を検討したが、一定の傾向は認められなかった。また、平均被ばく線畳と白血病SMRの値から単位線量あたりの白血病リスクを求めたところ、低線量放射線長期被ばくの白血病リスクは高線量・高線量率のそれよりも小さい可能性が示唆された。しかし、線量推定に伴う間題が残され、線量とがんリスクの関係についてはさらに検討の必要があると考えられた。

表1 主ながんの観察死亡数(O)とSMR

審査要旨 要旨を表示する

 低線量放射線長期被ばくの健康影響を明らかにすることは、重要な課題であるにもかかわらず、その研究の難しさから、未だに確立した知見が得られていない。本研究では、これまで用いられてきた疫学研究の方法論的問題点を改善し、低線量放射線長期被ばくによるがんリスクの解析を深め、次のような結果を得た。なお、今回の調査対象は診療放射線技師男性12,195人、調査内容には、戸籍・除籍謄本及び死亡診断書による死亡状況を含み、追跡調査期間は1969年から1993年までであり、解析は、標準化死亡比(SMR)を指標とするがん死亡リスクについて行った。

 1.がん全体のSMRは、日本人男性を基準とすると、有意に高いものはみられず、また、被ばく線量が比較的高いと考えられる1933年以前に誕生した診療放射線技師群(コホート1)と比較的低いと考えられる1934年以降に誕生した診療放射線技師群(コホート2)で、大きな差は認められなかった。また、Healthy Worker Effectを調整するために、就業者男性や専門的・技術的職業従事者男性を基準としたSMRを算定しても同様の結果であった。この結果より、低線量放射線長期被ばくが必ずしもがん全体のリスクを増加させるものではないことを示唆している。

 2.固形がん全体や個々の固形がんについても、有意に高いSMRはみられず、がん全体の結果と同様に、低線量放射線長期被ばくの影響が有意には検出されなかった。

 3.高線量・高線量率の放射線被ばくによる誘発性が最も明瞭な白血病については、コホート1のSMRが、コホート2のそれを上回る傾向にあった。また、就業者男性や専門的・技術的職業従事者男性を基準とするSMRは、コホート1や研究対象全体で有意に高かった。すなわち、低線量放射線長期被ばくにより白血病リスクが増加することが強く示唆された。

 4.リンパ系・造血器系がん全体及び白血病を除くそれについては、SMRがコホート1で有意に高かったが、コホート2及び研究対象全体では有意でなかった。この結果は、低線量放射線長期被ばくが白血病以外のリンパ系・造血器系がんのリスクを増加させる恐れがあることを意味している。

 5.推定線量群3,461人に対して作業歴で推定した被ばく線量とがんリスクとの関係の検討を試みたが、一定の傾向は認められなかった。また、平均被ばく線量と白血病SMRの値から単位線量あたりの白血病リスクを試算したところ、低線量放射線長期被ばくの白血病リスクは高線量・高線量率のそれよりも小さく、動物実験による知見と一致していた。

 以上、本論文は、診療放射線技師における低線量放射線長期被ばくとがん死亡との関係の詳細な解析により、低線量放射線長期被ばくによる白血病リスクが増加することを強く示唆する結果を得ると同時に、その他のリンパ系・造血器系がんにおけるリスクの増加の恐れがあることを示した。本研究はこれまでの研究方法を改善して、従来指摘されていたリスクの検証と同時に、低線量放射線長期被ばくによるがんリスクの解明に重要な新知見を追加しており、低線量放射線長期被ばくの健康影響研究における重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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