学位論文要旨



No 214698
著者(漢字) 山田,秀秋
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ヒデアキ
標題(和) ヒラメ幼稚魚の主要餌料生物ミツクリハマアミの生産生態学的研究
標題(洋)
報告番号 214698
報告番号 乙14698
学位授与日 2000.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14698号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 新日気(株)環境創造研究所 顧問 村野,正昭
 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 西田,周平
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、東北太平洋沿岸域を中心としてアミ類の分布構造を調べ、卓越種であるミツクリハマアミ(Acanthomysis mitsukurii)の出現様式と生産生態を明らかにすることにより、沿岸域生態系における本種の低次消費者ならびに低次生産者としての役割を解明することを目的とした。特に、本種が当海域におけるヒラメの初期生産を支えていることが示唆されたことから、ヒラメ幼稚魚の餌生物ξしての生産量の測定を主要な目的とした。

 第1章では、アミ類の生産生態に関する既往の研究を整理した第2章では、主として東北太平洋沿岸域において、アミ類の水平分布とその季節変化、微細分布構造とその日周変化を調べ、ミツクリハマアミを中心としたアミ類の分布生態を分析した。第3章では、ミツクリハマアミの摂餌生態を明らかにするため、消化管内色素量の測定、胃内容物の顕微鏡観察、飼育実験による食性の推定、天然個体の栄養状態の推定を行った。第4章では、飼育条件下において成長速度や再生産速度を測定するとともに、仙台湾で採集されたミツクリハマアミ個体群の体長組成などを分析して、本種の個体群動態を解析し、これらの資料から周年にわたって体生産量、再生産量、脱皮殻生産量を推定した。第5章では、岩手県沿岸域においてヒラメ幼稚魚の放流・再捕実験ならびに食性調査を行い、アミ類の生態とヒラメ稚魚の食性との関係を明らかにした。さらに、ミツクリハマアミの生産量とヒラメ稚魚の摂餌量との関係を解析し、放流可能量を推定した。

1. ミツクリハマアミを中心としたアミ類の出現様式

1) アミ類の分布様式の時空間的変化とその要因

 青森県から土佐湾に至る太平洋沿岸17ヶ所で調査を行った結果、外海に面した開放的な砂浜域(開放域)では、ミツクリハマアミが高密度で卓越して出現した。また、本種の密度は水温の高い夏季から秋季に高く、主分布域は水深10m前後とみられた。一方、塩分濃度が30PSU以下となる流入河川のある湾奥部および外海に流入する河川の河口付近(河口域)では本種は出現せず、アミ類全体の密度も開放域よりも低かった。このようなミツクリハマアミの分布構造の形成要因としては、低塩分下における再生産速度の低下が重要であると考えられた。その他、波浪および底質がミツクリハマアミの分布水深を制限していることが示唆された。

2) アミ類の微細分布構造

 海底から20cm間隔に4層で採集するソリネットによる曳網調査および潜水目視観察の結果、ミツクリハマアミは海底直上(0-20cm)に濃密な群れを形成するととが明らかとなった。また、本種に構造物や暗礁に蝟集する傾向は認められなかった。ミツクリハマアミの分布域は夜間に上層へ広がったが、主分布域は常に海底直上に形成されており、日周期的な鉛直移動の規模は小さいと考えられた。その他の主要なアミ類についても、集群性の有無と礁との関係、鉛直分布とその日周期的変化を調べた。

2. ミツクリハマアミの食性と栄養状態

1) 食性の推定

 顕微鏡による胃内容物観察では、付着珪藻が最も多く出現したが、量的には同定不能のものが卓越していた。飼育条件下で生残、成長および再生産と餌料条件との関係を調べた結果、ミツクリハマアミの正常な発育には動物性餌料が必要であることが明らかとなったまた、エネルギー収支的視点からみても付着珪藻はミツクリハマアミの羊餌料ではないと推察された。しかし、付着珪藻は高度不飽和脂肪酸の供給源として積極的に摂餌されていると推察された。その他、消化管内色素量は夜間に増大し、摂餌活動の日周リズムが存在した。

2) 仙台湾における栄養状態

 飼育実験により有効な指標と確認された体乾燥重量に対する炭素量の割合を用いて、仙台湾におけるミツクリハマアミの栄養状態を推定した。その結果・本種の栄養状態は比較的高レベルで季節的に安定していることが明らかとなり、個体群動態は主として水温の季節変化によって規定されていると考えられた。

3. ミツクリハマアミの個体群動態と生産量の推定

1) 成長速度、脱皮間隔および再生産速度に及ぼす水温の影響

 ミツクリハマアミの成長モデルを、脱皮間隔、脱皮前後の体長の違い(成長率)、0日齢時の体長から求めた。本種の脱皮間隔は、体長が大きいほど、また20℃までは水温が低いほど長くなった。その結果、20℃以下では水温が高いほど成長速度は高くなった。水温が高いほどより小さい体長で成長率が0となるため、最大到達体長は水温の上昇に伴って小型化した。再生産速度(擁卵数/保育期間)は、水温の上昇に対して擁卵数は直線的に減少したが、保育期間は指数関数的に減少したため、20℃までは水温が高いほど高かった。23℃における成長速度および再生産速度は20℃で得られた結果とほぼ等しかったことから、ミツクリハマアミの生産速度は、20℃までは水温が高いほど速くなるが、それ以上では水温が上昇してもほとんど増加しないことが解った。

2) 仙台湾におけるミツクリハマアミの生活年周期と生産量の推定

 仙台湾で採集された擁卵雌の体長、擁卵数、卵径および採集時の水温との関係を分析した結果、基本的には体長が大きいほど卵が大きく擁卵数も多いが、体長が小さい高水温期には卵の小型化により擁卵数の減少を抑えていることが判明した。また、再生産速度は高水温期に高く低水温期に低くなったが、再生産はほぼ周年行われていると推定された。

 体長組成の分析町より、コホート解析による生活史および生産量の推定は困難であることが明らかとなった。そこで、飼育条件下で得られた生産速度を仙台湾の天然個体に適用して生産量を推定した結果、日間生産量には夏季から秋季に高く冬季から春季に低い明瞭な季節変化が認められた。仙台湾の生息域での年間生産量(PY)は131.0mgCm-2であり、そのうち成長は68%、脱皮殻の生産は28%、卵生産は5%であった。PY/B比は27.6となり、アミ類についての既往の報告中で最大値となった。このような高い生産力は、安定した餌料環境を背景に、特に繁殖開始齢を早期化することにより可能になったと考えられた。

4. ミツクリハマアミの生産とヒラメによる摂餌

1) ヒラメ.幼稚魚の食性の海域間比較と成長に伴う変化

 着底直後のヒラメはアミ類を専食したが、その後の食性は海域間で異なり、河口域のヒラメの方が、開放域よりも魚食性への移行が早かった。開放域では、ミツクリハマアミが胃内容物中に卓越して出現し、本種が多くの海域においてヒラメの初期生産を支えていると考えられた。また、ヒラメが摂餌した餌生物の個体数と大きさと、ヒラメの全長との関係を分析した結果、全長50mmまではアミ類が餌料として最適であると推察された。

2)大野湾におけるアミ類の生産量とヒラメ稚魚による摂餌量

 ミツクリハマアミの生産量、現存量および水温の関係式を用いて、水温と現存量から岩手県大野湾におけるアミ類の日間生産量を周年にわたって推定した。アミ類の日間生産量は、仙台湾と同様に、夏季から秋季にかけて最も高くなった。

 ヒラメ稚魚は季節に係わりなくミツクリハマアミを主に摂餌していた。ヒラメ稚魚にアミ類を与えた時の餌料効率、現場におけるヒラメ稚魚の成長速度およびヒラメ稚魚の分布密度から推定された放流ヒラメによるアミ類日間摂餌量は、放流から約20日後に最高となった。天然ヒラメのアミ類日間摂餌量は、着底稚魚の個体数変動によって年度間で著しく異なっていた。天然ヒラメによる摂餌量が多い年には、ヒラメ稚魚による摂餌がアミ類の生産量を抑制している現象が示唆されたが、ヒラメ稚魚の生産量への影響は認められなかった。大野湾では、ミツクリハマアミの高い生産力により、天然魚の着底状況に応じた計画的な種苗放流が可能であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ヒラメ幼魚の主要餌料生物であるミツクリハマアミ(Acanthomysis mitsukurii)の出現様式と生産生態を明らかにすることにより、ヒラメ増殖事業における環境収容力(適正種苗放流量)の策定を可能にすることを目的として行われた。

 第1章では、アミ類の生産生態に関する既往の研究を整理している。

 第2章では、青森県から高知県に至る17ヶ所の太平洋沿岸域において、アミ類の水平分布とその季節変化、微細分布構造とその日周変化を調べ、ミツクリハマアミを中心としたアミ類の分布生態を分析し次の結論を得ている。ミツクリハマアミは、外海に面した開放的な湾の水深10m以浅の海域の海底直上に高水温期に高密に分布する。また飼育実験により30PSU以下の低塩分下では、再生産速度が著しく低下することを明らかにし、この塩分に対する特性が、本種の分布制限の主要因となっていることを明らかにした。

 第3章では、ミツクリハマアミの摂餌生態を明らかにするため、仙台湾を野外研究の場として天然個体の消化管内色素量の測定、胃内容物の顕微鏡観察、栄養状態の推定を行った。これら一連の野外研究により、胃内容物中には、付着珪藻が最も目立つが、量的には同定不能のものが圧倒的に多く、天然海域では付着珪藻は主餌料ではないこと、摂餌活動は夜間に活発になることなどを明らかにした。また本種の栄養状態は、季節的に比較的高い水準で安定しており、その生産速度は主に水温変化により規定されていることを明らかにした。さらに餌として通常のアルテミアノープリウス幼生、栄養強化し不飽和脂肪酸含量を高めたノープリウス幼生、付着珪藻を組み合わせて投与する飼育実験によって正常な発育には動物性餌料が必要なこと、餌料中の高度不飽和脂肪酸が欠乏すると再生産が低下することを示した。

 第4章では、飼育条件下においてミツクリハマアミの成長速度や再生産速度を水温変化との関係で測定した。その結果、本種は水温が上昇すると脱皮間隔が短くなり、成長速度が増加すると同時に胚仔の保育期間が指数関数的に短くなることを定量的に明らかにした。一方擁卵数は、水温上昇に伴い直線的に減少した。また0日齢の体長及び最大到達体長は、低温ほど大きくなることを示し、その関係式を実験的に求めた。続いて、仙台湾で採集されたミツクリハマアミ個体群の分布密度や体長組成を分析して、本種の個体群動態を解析し、飼育実験結果から求めた種々の関係式をもとに周年にわたる同湾内での体生産量、脱皮殻生産量、再生産量を求める方法を確立した。

 第5章では、ヒラメ幼稚魚の食性の海域間比較と成長に伴う変化を調査し、着底直後から体長5センチメートルまでのヒラメがアミ類を専食すること、河口域よりも開放型の湾のヒラメの方がアミ類から魚食性への移行が遅いことを示した。さらに3〜4章で得たミツクリハマアミの生産量、現存量および水温の関係式を用いて、岩手県大野湾におけるミツクリハマアミの日間生産量を周年にわたって推定している。同時にヒラメ稚魚にアミ類を与えた時の餌料効率、現場におけるヒラメ稚魚の成長速度および分布密度から推定された放流ヒラメと天然ヒラメによるアミ類日間摂餌量を経時的に3年間にわたり解析した。これらの結果を総合してミツクリハマアミの生産速度、総生産量及び天然ヒラメの現存量を見積もることにより、同湾へのヒラメ種苗の適正放流量を決定する方法を確立した。これらの方法は、ヒラメ増殖事業の行われている全国の広範な海域への応用が可能な形で示されている。

 以上本研究は、従来経験に頼っていたヒラメ増殖事業における適正放流種苗量の策定に、餌生物の生産量を考慮に入れた環境収容力という概念を導入し、初めて科学的根拠を与えたものである。これらの考え方は、マダイなど他魚種の増殖事業へ応用されることも期待され、学術上、応用上十分価値のあるものと認め、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと判断した。

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