学位論文要旨



No 214700
著者(漢字) 酒井,恵子
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ケイコ
標題(和) 多量体フィブロネクチンの構造と機能
標題(洋) Structure and Function of the Multimeric Fibronectin
報告番号 214700
報告番号 乙14700
学位授与日 2000.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14700号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

細胞外マトリクスタンパク質は,生体内で細胞の支持体としての役割を果たすばかりではなく,細胞の増殖,分化を制御する役割を担っている。細胞外マトリクスタンパク質は細胞外に分泌された後,アセンブルし超分子構造体となって細胞活性の調節を行っている。アセンブルした細胞外マトリクスタンパク質がどのように細胞活性を調節するのかを調べることは,細胞の制御機構を理解する上で重要である。

フィブロネクチン(FN)は,細胞外マトリクス成分の一つで,多細胞動物に広く分布する多機能性の糖タンパク質である。肝臓で二量体として生合成・分泌され体内を循環する血漿FNと,各組織において細胞が二量体として自己の周囲に分泌する細胞性FNが存在する。両者とも同一の遺伝子から生合成され,細胞表面上でアセンブルし細胞外マトリックスに取り込まれる。アセンブルし不溶化したFNを超分子構造体の状態で分離精製することは困難なため,その構造及び生物学的な機能の研究は遅れている。本研究は,血漿中に大量に存在するFNを用いて生理的条件下無細胞系でFNが多量体を形成する過程と,その構造及び機能を探ることを目的とした。

第一章では,本研究の背景を論じる。二量体FNの構造と機能については膨大な研究がある。また,細胞培養系における多量体形成の機構についても多数報告されている。しかし,繊維性FNの構造と機能について報告した例はほとんどない。一方,生理的な条件下における無細胞系での多量体形成に関しては,Morla等が報告しているのみである。この多量体FNの生物学的な機能としてはガン細胞の転移を阻害することが報告されているが,形成過程及び構造に関する研究は行われていない。

第二章では,成牛血清より精製した血漿FNは生理的な条件(pH,イオン強度,温度)で低濃度のジチオスレイトール(DTT)と処理することで,分子内ジスルヒド結合の分子間への交換反応により多量体を形成する事を述べる。DTT濃度が高すぎると多量体は形成されないが,タンパク質濃度は多量体形成にあまり影響しない。イオン強度は多量体の形成に影響しないが,二価カチオンはEDTAの存在に比べて多量体の形成速度を遅らせた。尿素処理によりコンホメーションが少し変化したFNでは,多量体形成に必要なDTT濃度が高くなった。ポリペプチド鎖中に埋もれているスルフヒドリル基は多量体の形成には関与しない。カルパイン処理によりカルボキシ末端側の領域が除去されたFNでは多量体が形成されない。一定条件で形成された多量体FNは,二量体FNと同程度のヘパリン結合能及び細胞接着活性を保持していたが,ゼラチン結合能を失っていた。また,コラーゲン分子との結合も二量体FNに比べ低下していたが,コラーゲンゲルへの取り込みは特異的であった。大量にそして比較的簡便に精製できる血漿FNを用いて,極めて単純な系で多量体を形成させることが可能なことが分かった。このような条件での多量体FN形成は他に報告がなく,安定した標品が得られれば広凡な応用が考えられる。

第三章では,DTT処理による血漿FNの多量体形成過程におけるコンホメーションの影響及び形成された多量体の構造につき述べる。血漿FNのコンホメーションは温度による影響を受け,カルパインによる切断の感受性も異なる。このようなコンホメーションの差異は,DTT処理による多量体形成に影響し,30℃以下では多量体の形成が悪くなる。DTT処理後4時間ぐらいまでは,FNのコンホメーションの変化は大きく,その後は緩やかに変化し8時間以降はほとんど変化しない。第二章で述べたように,DTT処理4時間では,多量体はほとんど形成されないため,多量体形成前にFNのコンホメーション変化が起こると考えられる。37℃で4時間DTT処理した後,低温でさらにインキュベーションを行うと,25℃では半分以上が,4℃でも一部が多量体に変換していた。このことは,多量体形成前のコンホメーション変化が30℃以下では律速になっている事を示唆する。また,コンホメーションの変化後もDTTが存在していないと多量体は形成されない。一旦形成された多量体は,37℃でも4℃でも,DTT再処理により二量体には変換しない。形成された多量体FNのCDスペクトルは,二量体のCDスペクトルとは異なり,DTT処理により起こった変化を維持していた。このCDスペクトルは熱変性したFNと類似はしているが異なる。また,電子顕微鏡観察により,この多量体FNは線維性のアグリゲーションであることが示され,生体で形成される線維性のFNに近いものではないかと推測された。

第四章では,この多量体FNの細胞培養系における生物学的な機能につき述べる。多くの形質転換細胞は自分で細胞外マトリクスタンパク質を合成できないか,あるいは細胞外マトリクスを構築できない。このことが,形質転換細胞の不安定な接着の原因の一つと考えられる。ヒト繊維肉腫細胞HT1080は正常な繊維芽細胞TIG-1(ヒト胎児胚由来)とは異なり,培養液中にFNを分泌せず,細胞層中にFNを沈着もしない。この細胞は,増殖してコンフレントになった後,培養基質より容易に脱着する。これは,HT1080が細胞外マトリクスを構築できず接着が不安定であるためと考えられる。細胞培養系では細胞は焦点接着斑を形成して安定に接着し増殖する。HT1080も接着後1時間では伸展し焦点接着斑を形成した。しかし,3時間後には二量体FN上では焦点接着は消失し,細胞形態も丸くなった。一方,多量体FN上のHT1080は3時間後でも伸展した状態で接着斑を保持していた。多量体FN上のHT1080ではα3インテグリンが細胞膜の周辺に集まり安定した接着を形成すると考えられている。細胞の増殖は多量体FNでも二量体FN上でも差異は見られないが,コンフレントになった後,二量体FN上のHT1080は迅速に基質より脱着したが,多量体FN上では脱着は遅れた。細胞は生体内において必ずしも下面側だけで細胞外マトリクスと接しているわけではなく,細胞全体が細胞外マトリクスと接している。そこで,培養液の中に多量体FNを添加することでさらに細胞の脱着が阻止されることが予測された。細胞の脱着は添加した多量体FNの濃度依存的に阻止された。フィブロネクチンの分布を調べたところ,多量体FNは細胞の接着面と上面側の両方にみられたが,二量体FNは分散していた。HT1080は細胞外に大量にマトリクス分解酵素を分泌することが知られている。長期培養によって,二量体FNをコートした細胞層においてはFNは分解されていた。以上のことは,多量体FNが細胞接着の初期において安定した接着を行い,細胞が増殖した状態でも安定した接着を保持する機能を持っていることを示している。これは二量体FNには見られない多量体FNの顕著な機能である。生体組織中においてFNはコラーゲン繊維と共局在していることが知られている。第二章でも述べたように多量体FNはゼラチン結合能を失っているが,コラーゲンをゲル化した三次元構造体への取り込みは特異的に行われる。培養液に多量体FNを添加しHT1080をコラーゲンゲル内培養した。多量体FNを添加した培養では,細胞はゲル内で繊維芽細胞様に比較的細長い形態となりコロニーを形成するように集まる。このことは,多量体FNが形質転換細胞を正常な細胞形態を取るように機能することを示唆する。

第五章では第二章,第三章,第四章の結果を踏まえ,FNが多溶体を形成することの生物学的な意義につき考察する。また,多量体形成におけるいくつかの問題点に関し論ずる。最後に,多量体FNの応用面につき可能な方向を探る。

以上,本研究の結果より,血漿FNのDTT処理による多量体形成過程及びその構造の研究は,生体内に存在する繊維性FNの形成の機構及びその構造を明らかにしていく上で有用な手段の一つになりうると考えられる。またこのような単純な系で形成される多量体FNは,細胞工学的にも応用面は広いことが予測される。例えば,ガン化細胞の転移阻止分子として,人工皮膚の構築成分の一つとして,人工血管における内皮細胞の安定化分子として,或いは眼の角膜の点眼治療薬としての応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 フィブロネクチン(FN)は、多細胞動物に広く分布する多機能性の糖タンパク質で、細胞外マトリクス成分の一つである。肝臓で二量体として生合成・分泌され体内を循環する血漿FNと、各組織において細胞が二量体として自己の周囲に分泌する細胞性FNが存在する。両者とも同一の遺伝子から生合成され、細胞表面上で会合し細胞外マトリクスに取り込まれる。会合し不溶化したFNを会合体のまま分離精製することは困難であるため、会合体FNの構造及び機能の研究は遅れている。

 本論文は血漿フィブロネクチンを用いて、in vitro、無細胞系、生理的条件下で会合体FNを形成し、その構造と機能を検討したもので、5つの章で構成されている。

 I.では、研究の背景が述べられており、現在までに細胞培養系などで明らかになっている会合体FNについて述べ、本研究の目的とその意義を明らかにした導入部である。

 II.では会合体FNがin vitro、無細胞系、生理的な条件下で形成が可能であることを示した。会合体FNは血漿FNとSH剤とバッファーから成る系での反応で、ジスルヒド結合によって形成され、この会合体を多量体FNと名付けている。多量体FNのリガンドとの結合活性につき二量体FNと比較検討し、結合活性を保持した会合体であることを記載している。

 III.では、多量体FNの構造を生化学的な手法で、二量体FNと比較しながら検討している。多量体FNはプロテアーゼに対し二量体FNとは異なる感受性を示し、構造の違いが示唆された。また円偏光二色性で検討し二量体FNとは異なる二次構造を持つことを示した。さらに多量体形成過程における円偏光二色性及び自然蛍光のスペクトルの変化を経時的に追跡することで二次構造の変化に続いて多量体が形成されていることを明らかにした。

 IV.では、多量体FNの生物学的な機能を培養細胞系を用いて、二量体FNと比較しながら検討している。用いたヒト繊維肉腫細胞HT1080は、形質転換細胞で細胞層にFNを沈着出来ず、細胞がコンフレントになった後は基質から脱着しやすい特徴を持つ。多量体FNが細胞の周り全体に存在することでHT1080細胞の基質からの脱着が抑制されることを長期培養することで明らかにした。また、細胞接着に関与するインテグリン受容体及び焦点接着の成分であるビンキュリンの分布を抗体で染色することで検討し、細胞の接着の初期から細胞は多量体FNと二量体FNでは接着パターンが異なることを示した。

 V.では本研究で得られた結果のまとめとその意義を総括して述べ、今後の医学や細胞工学への応用についての展望を記載している。

 以上、本論文はin vitro、無細胞系で会合体FNが非常にシンプルな系で形成されることを示し、形成された会合体FNの構造を二量体FNと比較するとともに、多量体FNが二量体FNとは異なる生物学的な活性を持つことを示したものであり、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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