学位論文要旨



No 214701
著者(漢字) 川村,保
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,タモツ
標題(和) 総合農協の計量経済学的研究
標題(洋)
報告番号 214701
報告番号 乙14701
学位授与日 2000.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14701号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 助教授 齋藤,勝宏
 東京大学 助教授 中嶋,康博
内容要旨 要旨を表示する

 我が国の農業経済および農村経済において,農業協同組合(以下,農協と略す)の占める位置や果たす役割はきわめて大きい.このため日本の農業経済学研究の中でも農協研究は重要な分野として位置づけられ,多くの研究成果を上げて今日に至っている.しかし,我が国の農協研究が伝統的にマルクス経済学の立場からの研究が多く,近代経済学的な手法による分析は必ずしも多くはなかった.また,我が国の農協は複数の事業部門を兼営する総合農協であるという特質を持つが,従来の近代経済学の理論が主として1財生産の場合について展開されてきたこともあって,その特質への経済学的な検討は残された課題となっていた.本論文では,このように,従来,近代経済学的研究が比較的手薄であった農協を対象にして,主として計量経済学的な研究手法によって実証分析を行ない,複数部門を兼営する総合農協の特質を解明すると共に,農協にとって緊急の課題となっている生産性の向上について,検討を加えた.

 第1章では,これまでの農協研究について概観し,既存の研究の問題点を指摘すると共に,近代経済学的な手法による農協研究が求められることを述べた.

 第2章では,我が国の農協が複数の事業部門を持つ総合農協であるという特質に注目して分析を行った.我が国の総合農協は,永年にわたって信用・共済部門の黒字と購買・販売部門の赤字というアンバランスな収支構造を維持してきている.まず,その統計作成上の手続きに即して検討を加えて,このアンバランスな部門別収支構造が統計上の見せかけのものではないことをを確認した.続いて信用事業および経済事業(購買事業と販売事業の総称)別にその黒字・赤字の原因について検討した.その結果,信用事業部門の黒字は,複数部門の兼営による範囲の経済や税制などの制度上のメリットに支えられたものであること,経済事業の赤字は硬直的な手数料率と低い労働生産性の上昇率に因るところが大きいことことが明らかになった.また,同時に,今後の農協経営にとって従来からのようなアンバランスな部門別収支構造を維持するのは困難であることも明らかにした.

 第3章では,多財費用関数分析の理論を用いて,複数の部門を兼営する我が国の総合農協の規模の経済と範囲の経済について検討した.最初に多財費用関数を用いた農協の分析方法の枠組みを提示した.その中では,特に範囲の経済の概念の整理と計測方法について検討を行った.範囲の経済とは,複数の生産物を一つの生産主体が生産する方が,それぞれ異なる生産物を生産する複数の生産主体が生産するよりも少ない費用で生産できる場合を指す概念であり,産業組織論研究においてコンテスタブルな市場を研究する中で,Baumolらが明らかにしたものである.Q1を第1部門の生産物,Q2を第2部門の生産物,費用関数をC(Q1,Q2)とする時,

である場合に範囲の経済があるという.この理論を総合農協に適用して,複数の事業部門を兼営することの効果を分析する枠組みを明らかにした.次いで,昭和55から62年度の各県の農協の平均値をデータとして多財費用関数を計測し,規模の経済や範囲の経済の指標を求めた.その結果,農協全体の規模の経済が存在すること,部門別には信用事業において事業に特定の規模の経済が観察され,これが農協全体の規模の経済の源泉ともなっていること,信用事業と購買事業の間で費用の補完性が存在し,範囲の経済も存在することを明らかにした.

 次に,近年の農協を取り巻く社会経済的な状況の変化と,第3章の分析でのデータ面の限界を考慮して,第4章では,最新の時点での個表データによる規模の経済と範囲の経済の再検討を行った.その結果,近年,農協合併が進展したこともあって,サンプルの平均値で見る限り,規模の経済はほぼ中立的な状況になっていること,しかし,依然として小規模な農協では規模の経済が存在し,規模拡大が必要な状況にあることが明らかになった.また,合併後の調整期間中は費用曲線が上方にシフトすることが確認された.この点は従来,農協合併の評価において無視されてきた点である.農協合併の評価においては,合併前の農協あるいは未合併の農協のデータと,合併した農協のデータを比較してその効果を問うという手法が一般的に取られるが,その場合,合併した農協のデータには合併後の調整に伴う非効率が含まれるために,合併後の農協の成果が低く評価されるおそれがある.このことは,合併農協の成果を評価する上で合併調整直後の調整に伴う非効率を分離する必要性を指摘するものである.費用の補完性については,個表の分析であるために安定した計測結果が得られなかった.今後の課題として残された形となっている.

 第5章と第6章では,農協の生産性について検討した.経済分析において最も基本的な指標の一つである生産性であるが,農協の生産性の分析はこれまでほとんど行われてこなかった.第5章では,生産性指標の中でも最も基本的な指標である労働生産性を農協の類型別に計測した.その結果,高度経済成長期以降,農協の労働生産性は低下傾向にあることが確認され,特に「米型」農協において停滞傾向が顕著であることが明らかになった.また,その原因として,農協の事業部門別の事業量の変化に職員の配置等がうまく対応していないことなどが指摘された.同時に,労働生産性だけの分析では農協の生産性分析としては限界があることも示され,総要素生産性による検討が必要であることも示した.

 第6章では,第5章での指摘を受けて,総要素生産性の手法によりながら,農協の生産性分析を行った.まず,農協の総要素生産性の計測と費用関数による農協の総要素生産性の要因分解のフレームワークを示し,次いで,昭和41年度から平成8年度までの31年間のデータにより,実際に農協の総要素生産性を計測すると共に,要因分解を行った.計測の結果,労働生産性と同様に総要素生産性もこの間,低下傾向を示し,近年ではマイナス成長を示していること,偏要素生産性を見ると,むしろ深刻なのは労働生産性ではなく資本生産性の停滞傾向であることなどが明らかになった.また,要因分解の結果,技術進歩,准組合員比率の上昇,農協合併の効果が総要素生産性にプラスに寄与していることが明らかになった.計測全期間の総要素生産性の上昇率が年率2.3%であるが,准組合員比率の上昇による寄与率が2.9%,技術進歩率による寄与率が2.3%であること,但し,高度経済成長期には技術進歩率の寄与率が3.67%であったのに対して,金融自由化期には-2.86%とマイナス成長を示していることなどが明らかにされた.

 以上のように,本論文に示された総合農協の計量経済学的研究により,従来の農協研究では扱えなかった農協の特質のいくつかについて分析することが可能になった.そして分析の結果,我が国の農協の実態について,今までは知られていなかったいくつかの面を明らかにするという成果を得た.

審査要旨 要旨を表示する

 農業協同組合(以下、農協)が我が国の農業と農村経済に占める地位は、依然としてきわめて重要であるが、同時に、農産物価格政策への市場原理の一層の活用や金融自由化の進展といった外部環境の変化は、農協の組織と事業のありかたの見直しを不可避のものとしている。本論文は、こうした変革期の農協の費用構造や生産性について、計量経済学的な手法によってその特質を明らかにした実証研究の成果である。

 第1章は、既往の農協研究の批判的なレビューである。従来のマルクス経済学の観点からの研究が、農協の多面的な性格を充分に捉えていない点を指摘し、多財生産に関する経済理論が格段に充実した今日、近代経済学的なアプローチによる農協研究の有効性が高まっていることを述べている。

 第2章では、複数の事業を兼営する農協の収支構造を、財務データの作成手続きにまで遡って検討している。その結果、我が国農協の財務構造の特徴と言われてきた信用・共済部門の黒字と購買・販売部門の赤字が、財務データのバイアスによるものではなく、実在する現象であることを確認した。さらに、経済事業の収支の悪化の主たる要因が、硬直的な手数料率と労働生産性の上昇率の低さにあることが明らかにされた。

 第3章では、Baumo1らによる多財費用関数の理論を応用して、農協の規模の経済と範囲の経済を計量経済学的に検討している。多財費用関数の理論は、近年の産業組織論研究の重要な理論的成果であり、コンテスタブルな市場という新しい概念とともに精緻化されてきた。この章では、こうした多財費用関数分析の理論構造を整理したうえで、昭和55年から62年の県単位のデータを用いて、農協の費用構造を分析している。その結果、農協事業全体に規模の経済が存在すること、部門別には、信用事業に事業特化的な規模の経済か顕著であること、信用事業と購買事業のあいだに費用の補完性が作用していることが明らかにされた。

 第4章では、第3章で確立された方法を、近年の個々の農協のデータに適用している。費用関数の計測結果によって、つぎの2点が明らかになった。第1に、サンプルの平均値でみる限り、規模の経済はほぼ消滅している。これは第3章の計測期間以降に農協の合併が進み、少なからぬ農協が規模の経済を汲み尽くすほどの規模に到達したためであると考察している。第2に、合併後の調整期間において、費用曲線の上方へのシフトが検出された。合併後の農協の経済事業のパフォーマンスが過小評価される可能性を示唆する結果である。

 第5章と第6章は農協の生産性を分析している。まず第5章では、もっとも基本的な生産性指標である労働生産性の推移について、「米型」「米以外型」「都市型」の3つの類型の農協ごとに分析を行っている。その結果、高度経済成長期以降、労働生産性はおしなべて低下するという深刻な実態が明らかとなった。なかでも、「米型」農協の労働生産性の不振が顕著である。第6章では、第5章の観察結果を受けて、1966年から96年までの長期データについて、ディビジア指数の離散近似として総要素生産性を計測した。計測結果はつぎの2点を明らかにしている。第1に、総要素生産性も低下傾向を示しており、しかも、資本生産性には労働生産性以上に深刻な問題が存在する。第2に、総要素生産性の変化の要因分解によって、技術進歩や農協合併や准組合員比率の増加などがプラスに寄与していることが検出された。

 以上を要するに、本論文はこれまでほとんど手つかずのままに残されていた我が国総合農協の費用構造と生産性に関する計量経済学的な研究を行ったものであり、規模の経済と範囲の経済の計測と、代表的な生産性指標の分析を通じて、農協事業の経済構造に関する新知見を明らかにした。本論文によって得られた成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク