学位論文要旨



No 214702
著者(漢字) 久留主,志朗
著者(英字)
著者(カナ) クルス,シロウ
標題(和) 細胞質型ホスホリパーゼA2による卵巣機能調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 214702
報告番号 乙14702
学位授与日 2000.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14702号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 北里大学 教授 橋本,祷
 味の素株式会社 顧問 高橋,迪雄
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳類の卵巣機能は主に下垂体や胎盤により制御されているが、近年卵巣自身による局所での調節機構の重要性が指摘されてきている。プロスタグランディン(PG)に代表されるエイコサノイドはその局所調節因子の一つであり、排卵におけるPGE2や黄体退行におけるPGF2αの役割はよく知られている。PGは、必要時に生成され、作用を発現した後、速やかに代謝・分解されるので、その生物学的意義を理解するためには産生機構を解析することが重要である。PG合成系には、ホスホリパーゼA2(PLA2)による膜リン脂質からのアラキドン酸(AA)の遊離と、シクロオキシゲナーゼ(COX)によるAAからPGH2への変換の2つの律速段階がある。COXは2つのイソタイプしか存在しないために、この酵素に関する研究は非常に進展しているのに対し、PLA2は10を越える種類が存在することから、個々のイソ酵素の発現と生理的役割はもちろんのこと、その全体像についても解明が遅れている。PLA2の中でも細胞質型PLA2(cPLA2)は、AA含有リン脂質に基質選択性を示し、μM以下のカルシウム濃度及びmitogen-activated protein kinaseによるリン酸化で活性化されることから、特に重要視されている。本研究ではこのcPLA2に着目し、ラット卵巣における本酵素の発現と生理的役割についての解析を行った。

 ラット卵巣におけるcPLA2の発現と細胞局在

 これまでcPLA2が、生体内のほとんどの臓器・組織に発現していることはノーザンあるいはウエスタンプロット分析により示されていたが、細胞レベルでの発現・局在を示す免疫組織化学、あるいはin situ hybridization法を用いた成績は極めてわずかであった。様々な細胞種から成り、また生理的状態に伴いダイナミックに変化する卵巣での働きを知るためにまず、細胞局在を調べることを試みた。最初にラット卵巣のcPLA2 mRNAの検出をRT-PCR法により試みた。cPLA2 cDNAの一部(+304〜+1199,896bp)が増幅されるようにプライマーを設計し、サイクル数40で増幅反応を起こさせたところ、脾臓や腎臓と同様に卵巣総RNAから約900bpのDNA断片が増幅され、卵巣におけるcPLA2遺伝子の発現を確認した。また対照として用いたGAPDH(30サイクル数)と比べ、その発現量の極端に低いことが示唆された。

 次いで性周期を回帰している卵巣における蛋白質の分布を免疫組織化学的に検討したところ、本酵素が細胞種特異的に、また時期特異的にその分布の変化することが示された。最も強い免疫シグナルは、卵子と閉鎖卵胞や退行黄体に見られた。健常卵胞の顆粒層細胞では成熟前には陰性であるのに対し、排卵直前においても、わずかながらcPLA2免疫反応が増強した。卵巣に存在する3〜4世代の黄体はいずれも陽性であり、古い世代の黄体ほど、さらに黄体の中心部よりも周辺部において陽性反応の強まることが明らかとなった。そして黄体内において大及び小黄体細胞、血管系の細胞のいずれもが陽性であった。このことより、cPLA2はハウスキーピング様に発現しているのではなく、積極的な発現調節を受け、生殖活動の発現のためにダイナミックに変動する卵巣の形態と機能の調節に寄与している可能性が示された。中でも卵子と排卵前後の顆粒層細胞の免疫反応の知見より、卵子成熟及び排卵過程への役割の可能性と、加えて組織の再構築の盛んな卵巣でのアポトーシスへの関与が示唆された。

 排卵に対するcPLA2の関与

 次に、排卵過程の解析に汎用される幼若ラットの誘起排卵モデルを用いて、cPLA2の発現動態と機能的役割を調べた。その結果、ウマ絨毛性性腺刺激ホルモン(eCG)刺激により卵胞膜での免疫反応が増強し、ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)投与後は顆粒層細胞が黄体細胞へ分化しつつあるところで増強する傾向が観察された。卵巣のサイトゾルを調製し、そのPLA2活性を経時的に測定したところ、eCG刺激後若干の増加が見られるが、hCG投与の少なくとも8時間後までは低く推移し、排卵後の黄体化にともなって増加した。この活性は、cPLA2の特異的阻害薬であるarachidonyl trifluoromethylketone (ATK,10μM)の添加で、約20-30%にまで低下し、分泌型PLA2(sPLA2)の阻害薬であるdithiothreitol 5mMにおいても若干減少した。卵胞局所のPG濃度が最も高まることが明らかにされているhCG投与8時間後に、ATK 0.3-3.0mgを卵巣嚢内に投与すると、卵巣PGE2含量が半減し、また排卵数も用量依存的に減少し、3.0mgでは対照群の35%にまで減少した。このことから、卵巣におけるPLA2活性は一部sPLA2に由来するものの、主体はcPLA2であり、排卵卵胞においてcPLA2活性の急激な増加は伴わないが、PG(E2)産生を介して排卵過程に関与していることが示された。cPLA2とその下流のCOX-2は、共に核膜や小胞体膜に局在し、PLA2-COXにおいて機能的にも連関していることが示されている。cPLA2は、排卵卵胞のPG合成において唯一律速酵素であろうCOX-2に、効率よくAAを供給するように働いていることが推測される。

 黄体におけるcPLA2の発現と機能的役割

 前述の性周期を回帰する卵巣での免疫組織化学的成績から、黄体はcPLA2の発現部位であり、加齢に伴って発現の増加することが示された。そこで、機能黄体における、本酵素の活性発現と機能的役割について検討した。黄体の加齢に伴う発現量をイムノブロット法あるいは免疫組織化学法で調べたところ、成熟ラットの妊娠6日目から12日目にかけては明らかな変化は認められなかったが、偽妊娠黄体において機能的退行の起こる12日目で発現が増強し、これは幼若偽妊娠ラットモデルにおいても同様であることが確認された。すなわち黄体のcPLA2発現は、黄体のプロゲステロン分泌能に関連して変動することが示された。そして黄体のサイトゾルPLA2活性を測定したところ、同じく成熟及び幼若ラットの両方において血中プロゲステロン濃度が低下する偽妊娠6日目から12日目にかけて酵素活性が上昇した。またこの活性はATK感受性であったことから、主にcPLA2に由来していることが推定された。ATKは、偽妊娠黄体の分散細胞系においてAA遊離を抑え、PGE2産生はほぼ完全に阻害した。すなわちラット黄体細胞の主要なPLA2はcPLA2であると考えられた。強力な黄体退行因子であるPGF2αの成熟偽妊娠ラットの黄体での含量は、PLA2活性の推移にほぼ一致して増加した。またプロゲステロン濃度が基底レベルにまで低下した12日目以降も少なくとも15日目までは黄体のPLA2活性とPGF2α含量は共に高い値で維持されることが明らかとなった。

 続いて、妊娠ラットの黄体退行におけるPLA2活性の推移を、PGF2α含量と併せて検討した。血中プロゲステロン濃度が妊娠21日目(PRG21)の140ng/ml前後から約85ng/mlに下がり始めたPRG22に黄体PLA2活性が上昇し始め、PGF2α含量もこの日に急激に上昇した。さらにPLA2活性は分娩後の黄体においても5〜8日間は高いレベルを維持しており、この変動に一致するように黄体のPGF2α含量も変化した。すなわちPLA2活性は妊娠黄体の機能的退行に伴って上昇し、その後の形態的退行過程においても高いレベルで推移した。以上の結果から、cPLA2活性はラットの機能的退行、さらには形態的退行時において亢進し、黄体退行を誘導並びに促進するよう機能していると考えられる。

 そこで幼若偽妊娠ラットを用いて、cPLA2及びPLA2-2Aの遺伝子発現を抑制することが知られているdexamethasoneを卵巣嚢内に36時間おきに4回投与した時の黄体のプロゲステロン分泌に及ぼす影響を検討した。偽妊娠2日目から投与した場合、末梢プロゲステロン濃度は対照群に比べ変化しなかったが、4日目から投与を開始すると、血中プロゲステロン濃度の低下が遅延した。さらに2日遅らせて6日目から開始すると、黄体の機能的退行は約5日間延長した。すなわち、黄体局所のPLA2活性を抑えてPG産生を抑制すれば、黄体退行が遅延すると考えても矛盾のない結果となった。逆に偽妊娠末期に活性の上昇するcPLA2はPG産生を介して黄体退行を誘導及び促進させていることが強く示唆された。

 以上を総合すると、1)黄体にはcPLA2が発現し、黄体のPG合成系において主要な役割を担っていること、2)黄体期末期にその発現が増強され、黄体内でのPGF2α合成系が増幅していくことにより、黄体退行が誘導かつ遂行されていくものと考えられた。PGF2αは黄体に作用するとカルシウム濃度の上昇と蛋白質キナーゼを活性化すると共に、過酸化脂質の生成も惹起させる。これらはいずれもcPLA2活性の増強因子であることが示されていることから、cPLA2とPGF2αによるpositive feedbackの系が発動することが予想される。そして持続したcPLA2とPGF2α産生は、黄体の機能的退行のみならず、形態的退行にも関与しているのであろう。

 本研究により、ラットの卵巣にはcPLA2が発現し、卵子、退行黄体や閉鎖卵胞のアポトーシス過程の組織に多く局在することが明らかとなり、少なくとも排卵と黄体の機能的退行において発現の制御されていることが示唆された。本酵素は、排卵時にPG合成のためのAA供給を介して排卵に寄与しており、さらに、黄体の退行過程において発現と活性が増強し、黄体退行を誘導していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 哺乳類の卵巣機能は主に下垂体や胎盤により制御されているが、近年卵巣自身による局所での調節機構の重要性が指摘されてきている。プロスタグランディン(PG)に代表されるエイコサノイドはその代表的な局所調節因子の一つである。PGは必要時に生成され、作用を発現した後、速やかに代謝・分解されるため、その生物学的意義を理解するためには産生機構を解析することが重要である。PG合成系には、ホスホリパーゼA2(PLA2)による膜リン脂質からのアラキドン酸(AA)の遊離と、シクロオキシゲナーゼ(COX)によるAAからPGH2への変換の2つの律速段階がある。これらの酵素には幾つかのイソタイプが存在するが、中でも細胞質型PLA2(cPLA2)は、AA含有リン脂質に基質選択性を示し、低濃度のカルシウム及びmitogen-activated protein kinaseによるリン酸化で活性化されることから、特に重要視されている。本論文はcPLA2に着目し、ラット卵巣における本酵素の発現と生理的役割を追究したものである。

 緒論において研究の背景と意義について概説した後、第1章ではまずラット卵巣におけるcPLA2の遺伝子発現と細胞局在について検討している。RT-PCR法によりcPLA2 mRNAの検出を試みた結果、脾臓や腎臓と同様に卵巣総RNAからも予想されるサイズのDNA断片が増幅され、卵巣におけるcPLA2遺伝子の発現が確認された。次いで卵巣におけるcPLA2の分布を免疫組織化学的に検討したところ、最も強い免疫シグナルは、卵子と閉鎖卵胞や退行黄体に見られた。これらのことより、cPLA2は積極的な発現調節を受け、ダイナミックに変動する卵巣の形態と機能の調節に寄与している可能性が示された。中でも卵子と排卵前後の顆粒層細胞の免疫反応の知見より、卵子成熟及び排卵過程への関与と、組織の再構築の盛んな卵巣でのアポトーシスへの関与が示唆された。

 第2章では、排卵過程の解析に汎用される幼若ラットの誘起排卵モデルを用いて、cPLA2の発現動態と機能的役割を調べた。その結果、ウマ絨毛性性腺刺激ホルモン(eCG)刺激により卵胞膜での免疫反応が増強し、ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)投与後は顆粒層細胞が黄体細胞へ分化しつつあるところで増強する傾向が観察された。卵巣のサイトゾルを調製し、そのPLA2活性を経時的に測定したところ、eCG刺激後若干の増加が見られるが、hCG投与の少なくとも8時間後までは低く推移し、排卵後の黄体化にともなって増加した。この活性は、cPLA2の特異的阻害薬であるarachidonyl trifluoromethylketone (ATK)により約20-30%にまで低下した。卵胞局所のPG濃度が最も高まることが明らかにされているhCG投与8時間後に、ATKを卵巣嚢内に投与すると、卵巣PGE2含量が半減し、また排卵数も用量依存的に減少した。これらの結果より、卵巣におけるPLA2活性の主体はcPLA2であり、PG(E2)産生を介して排卵過程に関与していることが示された。

 第3章では、機能黄体における本酵素の活性発現と機能的役割について検討した。黄体の加齢に伴う発現量をイムノブロット法あるいは免疫組織化学法で調べたところ、偽妊娠黄体において機能的退行の起こる12日目で発現が増強した。黄体のサイトゾルPLA2活性は偽妊娠6日目から12日目にかけて上昇し、また、強力な黄体退行因子であるPGF2αの黄体での含量はPLA2活性の推移にほぼ一致して増加した。PLA2活性は黄体の機能的退行に伴って上昇するとともに、その後の形態的退行過程においても高いレベルで推移した。以上の結果から、cPLA2活性はラットの機能的退行、さらには形態的退行時において亢進し、黄体退行を誘導並びに促進するよう機能していると考えられる。そこで幼若偽妊娠ラットを用いて、cPLA2の遺伝子発現を抑制することが知られているdexamethasoneを、偽妊娠6日目から卵巣嚢内に36時間おきに4回投与したところ、黄体の機能的退行は約5日間遅延した。すなわち、偽妊娠末期に活性の上昇するcPLA2はPG産生を介して黄体退行を誘導及び促進していることが強く示唆された。これら第1章から第3章までの結果について、総括において総合的な考察がなされている。

 以上、本研究はラットの卵巣にはcPLA2が発現し、卵子、退行黄体や閉鎖卵胞のアポトーシス過程の組織に多く局在することを明らかにするとともに、排卵と黄体の機能的退行においては本酵素の発現制御がその過程に重要な役割を果たしていることを示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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