学位論文要旨



No 214704
著者(漢字) 飯田,孝之
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,タカユキ
標題(和) PITCを用いるペプチドN末端アミノ酸の逐次配列・D/L絶対配置同時分析法に関する研究
標題(洋)
報告番号 214704
報告番号 乙14704
学位授与日 2000.05.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14704号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 福山,透
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 近年、無脊椎動物や両生類およびヒトの生体内において、D-アミノ酸を含むペプチドや蛋白質の存在が相次いで報告されている。これらのペプチドの中には、アミノ酸の絶対配置がDからLに変わると生物活性が失われるものもあり、ペプチドや蛋白質の一次構造解析においてはアミノ酸配列だけでなく、そのD/L絶対配置も同定することが重要であると考えられる。

 私は、phenylisothiocyanate(PITC)を用いたEdman法を利用して、N末端アミノ酸配列・D/L絶対配置同時分析法を開発することを試みた。PITCは最も汎用されているEdman試薬であり、自動分析装置も市販されている。従って、PITCはN末端アミノ酸配列・D/L絶対配置同時分析法を検討する上で最も実用的であると考えた。

【1. PTH-アミノ酸の光学分割を用いたN末端アミノ酸の逐次配列・D/L絶対配置同時分析法の開発】

 最初に、通常のEdman法の生成物であるphenylthiohydantoin-(PTH-)アミノ酸を検出対象とした。Edman法によるN末端アミノ酸配列分析は、カップリング反応、環化切断反応、転換反応の3段階で構成されるが、ここで得られたPTH-アミノ酸はラセミ化していることが知られている。そこで、環化切断反応および転換反応において、アミノ酸のラセミ化を抑制する方法を検討した。

 まず、環化切断反応で得られるanilinothiazolinone-(ATZ-)アミノ酸は、HPLCの移動相中において不安定であるため、このままラセミ化率を求めるのは困難であった。そこで、ATZ-アミノ酸を加水分解して、より安定なphenylthiocarbamoyl-(PTC-)アミノ酸とし、そのラセミ化率を求めた。環化切断反応におけるラセミ化は、すでに蛍光Edman試薬の7-(N,N-dimethylamino) sulfonyl-4-(2,1,3-benzoxadiazolyl)isothiocyanate(DBD-NCS)を用いて詳細に検討され、thiazolinoneのketo-enol互変異性を介してラセミ化すると考えられた。環化切断反応試薬として通常使用されるtrifluoroacetic acid(TFA)を用いた場合、PITCを用いたEdman法においても経時的・温度依存的にラセミ化率が増加することが確認された。環化切断反応におけるラセミ化は、TFAの代わりに非プロトン性ルイス酸であるBF3を用いて抑制されることがDBD-NCSにおいて明らかにされたことから、私も環化切断反応にBF3(濃度:8mM)を適用した。その結果、最もラセミ化率の高かったATZ-Proにおいて4%のラセミ化率を維持し、50℃-5分間で反応が完結することが判明した。

 次に、転換反応におけるアミノ酸のラセミ化を検討した。転換反応では、開環反応と再閉環反応が連続して進行する。このうち再閉環反応については、PTC-アミノ酸を用いて検討し、この段階ではラセミ化しないことを確認した。ATZ-アミノ酸よりPTH-アミノ酸へのラセミ化率を調べたところ、転換反応試薬として通常使用される20%TFA溶液を用いた場合、Leuにおいて高いラセミ化率が観測された。そこで、20%TFAの代わりにHCl-MeOH溶液(1:10,v/v)を適用したとき、ラセミ化率が低減した。これは、ATZ-アミノ酸が速く分解されて、ラセミ化の機会が少なくなったものと推察された。以上の結果から、転換反応仁はHCI-MeOH溶液を用いることとした。

 Edman法より得られたPTH-アミノ酸は、後述する新規に調製したβ-シクロデキストリン固定化カラムを用いて光学分割を検討した。β-シクロデキストリンの水酸基をphenylcarbamoyl修飾した7.5Ph/CD固定相および水酸基未修飾のNative-CD固定相を用いて同時に検出することで、PTH-アミノ酸の種類とD/L絶対配置を決定することが可能となった。

 以上の結果を踏まえて、市販の合成ペプチドであるβ-アミロイド(1-16)ペプチド2nmolを用い、N末端アミノ酸配列分析・D/L絶対配置同時分析法を実施した。アミノ酸配列は12残基目まで検出され、D/L絶対配置はすべてLと同定された。また、ラセミ化したDのPTH-アミノ酸もわずかではあるが検出された。

【2. PTC-アミノ酸光学異性体の一斉分離法の確立】

 PTH-アミノ酸を検出対象としたEdman法では、若干ながらラセミ化が認められた。転換反応では50℃の温度が必要であり、これがラセミ化を増加させる要因の1つと考えた。そこで転換反応の代わりに加水分解を適用し、緩和な条件でATZ-アミノ酸からPTC-アミノ酸を得ることができれば、ラセミ化が抑制できると考えた。そこでまず、この方法で得られるPTC-アミノ酸の光学分割および一斉分離法を検討した。

 PTC-アミノ酸の光学分割を検討するために、5種のβ-シクロデキストリン固定相を新規に調製した。β-シクロデキストリンは1分子に20個の水酸基を有し、これらの水酸基はphenylisocyanateを反応させるとphenylcarbamoyl化される。水酸基の修飾数nは、元素分析法による炭素含量から算出した。5種のβ-シクロデキストリン固定相(Native-CD, 0.2Ph/CD,3.3Ph/CD, 7.5Ph/CD, 16.9Ph/CD)におけるPTC-アミノ酸の分離係数αを比較すると、Serの光学分割が非常に困難であり、3.3Ph/CD固定相を用いた場合のみ光学分割された。この3.3Ph/CD固定相を用いて、18種類のPTC-アミノ酸はいずれも光学分割できることが示された。

 しかしながら、PTC-アミノ酸の相互分離は必ずしも十分ではなく、特にSer, Gly, Asnの3種は3.3Ph/CD固定相上でほぼ同時に溶出された。そこで、これらのPTC-アミノ酸を相互分離するため、逆相カラムとの連結を検討した。3種の逆相カラム(メチル,フェニル,オクチル)における分離を比較した結果、オクチルカラムが適当と判断された。オクチルカラムおよび3.3Ph/CD固定相カラムのカラム温度によってPTC-アミノ酸の保持時間を調節できることから、それぞれのカラム温度を30℃および20℃に設定して直列に連結することでSer, Gly, Asnの光学異性体の相互分離を可能にした。さらにArgとPro、またHisとAlaを分離するために、HPLC移動相に対してイオンペア試薬の添加を検討し、Glyを含む37種類のPTC-アミノ酸光学異性体の一斉分離法を確立した。この一斉分離法における1試料の分析所要時間は150分であり、各ピーク保持時間の再現性は良好であった。

【3. PTC-アミノ酸の光学分割を用いたN末端アミノ酸の逐次配列・D/L絶対配置同時分析法の自動化】

 PTC-アミノ酸のラセミ化を抑制するEdman法を自動配列分析装置に適用するため、各反応条件を詳細に検討した。

 まず、自動配列分析装置(Protein sequencer 477A)を用いて環化切断反応におけるBF3濃度を検討した。PVDF膜に対してミオグロビンを供し、カップリング反応後に環化切断反応を行ったところ、BF3濃度が40mMのときに最も高い収量を示した。また、ATZ-アミノ酸の抽出操作に用いる有機溶媒としてCH3CN, AcOEt,1-butyl chlorideを比較した結果、1-butyl chlorideを用いたときに最も効率よくATZ-アミノ酸が抽出された。これにより、自動配列分析装置における環化切断反応とATZ-アミノ酸の抽出操作を最適化することができた。

 次に、ATZ-アミノ酸の加水分解反応におけるラセミ化をマニュアル操作にて検討した。代表的なアミノ酸としてLeuを用いて室温における反応の経時変化を調べたところ、CH3CNを含む塩酸溶液を用いたとき加水分解反応は速やかに進み、ラセミ化が抑制されることが判明した。さらに、ATZ-アミノ酸の加水分解反応時のラセミ化に与える塩酸濃度の影響を調べ、代表的な5種のアミノ酸(Arg, Asp, Leu, Gln, Glu)のラセミ化率を測定した。その結果、0.1M以上の塩酸を用いたときに5種すべてのアミノ酸のラセミ化が抑制されたことから、加水分解時の塩酸濃度は0.1M設定した。

 このようにして得られた最適条件を用いて、ペプチドのN末端アミノ酸配列・D/L絶対配置同時分析を実施した。試料は市販の合成ペプチドであるβ-アミロイド(1-40)ペプチドを5nmol使用し、Edman法のカップリング反応から抽出までの操作は自動配列分析装置にて、加水分解はマニュアルにて行った。得られたPTC-アミノ酸は先に確立した一斉分離法を用いて同定し、10残基目までのアミノ酸の種類とそのD/L絶対配置を同時に分析できることが示された。

【結論】

 本研究ではPlTCを用いるペプチドN末端アミノ酸配列・D/L絶対配置同時分析法の開発を目的とし、PTH-アミノ酸またはPTC-アミノ酸の光学分割法を応用したアミノ酸配列分析法を確立した。特にPTC-アミノ酸を検出対象とするアミノ酸配列分析法は、汎用の自動分析装置とPTC-アミノ酸光学異性体の一斉分離法を用いることから、簡便にアミノ酸配列とD/L絶対配置を同時決定することが可能であり・ペプチドや蛋白質の一次構造解析法に応用できるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、無脊椎動物や両生類およびヒトの生体内において、D-アミノ酸を含むペプチドや蛋白質の存在が相次いで報告されている。そのためペプチドや蛋白質の一次構造解析においては、アミノ酸配列だけでなくそのD/L絶対配置を決定することが重要と考えられる。しかしながら、アミノ酸配列とD/L絶対配置の同時分析法が実用に供された例は少なく、また特定のアミノ酸が同定できないなどの分析法の間題点も抱えていた。本論文では、最も汎用されているEdman試薬であるphenylisothiocyanate(PITC)を用いるN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置同時分析法の開発について述べられている。

 まず、通常のEdman法の生成物であるphenylthiohydantoin-(PTH-)アミノ酸を検出対象としたN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置同時分析法の開発を試みた。Edman法の環化切断反応および転換反応におけるアミノ酸のラセミ化を検討した結果、反応試薬としてそれぞれborontrifluoride(BF3)および塩酸-メタノール溶液(1:10,v/v)を適用することでアミノ酸のラセミ化は約10%まで抑制することが可能となった。さらに得られたPTH-アミノ酸についてD/L絶対配置を同定するために、β-シクロデキストリン固定相を用いた光学分割HPLC法を検討した。β-シクロデキストリンの水酸基が未修飾である固定相および水酸基がフェニルカルバモイル修飾された固定相の2種類を用いることで、18種類のPTH-アミノ酸の光学分割に成功した。そして、改良したEdman法とPTH-アミノ酸光学分割法を組み合わせることで、N末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置同時分析法が確立された。

 しかしながら、PTH-アミノ酸を検出対象としたEdman法では若干ながらラセミ化が認められた。Edman法の転換反応におけるアミノ酸のラセミ化を避けるために、転換反応ではなく加水分解反応を適用することを考えた。すなわち、anilinothiazolinone-(ATZ-)アミノ酸の加水分解反応で得られるphenylthiocarbamoyl-(PTC)アミノ酸を検出対象とした。まず、4種類のフェニルカルバモイル化ベータシクロデキストリン固定相(0.2Ph/CD, 3.3Ph/CD, 7.5Ph/CD, 16.9Ph/CD)および未修飾のベータシクロデキストリン固定相(Native-CD)の計5種類を新規に調製して光学分割を検討した結果、3.3Ph/CD固定相において18種類のPTC-アミノ酸の光学分割が達成された。さらに個々のPTC-アミノ酸光学異性体を分離するために、逆相系のオクチルカラムと3.3Ph/CD固定相カラムを連結することで、グリシンを含む全37種類のPTC-アミノ酸光学異性体の一斉分離に初めて成功した。

 また、PTC-アミノ酸を得るためのEdman法について、操作の簡便化を図るために自動配列分析装置を用いた。環化切断反応試薬としてtrifluoroacetic acid(TFA)の代わりに40mMBF3を適用し、自動配列分析装置において環化切断反応とATZ-アミノ酸の抽出操作を最適化した。さらにATZ-アミノ酸の加水分解反応におけるラセミ化を検討し、0.1M以上の塩酸溶液を用いたときラセミ化が抑制されることを明らかにした。最後に、自動配列分析装置とPTC-アミノ酸光学異性体の一斉分離法を組み合わせたアミノ酸逐次配列分析法の有用性を示すために、市販の合成ペプチドであるβ-アミロイド(1-40)ペプチドを測定した。その結果、10残基目までのアミノ酸の種類とそのD/L絶対配置を同時に測定できることが示された。

 以上、本研究は新規光学活性固定相(3.3Ph/CD)の開発を含め、18種類のPTH-アミノ酸またはPTC-アミノ酸の光学分割法を検討し、ペプチドN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置同時分析法を確立したものである。PTC-アミノ酸光学異性体の一斉分離法と汎用の自動配列分析装置の組み合わせでは、簡便にアミノ酸配列とD/L絶対配置を同時決定することが可能であり、本研究は分析化学、生化学に寄与するものとして博士(薬学)に値する論文であると認めた。

UTokyo Repositoryリンク