学位論文要旨



No 214706
著者(漢字) 内山,融
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,ユウ
標題(和) 現代日本の国家と市場 : 石油危機以降の市場の脱<公的領域>化
標題(洋)
報告番号 214706
報告番号 乙14706
学位授与日 2000.05.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第14706号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,毅
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 森田,朗
 東京大学 教授 樋渡,展洋
 東京大学 助教授 田邊,國昭
内容要旨 要旨を表示する

 1970年代の日本は、政治・経済両面での危機の時代であった。すなわち、1973年に発生した石油危機は日本経済を混乱状態に陥れ、高度成長は終焉を迎えた。政治面においても、1974年の田中金脈問題や1976年のロッキード事件は自民党政権を大きく動揺させた。これら一連の危機−石油危機に伴う経済変動すなわち経済危機と、自民党政権の動揺すなわち政治危機−は、現代日本の国家と市場の関係(以下、「国家・市場関係」とする)に如何なる影響を与えたのだろうか。本論文の目的はこの問いに答えることにある。

 本論文は「はじめに」と「おわりに」を含む5章から構成されているが、研究の中心となっているのは、問題設定と分析枠組みを示す第1章、国民生活安定法を事例として石油危機の短期的な影響を実証的に分析する第2章、独禁法改正等を事例として政治危機と経済危機の中長期的な影響を分析する第3章である。

 まず、「はじめに-1970年代の諸危機と現代日本の政治経済」は、上述のような本論文の基本的問題関心を提示するとともに、現在の経済政策が市場原理を尊重する傾向に変化してきたことを指摘しつつ、議論の方向についての展望を与えている。

 「問題の所在-国家、市場、そして危機」と題する第1章では、第一に、本論文が「国家・市場関係」に焦点を当てる意味を論じている。すなわち、国家・市場関係という枠組みを採用することは、政治経済現象を公的領域と私的領域の関係という観点から巨視的に分析する上で適切であり、また、この枠組みは日本政治経済に関する多くの先行研究が依ってきたものであるため、その系譜に新たな視点を付加をする上で有益である。第二に、先行研究は国家の強さ(介入の量)や国家・市場間のネットワークに主たる関心を置いていたが、本論文では国家・市場関係を国家介入の質という視点から捉える。この視点によれば、国家介入は、競争制限型介入(価格規制政策等)と競争促進型介入(独禁政策等)という質的に異なる二つの要素から構成される。そしてその知的基礎として重要なのが、問題の所在と解決手段を指示する知的枠組みである「政策パラダイム」である。すなわち、市場メカニズムの作用を制限することにより問題解決が図られると想定する「競争制限パラダイム」は競争制限型介入の強化と競争促進型介入の弱化を指示し、市場メカニズムの作用を促進することにより問題解決が図られると想定する「競争促進パラダイム」はその逆を指示する。なお、競争促進パラダイムの指示する方向への国家介入様式の変化が、本論文の鍵概念たる「市場の脱〈公的領域〉化」である。第三に、以上の視点からすれば、冒頭に掲げられた問いは次のように再構成できる。ゴールドソープ等による西欧諸国についての研究では、危機に対する国家介入の在り方としては上記二つのパラダイムの方向があることが示されてきたが、では、1970年代の日本に起こった一連の危機は果たしてどちらの方向に作用したのか。この疑問が本論文の主題となる。第四に、本論文は日本国家の強さについて再検討するための視座も与える。この問題を扱ってきた先行研究は蓄積政策(企業の利潤追求活動を支え、経済成長を促す政策)の領域のみを見ており、本来国家の強さをテストする上で適切な正統化政策(社会的調和のため市民からの同意を調達する政策)の領域についての分析を欠いていたからである。第五に、以上の問題の分析に当たっては、利益・アイディア・制度の三要因に着目した枠組みを用いる。アイディアと制度の両要因は、利益の要因を重視する多元主義論を補完するために導入された。アイディアとは「公共の利益」の内容を指し示すものであり、制度は、(1)あるアクターの持つ影響力の程度を規定する機能、(2)アクターの自己利益の定義・解釈と手段の選択肢を規定する機能、(3)アイディアの形成や政策過程への入力を規定する機能の三つの機能を果たすものである。

 「石油危機と競争制限型介入の強化」と題する第2章では、石油危機の短期的な影響を扱っている。石油危機は日本経済を急激なインフレの危険に直面させたため、価格・需給の直接規制を行うための立法である国民生活安定法が1973年12月に制定された(論文中では同法の制定過程について一次資料を駆使しつつ詳細に検証している)。第一に、高度成長を経て「自由企業体制」が成立した日本においてこのような統制的立法が可能であったのはなぜかという疑問が湧かざるを得ないが、この疑問への回答は、利益・アイディア・制度の三つの要因に求めることができる。利益の要因としては、世論の支持回復を企図した田中角栄首相のリーダーシップ、アイディアの要因としては、「前例」としての占領期の政策等、制度の要因としては、アイディアを規定した政策遺産や、田中のリーダーシップを担保した政府・自民党の構造等が挙げられる。第二に、同法の制定は正統化政策の領域で日本国家が一定の強さを発揮したことを示しているが、実は、日本国家は同法の執行において限界に直面した。その一方で、日本よりも「弱い」国家であるとされてきた米国でははるかに強力な価格規制が実施されている(ニクソンの「新経済政策」)。そこで日米の価格規制政策を比較したところ、諸国家の強さ/弱さを単一の軸で比較することの困難さと国家介入の質に着目することの有益さが改めて確認されるとともに、日米の相違は制度の要因によって説明できることが明らかになった。第三に、本論文全体の文脈では最も重要な点だが、石油危機は、短期的には競争制限型介入を強化する方向に作用したのである。

 「政治危機・経済危機と『市場の脱〈公的領域〉化』」と題する第3章では、政治危機と経済危機の中長期的な影響を分析している。第一に、1970年代中盤に発生した田中金脈問題やロッキード事件により自民党政権は危機を迎えたが、この政治危機を受けて登場した三木武夫首相は、自民党への支持回復と政権基盤の強化を企図して独禁法改正に着手した。福田赳夫内閣も同様の理由から同法改正に力を入れ、1977年にこれを実現した(論文中では改正過程を利益・アイディア・制度の三要因により説明している)。この改正の最大の意義は、独禁法史上初の強化改正であり、競争促進型介入の強化を決定づけたという点にある。もっともこれは当事者達の意図せざる結果であった。改正を推進したアクター(三木、杜会党等)は独禁法の持つ正統化機能を重視していたにもかかわらず、結果として同法は蓄積機能を果たすことになったからである。いずれにせよ、重要なのは、政治危機が経済危機と相俟って競争促進型介入を強化する方向に作用したことである。なお、1974年2月に行われた石油カルテル事件の告発も、競争制限的な行政指導を制約する役割を果たした。第二に、石油危機に起因する経済環境の変化は、(1)減量経営、産業構造変化という形で市場の自律的対応が進展したこと、(2)経済官僚が競争制限の弊害を認識するようになったこと、(3)協調的労使関係構造が定着したこと等を通じて、競争制限型介入の弱化をもたらした。以上要するに、1970年代の日本においては政治危機と経済危機を契機として「市場の脱〈公的領域〉化」が進展したのである。

 「おわりに-現代日本政治経済への視座」は、これまでの議論を総括した上で、本論文が有する現代的意味を示している。第一に、1970年代における「市場の脱〈公的領域〉化」の進展は、政策パラダイムにおける変化(競争促進パラダイムが競争制限パラダイムに対して影響力を増大させたこと)によって説明される。そしてその変化を規定したのは、アイディア・利益・制度の織りなすダイナミクスであった。すなわち、アイディアと利益が一致することにより独禁法改正という制度変化が実現したが、これに伴い、通産省に代表される経済官僚は自らの政策思想と組織利益を定義し直したため、競争促進パラダイムを受け入れるようになったのである。第二に、本論文は1970年代を対象とするものでありながら、これ以降の時期の日本政治経済を理解する上での有益な視座をも提供する。1980年代にはいわゆる「自由主義的改革」が進められたが、通説的な見解は1970年代を「自民党が左に傾斜した時代」(大嶽秀夫)として1980年代の対極に位置づけてきた。しかし、本論文の見地からすれば、70年代はむしろ80年代の序曲ないしは伏線である。次に、1990年代においても、規制緩和の優先課題化や競争政策の強化に示されるように競争促進パラダイムの影響力は益々強まってきている。このように、現在の日本政治経済の動向を理解するためにも、1970年代の一連の危機が残した影響は無視できないのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「現代日本の国家と市場―石油危機以降の市場の脱<公的領域>化―」は、1970年代以降の日本における国家・市場関係を一連の「危機」との関連で論ずるという問題関心に立ちながら、70年代の日本において起こった一連の危機、すなわち、経済危機(石油危機に起因する経済環境の変動)と政治危機(田中金脈問題やロッキード事件に起因する自民党政権の危機)が国家・市場関係にどのような変化をもたらしたかを、その歴史的展望を含め、具体的に検討した論文である。大きくいえば、本論文の趣旨は、かつて日本政府が許認可、補助金、税制、財政投融資、行政指導といった手段を通して民間の経済活動に介入を行ってきたという事実、それと現在における親制緩和への動きとの間の歴史的媒介項として、70年代の一連の「危機」の影響をとらえなおすことにある。

 第一章「問題の所在-国家、市場、そして危機」では、具体的な事象の分析に先立ち、分析視点の整理検討が行われる。著者は先ず、国家と市場との関係を分析するに際してアクターとしての国家の重要性を指摘する立場に立ちつつ、ここでは国家として官僚機構に焦点を当てるとともに、市場として主として大企業によって担われる生産物市場に念頭に置くことを述べる。次いで著者はこれまで国家・市場関係をめぐる議論を国家の「強さ」に着目するものと、国家・市場間のネットワークに着目するものとに分け、これらとの対比で「国家の介入の質」に自らの分析の特徴を求めている。すなわち、国家介入の類型をデマンドサイド、サプライサイドとミクロ、マクロという二つの軸によって分類し、そのうちのサプライサイドのミクロ介入という政策類型に焦点を合わせる。具体的には競争制限型介入と競争促進型介入という二つの政策パラダイムがそこから出てくるが、著者によれば、この二つは市場原理への信頼感の程度と深く結びついている。産業政策に代表される競争制限的類型がこれまで多くの関心を集めてきたが、著者によればこの二つの類型を対等に視野に入れ、ミクロ政策全体をバランスよく取り扱うことによって国家・市場関係はよりよく理解できるというのである。70年代の「危機」への日本を含む各国の政策対応については多くの研究の蓄積があるが、著者は先の二つの政策パラダイムによって構成されるミクロ政策全体の潮流の変化を明らかにすること、その副題からも示唆されているように競争制限パラダイムに対して競争促進パラダイム優位になっていく推移(これを著者は、「市場の脱〈公的領域〉化」と呼ぶ)を明らかにすることを本論文の目的であるとしている。

 第一章の最後の部分において著者は政策形成及び政策潮流の変化を分析するためのより具体的な枠組みを提示する。すなわち、公的アクターに政策形成を促す要因としては利益が考えられるが、同時に政策はアイディアによって支えられなければならない。更に、各アクターの行動をいろいろな形で枠づけ、その政策の実現可能性に影響を与えるものとして制度に注目しなければならない。このように利益、アイディア、制度の三つの要因に着目して70年代の政策過程を解明することが本論文の課題となる。同時に著者は、一定の時期における政策形成が一種の制度となり、政策遺産となることによって政策潮流の変化につながることに注意を喚起している。著者のいう「市場の脱<公的領域>化」とはこうした変化が構造化された事態を指すものである。

 第二章「石油危機と競争制限型介入の強化」は、石油危機を背景に制定された国民生活安定緊急措置法(以下、国民生活安定法とする)の成立の背景とその立法過程の分析を通して、日本における国家・市場関係の考察を行うものである。その第一節において著者は、1960年代において私企業が政府に対して高い自律性を持つ自由企業体制と呼ぶべき政治経済体制が成立し、市場原理に対する尊重が競争制限型介入政策の後退を生み出していたという事実を確認するところから出発する。一言で言えば、1970年代初頭までに利益、アイディア、制度の三つの面において競争制限型介入が弱化するという政策潮流の変化が見られたのである。ところが国民生活安定法は価格と需給の直接的規制を目標とする点で、こうした変化に明らかに相反するものであった。そこで著者はこの特異な立法を生み出した背景としての「狂乱物価」に言及しつつ、国民生活安定法の制定過程の詳細な分析に進んでいく(第二節)。

 国民生活安定法は標準価格制度に代表される価格調整に関する制度と,生産・輸入・保管に関する指示を含む需給調整に関する制度からなる極めて強力な競争制限型介入政策を内包していたが、著者の関心はそれまでの政策潮流に矛盾するように見えるこの法律がどのようにして可能になったのかに向けられる。そこで著者は政策課題設定、政策立案、政策決定、政策執行という四つの段階に分けて、それぞれの局面における主要なアクターの役割を利益、アイディア、制度という三つの要因に着目する形で検討する、著者が政策課題設定において焦点として取り上げるのは田中首相の政策転換とリーダーシップである。日本の物価高騰は石油危機以前から始まっていたが、田中の積極財政主義は物価の高騰に対する対策を困難にしていた。石油危機が国民生活を巻き込む混乱を生み出すに及んで、自民党内部からの突き上げ、野党及び野党勢力からの批判の激化もあって、田中の態度は大きく変化する。そして、「石油緊急対策要綱」といったものが閣議決定されるようになったが、やがて田中の指示で石油以外の国民生活にとって重要な他の物資をも対象とし、しかも、総需要の抑制といったものに止まらず、物価対策として価格・需給関係の安定を直接目的とする立法が追求されることになった。著者はこうした田中の行動の変身ぶりを利益、アイディア、制度の三つの観点から分析している。

 著者が最も詳細な分析を加えているのが、政府内部の複数のアクターや政官の動きが交錯する政策立案過程である。実質的には2週間余りで閣議決定に至ったこの過程において争点として繰り返し取り上げられたのは、価格規制にどの程度の強制力を与えるか(統制の程度をめぐる問題)、便乗値上げ等により不当に得られた超過利潤をどのような方法で吸収するか(課徴金、税、罰金といった選択肢の是非)、公定価格制を採用する場合に物価統制令の規定を利用するか(統制色の程度をめぐる問題)、規制を行う主体は政府とするか業界団体とするか(独禁法適用除外をめぐる問題)といった問題であったという。著者はこれらの論点について事態の進行の中でどのアクターがどのような見解を標榜し、どのような要望を行ったかを細かく分析紹介している。また、自民党及び世論における「官僚統制」に対する警戒感が紹介され、立法の過程において「統制」色を薄める方向(例えば、価格・需給規制措置の発動のための要件の厳格化)が台頭してくる様子が具体的に描かれている。また、同じアクターにしても、例えば、通産省のように一方では統制強化に反対しつつ、他方では、競争制限パラダイムであるカルテル政策に固執して公正取引委員会と衝突したといったように、問題に応じて二つのパラダイムを使い分けるような姿も指摘されている。更に、政策決定過程においては国会審議の時間的制限を背景に野党の修正案が受け入れられたが、ここでもまた統制色を弱める方向が新たに付け加えられたという。

 次に著者はこの法律の執行過程についての分析を行い、標準価格の設定が行われたのは灯油やトイレットペーパーなど僅か四品目に限られ、課徴金賦課を前提にした特定標準価格の設定はなく、物価統制令の発動は一例もなかったとしている。その一方で行政指導が価格規制のために多用され、国民生活安定法はあくまで「伝家の宝刀」に止まったという。その背後には現実に価格規制を実現するだけの人的資源が政府に欠けていたことに加え、強力な介入政策そのものに対する懐疑論が政策関係者をも含め、広範に存在していたことがあったというのが、著者の解釈である。従って、この法律は政策潮流を逆転させるもののように見えつつも、その執行・運用段階において大きな限界をさらすことになったと結論づけらる。この法律を通して見ると、日本国家は政策立案・決定段階では一定の強さを発揮できたが、執行段階においては発動の抑制の面がはっきりと現れ、同法は「伝家の宝刀」に止まることになったのである。著者は70年代における各国の価格規制政策を振り返りながら、「強い」はずの日本国家よりも「弱い」はずのアメリカ国家がより強力な介入政策を行っていたことを確認し、国家の「強さ」「弱さ」といった議論を無限定的に適用することを戒めている。

 第三章「政治危機・経済危機と「市場の脱<公的領域>化」はその後の政治危機を中心にして競争促進型介入への潮流が定着していく過程を分析し、第二次石油危機への対応を検討することによって「市場の脱<公的領域>化」が進展したことを指摘している。第一節「自民党政権の危機(1974-76年)」では田中政権の崩壊、その後の三木・福田政権の下での政局について概観した後、著者は第二節において三木・福田政権下において大きな争点となった独禁法をめぐる問題を取り上げる。物価高騰の中で70年代に入るとカルテル事件が急増したが、その中で代表的なものが石油カルテル事件であった。公正取引委員会の告発を受けて検察は石油連盟と元売12社を起訴し、独禁法と行政指導との関係が正面から法廷で取り上げられることになったが、著者によれば、判決は基本的に競争制限的な行政指導に対してかなり厳格な制限を課したものと理解される。これは司法が競争制限パラダイムに対して競争促進パラダイムを優先させることを示すことによって、行政の働きに枠をはめたものとして評価できるとされる。

 次いで著者は1977年に実現した独禁法改正をめぐる政治過程の分析を行う。独禁政策を推進する議論には「独占資本」の脅威を警戒する主張に立脚するものと市場機構の健全性の維持を掲げる立場という二つがあったことを指摘した後、著者は戦後の独禁法をめぐる潮流を三つの段階に分け、70年代はその適用の活発化が徐々に見られるようになった時期であると位置づけている。77年の改正はそれまでの改正が独禁法の緩和に向けた改正であったのと異なり、課徴金制度の導入などに代表されるようにその強化を特徴としていた。著者は、この改正を競争促進型介入の強化という政策潮流を「決定づけた」ものと評価する。そこで著者はこの改正過程の考察を通して、アイディアと利益双方の面でそれがいかにして可能になったかを国民生活安定法と同様の分析方法で跡づけようとする。独禁法改正という政策課題を設定する上で決定的に重要であったのは三木首相のイニシャティブであったが、それは世論の反大企業意識の高揚や自民党の金権体質批判といった世論の動向への配慮があった。また、独占企業に対する規制強化は三木の思想的原点とも親和性があったという。これによって公正取引委員会がかねて抱いていた独禁法改正へのアイディアは政治の舞台に登場することになった。政策立案過程においては政府内部及び自民党との調整が難航し、経済界は改正反対の立場をとり、それに政治的な反三木感情が絡んで原案は幾度も修正を余儀なくされた。第一次政府案は衆院を通過したが、参院で廃案になった。その際、著者は野党が基本的にこの改正を支持し、首相との共同歩調の傾向をはっきりと示した点に着目している。その後幾度もの紆余曲折を経て独禁法改正案は福田政権の下で成立するが、著者は福田政権をそれへと向けて突き動かしたのが自民党政権の危機、与野党伯仲状態であったとしている。その意味では政治危機が政治のリーダーに独禁法改正を利益と考える政治環境を醸成したというのである。それと同時に著者は、この改正賛成論が実際には一枚岩ではなく、ましてや全てのアクターが「市場の脱<公的領域>化」を意図していたわけではないことを強調している。与野党の立場にしても、「競争促進による効率の達成」という視点は乏しく、野党は総じて独占の脅威という観点から改正に賛成したのであった。こうした観点から著者は、この改正が競争促進パラダイムの定着に道を開いたというのは、「意図せざる結果」であったと結論づけている。

 次いで著者は、構造不況業種対策として制定された競争制限的な内容を持つ特安法を取り上げる。この法案作成過程においては競争制限的な通産省案が公正取引委員会や野党の反対の他、世論の広範な批判を浴び、独禁法適用除外規定を撤回せざるを得なかったことが指摘される。著者によれば、特安法そのものが独禁法改正を含む独禁政策の強化によって必要になったという点で、政策潮流の変化の産物であった。その後の一連の構造不況対策法においても競争制限的色彩はますます薄くなっていったとしている。

 こうした競争制限パラダイムの弱化の中で70年代においては市場の自律的対応が進んでいった。著者は減量経営による企業経営の合理化、省エネルギー・省資源型産業構造への転換をその現れとするが、それによって物価問題が争点から消え、第二次石油危機の際には価格・需給直接規制政策はもはや登場することはなかった。それどころか、第一次石油危機直後に行われた価格規制の持つ弊害が顕在化し、競争制限パラダイムの信頼性を政策当局者の間でも失わせる結果となった。そして、現実にこうした企業の減量経営を可能にした条件として著者は労使関係の変化--非紛争的・協調的な関係の確立--と特に75年の春闘を大きな転機としてあげている。いずれにせよ、第一次石油危機と異なり第二次石油危機への冷静な対応が可能になったのは、70年代に進行した「市場の脱<公的領域>化」によるところ大であるというのが、著者の見解である。こうして70年代末から政策の主軸は財政赤字の削減と行政改革へと移り、経済自由主義のアイディアが支配的な地位を占めるに至った。著者によれば、70年代の日本においては経済危機と政治危機とが複合することによって財政の悪化を促し、競争制限型介入の資源を減少させるとともに、行政改革を避けられない課題としたのである。

 「おわりに」において著者は、70年代の経済危機、政治危機は競争制限型介入の弱化という政策潮流の変化をもたらしたこと、それに一見したところ逆行したように見えた競争制限型介入は政策遺産として定着しなかったこと、その過程において競争制限型介入を自らの存在事由としてきた通産省に政策目的の再定義が進行したこと、従って、「市場の脱<公的領域>化〕という過程が進行したことを再説している。同時に著者は、こうした解釈は70年代と80年代とを異なった政策潮流を体現するものとみなす解釈に対して見直しを求める意味を持つことを付言する。そして70年代のこの変化を90年代における競争促進パラダイムの定着乃至深化の先駆的現れとしての意味を持つことを述べて本論文を結んでいる。

 以上が本論文の要旨であり、以下はその評価である。

 本論文の長所としては、以下の諸点をあげることができる。先ず第一に、70年代における国家と市場との関係の展開をサプライサイドのミクロ介入に焦点を絞りながら、競争促進型介入の競争制限型介入に対する優位の確立過程として描き出すことにかなりの程度成功したことがあげられる。主たる分析対象の一つである国民生活安定法や独禁法改正などに含まれている国家と市場との関係についての含意とひだを丹念に掘り起こしながら議論を進めていく態度は本論文の大きな特徴であり、幾つかのパラドクスの解明を含め、それがかなりの成果をおさめたことは疑問の余地がない。

 第二に、豊富な資料(内部的なものと思われる)を用いながら、アクターの利益、アイディア、制度という三つの要素に着目して、国家活動の複雑さとそのダイナミズムを具体的に解明したことがあげられる。サプライサイドのミクロ介入に焦点を当てたこともあって、通産省が本論文において主たるアクターであることは疑う余地がないが、政党は勿論のこと、公正取引委員会から裁判所の活動に至るまで、多様なアクターの市場をめぐる機能の複雑な関係を示したことは、本論文の一つの功績である。

 第三に、これまでとかく対立的にとらえられ勝ちであった70年代と80年代とをむしろ連続的にとらえる観点を示したことがあげられる。これは議論の余地のある指摘であるが、一つの議論の可能性を示したものとして注目されると思われる。

 もとより、本論文にも短所がないわけではない。第一に、サプライサイドのミクロ介入に焦点を当てて分析することが、70年代の国家・市場関係全体の分析にとってどのような意味を持つのかについての整理が十分なされているとはいえない。このことが全体の論旨の分かり難さにつながっている。

 第二に、歴史資料の使用や先行学説の扱いなどの点でより慎重な態度が望まれる点が散見される。

 以上のように本論文にも短所がないわけではないが、70年代の国家・市場関係についての新たな知見を提起したものとして、本論文は博士(法学)の学位を授与するのに相応しいものと認められる。

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