学位論文要旨



No 214716
著者(漢字) 中尾,愛子
著者(英字)
著者(カナ) ナカオ,アイコ
標題(和) イオンビーム照射による高分子材料の表面機能化とその表面特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214716
報告番号 乙14716
学位授与日 2000.05.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14716号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石原,一彦
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 堀池,靖浩
 東京大学 助教授 霜垣,幸浩
内容要旨 要旨を表示する

 近年の材料科学を支える一要素としての高分子材料は、材料自体の高性能化、高機能化の研究が進んでいる。これからの機能性材料は、あらゆる広い分野への自由自在な適応が強く望まれており、一方では、環境にもやさしく、人類にもやさしい材料であることも必須の条件となりつつある。不活性な汎用の高分子材料は、材料の安定性や環境への適応性が非常に魅力的であり、既に多方面で利用されている。また、さらに表面の性質を変え、表面に機能を付与することにより、その応用範囲はさらに広がりを示す。

 一方、高分子材料の代表的な表面改質法として、コロナ照射あるいはプラズマ照射があげられる。近年、新しい手法として、紫外線照射、レーザー照射、電子ビーム照射やイオンビーム照射などが試みられているが、まだ、確立された手法となっていない。この中で、イオンビーム照射は、固体中の直進性がよく、定量性、制御性、再現性、多様性などのいずれの点でも際立っており、イオンビーム照射法による高分子材料表面の改質条件の確立によって、ミクロドメインの表面改質や、パターン化された表面の構築などが可能となる。このように、非常に応用範囲の広いイオンビーム照射法を高分子材料の表面機能化手法として応用することは、非常に魅力的である。

 本研究は、イオンビーム照射法により高分子材料表面の高機能化、高性能化を達成することを目指して、不活性な汎用性高分子材料表面にイオンビーム照射により新規表面を創製するとともに、新規表面の化学組成及び構造を解析した。また、新しく付与された表面の物理学的、生物学的表面特性の解析を行い、イオンビーム照射条件との相関関係を系統的に検討してきた。その結果、以下のことが明らかとなった。

 汎用高分子であるポリスチレン(PS),ポリプロピレン(PP)及びポリエチレン(PE)にイオンビーム照射を行うと、イオン種や照射エネルギー強度によって、化学組成及び構造の異なる表面が創製された。ネオン(Ne)イオンビーム照射を行った場合、まず、高分子構造の破壊や新しい官能基の生成が認められた。また、イオン照射量を増加していくと、ある照射量を上限として、新しい官能、基の生成量が増加した。また、アモルファスカーボン生成による炭素化が生じるがその量は、照射量と伴に増加した。ナトリウム(Na)イオンビーム照射の場合も、まず、高分子構造の破壊や新しい官能基の生成が見られる。特に、低加速電圧でイオンビーム照射した場合は、Naイオンの注入効果により、照射量増加と伴に官能基の量が増加、かつ、アモルファスカーボンの量も増えた。ヘリウム(He)イオンビーム照射の場合は、まず、高分子材料表面に存在する炭素原子同士の構造の乱れが最初に生じる。そして、照射量を増加していくと、カルボニル基やカルボキシル基などの官能基が生成される。Heイオンビーム照射は、NeやNaに比較すると表面のイオン化エネルギーが大きいので、NeやNaより少ない照射量で、表面構造の変化が生じることが明らかとなった。

 表面構造変化の加速電圧依存性は、希ガスであるNeを用いた場合に比べて、アルカリ金属であるNaをイオンビーム照射した場合の方が、顕著であった。低加速電圧でイオンビーム照射した場合は、Naイオンの注入効果炉明確に現れ、さらに、多量にNaイオンが注入されると、高分子材料中のNaイオンが、表面に濃縮された。また、表面の官能基の量も増加していった。

 また、バルクの化学構造が異なるPS,PP及びPEにおいて、Neイオンビーム照射によって新しく創製された表面は、類似した化学繊・構造を持つことが明らかとなり、このことから、希ガスを用いてイオンビーム照射を行った場合、化学構造や特性に影響されずに、新しい機能をもつ表面創製の可能性が示唆された。

 次に、イオンビーム照射した高分子材料の構造変化を、X線光電子分光分析法(XPS)の価電子帯スペクトルの変化より追跡した。構造変化の過程を予想し、仮定した構造の価電子帯スペクトルを分子軌道計算法(半経験的MO法)により理論的なシミュレーションを行った。実験結果と理論値をフィッテイングしながら、予想した高分子構造の変化を確認した。その結果、PS,PP,PEにおいて、段階的な構造変化の予想が可能となり、また、XPSによる官能基の生成の追跡結果と非常によい一致を示した。すなわち、XPS価電子帯スペクトルの変化と分子軌道計算法(半経験的MO法)にる理論価電子帯スペクトルのフィッテングにより、高分子材料の表面構造変化を追跡できることが明らかとなった。

 イオンビーム照射による高分子材料表面・表層に構造変化をラザフオード後方散乱法(RBS)と飛行時間型二次イオン質量分析装置(TOF-SIMS)により解析を行った。その結果NeイオンとNaイオンとでその照射効果に違いが現れた。

 Neイオンビーム照射により、PS表面において、主鎖の切断や側鎖のベンゼン環構造の破壊、フェニル基の離脱が起こる。その結果、H2やCH4などの揮発性のガスが生成、揮発する。これにより、PS構造から水素原子が脱離し、結果としてカーボンリッチ(炭素化)になることが推察された。また、照射されたNeイオンはPSから完全に抜けていることがRBSの結果より明らかとなった。また、TOF-SIMS測定よりベンゼン環構造め破壊や酸素と結合した構造のフラグメントを表す新たな質量ピークが検出された。これにより、PS表面・表層のアモルファスカーボン化及び酸素との結合による新たな構造の生成が明らかになった。

 Naイオンビーム照射によりPSに注入されたNaの分布は、照射量が増加するに従い、表面に濃縮する事が明らかとなった。この現象は、PP及びPEにおいても見られた。また、TOF-SIMSの結果より、Naイオンビーム照射においては、Neイオンビーム照射よりもPS構造の分解は少なく、Naイオンが注入された後も、PS構造が残っていることが明らかとなった。

 最後に、イオンビーム照射にって新しく創製された高分子材料表面の表面特性の変化を追跡した。物理的表面特性としてぬれ性及び表面電位に注目した。イオン種、加速電圧のイオンビーム照射条件を変えることにより、ぬれ性及び表面電位を制御できることが明らかとなった。また、ぬれ性と表面電位の関係についても、イオンビーム照射により2種類の異なる特性をもつ表面が創製された。これは、従来の表面改質法では達成できない画期的なことであり、本研究で見出した新事実である。また、アルカリ金属であるNaをイオン化して低加速電圧で多量のイオンビーム照射した場合、高分子材料の構造による違いが、新しい表面の構造や特性に影響を与える可能性があることが明らかとなった。

 生物的表面特性として、BEACを用い細胞接着挙動を追跡した結果、ある照射量以上のイオンビーム照射を行った結果、細胞接着性の向上が見られた。未照射高分子材料自身の細胞接着の有無に関わらず、その傾向は顕著であった。また、細胞接着性の向上は、表面構造の乱れによるアモルファス化のはじまり、つまり、部分的にアモルファス構造になっているミクロ不均一性が一因であることが明らかとなった。

 本研究により、イオンビーム照射により、高分子材料表面の構造を制御が可能であること、また、材料中に注入されたイオンと高分子の相互作用により、新規に表面が創製されることが明らかとなった。それに伴い、親疎水性や表面電位の制御が可能であること、また、新規医療デバイスの実現を可能にする、細胞接着性の向上が見出された。これにより、イオンビーム照射法が、高分子材料の表面機能化における材料設計の手法の一つとしての可能性が示唆された。

 イオンビームは、固体中の直進性がよく、定量性、制御性、再現性、多様性などのいずれの点でも際立っており、ミクロドメインの表面改質や、パターン化された表面の構築などが可能となるので、本研究は、これからのマテリアル工学における高分子表面改質の新しい手法を提案するとともに、確立したことで、その重要度は非常に高い。

 また、XPS価電子帯スペクトルの変化と分子軌道計算法(半経験的MO法)にる理論価電子帯スペクトルのフィッテングにより、高分子材料の表面構造変化を追跡できることは、イオンビーム照射法による材料設計の新しい可能性を明確に示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、イオンビーム照射法を利用した高分子材料表面の高機能化、高性能化に関する。不活性な汎用高分子材料に従来適用が困難と考えられていたイオンビーム照射法で、条件を厳密に制御して新規機能表面を創製すること目的とし、表面の化学組成及び構造を解析、新しく付与された表面の物理学的および生物学的表面特性の解析を行い、イオンビーム照射条件との相関関係を系統的に検討したもので、全7章よりなる。

 第1章では、従来の高分子表面改質手法、イオンビーム照射法が材料に与える影響あるいはイオンビーム照射に関する既存の研究について概観し、本研究の目的、位置づけ、独創性、工学的意義について述べている。

 第2章では、汎用高分子であるポリスチレン(PS)、ポリプロピレン(PP)及びポリエチレン(PE)を材料として選定し、これらにイオンビーム照射を行い、イオン種や照射エネルギーなどの照射条件の変化が表面構造に与える影響について検討している。イオン種はHe、NeおよびNaを用いた。イオンビーム照射により、高分子材料表面にカルボキシル基やカルボニル基、あるいはペルオキシド結合など酸素を含む官能基の導入やアモルファスカーボンの生成が再現よく行えることを明らかにしている。表面構造変化の加速電圧依存性は、Neを用いた場合に比べて、Naをイオンビーム照射した場合の方が、顕著であった。イオンの注入効果が期待できる低加速電圧でイオンビーム照射した場合は、Naイオンの注入効果が明確に現れ、さらに、多量にNaイオンが注入されると、高分子材料中のNaイオンが、表面に濃縮された。また、表面の官能基の量も増加していった。以上のイオンビーム照射法を用いた一連の系統的な実験により、イオン種、照射エネルギー、照射量などのパラメーターにより高分子材料のバルク構造を変えることなく表面構造が容易に制御できることを明らかにし、新規機能表面の創製への応用性を示している。

 第3章では、イオンビーム照射した高分子材料の構造変化を、X線光電子分光(XPS)分析法の価電子帯スペクトルの変化より追跡している。構造変化の過程を予想し、仮定した構造の価電子帯スペクトルを分子軌道計算法(半経験的MO法)により理論的なシミュレーションを行っている。実験結果と理論値をフィッテイングしながら、予想した高分子構造の変化を確認している。その結果、PS、PP、PEにおいて、段階的な構造変化の予想が可能となり、また、XPSによる官能基の生成の追跡結果と非常によい一致を示した。すなわち、XPS価電子帯スペクトルの変化と分子軌道計算法(半経験的MO法)にる理論価電子帯スペクトルのフィッテイングにより、高分子の表面構造変化を追跡できることを明らかにしている。

 第4章ではイオンビーム照射による高分子材料表面・表層に構造変化をラザフォード後方散乱(RBS)法と飛行時間型二次イオン質量分析(TOF-SIMS)法により解析を行っている。NeイオンとNaイオンを用い、その照射効果が顕著に現れると予想される条件を選び、材料設計手法としての可能性を検討している。その結果、照射効果に顕著な違いが見られた。Neイオンビーム照射により、PS表面のカーボン化が見られた。これは主鎖の切断や側鎖のベンゼン環構造の破壊、フェニル基の離脱が起こり、PS構造から水素原子が脱離し、結果としてカーボンリッチ(炭素化)になることが推察された。また、PS表面・表層のアモルファスカーボン化及び酸素との結合による新たな構造の生成が確認された。Naイオンビーム照射によりPSに注入されたNaの分布は、照射量が増加するに従い、表面に濃縮する事が明らかとなった。この現象は、PP及びPEにおいても見られた。表層の解析により、Naの表面濃縮の過程を考察し、低加速電圧、高照射量のイオンビーム照射が、予想通りにNaイオン添加に有効であることを明らかにし、イオンビーム照射手法の材料設計手法としての確実性を示している。

 第5章では、イオンビーム照射によって新しく創製された高分子材料表面の表面特性の変化を追跡している。物理的表面特性としてぬれ性及び表面電位に注目している。イオン種、加速電圧のイオンビーム照射条件を変えることにより、ぬれ性及び表面電位を明確に制御できることを明らかにしている。また、ぬれ性と表面電位の関係についても、イオンビーム照射により2種類の異なる特性をもつ表面が創製された。これは、従来の表面改質法では達成できない画期的なことであり、本研究で見出した新事実である。

 生物的表面特性として、細胞接着挙動を追跡している。一定の照射量以上のイオンビーム照射を行った結果、細胞接着性の向上が見られた。原料である高分子材料自身の細胞接着の有無に関わらず、その傾向は顕著であった。また、細胞挙動と表面構造の相関関係を検討した結果、細胞接着性の向上は、表面構造の乱れによるアモルファス化のはじまり、つまり、部分的にアモルファス構造になっているミクロ不均質性が一因であることを明らかにしている。

 第6章では、本研究により得られたイオンビーム照射法による汎用高分子材料の表面機能化という成果をまとめ、この成果が工学的にどのような波及効果があるかについて解説している。特にバイオマテリアルとしての応用について人工硬膜、人工血管といった具体例を示し、本研究の工学的な意義を明らかにしている。

 第7章は本論文の総括である。

 以上を要するに、本研究は、イオンビーム照射による高分子表面改質法を確立したもので、容易に明確な機能表面を有する高分子材料を獲得できる技術としてマテリアル工学の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42811