学位論文要旨



No 214717
著者(漢字) 長谷川,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,タロウ
標題(和) レーザー冷却・共同冷却されたrfトラップ中のイオンの運動
標題(洋)
報告番号 214717
報告番号 乙14717
学位授与日 2000.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14717号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山本,智
 東京大学 助教授 江尻,晶
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 黒田,寛人
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、以下の研究成果について報告している。rfイオントラップ中でレーザー冷却・共同冷却されたイオンの運動が冷却レーザーや外部より加えられた高周波電場の影響を受け、更にそのイオン運動がイオンの分光学的応答に影響を与えることを実験的に発見した。この様な影響を考慮した物理学的モデルを設定することによりトラップポテンシャル中のイオン運動を明らかにした。イオンのスペクトル線の変形や周波数シフトを正確に把握することは、rfトラップ中のイオンを高分解能分光測定や高精度標準に応用する際に極めて重要であり、また、外部からの高周波電場による力学的作用を明らかにする事は、イオンの同位体分離への応用や、共同冷却過程で重要な要素となるイオン間衝突に対する知見を得るために必要である。具体的には、主にMg+を使用して以下の実験を行った。

 ・rfトラップ中でレーザー冷却されたMg+の運動によりMg+の蛍光スペクトル線の形状が影響を受け、変形することを観測した。また、この変形した蛍光スペクトル線をモデル計算により再現することができた。

 ・rfトラップポテンシャル中におけるMg+の運動を高用波により選択的に励起することにより、不要な同位体を除去することに成功した。この時、レーザー冷却を同時に行うことにより後に残すイオン数を多くできることを確認した。

 ・rfトラップ中におけるレーザー冷却された24Mg+によるBa+の共同冷却初めて成功した。また、共同冷却時におけるイオン運動の共振周波数を測定し、イオン質量に対する依存性を明らかにした。

 rfトラップは、高周波電場によりイオンなどの荷電粒子を空間に閉じ込める手段である。レーザー冷却や共同冷却等の冷却技術を同時に用いることにより、限られた空間中に束縛された極低温のイオンが得られる。この様な極低温イオンに対して分光学的な興味が持たれている。なぜなら、rfトラップ中のイオンが電磁波と相互作用する時、その電磁波のスペクトル線が次の様な特徴を持つためである。1.極低温であるため、ドップラー効果によるスペクトル線の広がりが小さい。2.壁や分子との衝突が少ないので、衝突によるスペクトル線の広がりが小さい。3.イオンが移動する空間的範囲が小さく、電磁波との相互作用が長くなるので不確定性原理によるスペクトル線の広がりが小さい。このため、高精度時間標準、高分解能分光への応用が期待されている。

 これらの研究にはレーザー冷却が必要不可欠である。レーザー冷却は、光の圧力を利用してイオンの運動エネルギーを減少させる方法である。イオンの種類、個数にも依るが、レーザー冷却により数mK以下まで冷却することが可能である。レーザー冷却はイオンを極低温にする非常に有力な手段ではあるが、イオンのエネルギー構造のために、効率よく冷却できるイオン種は限られている(主にアルカリ土類金属イオン)。特に、分子イオンでは振動や回転のエネルギー準位が存在するためにレーザー冷却の実現は不可能である。そこで、直接レーザー冷却できないイオンを冷却する方法として、2種類のイオンを同時にトラップし、一方のイオンをレーザー冷却し、もう一方のイオンを間接的に冷却する冷却法(共同冷却)が考えられた。共同冷却では、トラップポテンシャル内におけるイオン間の衝突やイオンの運動が重要な役割を持っている。

 本研究では始めに、rfトラップ中のMg+について、冷却レーザーの光圧力により引き起こされるイオンの空間的な移動が蛍光スペクトル線に与える影響を実験的に研究した。実験ではFig.1(a)の様な蛍光スペクトル線の変形が観測され、その変形の程度はトラップポテンシャルの深さ及びレーザー強度に依存していることが分かった。この変形の原因は、イオンが冷却レーザーにより一方向から力を受けて移動し、イオンとレーザービームが相互作用する領域が変化し、測定している蛍光スペクトル線の形に影響が現れるためである考えられる。この変形により、蛍光強度が最大となるレーザー周波数は最大で1GHz程度のシフトをもたらす事が観測された。rfトラップ中のイオンの高分解能分光を行う時や時間標準に対する応用の際に、このような影響が測定精度上の問題となる。次に、この変形がレーザー光の圧力によりイオンが空間的に移動するためであることを示すため、モデルを構築した。ここではレーザー光とイオンの相互作用領域の大きさが変化することが問題となるので、レーザー強度およびイオン密度の空間分布を考慮することにより実験で観測された蛍光スペクトル線の変形を再現することに成功した(Fig.1(b)参照)。従って、木研究で観測された蛍光スペクトル線の変形がイオンの移動により引き起こされることが確かめられた。

 次に、rfトラップにおける共同冷却の実現のため、寒剤イオンとして用いるMg+の同位体(天然同位体比24Mg:25Mg:26Mg=8:1:1)を1種類(24Mg+)のみにし、不要な同位体を除去する方法を開発した。不要な同立体を取り除く事により、共同冷却の実験解析を容易にし、また、イオン群の温度を低下させる事ができる。今回解発した同位体除去の方法は、外部から加える高周波摂動電場によりイオンを強制振動させ、トラップポテンシャル中でのイオンの共振運動を励起することにより追い出す、という方法である。この時、残しておくイオン(24Mg+)をレーザー冷却することにより、24Mg+のトラップ中からの損失を抑える。この結果、約5000個の24Mg+をrfトラップ中に残し、その他の同位体イオンを完全に無くすことができた。また、加える摂動の強さに依存して、イオンが集団として運動したり個々のイオンが独立に運動したりすることが観測された。このようにして得た純粋な24Mg+を、今後の共同冷却の実験に利用する。

 次に、rfトラップ中で24Mg+を寒剤イオンとしてBa+の共同冷却を実現し、その時のBa+の蛍光スペクトルを観測することにより共同冷却の実現を確認する。これには、2種類のイオンを同時にrfトラップ中に捕捉する必要がある。Ba+(原子量137.3)と24Mg+の様に、質量が大きく異なる2種類のイオンを同時にトラップすることは、電子衝撃によるイオン化のように高い運動エネルギーになる方法は用いることができない。なぜなら、重いイオンに対してはトラップポテンシャルが浅すぎるからである。そこで、既にトラップしてあるレーザー冷却された24Mg+に中性Ba原子を衝突させ、

という電荷移動反応ひより、Ba+を生成、導入する方法を試みた。この電荷移動反応が起きていることは、電荷移動により生成されたBa+からの蛍光を検出できたことにより示された。また、Ba+の蛍光スペクトル線幅から、Ba+の温度が約500Kであることが分かり、共同冷却の効果により、緩衝気体冷却の時のBa+の温度(約4000K)より、低くなっていることが観則され、共同冷却が行われていることが分かった。rfトラップにおける寒剤イオンと質量が大きく異なるイオンの共同冷却は今回の実験において初めて実現され、高分解能分光などの応用に対して有用であると考えられる。また、電荷移動過程における運動エネルギーは0.1eV程度であり、通常の電荷移動の実験における運動エネルギー(1keV程度)に比べてかなり小さい。この観測により初めて、このような低エネルギー領域で電荷移動が起きている事が観測された。また、電荷移動の反応断面積σを10-3Å2<σ<10-1Å2と評価でき、その結果が論理的な予想[D.Rapp,and W.E.Francis,J.Chem,Phys.37,2631(1962)]と良い一致をすることが確かめられた。

 共同冷却過程において、間接的に冷却されるイオン(ゲストイオン)は寒剤イオン(ホストイオン)との衝突を通して冷却されるので、イオン間衝突頻度は冷却レートと関係がある需要なパラメーターとなる。イオン間衝突頻度はイオン密度の関数であり、イオン密度はポテンシャルの曲率、即ちイオン運動共振周波数に依存している。従って、共同冷却時のイオン運動共振周波数は、共同冷却による到達温度などを推定するための理論的モデルの構築に対して重要である。そこで、本研究では、rfトラップ中に2種類のイオンを同時にトラップし、共同冷却した時のイオン運動共振周波数を測定した。イオン運動共振周波数は、外部から加える摂動によりイオン運動を励起し、その時の24Mg+の蛍光強度の変化を測定することにより決定した。観測された結果は、24Mg+、Ba+それぞれ単体に対する共振周波数(本実験条件においては24Mg+に対しては約350kHz、Ba+に対しては約60kHz)のどちらとも一致しない周波数(約115kHz)であった。この原因は、イオン運動共振周波数がイオン間クーロン相互作用の影響を受けて変化したことであると考えられる。そこで、更に系統的に研究するために、ゲストイオンとしてBa+の他にCa+(原子量40.1)、Zn+(65.4)、Sr+(87.6)、Yb+(173.0)それぞれを24Mg+により共同冷却した時のイオン運動共振周波数のゲストイオン質量に対する依存性を測定した。いずれのイオンの場合も、Ba+の場合と同様に共振周波数が単体の共振周波数と一致しなかったが、イオンの質量に依存した傾向が見られた。この結果を、ホストイオンを連続体として扱い、1つのゲストイオンとホストイオン集団の運動を考慮するモデルにより説明することができた。この結果は、共同冷却時におけるイオン温度を推定するための理論的モデルの構築の際に大変重要な成果である。

Fig.1: rfトラップ中の24Mg+の変形した蛍光スペクトル線の例。(a)が実験結果、(b)がモデル計算により再現された蛍光スペクトル線である。横軸は、24Mg+の共鳴周波数からのレーザー周波数離調を表す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、rfトラップ中での原子イオンの共同冷却に実験的に取り組んだもので、全体として7章から構成されている。第1章の序論に引き続いて、第2章では本論文で用いたrfトラップ法の原理について、第3章ではイオンの冷却法について、それぞれレビューしている。第4章では、レーザー冷却されたMg+の蛍光スペクトル線の変形について、第5章では、イオンの共振減少を用いたMg+の同位体分離法についての結果と考察を行っている。第6章では2種のイオンを同時にトラップした場合の共同冷却に関する研究がまとめられている。第7章は今後の発展も含めたまとめになっている。

 本論文の第一の成果は、レーザー冷却されたMg+の蛍光スペクトル線の変形を見出し、その原因を究明したことである。レーザー冷却の効果を高めるためにはrfトラップのポテンシャルを浅くし、レーザー強度を上げる必要がある。その場合、蛍光スペクトル線のプロファイルに非対称な変形が起こることを見出した。そして、その変形が、レーザー光子によるイオンの移動に起因することを提案し、観測されたスペクトル線の変形がそのモデルによって説明できることをシミュレーションで確かめた。

 本論文の第二の成果は、イオンの共振現象を用いたMg+の同位体分離を実現したことである。レーザー冷却では一つの同位体しか冷却できないので、複数の同位体を含む原子では、冷却効率が落ちる。それを避けるためには、不必要な同位体の除去が必要である。そのために、トラップ中のひとつの同位体イオンの共振周波数と同じ振動数の交流電場を加えて強制振動を起こし、その同位体イオンをトラップから除去する方法を提案し、実現した。この原理は単純であるが、実際に実現するには、強制振動を起こさせる電場の強度の選択や、残したい同位体イオンに対するレーザー冷却など、重要な工夫が必要であった。結果として、5000個以上の24Mg+のみからなるイオン集団を生成でき、共同冷却の寒剤として利用できるようになった。

 本論文の最も主要な成果は、共同冷却を実現したことである。寒剤のイオンとしては、上記の方法で生成した24Mg+を用い、ゲストイオンとしてはBa+を用いた。Ba+の生成には、Ba原子と24Mg+の電荷移動を利用するという独創的な方法を採用している。これによって質量の大きく異なる2つのイオンを同時トラップし、かつ、Ba+が24Mg+によって500K程度まで冷却されていることをBa+の光―光二重共鳴蛍光スペクトルを測定して確かめた。このような共同冷却が起こっているとき、ゲストイオンのrtトラップにおける共振周波数が単体イオンのものより大きくずれていることを見出した。このことは、Ba+以外にCa、Zn+,Sr+,Yb+でも観測された。そのような共振周波数のずれは、ホストイオン集団とゲストイオンの2体の間の相互作用を考えることによって説明できることを示した。

 このように、本論文では、様々な予備実験の努力を通して、rfトラップを用いた原子イオンの共同冷却を初めて実現するとともに、共同冷却のメカニズムを共振周波数の変化をもとに詳しく解明した。この成果は、今後、同様な方法による共同冷却を行う上で貴重な指針を与えるものであるとともに、高分解能分光や周波数標準への応用への基礎をなす重要なものである。また、本論文における研究は、共同研究者の助言の下に、すべて論文提出者が自ら着想し実行したものである。よって、論文提出者は博士(理学)の学位を授けるにふさわしいと判断する。

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