学位論文要旨



No 214720
著者(漢字) 朱,偉東
著者(英字)
著者(カナ) シュ,イトウ
標題(和) 抗癌剤ダウノマイシン(DM)による心筋細胞アポトーシスの発症機序 : MAPキナーゼ(MAPK)スーパーファミリーの関与
標題(洋) MAPK Superfamily Plays an Important Role in Daunomycin-induced Apoptosis of Cardiac Myocytes
報告番号 214720
報告番号 乙14720
学位授与日 2000.05.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14720号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,真一
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 要旨を表示する

(序論)

抗癌剤ダウノマイシン(DM)による非可逆性心筋障害は致死的であり、その病態解明と予防・治療法の開発が急務となっている。最近、心不全やある種の心筋症において心筋細胞にアポトーシスが起こっていることが報告され、その病態形成における役割が注目されている。また、mitogen-activated protein kinase(MAPK)の新しいファミリーであるc-Jun NH2-terminal kinases(JNKs)とp38MAPKが同定され、その働きのひとつとしてアポトーシスとの関連が報告されている。一方、われわれは、DMによる心筋障害の一因として知られている活性酸素がp38MAPKを介して培養心筋にアポトーシスによる細胞死を誘導することを報告した。そこで今回、DMによる心筋細胞アポトーシスとMAPキナーゼファミリーの関係をさらに詳細に解析した。

(方法)

[1] MAPキナーゼ活性測定

Wistar系新生仔ラット培養心筋細胞を、10-4MのDMで刺激した。ERKsとp38MAPKはmyelin basic protein(MBP)を、JNKsはc-Jun蛋白を基質にしてその活性を測定した。さらに、p38MAPKについてはリン酸化p38MAPKを特異的に認識する抗体によってそのリン酸化について検討した。

[2] 心筋細胞のアポトーシスの検出

A, DM最終濃度10-6Mで24時間の刺激を行い、4%パラフォルムアルデヒドにて固定し、心筋細胞の細胞質をミオシンに対する抗体を用いて、また核をTerminal deoxynucleotidyl transferase-mediated dUTP nick end labeling(TUNEL)法にて二重染色を行った。

B, DNAの電気泳動を行い、DNA fragmentation形成の有無を調べた。

[3]MAPキナーゼ活性と心筋細胞のアポトーシスのin situの検出

wild typeのHemagglutinin(HA)-tagged ERK2とFlag-tagged p38MAPK plasmidを培養心筋細胞にtransfectしてHAまたはFlagにたいする抗体にてin situの蛋白発現を検討した。さらにtransfectされた心筋細胞についてTUNEL法によりアポトーシスを検討した。

(結果)

[1] 心筋細胞のアポトーシス

 10-6M DM刺激により、心筋細胞に多数のTUNEL陽性像(24%)が確認された。コントロールの培養心筋の染色像ではTUNEL陽性像(3%)はほとんど確認されなかった。アガロースゲル電気泳動法では、アポトーシスに特徴的なDNA ladder formationが10-6M DM刺激で見られた。

[2] MAPキナーゼの活性化

 次にDMに誘導されたアポトーシスの形成機序を解析するために、細胞の増殖・分化・アポトーシスに重要な役割を果たしているMAPキナーゼファミリーの活性について検討した。MAPキナーゼのうち、ERKs、JNKs、p38MAPKはいずれも活性化されたが、ERKsは15分にその活性のピークを認め、JNKsとp38MAPKは30分に認めた。また10-6-10-3Mの範囲において濃度依存性に活性化された。活性化されたERKsとp38MAPKは核内へ移動した。

 次にERKsとp38MAPKの上流について解析を行った。種々の細胞においてRas、Raf-1は成長因子などの刺激によりERKsの上流で活性化されることが知られているが、Ras、Raf-1のdominant-negative mutant(D.N.)の過剰発現によって、DM刺激によるERKsの活性化は抑制された。一方、DM刺激によるp38MAPKの活性化はRds、Raf-1のD.N.では抑制されず、Rhoファミリー(RhoA,Rac1,(dc42)のD.N.やRhoを不活性化の状態のままにしてその機能を抑制するRho GDP dissociation inhibition(RhoGDI)の過剰発現により部分的に抑制された。また逆にRhoファミリーの抑制はERKsの活性化に影響を与えなかった。このことからERKsの上流にRos、Raf-1蛋白が存在し、p38MAPKの上流にRho蛋白が存在することが示唆された。

 さらにDMによるERKsとp38MAPKの活性化のメカニズムを明らかにするために、フリーラジカル消去剤(OHの消去剤DMSO;H2O2を還元するCatalase;OH,H2O2とO2-をともに消去するN-(2-mercaptopropionyl)-glycine(MPG))及び細胞内及び細胞外Ca2+キレート剤BAPTAとEGTAにて前処置すると、ERKsとp38MAPKの活性化が抑制された。一方、protein kinase C、protein kinase A、チロシンキナーゼの阻害薬の前処置では、ERKsとp38MAPKの活性化は抑制されなかった。

[3] MAPキナーゼの役割

 DM刺激により心筋細胞の一部は細胞質の縮小、核の濃染、縮小といった形態学的にアポトーシスを示し、DNAのladder形成も認められた。ERKsの特異的な阻害剤であるPD98059の前処置によりアポトーシスを示す細胞数は増加し、DNAのladderの形成は増加した。逆に、p38MAPKの特異的な阻害剤であるSB203580の前処置によりアポトーシスを示す細胞数は減少し、DNAのladderの形成も減少した。

 さらにHA-ERK2及びFlag-p38MAPKをtransfectした心筋細胞にてDMの刺激によりHA-ERK2及びFlag-p38MAPKは活性化され、核内へ移動された。核内で過剰発現したp38MAPKは心筋細胞のアポトーシスを誘導した。

(考察)

 近年、細胞内の最も基本的なシグナル伝達経路を構成すると考えられてきたMAPキナーゼのファミリー(ERKs, JNKs, p38MAPK)がアポトーシスと関連しているとの報告がいくつかなされている。in vitorの研究により、ERKsの活性化が心肥大や心肥大時の遺伝子発現に重要であると報告され、JNKs/p38MAPKの活性化がアポトーシスの誘導に重要であると報告された。今回の結果により、ラットの培養心筋細胞における抗癌剤DM刺激によりアポトーシスが起こっていることが生化学的及び形態学的に証明された。DMにより産生されたフリーラジカル(H2O2とOH)が心筋細胞障害を引き起こすことがフリーラジカル消去剤により明らかとなったが、その過程においてERKsは細胞保護に、p38MAPKは障害に働いていることが示唆された。ERKsの上流にはRas-Rof-1が、p38MAPKの上流にはRhoが存在することも判明した。

 Rho蛋白は最近、細胞の骨格や接着を制御する機能を有することで注目されてきた低分子量G蛋白であり、種々の細胞でJNKs及びp38MAPKのカスケードの上流にあることが報告されている。DMによるp38MAPKの活性化をRho蛋白のdominant-negative mutantが抑制することより、心筋細胞におけるDM刺激のシグナル伝達においても重要な役割を果たしていることが示唆された。どのようにRho蛋白が活性化されるか、またp38MAPKを活性化するかは今後の課題である。

 Ca2+は細胞内の情報伝達系の中で普遍的なシグナル物質として働いている。細胞内或いは細胞外Ca2+キレート剤にて前処置すると、ERKsとp38MAPKの活性化が同時に抑制されたことから、CA2+はERKsとp38MAPKの共通の上流に存在することが示唆された。Ca2+がDMによるMAPKファミリーの活性化にどのように関与するのかを今後検討する予定である。また、どのような機序でERKsが細胞保護に、p38MAPKがアポトーシス誘導に働いているかについても、今後の検討課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、抗癌剤ダウノマイシン(DM)によって生じる心筋障害の発生機序を解明するため、ラット培養心筋細胞にて、最近提唱された細胞死--アポトーシスとの関連及びその細胞内情報伝達系を明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 培養心筋細胞において、10-6M DM刺激により、心筋細胞に24%のTUNEL陽性像が確認された。コントロールの培養心筋の染色像ではTUNEL陽性像はほとんど確認されなかった(3%)。アガロースゲル電気泳動法では、10-6M DM刺激によりアポトーシスに特徴的なDNA ladder形成が認められた。

2. 細胞の増殖・分化・アポトーシスに重要な役割を果たしているMAPキナーゼファミリーの活性について検討したところ、MAPキナーゼのうち、ERKs、JNKs、p38MAPKはDM刺激によっていずれも活性化されたが、その活性のピークはERKsでは15分に、また、JNKsとp38MAPKでは30分に認められた。またDMの濃度10-6-10-3Mの範囲においてこれらのMAPキナーゼ濃度依存性に活性化され、さらに活性化されたERKsとp38MAPKは核内へ移動することが示された。

3. ホルボールエステル(TPA)又はcalphostin CによりPKCの活性をダウンレギュレーション又は抑制しても、あるいはRpcAMPによりPKAの活性を抑制しても、さらにチロシンキナーゼ特異的な阻害薬であるtyrphostinとgenisteinによりチロシンキナーゼの活性を抑制しても、DMによるERKsとP38MAPKの活性化は全く抑制されなかった。従って、心筋細胞において、DMによるERKsとp38MAPKの活性化は、PKC, PKAとチロシンキナーゼの活性化を介さないことが示された。

4. フリーラジカル消去剤(・OHの消去剤DMSO;H2O2を還元するCatalase;・OH,H2O2と02-をともに消去するN-(2-mercaptopropionyl)-giycine(MPG))及び細胞内及び細胞外Ca2+キレート剤BAPTAとEGTAにて前処置すると、DMによるERKsとp38MAPKの活性化が抑制されることが示された。

5. HA-ERK2、またはFlag-p38MAPKとRasの活性化を抑えるdominant negative mutant of Ras(D.N.Ras)、Raf-1の活性化を抑えるD.N.Raf-1、またはRhoファミリー(RhoA,Rac1,Cdc42)のD.N.やRhoを不活性化の状態のままにしてその機能を抑制するRho GDP dissociation inhibition(RhoGDI)を共導入した後、DMによりERKsとp38MAPKの活性化を検討した。D.N-RasとD.N.Raf-1はともに、DMによるERKsの活性化を抑制したが、DMによるp38MAPKの活性化は抑制しなかった。一方、DMによりp38MAPKの活性化はD.N.Rho及びRhoGDlによって抑制されたが、ERKsの活性化は抑制されなかった。以上のことからERKsの上流にRas、Raf-1蛋白が存在し、p38MAPKの上流にRho蛋白が存在することが示唆された。

6. DM刺激により心筋細胞の一部は細胞質の縮小、核の濃染、縮小といったアポトーシスの形態を示し、DNA ladder形成も認められた。ERKsの特異的な阻害剤であるPD98059の前処置によりアポトーシスを示す細胞数は増加し、DNA ladderの形成は増加した。逆に、p38MAPKの特異的な阻害剤であるSB203580の前処置によりアポトーシスを示す細胞数は減少し、DNA ladderの形成も減少した。

 さらにHA-ERK2及びFiag-p38MAPKを導入した心筋細胞をDM刺激するとHA-ERK2及びFlag-p38MAPKは活性化され、核内へ移動した。核内で過剰発現したp38MAPKは心筋細胞のアポトーシスを誘導した。

 以上、本論文において、ラット培養心筋細胞ではDMによる心筋障害がアポトーシスを介することがはじめて明らかにされた。さらに、アポトーシスを引き起こすDMの情報伝達系を新しい手法dominant-negative法と特異的阻害薬を用いて詳細に検討し、心筋細胞特異的な情報伝達経路の解明が行われた。DMにより産生されたフリーラジカルが心筋細胞障害を引き起こすことがフリーラジカル消去剤により明らかとなったが、その過程においてMAPキナーゼファミリーのうちERKsは細胞保護に、p38MAPKは障害に働いていることが示唆された。また、ERKsの上流にはRas-Raf-1が、p38MAPKの上流にはRhoが存在することも明らかとなった。本研究は、DMによって生じる心筋障害の発生機序及び細胞内情報伝達系の解明に大きく貢献するものであり、その治療法の開発にも役立つと期待される。また、心筋細胞特異的な情報伝達経路の解明は、視野を広げれば、外界からの刺激に対する細胞の反応が、刺激と細胞の種類によって異なるということを端的に示しており、医学にとどまらず広く生物学的立場からも注目され、学位の授与に値するものと考えられる。

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