学位論文要旨



No 214724
著者(漢字) 佐々木,直
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,タダシ
標題(和) 摂食障害患者における食行動異常に関する因果モデルの作成
標題(洋)
報告番号 214724
報告番号 乙14724
学位授与日 2000.05.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14724号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 講師 門脇,孝
 東京大学 講師 峯,徹哉
内容要旨 要旨を表示する

I. 研究の目的と背景

 摂食障害(Eating disorders : 以下EDと略す)は通常、神経性食欲不振症(Anorexia Nervosa : 以下ANと略す)、神経性過食症(Bulimia Nervosa : 以下BNと略す)、特定不能の摂食障害(Eating Disorder Not Otherwise Specified : 以下ED-NOSと略す)に分類される。米国精神医学会のDSM-IVの診断基準では、ANには制限型とむちゃ喰い/排出型(それぞれAN-R、AN-BPと略す)、BNには排出型と非排出型(それぞれBN-P、BN-NPと略す)いう下位分類がある。ANとBNは独立した臨床単位として位置づけられているが、体重や体型への過剰な関心、体重増加を防ぐための行動などの共通した臨床像があり、相互移行的な臨床形態であると考えられている。

 EDの病因として、現在のところ十分な根拠のある単一の要因は見出されていない。さまざまな因子が複雑に関連していると考えられている。EDの病因論として、(1)杜会・文化的影響理論、(2)家族システム理論、(3)精神分析理論、(4)遺伝学的理論、(5)生物学的理論、(6)感情病理論、(7)行動理論、(8)認知行動理論などがあるが、その多くが実証的に検証されていない。認知行動理論では、歪んだ身体感覚と不適切な問題解決技法とともに、食物と体重に関する非機能的な認知が、EDの発展と維持に重要な役割を担っていると考えられている。近年、認知行動理論に基づいた、認知行動療法がEDの治療に適用されることが多く、治療効果も優れている。認知行動理論では、EDにみられる認知的特徴として、(1)自己像不満ややせ願望などのボディ・イメージの障害、(2)認知の歪みや不合理な信念、(3)ED患者特有の食事に関する態度や信念、(4)低いセルフ・エスティーム、(5)食事強迫などがあげられている。しかし、このような認知的特徴が、どのように食行動異常に影響を与えているかは明らかになっていない。

 そこで本研究では、9種類の測定尺度などを用いて、どのような因子がどのように食行動異常に影響を与えるかを分析し、ED患者における食行動異常に関する因果モデルを作成した。

II. 対象と方法

 対象は、1997年1月から1999年1月までに摂食障害治療の専門家が所属している大学病院、総合病院、診療所を初診した250名のED患者である。その内訳は、全員女性であり、AN-R:74名、AN-BP:68名、BN-P:76名、BN-NP:20名、ED-NOS:12名であった。

 方法は質問紙による調査である。調査に際して、本研究について十分な説明を行い、患者に理解・納得してもらい、同意を得た。質問紙セットは、本調査の簡単な趣旨説明と身長、体重などの質問からなるフェイスシートと以下の9種類の尺度から構成された。フェイスシートには、過食の頻度と、太るのを防ぐために用いる下剤、利尿剤、浣腸、絶食、過剰な運動、嘔吐の頻度についての質問が含まれており、「全くない」を1点、「たまに」を2点、「週2〜6回」を3点、「毎日」を4点とした。

 Eating Attitude Test-20(EAT-20)は、3つの下位尺度((1)食事強迫、(2)食事制限、(3)肥満恐怖)から構成されている。体型や食事に関する信念尺度(Beliefs Related to Shape and Diet Scale: BSDS)は、6因子((1)自己評価に関する信念、(2)承認に関する信念、(3)ダイエットに関する信念、(4)体重に関する信念、(5)被保護に関する信念、(6)性格と人気に関する信念)から構成されている。ダイエット行動尺度は、2因子((1)構造的ダイエット、(2)非構造的ダイエット)から構成されている。やせ願望尺度は1因子から構成されている。不合理な信念尺度(JIBT-20)は、5因子((1)自己期待、(2)依存、(3)倫理的非難、(4)問題回避、(5)無力感)から構成されている。社会的影響尺度は、母親、父親、同胞、女友だち、男友だちからの影響について各々5項目の質問項目から構成されている。セルフ・エスティーム尺度には、Self-Esteem Scale邦訳版を用いた。自己像不満尺度とBinge Eating尺度はそれぞれ1因子から構成されている。

 統計解析に関しては、SASインスティテュートジャパン社の統計解析ソフトウェアWindows版SASバージョン6.12を用いた。

 連続変数に関しては、GLMプロシジャを用いて、AN-R、AN-BP、BN-P、BN-NP、ED-NOS5群間の違いを分散分析によって検定した。有意な違いが認められた変数に関しては、さらにTukeyの多重比較を用いて、どの群間に有意差が認められるのかを検討した。

 相関分析に関しては、Corrプロシジャを用いて、Pearsonの積率相関係数を求めた。

 摂食障害患者における食行動異常のモデルの作成に関しては、CALISプロシジャを用いて、共分散構造分析により行った。潜在変数である構成概念としては、「社会的影響」、「セルフ・エスティーム」、「体型や食事に関する信念」、「ボディ・イメージの障害」、「ダイエット行動」、「むちゃ食い・排出行動」を想定して、「社会的影響」や「セルフ・エスティーム」が「体型や食事に関する信念」に影響を与え、その結果「ボディ・イメージの障害」が生じ、「ダイエット行動」や「むちゃ食い・排出行動」といった食行動異常につながるという仮説モデルの検討を行った。なお、本研究において、危険率5%未満を有意とした。また、患者数に比して変数が多かったため、摂食障害の下位分類それぞれについての因果モデルの作成を行うことができず、摂食障害全体の因果モデルの作成を行った。

III. 結果

1. 分散分析

 AN-R群が他の4群と比較して、有意に低い変数が多く認められた。またBN-P群が他の4群と比較して、有意に高い変数が多く認められた。

2. 相関分析

 各変数間の相関係数は、全体的にかなり高かった。体型や食事に関する信念とダイエットやむちゃ食いなどの行動との関連性が示唆された。

3. 摂食障害患者における食行動異常のモデルの作成

 共分散構造分析によるモデル作成過程の途中で、変数を減らすために、体型や食事に関する信念尺度の6下位尺度(自己評価に関する信念、承認に関する信念、ダイエットに関する信念、体重に関する信念、被保護に関する信念、性格と人気に関する信念)に関して、因子分析(主成分分析プロマックス回転)を行った結果、3因子が抽出された。自己評価に関する信念、ダイエットに関する信念、体重に関する信念の3変数の合計を一つの変数とし、承認に関する信念、被保護に関する信念の2変数の合計を一つの変数として解析を行った。また、構成概念から測定変数への影響指標に関して、有意でない変数(父・母・同胞からの社会的影響尺度、性格と人気に関する信念)は、モデルより除外した。さらに、EATは行動を表している変数か、認知を表している変数か明確にならなかったため、JIBTは他の変数とほとんど相関関係が認められなかったため、モデルより除外した。

 最終的なモデルの中の因果係数および影響指標はすべて有意であった。また、モデルの適合度指標であるGFI(Goodness of Fit Index)の値は0.90、AGFI(Adjusted Goodness of Fit Index)の値は0.84で、十分高い値を示していた。したがって、モデルとデータの適合度は十分高く、構成されたモデルは標本共分散構造行列をよく説明していると判断された。

 本研究で作成された摂食障害患者における食行動異常に関する因果モデルについて述べる。「ダイエット行動」を規定する要因は「体型や食事に関する信念」であり、「体型や食事に関する信念」から「ダイエット行動」へのパス係数は0.74であった。「むちゃ食い・排出行動」を規定する要因として、「社会的影響」と「ボディ・イメージの障害」があった。「社会的影響」から「むちゃ食い・排出行動」へのパス係数は0.34であり、「ボディ・イメージの障害」から「むちゃ食い・排出行動」へのパス係数は0.81であった。「ボディ・イメージの障害」を規定する要因は「体型や食事に関する信念」であり、パス係数は0.90であった。「体型や食事に関する信念」を規定する要因は、「社会的影響」と「セルフ・エスティーム」であった。「社会的影響」から「体型や食事に関する信念」へのパス係数は0.46であり、原因変数は結果変数のpositive predictorになっていた。「セルフ・エスティーム」から「体型や食事に関する信念」へのパス係数は-0.24であり、原因変数は結果変数のnegative predictorになっていた。「体型や食事に関する信念」は直接的に「ダイエット行動」に影響し、間接的に「むちゃ食い・排出行動」に影響していた。「社会的影響」は直接的に「むちゃ食い・排出行動」に影響し、間接的に「ダイエット行動」に影響していた。

IV. 考察

 共分散構造分析は、最近さまざまな分野で用いられている。これまでEDの研究領域における共分散構造分析を用いた研究報告は、'健常者群を対象としており、患者群を対象とした報告は本研究が初めてである。

 本研究で最も意義のあることは、「体型や食事に関する信念」が、「社会的影響」と「セルフエスティーム」の影響を受け、直接的に「ダイエット行動」に影響を与え、間接的に「むちゃ食い・排出行動」に影響を与えることが示唆されたことである。これまでED患者に特徴的と考えられる「体型や食事に関する信念」は、認知行動療法の治療研究でその存在が指摘されてから、健常群と比較してEDに特徴的であることが実証されてきただけであった。しかし本研究の結果、「体型や食事に関する信念」が「ダイエット行動」と「むちゃ食い・排出行動」に影響を与えることが明らかになり、これらの信念を変容させることがEDの治療に有効であることが改めて示された。

審査要旨 要旨を表示する

I. 研究の目的と背景

 摂食障害(Eating disorders : 以下EDと略す)は通常、神経性食欲不振症(Anorexia Nervosa : 以下ANと略す)、神経性過食症(Bulimia Nervosa : 以下BNと略す)、特定不能の摂食障害(Eating Disorder Not Otherwise Specified : 以下ED-NOSと略す)に分類される。米国精神医学会のDSM-IVの診断基準では、ANには制限型とむちゃ喰い/排出型(それぞれAN-R、AN-BPと略す)、BNには排出型と非排出型(それぞれBN-P、BN-NPと略す)いう下位分類がある。ANとBNは独立した臨床単位として位置づけられているが、体重や体型への過剰な関心、体重増加を防ぐための行動などの共通した臨床像があり、相互移行的な臨床形態であると考えられている。

 EDの病因として、現在のところ十分な根拠のある単一の要因は見出されていない。さまざまな因子が複雑に関連していると考えられている。EDの病因論として、さまざまな理論があるが、その多くが実証的に検証されていない。近年、認知行動理論に基づいた認知行動療法がEDの治療に適用されることが多く、治療効果も優れている。認知行動理論では、歪んだ身体感覚と不適切な問題解決技法とともに、食物と体重に関する非機能的な認知が、EDの発展と維持に重要な役割を担っていると考えられている。しかし、このような非機能的認知が、どのように食行動異常に影響を与えているかは明らかになっていない。

 そこで本研究では、9種類の測定尺度などを用いて、どのような因子がどのように食行動異常に影響を与えるかを分析し、ED患者における食行動異常に関する因果モデルを作成した。

II. 対象と方法

 対象は、1997年1月から1999年1月までに摂食障害治療の専門家が所属している大学病院、総合病院、診療所を初診した250名のED患者である。その内訳は、全員女性であり、AN-R:74名、AN-BP:68名、BN-P:76名、BN-NP:20名、ED-NOS:12名であった。

 方法は質問紙による調査である。調査に際して、本研究について十分な説明を行い、患者に理解・納得してもらい、同意を得た。質問紙セットは、本調査の簡単な趣旨説明と身長、体重などの質問からなるフェイスシートと以下の9種類の尺度から構成された。

 統計解析に関しては、SASインスティテュートジャパン社の統計解析ソフトウェアWindows版SASバージョン6.12を用いた。連続変数に関しては、AN-R、AN-BP、BN-P、BN-NP、ED-NOS 5群間の違いを分散分析によって検定した。有意な違いが認められた変数に関しては、さらにTukeyの多重比較を用いて、どの群間に有意差が認められるのかを検討した。相関分析に関しては、Pearsonの積率相関係数を求めた。摂食障害患者における食行動異常のモデルの作成に関しては、CALISプロシジャを用いて、共分散構造分析により行った。潜在変数である構成概念としては、「社会的影響」、「セルフ・エスティーム」、「体型や食事に関する信念」、「ボディ・イメージの障害」、「ダイエット行動」、「むちゃ食い・排出行動」を想定して、「社会的影響」や「セルフ・エスティーム」が「体型や食事に関する信念」に影響を与え、その結果「ボディ・イメージの障害」が生じ、「ダイエット行動」や「むちゃ食い・排出行動」といった食行動異常につながるという仮説モデルの検討を行った。なお、本研究において、危険率5%未満を有意とした。

III. 結果

1. 分散分析

 AN-R群が他の4群と比較して、有意に低い変数が多く認められた。またBN-P群が他の4群と比較して、有意に高い変数が多く認められた。

2. 相関分析

 各変数間の相関係数は、全体的にかなり高かった。体型や食事に関する信念とダイエットやむちゃ食いなどの行動との関連性が示唆された。

3. 摂食障害患者における食行動異常のモデルの作成

 共分散構造分析によるモデル作成過程の途中で、患者数に比して変数が多かったため、観測変数を11項目に減らした。最終的なモデルの中の因果係数および影響指標はすべて有意であった。また、モデルとデータの適合度は十分高く、構成されたモデルは標本共分散構造行列をよく説明していると判断された。

 本研究で作成された摂食障害患者における食行動異常に関する因果モデルの内容を以下に述べる。「ダイエット行動」を規定する要因は「体型や食事に関する信念」であった。「むちゃ食い・排出行動」を規定する要因は、「社会的影響」と「ボディ・イメージの障害」であった。「ボディ・イメージの障害」を規定する要因は「体型や食事に関する信念」であった。「体型や食事に関する信念」を規定する要因は、「社会的影響」と「セルフ・エスティーム」であった。「体型や食事に関する信念」は直接的に「ダイエット行動」に影響し、間接的に「むちゃ食い・排出行動」に影響していた。「社会的影響」は直接的に「むちゃ食い・排出行動」に影響し、間接的に「ダイエット行動」に影響していた。

 以上、本論文では、摂食障害患者250名の調査結果から、共分散構造分析を用いて、摂食障害患者における食行動異常に関する因果モデルが作成された。本論文は、摂食障害の研究領域において、患者群を対象とした共分散構造分析を用いた初めての報告という点で独創性がある。さらに、これまで健常群と比較してEDに特徴的であることが実証されてきただけであった「体型や食事に関する信念」が、「社会的影響」と「セルフエスティーム」の影響を受け、直接的に「ダイエット行動」に影響を与え、間接的に「むちゃ食い・排出行動」に影響を与えることが示唆され、これらの信念を変容させることがEDの治療に有効であることが示されたという点で臨床的有用性が認められ、学位の授与に値するものと考えられる。

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