学位論文要旨



No 214725
著者(漢字) 澤田,晋一
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,シンイチ
標題(和) 局所および全身性の断続的身体冷却により誘発される耐寒反応と生体負担に関する研究
標題(洋)
報告番号 214725
報告番号 乙14725
学位授与日 2000.05.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14725号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 安藤,謙二
 東京大学 助教授 木内,貴弘
 東京大学 講師 岩瀬,博太郎
内容要旨 要旨を表示する

I はじめに

 近年、食品低温流通機構の発展により、冷凍・冷蔵倉庫作業や生鮮食料品の加工・包装・流通産業に代表されるように、年間を通して常時厳しい寒冷ストレスに曝される人工寒冷作業環境が増加している。その寒冷曝露形態は、常温あるいは温暖な休憩室や作業場と寒冷な作業場との間を頻繁に移動したり、冷水や低温物体に間欠的に手指末梢部の接触を繰り返すというように、休憩・休止をはさんだ全身性および局所性の断続的寒冷曝露を特徴としている。ところが、このような断続的寒冷曝露を繰り返した時に生ずる耐寒反応と生体負担の実態や特徴については、これまで充分な解析がなされておらず、不明な点が多く残されている。そのような状況の下で、寒冷作業現場では、現場での経験や主観的判断に依存した防寒対策が必ずしも有効でなく、作業者本人の気づかないうちに凍傷に被災したり、さまざまな健康問題が発生している。

 そこで本研究は、休憩をはさんで局所性および全身性に断続的に寒冷曝露を繰り返した時に誘発される耐寒反応と生体負担の特徴と問題点を明らかにするために、局所冷却実験と全身冷却実験を実施した。すなわち、局所冷却実験では、休憩をはさんで断続的に手指の冷水浸漬を繰り返した時に、局所耐寒反応(凍傷抵抗反応)としての寒冷血管拡張反応(CIVD反応)、および寒冷痛と寒冷感覚の主観的反応がいかなる挙動を示すのか、さらにこれらの反応に室温がどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることを目的とした。全身冷却実験では、温暖休憩条件をはさんで全身性に断続的寒気曝露を繰り返した時に全身性耐寒反応として発現する自律性・行動性体温調節反応の特徴を明らかにすること、および温冷感や快不快感などの主観的負担と血圧などの循環系負担の特徴、さらに手指作業パーフォーマンスと精神作業パーフォーマンスに対する影響を明らかにすることを目的とした。

 得られた知見にもとづいて、寒冷作業を遂行する際に作業者の知覚や主観的判断に依存して防寒対策を講じたり作業−休憩スケジュールを設定することの信頼性と問題点を考察した。

 II 対象と方法

1. 局所冷却実験

 健康な若年成人男性6名(平均年齢22.5±0.8歳)を対象に、繰り返し手指冷水浸漬実験を、夏季(8月〜9月上旬)に実施した。実験時の着衣は、Tシャツ、ショートパンツ、靴下に統一し、測定時刻は、午前10時から12時の間とした。被験者は、午前10時に人工気象室に入り、30分間安静座位を保ち、その間に電極取り付けを行った。その後、左示指を10℃の冷水に10分間浸漬する実験を、その前後に室温下での5分間の休憩をはさんで6回繰り返した。冷水浸漬時の室温は、30℃、25℃、20℃の3条件(いずれも相対湿度50%)として、同一被験者に日を替えて実施した。測定項目は、CIVD反応の評価のために冷水浸漬指の掌側皮膚温、深部体温の指標として舌下温、主観的反応として冷水浸漬指の寒冷痛と温冷感覚および全身温冷感と快不快感であった。

2. 全身冷却実験

 健康な若年成人男性10名(平均年齢23.3±1.3歳)を対象に、8月から10月上旬に、ショートパンツのみの着衣条件で、室温30℃(相対湿度50%)の温暖室に7回、室温10℃(相対湿度50%)の寒冷室に6回、この順序で交互に10分間ずつ滞在させる実験を行った(寒冷実験)。また、10℃の寒冷実験のコントロールとして、28℃の温暖暴露実験を、温度以外は同一条件で同じ被験者に日を変えて実施した(対照実験)。寒冷室滞在全期間と温暖室での最初と最後の滞在期間中に5分毎に、精神作業として暗算(一桁の数字の10個加算を10回)を、手指作業としてタッピング(右第2指で10秒間)を最大努力で行わせた。測定項目は、深部体温の指標として直腸温と鼓膜温を、体表面温の指標としてHardy & Duboisの12点法による平均皮膚温と手指皮膚温を測定した。自律性体温調節反応の指標として代謝熱産生量と寒冷ふるえ自覚感、行動性体温調節反応の指標として温熱追求行動性(室温上昇、厚着、温かい飲物の希望の強さ)、循環系負担の指標として血圧と心拍数、主観的負担の指標として温熱的快不快感と全身温冷感などを測定した。

III 結果

1. 局所冷却実験

(1)舌下温が維持される室温条件(25℃、30℃)では、手指を繰り返し冷水浸漬しても、CIVD反応からみた凍傷抵抗反応は減弱せずに高い水準で安定していた。休憩時の浸漬手指の皮膚温回復も有意な遅延を示さなかった。

(2)舌下温が低下する室温条件(20℃)では、手指の繰り返し冷水浸漬は、凍傷抵抗反応を有意に減弱させた。休憩時における浸漬手指の皮膚温の回復も有意に遅延し続けた。

(3)冷水浸漬時の手指の寒冷痛は冷水浸漬を繰り返すことで漸減し、かつ浸漬後の休憩時には完全に消失した。冷水浸漬時の手指の寒冷感覚も冷水浸漬を繰り返すことで漸減し、かつ浸漬後の休憩時には完全に消失して、温暖感覚あるいは温熱中立感覚が生じた。これらの手指の主観感覚には室温間で差がなかった。

2. 全身冷却実験

(1)直腸温や鼓膜温などの深部体温は、温暖休憩条件をはさんでも、寒冷曝露を繰り返している間に有意に低下し続けた。平均皮膚温と手指皮膚温などの体表面温は、寒冷曝露時に低下し温暖休憩時に上昇することを繰り返しながら漸減する傾向を示した。

(2)自律性体温調節反応の指標としての寒冷ふるえの自覚感は、寒冷曝露を繰り返す毎に有意に増強したが、温暖休憩室では完全に消失した。代謝熱産生反応は、寒冷ふるえの自覚感に対応して、寒冷曝露時に増加し温暖室で減少する例もみられたが、個人差が大きく、統計的に有意な寒冷影響はみられなかった。行動性体温調節反応の指標である室温上昇、厚着、温かい飲物の希望の強さも、寒冷曝露時を繰り返す毎に増強したが、温暖室ではほとんど消失した。

(3)温熱的不快感と全身寒冷感覚は、寒冷曝露を繰り返す毎に増強したが、温暖室では完全に消失して、快適感覚と温暖感覚が発現した。

(4)血圧は、寒冷曝露時に上昇し、温暖室で低下したが、寒冷曝露と温暖曝露を交互に繰り返すうちに温暖室での血圧水準も有意に増加し、経時的に循環系の負担が増大する傾向が認められた。

(5)タッピング回数からみた手指作業パーフォーマンスは、寒冷曝露初期から著明に低下し続けた。タッピング回数の低下には、手指皮膚温よりも鼓膜温などの深部体温の低下が強く関連していた。暗算からみた精神作業パーフォーマンスは、計算時間も誤答率についても、断続的寒冷曝露による有意な影響を認めなかった。

 IV 考察

1.局所冷却による耐寒反応と主観的負担

 深部体温が低下するような温度中性域よりやや低い軽度な寒冷環境条件で手指冷却を繰り返すと、CIVD反応からみた凍傷抵抗反応が減弱し続け、かつ休憩時の皮膚温回復も遅延し続けることが明らかになった。にもかかわらず手指の寒冷痛と寒冷感覚などの主観的負担は冷水浸漬を繰り返す毎に減少し続け、休憩時には完全に消失した。これは、寒冷痛や寒冷感覚などの主観的知覚が、手指末梢部の冷却の進行と凍傷発生リスクの増大を警告する自覚的徴候として必ずしも信頼できる指標でないことを示唆する。

 寒冷作業現場で最近報告されている凍傷の労災事例を分析すると、防寒具を着用していても長時間作業が繰り返されることによって本人の気づかぬうちに発症する例が多かった。本実験結果は、このような作業現場での凍傷発生メカニズムに生理学的裏付けを与えると同時に、作業者の知覚や主観的判断に依存しない身体末梢部の防寒対策の必要性を示唆する。

2. 全身冷却による耐寒反応と生体負担

 温暖休憩条件をはさんでも断続的に寒冷曝露を繰り返すことによって深部体温は低下し続け、循環系負担の増大と手指作業パーフォーマンスの低下が見られる場合のあることが明らかになった。また、手指作業パーフォーマンスの低下には、深部体温が強い影響を及ぼす可能性が示唆された。

 寒冷曝露時には、全身耐寒反応として深部体温低下の進行を打ち消す方向に行動性・自律性体温調節反応が発現し、温熱的不快感や寒冷感覚も増強したが、温暖休憩時には深部体温が低下しているにもかかわらず一連の体温調節反応と寒冷不快感がほとんど完全に消失し、快適感覚と温暖感覚が発現した。この現象は、体温調節の温度情報統合様式における相乗統合モデルで説明できると考えられた。

 温暖休憩条件をはさんで断続的寒冷曝露を繰り返す毎に増強される温熱的不快感、寒冷感覚、寒冷ふるえ、温熱追求行動性などの主観的感覚は、低体温の進行や循環系負担の増大、手指作業能力の減退を警告するための鋭敏な指標になると考えられた。しかし、温暖休憩時に発現する温熱的快適感や温暖感覚は、低体温の進行や生体負担の増悪を監視するための信頼できる指標とはならないことが示唆された。

3. 結論

(1)軽度な寒冷環境下で休憩を挿んで断続的に手指の冷水浸漬を繰り返すと、局所耐寒反応の減弱化と休憩時の皮膚温の回復遅延が進行する。この時、冷水浸漬を繰り返す毎に軽減されかつ休憩時に完全に消失する寒冷痛や寒冷感覚などの主観的知覚は、手指末梢部の冷却の進行と凍傷発生リスクの増大を警告する鋭敏な指標にならない。

(2)温暖休憩条件をはさんでも断続的に全身寒気曝露を繰り返すと、深部体温が低下し続けて循環系負担の増大と手指作業パーフォーマンスの低下が起こることがある。この時、寒気曝露を繰り返す毎に増強される温熱的不快感、寒冷感覚、寒冷ふるえ、温熱追求行動性などの主観的感覚は、低体温の進行や循環系負担の増大、手指作業パーフォーマンスの減退を警告するための鋭敏な指標になる。しかし、温暖休憩時に発現する温熱的快適感や温暖感覚は、低体温の進行や生体負担の増悪を監視するための信頼できる指標とならない。

 以上の知見は、寒冷作業を遂行する際に、作業者自身の知覚や主観的判断に依存して、防寒対策を講じたり作業−休憩スケジュールを設定したりすると、気づかぬうちに深部体温の低下が進行して生体負担が増大したり、身体末梢部の過冷却や凍傷発生のリスクが増大する場合があることを強く示唆する。

 したがって、寒冷作業の休憩時や作業後には作業者の快適感や温暖感などの主観的感覚に依存しない充分な加温・防寒対策を講ずるとともに、作業者の知覚や主観的判断に依存しない合理的な寒冷作業管理手法を確立する必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、実際の寒冷作業で通常経験するような寒冷曝露形態、すなわち休憩・休止を挿んで局所性・全身性に断続的寒冷曝露を繰り返した時に誘発される耐寒反応と生体負担の特徴と問題点を明らかにするために、健康な若年成人男性を対象にして局所および全身の断続冷却のモデル実験を実施したものであり、下記の結果を得ている。

1. 手指の冷水浸漬による局所性断続冷却実験の結果、深部体温が低下するような温度中性域以下の軽度な寒冷環境条件で手指冷却を繰り返すと、休憩を挿んでも寒冷血管拡張反応からみた凍傷抵抗反応(局所耐寒反応)が減弱し続け、かつ休憩時の皮膚温回復も遅延し続けることがみとめられた。にもかかわらず、手指の寒冷痛や寒冷感覚などの主観的負担は冷水浸漬を繰り返す毎に減少し続け、休憩時には完全に消失することが明らかになった。これより、寒冷痛や寒冷感覚などの主観的知覚が、手指末梢部の冷却の進行と凍傷発生リスクの増大を監視・警告する自覚的徴候として信頼できる鋭敏な指標にならない場合があることが示された。

2. 全身の寒気曝露による全身性断続冷却実験の結果、温暖休憩条件を挿んでも断続的に寒冷曝露を繰り返すことによって深部体温は低下し続け、循環系負担の増大と手指作業パーフォーマンスの低下が見られる場合のあることが明らかになった。また、手指作業パーフォーマンスの低下には、深部体温が強い影響を及ぼす可能性が示された。

3. 全身寒気曝露時には、全身耐寒反応として深部体温低下の進行を打ち消す方向に行動性・自律性体温調節反応が発現し、温熱的不快感や寒冷感覚も増強した。しかし温暖休憩時には深部体温が低下しているにもかかわらず一連の体温調節反応と寒冷不快感がほとんど完全に消失し、快適感覚と温暖感覚が発現した。この現象は、体温調節の温度情報統合様式における相乗統合モデルで説明できると考えられた。

4. 温暖休憩条件を挿んで断続的全身寒気曝露を繰り返す毎に増強される温熱的不快感、寒冷感覚、寒冷ふるえ、温熱追求行動性などの主観的知覚は、低体温の進行や循環系負担の増大、手指作業能力の減退を警告するための鋭敏な指標になると考えられた。しかし、温暖休憩時に発現する温熱的快適感や温暖感覚は、低体温の進行や生体負担の増悪を監視するための信頼できる指標とはならないことが示された。

5. これらの局所および全身の断続的冷却実験で得られた知見より、寒冷作業を遂行する際に、作業者自身の知覚や主観的判断に依存して、防寒対策を講じたり作業−休憩スケジュールを設定したりすると、気づかぬうちに身体末梢部の過冷却や凍傷発生のリスクが増大したり、深部体温の低下が進行して循環系負担の増大と手指作業パーフォーマンスの低下が生ずる場合がある可能性が示された。

6. さらに本実験結果は、現場での経験や主観的判断に依存した防寒対策が必ずしも有効でなく、作業者本人が気づかないうちに凍傷に被災したり、低体温症や高血圧などのさまざまな健康障害が発生している現状について、生理学的裏付けを与えると考えられた。

 以上、本論文はこれまで不明な点が多かった断続的身体冷却により誘発される局所および全身性耐寒反応と生体負担の実態についての解析から、断続的寒冷曝露時の身体冷却の進行や寒冷負担の増悪を監視する指標としての温冷感覚や快不快感覚などの主観的知覚の特性と信頼限界を明らかにした。本研究は、凍傷や低体温症などの職業性寒冷障害の防止、ならびに現場での経験や作業者の主観的判断に依存しない合理的な寒冷作業管理手法の確立のための基盤となる重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42820