学位論文要旨



No 214727
著者(漢字) 福島,真人
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,マサト
標題(和) インドネシア・ジャワにおける宗教と政治 : スハルト新体制下の国家政策と諸宗派の動態の民族誌的研究
標題(洋)
報告番号 214727
報告番号 乙14727
学位授与日 2000.05.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14727号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 教授 川中子,義勝
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 伊藤,亜人
内容要旨 要旨を表示する

 現代社会に於ける宗教の研究には固有の困難がつきまとう。それは宗教という概念が持つ多項目配列的な性格によって、それが具体的に何を示すか、文脈によって大きく異なるからである。現象論的には、一方で全体的な世俗化の予言がなされると同時に、宗教の再生現象とでも呼べ、様々な原理主義、復古主義的な運動が世界各地で見られる。こうした宗教変化の多様性を表現する為に、社会科学はいくつかの概念的装置を用意してきた。一つは階級分析の伝統とでも呼べるもので、特にウェーバー(H.Weber)の宗教社会学に端を発した、階級と宗教的志向の関係は、ブルデュー(P.Bourdieu)の『ディスタンクション』等にその影響を見る事が出来る。一連の文化的再生産論は、宗教的な変動を記述する為に、いくつかの社会的な階層を想定し、相互に独立した変動と表現する事が可能であるが、他方この分析の為には、階級現象が確固としたものとして観察されるという前提が必要となる。

 もう一つのアプローチは、デュルケーム(E.Durkheim)の社会分業論の伝統を踏襲したもので、近代社会を、高次に機能的に分化した社会と捉え、その文脈で宗教の命運を考えるというものである。この一連の流れの中で、最も理論的な完成度の高いのはルーマン(N.Luhmann)の議論であるが、そこでは現代社会を構成するサブ・システムは高度の自律性と閉鎖的な自己産出性を持つとされる。本博士論文は、こうした理論的理解を前提として、政治と宗教が、総体的に分化していく過程の中で観察可能なミクロのレベルでいかなる変動がおこるのかを、インドネシア・ジャワ島に於ける人類学的なフィールド調査を中心として分析したものである。

 ジャワに於ける宗教研究という学説史的な文脈では、ギアツ(C.Geertz)の研究以降、特にジョクジャ(Yogyakarta)、ソロ(Surakarta)の伝統王宮を中心にして形成された王宮中心的なイデオロギーで文化的に解釈するという傾向が顕著であり、それは最近の研究にも受け継がれている。だがこれは既により高度に機能分化した社会へと移行する為の、多く見られる過渡期的な現象と捉えられるべきで、このモデルでは多くの宗教現象はうまく解釈できない。ただし、高次の機能分化はあくまで全体の趨勢であっても、現時点では完了していない過程であり、その為にマクロのアプローチは、どれをとっても折衷的なものになる可能性は常にある。この論文では、全体として階級理論よりも機能分化論により注意を払う事になる。

 実際に調査が行われた1980年代のインドネシアでは、スハルト(Suharto)大統領のいわゆる「新体制」下、全体として上からの政教分離が推し進められていた。特に与党であるゴルカル(Golkar)を梃子にして、イスラム勢力の政治性を剥奪し、他方それに対する対抗勢力(例えばジャワ神秘主義の集団)に対しては政治的な庇護を与えるという政策である。こうした全体的な雰囲気の中で、フィールドワークは、ジャワ島北部の、所謂港湾地帯の農村及び都市で行われ、主に三種類の宗派をその分析の対象としている。一つは保守系イスラム最大の組織、ナハダトゥール・ウラマ(Nachdlatul Ulama「ウラマの覚醒」NU)であり、特にジャワ島北部や東部の農村部に強い支持基盤を持つ。二つ目は一般にクバティナン(kebatinan)と呼ばれるジャワ神秘主義系の宗派で、日本でいう新興宗教に当たるが、インドネシアではアガマ(agama)、即ち宗教という用語は公認の世界宗教にしか用いられない為に、その存在の根拠に法的な問題を抱えており、憲法の条文の解釈によって、「信仰」(クプルチャヤアンkeper cayaan)諸派と呼ばれて、政府の庇護下に入っている。三番目は、二十世紀初等に、ブローラ(Blora)周辺の山林地帯に発生した、反植民地主義的な農民運動の末裔で、その首謀者であるサミン(Samin)の名をとってサミン運動(本人はアダム(Adam)教徒と呼ぶ)と呼ばれている。本論文は大きく三つの章からなるが、そのそれぞれがこの各宗派の独立した分析からなっている。

 第一章は、X村と仮称する、クドゥス(Kudus)市近郊の農村に於けるNUの政治活動とその限界を、ハッサン(Hassan)という指導者を中心に分析したものである。X村は元来、世俗的な国民党とNUがほぼ拮抗した勢力を持つ村であったが、インドネシアの政治体制がスカルノ(Sukarno)からスハルトへと移行し、村落レベルの政治的な活動への締めつけが厳しくなってくるにつれ、その図式は解体してくる。特に公務員は政府与党であるゴルカルに所属する事が義務づけられ、NUの主要な指導層は皆ゴルカルに回収され、村内のNU組織は骨抜きになっていく。だがハッサンのように、元々NUの活動家であった人間にとっては、そうした状況は一種のダブル・バインドであり、様々な努力によってその矛盾を解消しようとする。だが残されたNUとの紐帯を維持しようとする一方で、村役場は、様々な手段、例えば村内のゴルカル支持者養成のコースといったものによって、ゴルカルの基盤をより磐石なものにしようとして、ハッサンがその陣頭指揮を取らざるを得なくなるのである。このゴルカル化の過程が進むにつれ、残されたNUメンバーは政治的に過激化して、ついにはモスクの使用をめぐって衝突事件を起こす事になるが、村役場はその対立を調整する能力を失っており、結局ハッサンのような両義的な人物にそれを依存するしか無い事が判明するのである。

 第二章は、クドゥス市に隣接するパティ(Pati)市を中心として、様々なクバティナン諸派の活動をNUとの対比の中で分析している。政府側から見ると、NUがイスラム勢力の中でも最も手ごわい対立勢力だと見られるのに対して、クバティナン諸派は、様々な教義を信奉する宗派の寄り集まりである。数度に渡る変遷を経て、スハルト体制下では、クバティナン諸派は、「宗教」ではないが、それに準ずるもの(「信仰」)として、教育文化省管轄下になった。そしてこれらの諸派を統合して、イスラム勢力に対抗しうる政治勢力としようとする働きかけが成されていた。だがこうした統合は、それぞれの宗派間のスタンスの差(たとえば治療への関与についてや憑依現象を肯定するかといった)や、イスラムに対する態度の濃淡ともあいまって様々な困難を引き起こしていた。更に、彼らはゴルカルの傘下に入っていた訳だが、ゴルカルには既に多くのイスラム勢力が、公務員であるという理由で参加しており、ゴルカル内部で、クバティナンをめぐる政策の差が浮き彫りになり、それがクバティナン行政(特にクドゥスにおいてその傾向が著しいが)を麻痺させるという結果になっているのである。更にクバティナン勢力を統合する為には、彼らからある種の共通のエキスのようなものを抽出して、それを例えば教育に反映させたり、クバティナン共通の祈祷所を設けるといった形で具現化しなければならないが、その努力をすればする程、実質的な内容が希薄になるという矛盾に、彼らは晒される事になったのである。

 第三章は、パティ県の内部に大きな集落を残しそいるサミンの民の分析である。サミン運動自体は従来オランダ植民地時代の歴史的な運動と考えられていたが、いくつかの地域では、現在でもサミン集落が残っている。彼らは強固な二元論的なイデオロギーを擁し、世界を人と物の秩序に分け、人の生産には性、物の生産には農業と考えて、それらを中心に社会を厳格に再構成する事をその教義の中核としている。その為に、彼らはその職業に関しては農業以外のそれを拒否し、特に商業を虚偽とする。更に性交=婚姻であり、又婚姻関係が絶対的な教義の一つとされる為、一度結んだ婚姻関係は一生解消できないとされている。更に婚姻を中心とし、農業に基盤を置いた核家族が全社会の基礎とされ、それを越えた制度を認めない為に、彼らは古くはオランダ政庁、そして現在のインドネシア政府との間にも様々な軋轢を生じてきたのである。だが度重なる弾圧と、様々なローカルな懐柔により、彼らの態度にも微妙な変化が生じてきた。いわば憲法の解釈論争のように、彼らの中にも、その教義の解釈にリジッドに固執するものから、例えば村落行政に対して、より柔軟に対応するものまで現れてきて、それがサミン共同体内での分裂の傾向までもたらしているのである。

 結論では、調査が行われた80年代以降の政治、宗教政策の変化を概観しながら、この三つの宗教活動の相互関係を総括的に考える。とりわけ社会システムの漸進的な分化の過程という枠組みから捉えた場合、これらの宗教的活動の反応はどう理解されるべきか。分化した社会システムの中での宗教というサブ・システムは、他のそれ、例えば経済や政治などと比べると独自な性格を持つと考える事ができる。それは、宗教が既に社会のサブ・システムに過ぎないのに、あたかも社会全体に意味を与えるような振る舞いをするという点である。だがこの「全体性への要求」を現実に実現するのは難しい。この意味で、NUのハッサンのような人物と、サミンの民は両極端を形成している。つまりイスラムは、その全体性への要求を、政治、経済、教育といった諸分野に、そのイスラム的な色彩を投影する事によって、何とかその全体性を曲がりなりにも維持しようと苦闘するのに対して、サミン運動は逆に、その分化した外部のシステムを極力拒否する事によって、極小の世界に閉じこもる。つまり社会分化の趨勢に対して、マクシマリストとミニマリストの対応という極端があり、その中間にクバティナンが漂っているという状態なのである。そしてこうしたバリエーションは、高次に分化した社会における宗教のあり方の様々な可能性を具体的に呈示している。

審査要旨 要旨を表示する

 福島真人氏の論文は、インドネシア、ジャワ島北岸部農村でのほぼ2年間に及ぶフィールドワークにもとづき、そこに見いだされる3つのタイプの宗教事例を比較考察するものである。そして、社会の諸制度への分化のなかでの宗教システム存在のあり方を、先行の諸社会理論、とりわけルーマンの社会分化論に照らして検討している。したがってそれは1980年代のインドネシア一地域社会をめぐる民族誌研究であり、また宗教システムを一般社会理論の中に位置づける理論的考察でもある。

 日本国内でもまた国際的にも、ジャワ社会をめぐる文化人類学的研究はかつてのマタラム王国に連なる2つの旧王都スラカルタ、ジャクジャカルタ地域に偏っている。そこでは、神々の秩序を地上に写した模範的中心としての王と王宮というモデルが強い影響力を持っていた。これに対し本論文は、こうしたモデルの規定力から距離があり相対的に独自な社会構成を示すジャワ北岸地域を取り上げた点で、インドネシア研究の欠を埋めるオリジナルな価値を持つ。王宮モデルの宗教論に対する批判として従来あったのはイスラム世界の一部としてのジャワという視点であった。それが反対命題を対置することに終っていたのに対し、本論文は3事例の一つとして正統派イスラムの活動も取り上げつつ、より広い視野を提示している。いわば「ジャワ国粋主義」的な近代の新興宗教であるクバティナン諸派、さらには思想的にまったく独自でラディカルな農民の宗教サミニズムがイスラムと併置して論じられることにより、一元的な見方には集約し得ない近代ジャワの錯綜した宗教状況が、説得力をもって提示されている。とりわけサミニズムの信条と実践についてはこれまで国際的に民族誌的研究を欠いており、歴史学者、政治学者などが植民地史料から憶測を展開するに止まっていた。人としての活動を農耕と夫婦の性の営みのみにぎりぎりまで簡略化し、外部の権威・権力を認めず、語ることによってのみ世界が存在するという独自の哲学をもって特異なジャワ語の用法を展開するサミニスト農民の姿を明快に示した点で本論文は大きな価値をもつ。このサミニズムの記述に止まらず、本論文は民族誌記述のきわめて高い水準を達成している。それは福島氏が、人々の活動を傍見し語るところを聞くというフィールドワークの基礎に止まらず、現地の人々との徹底した議論のやりとりを成しえているからであり、それを可能にしたのは氏のきわめて高度な口語ジャワ語活用能力と対話能力である。

 3つの異なる事例を取り上げた本論文の宗教民族誌的記述に一貫性を与えているのは、宗教と政治の緊張し錯綜した関係を解きほぐそうとする視座である。インドネシア国家は憲法にも先行する国の基本原則として、第1条「唯一の神性」にはじまる5原則パンチャ・シラをもっている。これにより国民は国家が公認した5つの宗教のいずれかの信徒であることを義務づけられる。これは宗教を重視する立場とも言えるが、政治の側から宗教を規定しその管理の枠内に閉じこめようとする結果をも伴う。公認5宗教の内に入らないクバティナン、サミニズムは言うまでもなくイスラムにとっても、政治の介入に対し宗教の独自性と全体性を守るのは、困難な錯綜した作業である。こうした事態に対しそれぞれの信仰の側でいかなる対抗や妥協が行われているかを明らかにし、それぞれの対応に相似型や鏡像を見いだしていく作業は、本論文の民族誌記述中白眉とも言うべき興味深い箇所である。

 本論文の民族誌的記述・分析は「社会の複雑化・諸システムへの分化の中で宗教はいかなる位置をしめ他のシステムといかなる関係を結ぶか」という、より一般的な問いに基礎づけられている。それはまた現代社会における宗教研究の可能性をどこに見いだすかという模索でもある。論文が直面している経験的状況は、宗教と社会が未分化に一体化したデュルケーム的状況ではなく、また宗教が政治・法・日常社会規範などから分離されて小さな閉ざされた区画に納まってしまうという「世俗化論」的状況でもない。そこで福島氏の議論に理論的出発点を与えているのは、ルーマンによる社会の自立した諸システムへの分化の理論である。極度に抽象性が高く文化人類学者に省みられることがなかったルーマンの理論に着目した独創性と挑戦的姿勢は大いに注目に値する。本論文は、初期ルーマンが示唆する宗教システム論、すなわち宗教が社会全体の中で局所化されつつ、なおそれに甘んじえずある種の全体性を要求し、それが故に固有の困難を抱えるという議論を経験的事象に適用し、ジャワの3つの事例を通じて豊かにすることに成功している。それゆえ論文は、個別・特異な宗教事象の記述といったことに止まらず、現代世界の宗教状況への普遍性を持った文化人類学的回答を提示することに成功している。

 以上、審査委員会は一致して、本論文がジャワ社会の宗教的民族誌として先行研究の水準を超える高い水準を達成したものであり、宗教と社会をめぐる理論的課題にも新たな水準を開くものと認め、博士の学位を与えるに十分な、それも特にすぐれたものと認定した。

UTokyo Repositoryリンク