学位論文要旨



No 214733
著者(漢字) 古澤,廣道
著者(英字)
著者(カナ) フルサワ,ヒロミチ
標題(和) 公共工事システムにおける発注者責任に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 214733
報告番号 乙14733
学位授与日 2000.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14733号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 助教授 小澤,一雅
 拓殖大学(元 東京大学) 教授 吉田,恒昭
内容要旨 要旨を表示する

 第2次大戦後の内務省解体の翌年(1948年)に、土木建築請負業の発展および改善の助長を担う権限を持った建設省が設置された。明治以来、確固たる産業としての地位を持たなかった建設産業界に主務官庁が誕生したのである。一方、戦後占領軍工事に活路を得つつ、その後の企業再建の道を模索していた土木建設業界にも、建設省の発足にあわせて社団法人土木工業協会(現(社)日本土木工業協会)が設立された。建設省を中心とした本格的な建設行政の嚆矢は、1949年に公布した建設業法に基づく諸制度の整備、例えば建設工事の標準請負契約約款の制定と数度にわたる改正等による入札制度の合理化である。それは公共工事の執行形態を直営制から請負制へと移行させ、近代産業としての道を歩み始めた建設産業を育成しつつ、国民生活の向上と経済の発展に欠かせない社会資本の整備に向けての新たな展開であったと考えられる。

 公共工事は、納税者からの信託に基づいて事業を統括する発注者の指示と監督のもとで、コンサルタントが設計を受け持ち建設業者が施工を行うことを基本としたシステムによって執行される。このような公共工事システムのもとで、名神・東名高速道路、東海道新幹線、佐久間ダム等の大規模工事が次々と執行された。

 1964年に建設省コンサルタント登録規定が告示されて以来、コンサルタントの登録社数は、1998年末において約3,200社に及んでいる。建設産業も年間完工高1兆円を超える巨大総合建設会社の出現(1986年以降)をみると共に、登録業者数約57万社(1998年3月末)、就労人口約660万人(全就労人口の約10%、1998年平均)、市場規模約70兆円(1998年度名目、対GDP比約15%)に達する産業を形成するに至った。これらの過程において公共事業の役割も、国造りを目的とした社会資本整備事業としての役割のみならず、景気対策という政策的役割が次第に大きな比重を占めるようになった。同時に、発注側技術者の公共工事執行者としての役割(権限、機能、責任等)に対する揺らぎ、後を絶たない談合、利権・利益誘導や建設汚職、入札・契約制度を始めとする制度や慣習の歪み、透明性の欠如等々、公共工事執行制度と運用に制度疲労ともいうべきものが蓄積され、様々な分野からの批判の対象となっている。

 これらの諸問題に関する研究は、問題の所在が根深く錯綜しているため、事実関係の把握が難しいことや、発生メカニズムも複雑・多岐に亘っている。更に、改善に伴う関係者の利害関係の調整等も極めて困難なため、現状を見る限り、問題の個別的あるいは対処療法的な分析に基づいた研究や提言は多いものの、諸問題を包括的システムとして論理的かつ実証的に論じた研究は数少ないといえる。

 公共事業に関わる諸問題の改善にあたっては、様々な切り口がある。本研究では、“公共事業とは何か、誰が、どのようなシステムによって執行するのか”という公共事業の原点、すなわち、公共工事システムの“枠組み”の建前と本音との乖離を切り口として論じた。現行の公共工事システムの枠組みの中核として、公共事業の役割、入札・契約制度、および発注者の全知全能性を基軸に据えた。これらの枠組みの建前と本音との乖離の実態を明らかにし、公共工事システムの原則と公共工事執行の現状を論理的かつ実証的に比較分析することによって、公共工事システムにおける様々な問題を派生させている根本的要因を探求した。これらの諸問題の改善策を体系的かつ具体的に示すことを目指し、地方自治体を含めた全ての公共工事の執行において実効性のある公共工事システムの改善に関わる政策の基本的方向を提言することを目的とした。

 公共事業の役割は、中・長期的観点から国造りの基盤となる社会資本を整備することというのが建前である。それと同時に公共事業には景気対策という政策的役割があり、しかも公共事業の重要な役割部分を占めているのが現状である。景気対策事業として執行される公共工事においては、発注者は工事の細分割や非効率な共同企業体の結成等の裁量を伴った発注形態によって、地元中小・零細建設業者に公共工事を幅広く分配し、失業者救済等の政策目的を達成することが求められている。

 公共工事システムの基軸である入札・契約制度においては、発注者は誰に対しても入札参加機会を公平に与え、価格のみによる競争によって建設業者を選別するという市場効率主義の原則(競争優位)であるというのが著者の主張である。しかし、競争原理の無制限ともいえる導入は、理論的には競争力の乏しい中小・零細建設業者の市場淘汰を招くと考えられるので、公共工事が景気対策の主要な政策手段であり、しかも公共工事を支えているのは地方の中小・零細建設業者であるという現状がある限り、政策目的で執行される全公共工事に対して競争優位という原則のみを適用することは、政策目的を達成するという観点からは妥当性に欠けると思われる。

 本研究では、公共事業の役割における建前と本音、すなわち、公共事業の役割は社会資本整備であるという建前と、公共事業の役割には景気対策という役割があるという本音との乖離(二面性)に視点をおいた。社会資本整備を担う公共事業では、競争優位を原則とした執行形態によって公共工事が効率的に執行される環境にある。一方、景気対策目的の公共事業では、政策介入による公共工事の分配(公平性)に力点をおいた執行形態によって公共工事が執行される必然性がある。公共工事システムに関わる諸問題の改善を難しくしている根源の一つは、効率性と公平性、市場と政策介入という二律背反した特徴を有した公共工事を、競争優位を原則とした同一の制度と運用によって画一的に取り扱おうとする処にあるというのが、本研究から得られた知見である。本論文では、健全かつ効率的な公共工事システムの構築を図るにあたっては、建前と本音との一致、すなわち、競争優位に適合しない政策目的の公共工事と、効率的な社会資本整備を目的とした公共工事を明示的に分割することが必要不可欠であるとの観点に立脚して、その具体的方策を提案した。

 公共工事システムの中核をなす入札・契約制度は、発注者が積算によって算出した予定価格を上限として、最も低い値札を入れた建設業者が落札するという、予定価格制度を基軸とした制度である。予定価格制度は、予定価格を算出する役割を担う発注者の知識や技術力等が全知全能であるということを建前としている。したがって、公共工事システムが健全であるか否かを評価する一つの要件として、発注者は全知全能であるという建前と本音との間に乖離があるか否かを検証することが必要となる。

 発注者の全知全能性とは、全公共工事の執行において“良いものを安く造る”ために必要な設計、施工計画、施工、積算等に関わる知識や技術力および現場経験等が、発注者に十分に備わっているということである。しかし、現在の土木界では“不可能であったものを可能にする”ような技術が次々に生まれている。これらの技術開発における民間企業の役割は大きいものがあり、発注者はこれらの新しい技術情報や知識等を常に民間企業から吸収して個別の工事に反映させることが求められている。このような状況において、設計・施工を外部に委託し、充分な知識や現場経験等を養う機会が少なく、しかも多種多様な事業執行業務を幅広く行わなければならない発注者に全知全能を求めることは、もはや合理性に欠けていると考えられる。しかし、公共工事システムの改善を論ずるにあたって、発注者の現状を分析し、発注者の役割と責任という観点から改善策を論じた研究は、極めて少ない。例えば、建設コストの縮減においても、その施策の多くは、建設業者によるVE(ValueEngineering)制度の導入や設計・施工等の見直し、および工事発注の効率化等による他力本願的改善策に止まるものである。

 本研究では、公共工事システムの改善策を、発注者の役割と責任という観点から、発注者に期待できる役割と限界、発注者に求められる資質や能力等の考察を通して、発注者の基礎能力評価と人材育成策等について論理的な分析を試みた。そして、建設コスト縮減や入札・契約制度における諸問題の根源と課題を、発注者の役割と責任の限界性という視点から考察し、公共工事システムの改善のための諸方策を包括的に提案した。

 本研究の範囲内で公共工事システムの基軸となっている従来型の“枠組み”は、公共事業の役割が、社会資本整備から景気対策目的となるに至った公共事業の歴史的変遷と現状、急速な技術の高度化や工事の規模的拡大、少子化・高齢化社会の到来と財政の逼迫、および国際化・地方分権時代の到来という社会経済構造の変革のもとで、もはや“枠組み”としての意味を喪失しているといえる。したがって、長期的視野に立ったうえでの公共工事システムの改善にあたっては、現行の公共工事システムの“枠組み”を再評価し、公共工事執行過程における建前と本音との一致を図り得る新たな理念、すなわち、“競争優位と透明性”を中核とした健全かつ効率的な公共工事システムを早急に構築することが必要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 我が国の建設産業は、第2次大戦敗戦後の荒廃した国土を復興し、国民生活の向上と経済の発展に欠かせない社会資本の整備という重要な役割を担ってきた。この過程において公共工事は、国造りを目的とした社会資本整備事業としての役割のみならず、景気対策という政策的役割が次第に大きな比重を占めるようになった。近年、公共発注者側技術者の工事執行者としての役割,権限、機能、および責任等への不信感,談合の蔓延、政治家の利権・利益誘導や建設汚職等が顕在化し、公共工事執行制度と運用に制度疲労が蓄積され、厳しい社会的批判の対象となっている。

 これらの諸問題に関する研究は、問題の所在が建設産業界と日本社会の深層で根深く錯綜していて事実関係の把握が著しく難しいこと、問題発生メカニズムが複雑・多岐に亘っていること、更に、不具合の改善提言に伴う利害関係者の意向調整が極めて困難であること、等の理由で、問題の個別的あるいは対処療法的な分析に基づいた研究や提言は数多くあるが、諸問題を包括的システムとして論理的かつ実証的に論じた研究は数少ない。

 本論文は,公共事業に関わる諸問題の改善にあたって、現行の公共工事システムの枠組みの中核として、公共事業の役割の二面性、発注者の全知全能性の是非、および入札・契約制度の妥当性を基軸に据え、公共工事システムの原則と公共工事執行過程の実態とを論理的かつ実証的に比較分析しつつ、この枠組みの建前と本音との乖離の実態を明らかにした。その結果から、諸問題を派生させている根本的要因について論証し、地方自治体を含めた全ての公共工事の執行において適用できる体系的かつ具体的な改善策となり得る基本的政策を提言している。

 公共工事の本来の役割は社会資本整備であり、入札・契約制度の原則は競争優位であるという建前と、公共工事には景気対策という政策的役割があり、入札・契約制度には建設業者の保護という要素が必要であるという本音との乖離を埋めるためには、発注者の裁量という行為が必要となることを論証した。さらに、予定価格制度の前提の一つである、発注者は全知全能であるという建前と、全知全能ではないという実態(本音)との乖離が、建設業者の公共発注者への報酬を伴わない日常的な技術支援・補完行為を必然的に招くことを示した。それらを通観して、建設談合、建設汚職、官民癒着等の公共工事に関わる不正の根源の一つは、公共工事システムの枠組みの建前と本音との乖離にあると論じている。社会資本整備を担う公共事業では、競争優位を原則とした執行形態によって公共工事が効率的に執行されるべきであり、景気対策が目的の公共事業では、政策介入による公共工事の公平な分配に力点がおかれる必然性がある。公共工事システムに関わる諸問題の改善を難しくしている根源の一つは、効率性と公平性、市場経済と政策介入という二律背反した要請を、同一の公共工事で、競争優位を原則とした制度と運用によって画一的に取り扱おうとするためであることが重要な知見として得られた。そして、健全かつ効率的な公共工事システムの構築を図るためには、建前と本音との一致、すなわち、競争優位に適合しない政策目的の公共工事と、効率的な社会資本整備を目的とした公共工事とを明示的に分割することが必要不可欠であると主張し、それを実現するための短期的、中期的、長期的な具体的方策を提案している。

 不良・不適格建設業者によって行われる一括下請負や上請け等が成立している要因が、不良・不適格建設業者が中間マージンを搾取しても、品質を確保した公共財を造り得る予定価格の積算体系および発注金額にあることを、公共工事の執行過程に関する実態調査に基づき定性的かつ定量的に論証した。そのメカニズムとして、地方中小・零細建設業者と全国大手・地方主要建設業者とが必要とする一般管理費(会社諸経費)に著しい相違があるにも関わらず同様に査定していることを明らかとし、地方自治体の建設工事積算基準における一般管理費率の抜本的見直しを提言している。さらに、公共工事の適正かつ効率的な執行のためには、発注機関へ期待することと、期待すべきこととを区別して明確とし、各発注機関の業務能力と公共工事の技術的難易度との整合性を図るために、発注機関を審査・評価して格付けることが必要であると論じている。

 本論文は、社会資本整備から景気対策へと至る公共工事の役割の歴史的変遷と現状を概観し、急速な技術の高度化や工事規模の拡大、少子化・高齢化社会の到来と公共財政の逼迫、および国際化・地方分権時代の到来等の社会経済構造の変革のもとで、これまでの公共工事システムの枠組みが機能し得ないことを明らかとしている。長期的視点に立った公共工事システムの改善のために、公共工事執行過程における建前と本音との一致を図り得る新たな理念として競争優位と透明性を提示し、それに基づく幾つかの具体的な改善策の政策提言をしている。

 本論文における調査研究と分析によって得られた成果、および提示された理念と具体的政策提言は、我が国の公共工事システムの改善に関する従来の研究および論説と比較して、極めて斬新で数多くの有益な知見と示唆に富むものと認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク