学位論文要旨



No 214734
著者(漢字) 岡崎,篤行
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,アツユキ
標題(和) 町並み保存・継承型まちづくりにおける合意形成システムに関する研究
標題(洋)
報告番号 214734
報告番号 乙14734
学位授与日 2000.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14734号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 助教授 北沢,猛
 東京大学 助教授 城所,哲夫
 東京大学 助教授 小泉,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

 まちづくりの一環として、歴史的町並みの保存・再生、あるいは歴史的町並みを継承した新たな町並みの形成を行う「町並み保存・継承型まちづくり」の事例は年々増えており、まちづくりのひとつの重要な要素として定着している。町並み保存・継承型まちづくりを実行する主要な手法は、国の文化財保護法に基づく伝統的建造物群保存地区(伝建地区)や、自治体の景観条例に基づく景観形成地区等の地区指定による詳細なデザイン・コントロールである。これらの景観形成制度の成立と実効性を担保するためには、立案の初期段階から住民の参加を得て合意形成を図ることが重要である。しかし現実には、住民が立案、決定、運用の各段階に参加する機会は非常に限られている。また、地区指定に関する地域の合意形成は容易でなく、一部住民による地区指定の反対運動が起き、社会的紛争状態となって、計画が停滞する例も少なくない。

 そこで、本研究では、町並み保存・継承型まちづくりにおける合意形成システムの実態を明らかにし、その問題点を分析することにより、より公正かつ合理的な合意形成システムの構築へ向けての提案と、今後の課題の導出を行うことを目的とする。なお以上のような本研究の背景、目的、構成の設定を「1章 研究の背景と目的」で行った。

 続く「2章 歴史的環境の保全・再生・活用における合意形成問題の位置づけ」では、町並み保存・再生型まちづくりにおける合意形成システムの分析を行うための基礎的な分析として、歴史的町並みのほか、単体の歴史的資産や歴史的風土なども含めた歴史的環境全体における保全・再生・活用の状況を整理した。

 行政の取り組みは、保存・再生・活用の6つの目的である、1)文化財保護、2)地域商業活性化、3)アメニティ向上、4)コミュニティ活性化、5)都市・地域のアイデンティティの確立、6)環境保全・管理にも関連して、1)面的な歴史的遺産の保存、2)商店街・中心市街地の活性化、3)景観資源としての歴史的遺産、4)歴史的遺産を核とした住環境整備、5)再利用ストックとしての歴史的遺産、というように対象を展開してきた。一方、住民の関与も対抗型の運動から、まちづくり活動、さらには新たな社会的セクターであるNPOによる事業活動として発展してきた。NPOの活動内容は多様であり、保全事業や地域デザイナー活動などの「直接活動」、技術支援、資金支援の「支援活動」、ネットワーク形成、斡旋・仲介の「交流活動」が実施されていることが確認できた。

 「3章 町並み保存・継承型まちづくりにおける地区指定プロセスの枠組み」では、町並み保存・継承型まちづくりの合意形成システム、およびその中心概念である合意形成プロセスについての具体的な分析を行うにあたり、押さえておくべき地区指定プロセスの基礎概念を整理した。

 日本の都市計画では、基本である都市計画決定手続きをはじめ、公式な手続きとしては、住民が参加し、本質的な議論によって合意形成を行う機会は提供されていないことがわかった。一方で、町並み保存・継承型まちづくりの地区指定においては、通常の都市計画に比べれば、住民参加の機会が多く確保されている。特に、先進的な自治体では、独自の条例や制度の運用によって、民主的な地区指定プロセスが設定されている。また、町並み保存・継承型まちづくりの地区指定の実例調査から、特に大都市圏では、反対運動によって計画が停滞している事例を把握できた。地区指定のプロセスは、各自治体によって様々であり、特に条例制定の事前における住民への説明が、地区によっては必ずしも十分に行われていない実態が明らかになった。

 「4章 町並み保存・継承型まちづくりの地区指定における合意形成過程−埼玉県川越市一番街商店街周辺地区を事例として−」では、町並み保存・継承型まちづくりの合意形成を、適切かつ円滑に進める方法論を確立するための基礎的分析を行った。

 反対運動により地区指定が停滞した川越一番街商店街周辺地区を対象とした事例分析により、第1に、合意形成における関係主体の状況に関わる阻害要因としては、地区内に強力な推進母体が存在しないことがあげられ、それは社会的事情と行政、専門家、商店街など推進側の進め方が不十分であったことに起因していることがわかった。第2に、一番街地区におけるまちづくりのプロセスは、住民活動初動期、住民活動活発化期、関係主体拡大期、意見調整期の4期に分けられるが、このなかで、都市景観条例制定の事前に広範な住民の意見交換の機会が設けられておらず、条例制定後になって急に関係主体の拡大し、多様な主体の価値を調整できなかったため、反対活動の発生を招き、計画を停滞させたことが明らかになった。第3に、主体間対立の争点として、(i)規制への反発や町並み活用の目的の違いといった価値対立、(ii)商店街、行政、専門家の主導による計画進行に対する反発といった心情的対立、の2つの側面をあげることができ、また、町並み活用の目的の対立は、中心となる目的の変化が原因となっていることが把握できた。第4に、各主体が重視した価値には、文化財保護、商業活性化、アメニティ向上の3つがあり、これらの価値を調整する機関がなかったことが、心情的対立をも増幅し、合意形成の阻害要因となっていることが明らかになった。

 「5章 伝統的建造物群保存地区指定における合意形成過程−奈良県橿原市今井町を事例として−」では、紛争の発生と解決を経て伝建地区指定に至った今井町の事例を用い、合意形成プロセスの実態と促進要因、阻害要因、ならびに問題点を分析した。

 合意形成過程を普及啓発過程と紛争解決過程に分けて分析した結果、第1に、普及啓発過程における保存意識変容の主な要因としては、行政が実際の事業により具体的なまちづくりのイメージを提示したこと、多くの住民が望む住環境の向上を町並み保存の目標としたこと、「自治会」を基盤とした「住民協議会」という全住民的織による意見集約、の3点が把握できた。第2に、紛争における意見対立の主な要因としては、借家問題という根本的な利害が争点になったこと、伝建地区制度に対する誤解、参加手続きの不十分さによる不信感の増大、の3点が明らかになった。第3に、紛争解決過程における紛争緩和の主な要因としては、市と賛成・反対両住民が参加する「町並み保存協議会」や制度の運用に反対意見も含めて広く意見を反映させる「町並み保存住民審議会」という独自の合意形成機関の設置、「自治会」を通じた全住民を対象とした合意形成活動の実施、の2点があげられた。第4に、合意形成過程の問題点としては、行政・賛成派住民ともに様々な合意形成活動を行ったにも関わらず、制度化の事前に争点を具体化できず、反対意見者の議論参加が十分にできなかったため紛争が発生したこと、ならびに主要な対立要因となった借家問題は未解決で、積極的反対意見者は態度を変えていないこと、の2点が明らかになった。

 「6章 立案初期段階からの住民参加による景観形成制度の策定−岐阜県古川町を事例として−」では、古川町における伝統的様式を継承した町並み形成を対象として、1)景観条例制定に至る長期的経緯を各主体の行動と意識に着目して明らかにしたうえで、2)景観条例案を含む景観計画の立案過程における参加システムのデザインの実態を明らかにし、3)住民参加による立案過程およびその結果の検証と今後の課題の整理を行った。

 その結果、まず第1に、目標景観像の形成過程ならびに目標景観像の合意形成過程という2つの視点から、景観形成制度立案の過程を5期に分類することにより長期的経緯を把握でき、その中で規制の必要性、基本方針、条例案という段階的な合意形成により、紛争を発生させず、伝統的・暗黙的な規範を景観条例制定という具体的施策として明文化し、実施に移すことができたことが明らかになった。第2に、プロセス、プログラム、参加形態の3要素からなる参加システムのデザインにより、住民にとって犠牲を伴う規制や、専門的見識が必要な対象範囲、基準を含めた議論を、限られた時間のなかで建設的に行うことができ、特別な機器やツールは用いなくても、簡易なワークショップ手法によるプログラム・デザインが十分有効であったことが示された。第3に、アンケートで検証したように、参加住民の合意と納得に基づいた計画案を作成することができ、特に各主体に応じた参加形態のデザインが有効であったが、大委員会委員の合意が比較的難しいことがわかった。

 「7章 まとめ」では、本研究のまとめとして、各章のまとめおよび全体のまとめを行い、さらに今後の合意形成システムの課題を整理した。

 日本における町並み保存・継承型まちづくりでは、広く住民の意見を反映し、また住民の知恵を活かすような合意形成システムが確立されていない。また、住民の意思を代表する主体としてのNPOの基盤も整備されていない。今後は計画内容のみでなく、本研究で提案したような合意形成システム自体のデザイン技術の向上に、さらなる工夫と経験の蓄積が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、伝統的建造物群保存地区等の地区指定を中心とした、著者の定義するところの「町並み保存・継承型まちづくり」における合意形成システムの実態を明らかにし、その問題点を詳細に整理したものである。これによって公正かつ合理的な合意形成システムの構築へ向けての今後の課題をまとめることを目的としている。都市計画における合意形成とは、一定の施策について、関係する各主体の参加と主体間の議論に基づく社会的意志決定によって、主体間において計画遂行上の意志決定を行うことである。このような合意形成プロセスのあり方は今日の都市計画研究における中心的な関心のひとつとなっている。

 論文は7つの章によって構成されている。

 第1章では、本研究の背景、目的、構成を明らかにしている。

 第2章では、本研究の導入として、わが国における歴史的環境全体の保全、再生、活用や住民の関与の経緯と概況を整理している。とりわけ近年注目されるようになってきた民間非営利団体(NPO)の活動に着目して、そのわが国の歴史的環境保全における役割と活動内容を整理している点は新しい研究として注目される。

 第3章では、わが国における歴史的環境保全のための各種地区指定制度の仕組みを整理し、さらに各地の地区指定プロセスの概要を明らかにしている。合意形成と関連して地区指定プロセスを問題発生期、第一次計画期(要項・協定)、第一次実行期(同)、第二次計画期(伝統的建造物群保存地区)、反対派形成期、意見調整期、第二次実行期(伝統的建造物群保存地区)の7段階に分類し、各地の実態をこれによって整理して記述している点は独創的であり、かつ他に応用可能な手法として高く評価できる。

 第4章では、地区指定を目指しながら合意形成に成功しなかった事例を検討し、合意形成プロセスの実態と阻害要因を分析している。詳細なヒアリングによる状況分析に特徴がある。

 第5章では、紛争の発生と解決を経て伝統的建造物群保存地区指定に至った事例を用いて、合意形成プロセスの実態と阻害要因、ならびに問題点を分析している。本章は前章と対をなしており、双方の章を比較することによって合意形成プロセスの成否がいかなる要因によって分かれるのかを明らかにしている。

 第6章では、第4章並びに第5章において把握された問題点を踏まえて、岐阜県古川町をケーススタディの対象とした実践的な分析により、景観条例を含む景観計画立案過程における参加システムを設計し、立案過程自体の評価と結果の検証をおこなっている。ヒアリングのほか各段階における詳細なアンケート調査、さらに詳細計画の立案業務に実際に関与することによって、論理的のみならず実践的な考察を行っている点に特徴がある。

 第7章は全体のまとめである。まとめにおいて、合意形成においては要綱・協定等の段階と地区指定の段階の2段階の計画が有効であること、潜在的反対派をいかにして発掘し、議論に巻き込むかの方向論を提示している。さらに、紛争は価値の対立と心情的な対立があり、それぞれ詳細な情報提示のあり方および公正なプロセスの設計のあり方を示し、これが問題解決の鍵であることを実証的に示している。また、合意形成のために、多様な参加主体による議論手法を具体的に提示し、調査、立案、意志決定、意見調整、運用の各段階全体を視野に入れ、継続性を考慮した連続的合意形成システムの設計を提起している。最後に地域レベルに応じたNPOのあり方を論じている。

 以上、本論文において、都市計画の各段階における合意形成プロセスのあり方について、歴史的環境保全の側面から、広範な事例研究をもとに問題点を整理し、今後のあり方を提示している点でこれまでに論じられていない新しい知見を提供しているといえる。また、テーマ自体が近年の都市計画の直面する課題に正面から取り組むものであり、今後さらに継続的に研究が続けられるであろう分野において、立論の枠組みを提供する研究として貴重である。

 以上の点において本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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