学位論文要旨



No 214740
著者(漢字) 日比野,光宏
著者(英字)
著者(カナ) ヒビノ,ミツヒロ
標題(和) ソフト化学による固体イオニクス材料の合成と評価
標題(洋)
報告番号 214740
報告番号 乙14740
学位授与日 2000.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14740号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 安井,至
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 助教授 宮山,勝
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、酸化バナジウムゲルの構造とリチウムインターカレーション特性、六方晶WO3リチウムインターカレーション特性及び酸化タングステンクラスター凝集体のプロトン伝導性について論じた。対象となった物質はソフト化学的に合成され、リチウムイオン、プロトンなどの固体中での挙動に関する研究を行った。各章の要旨は以下の通りである。

 第一章では、「序論」として、本研究の題目にあるソフト化学、固体イオニクスについて概観するとともに、各章の背景、目的について述べた。

 第二章では、「リチウムインターカレーションにおける組成−電位曲線の統計的解釈」と題して、まず結晶における組成−平衡電位の関係を論じた。その後で、非晶質について論じた。

 これまで組成−平衡電位関係は、LiMn2O4など明らかに異常が見られる場合を除いて、無秩序系の平均場近似が解釈に使用され、リチウム−リチウム反発エネルギーの大きさUが見積もられてきた。しかし、その大きさは平均場近似では秩序相を形成すべき値となっているものもあった。したがって、平均場近似の適用は正当性に欠ける場合がある。近似の質を良くすると平均場近似より大きな反発エネルギーでないと秩序相が形成されないことが明らかとなったので、平均場近似で秩序相が生じる場合でも、見かけ上は無秩序系を仮定した平均場近似でうまく説明できる場合もある。しかし、それを考慮しても見積もられたUは大きすぎること多く、リチウム間の反発エネルギーUを見かけ上大きくした原因を無視して、U(たとえ近似としても)を求めるのは、全く意味がない可能性さえある。したがって、リチウムイオン間の反発エネルギーを求める場合には、組成−電位関係の新たな定式化が必要である。その上で、リチウムイオン間の反発エネルギーを見積もるべきである。

 非晶質の場合のリチウム挿入による大きな電位降下は、リチウム−リチウム間の反発(上の議論を踏まえれば、リチウム間の反発だけではないが、とにかく平均場近似の式を適用した場合のU)が大きいためであるとすると、秩序相の形成が起こるほどの大きさを考えねばならないが、実際には秩序相の形成は起こらない。そこで、非晶質であるためのサイトエネルギー分布が原因であると考え、サイトエネルギー分布を考慮した組成−電位関係の理論式を提案し、新規なV-Mo-O系非晶質に適用した結果、実験結果との良い一致を示した。

 また、新規V-Mo-O系非晶質で、僅かなMo添加によりインターカレートされるリチウムの量が大きく増大することがわかった。電池の正極材料において、結晶では構造を変えない程度の少量の異種金属添加がサイクル特性の向上に役目を果たすことはあっても、電池容量(インターカレートされるリチウム量)を倍近くにすることはない。V-Mo-O系非晶質でのMo添加による容量増大の原因は不明であるが、非晶質一般で起これば新たな高容量リチウム二次電池正極材料開発の指針となる。

 第三章では、「酸化バナジウムゲルの構造とリチウムインターカレーション特性」と題して、過酸化水素とバナジウム粉末とから得られる層状構造の酸化バナジウムゲルについて、X線回折による構造解析、リチウムインターカレーション特性について論じた。その際、層に垂直構造の原子位置を求めるために、一次元リートベルト解析プログラムを開発した。その結果、二重結合性のV=O間距離が1.58Åであることなど他の方法により求められていた結果を良く説明する構造精密化ができた。単位層のab面内の構造については、十分な精度で求められなかった。単位層の構造は、バナジウムブロンズのε相の単位構造と類似であるとして、a=11.621(45)、b=3.610(13)Åであり、層間距離は、11.5008(87)Åであった。

 次に、リチウムインターカレーション特性に関して、まず構造解析の結果と熱処理によるリチウム挿入量の変化からインターカレーションサイトの推定を行った。リチウムのサイトは二種類あり、酸素がリチウムに対し平面四配位する位置と、頂点酸素付近の位置であると結論した。また、試料を薄膜化し、電位ステップ法により拡散係数を測定した。その際、従来の解析法では拡散係数の算出ができなかったので、解析式を新たに導出した。ここで得られた式は、より一般的な系に適用可能である。配向、無配向の試料では、配向試料の方がリチウムの拡散にとって有利であるという結果が得られた。自己拡散係数の値は、リチウム組成にほとんど依存しない二つの領域があり、LixV2O5と表記した場合のx〜0.8でステップ状に2×10-11から3×10-13cm2/sに低下した。このような自己拡散係数の変化と構造などとの関連は不明である。

 第四章では、「六方晶WO3のリチウムインターカレーション特性」と題して、六方晶WO3における電気化学的リチウムインターカレーションでの奇妙な振る舞いについて、まずインターカレーションサイトを確定し、その結果をもとに、議論を行った。

 六方晶WO3は、電気化学的なリチウム挿入・脱離において、以下のような他のインターカレーション材料と異なる特徴的な振る舞いが見られる。

 1. 平衡状態への到達に実験的には不可能な程の長い時間が必要であること

 2. 引き抜き末期に観測される異常に大きな分極

 3. 挿入過程と引き抜き過程での大きなヒステリシス

 4. リチウム組成に対する開回路電位(OCV)の、結晶としては大きすぎる依存性

 これらの挙動の原因を探るためには、リチウムによる占有サイトの知見が必要であったが、これまでに知られていなかったので、まずDV-Xα法により、サイトエネルギーを計算した。

 DV-Xα法による電子準位の計算から、六方晶WO3のリチウムインターカレーションサイトとしてはh-cavity、h-window及びt-cavityのうちでt-cavityサイトがもっとも安定であると結論した。計算結果でのW-0間の結合・反結合軌道の電子の占有状態と格子定数変化との比較もこれを支持した。DV-Xα法による電子状態の計算は、複数のサイトを持つリチウムインターカレーション材料で威力を発揮することがわかった。

 次に、六方晶WO3の構造的特徴から、電解質と六方晶WO3とのリチウムの出入りはhexagonalトンネルから起こり、また安定なサイトであるt-cavityへは高い活性化エネルギーが必要であり、通常のように、安定なサイトからリチウムが占有していくわけではないと考えた。その結果、定性的ながら上記の振る舞いを全て説明することが可能であった。

 通常、リチウム拡散のボトルネックが狭く、活性化エネルギーが非常に大きな結晶にリチウムのインターカレーションやデインターカレーションを行う場合、表面付近だけでは可能であっても、試料中をリチウムが拡散しないため事実上不可能である。六方晶WO3もt-cavityに出入りするためには、1.83Åの狭いボトルネックがある。ところが、すぐ隣にリチウムが速く動けるhexagonalトンネルがあるため、一回のジャンプだけですむので、実際にリチウムの可逆な挿入・引き抜きが可能となっていることがわかった。

 第五章では、「酸化タングステンクラスター凝集体のプロトン伝導性」と題して、まずW、WC及びWNを出発原料とした過酸化ポリタングステン酸(PPTA、C-PPTA、N-PPTA)の構造とプロトン伝導性について論じた。C-PPTAは、基本的にはPPTAと同様なポリアニオンであり、シュウ酸配位子が配位した構造をとる。一方、N-PPTAの基本構造は、陵共有のWO6八面体が大きな割合で含まれ、PPTAとはかなり異なっていた。これらのポリ酸の薄膜を作成し、交流インピーダンス法で導電率を測定したところ、いくつかの試料は電気伝導性を示し、複素インピーダンスプロットの形状及び直流分極法により、プロトン伝導であることを確認した。C-PPTAはPPTAと比較して大きなプロトン伝導性を示し、25℃、相対湿度40%で、10-2Scm-1と非常に高い伝導率を示した。C-PPTAはPHAと同程度の含有水量であったので、C-PPTAが高プロトン伝導性を示したのはシュウ酸配位子の効果であると考えた。80℃熱処理後は、10-5Scm-1程度に低下していたが、湿度依存性がほとんどない特徴的な挙動を示した。

 プロトン伝導性は、修飾基及び熱処理温度の違いにより、大きく異なること及び重合度とプロトン伝導性とに相関が見られたが、N-PPTAは、他のポリ酸とは異なる基本構造であるため、PPTAのプロトン伝導性を左右する最大の要因は、明らかにはならなかった。そこで、配位子の種類を固定して、量を変化させることにした。

 C-PPTAは炭化タングステンからだけではなく、PPTAとシュウ酸を水溶液の状態で混合することによっても合成可能である。この方法で合成した試料を以下ox-PPTAと称する。炭化タングステンから合成する場合、シュウ酸のモル比を制御することは出来ないが、PPTAとシュウ酸から合成することで、シュウ酸配位子量を調節することが可能となった。ox-PPTAでは、シュウ酸配位子によってポリ酸の重合の進行が妨げられ、結果としてシュウ酸量が多い試料ほど高プロトン伝導性を示すという結果が得られた。

 重合は、複数のポリアニオンの末端酸素間で起こるので、重合を阻害するためには、大きな配位子で修飾すればよいと考え、シュウ酸に似た性質、構造のカルボン酸でいくつか試みたところ、マロン酸が配位することがわかった(mal-PPTA)。mal-PPTAとox-PPTAへとで、重合度と導電率は、同一の相関を示したので、基本的なポリアニオン構造が等しければ、プロトン伝導率は重合度で決まると結論した。したがって、重合度を制御することによりさらに高いプロトン伝導性が発現する可能性がある。mal-PPTAは、安定性に欠ける為、プロトン伝導体として実際の使用は無理であるが、ox-PPTA(C2O42-/W=0.3)では、導電率が10-4Scm-1を超えており、プロトン解離度の高い配位子の修飾すれば、さらに高い導電性が実現できる可能性もある。

 第六章は「総括」と題し、各章のまとめとともに、本研究の果たした役割を述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、酸化バナジウムゲル、六方晶三酸化タングステン及び酸化タングステンクラスター凝集体をソフト化学的に合成するとともに、固体イオニクス材料としての観点から評価をおこなっている。いずれも構造を詳細に検討することにより物性との関連を明らかにしている。

 第一章では、本研究の題目にあるソフト化学、固体イオニクスについて概観するとともに、各章の背景、目的について述べており、その中で本研究の意義、位置付けを明らかにしている。

 第二章では、まず結晶にリチウムをインターカレーションした場合の、リチウム組成−平衡電位の関係を統計的手法で扱い、リチウム配列の秩序相形成の可能性及びその場合のリチウムイオン間反発エネルギーを評価している。従来の無秩序系の平均場近似により見積もられたリチウムイオン間の反発エネルギーは、場合によってはリチウムが秩序配列すべき程に大きくなることを指摘して、適用すべき理論式を検討している。後半部では、非晶質へのリチウム挿入による大きな電位降下の説明を試みている。リチウムイオン間の反発エネルギーに加え、サイトエネルギーの分布を考慮した組成−電位関係の理論式を提案し、新規なV-Mo-O系非晶質に適用して実験との良い一致を確認している。さらに、V-Mo-0系非晶質で、僅かなMo添加によりインターカレートされるリチウムの量が大きく増大することを見出している。

 第三章では、層状構造の非晶質酸化バナジウムゲルを過酸化水素とバナジウム粉末とから合成し、その構造と物性を調べている。合成した酸化バナジウムゲルは周期的構造をもった単位層がランダムな方位を取りながら積層しているため、X線回折データを単位層に平行な面(ab面)内と、垂直なc軸方向に分けて解析する新しい構造解析手法を試みている。この結果、従来から困難とされていた、隣接した幅広いピークをもったX線プロファイルから、ベースラインの推定なしにab面内の単位格子長、結晶子サイズを見積もることに成功している。また回折のブラッグ角だけではなく、全ての回折角で構造因子、ローレンツ偏光因子等を計算する一次元リートベルト解析プログラムを開発し、バナジウム、酸素及び水分子のc軸方向での位置を精度良く求めることに成功している。

 次に、リチウムインターカレーション特性に関して、構造解析の結果と熱処理によるリチウム挿入量の変化から、インターカレーションサイトは二箇所あり、酸素が平面四配位する位置と、頂点酸素付近の位置であると推定している。前者には3.0V(vs.Li+/Li)前後、後者には2.3v付近でリチウムが出入りすると結論している。また、試料を薄膜化し、電位ステップ後の過渡電流を測定し、従来の解析式より適用範囲の広い解析式を導出して拡散係数を算出している。その結果、自己拡散係数には、リチウム組成にほとんど依存しない二つの領域があり、LixV2O5と表記した場合、x〜0.8でステップ状に2×10-11から3×10-13cm2/sに低下することを明らかにしている。

 第四章では、六方晶三酸化タングステンの三種のリチウムインターカレーションサイトの安定性を評価するために、DV.Xα法を用いて電子準位及びWO間の結合・反結合の軌道占有状態を計算している。六方晶WO3の構造中には、二種の一次元トンネルがあり、一方のトンネルには二つのリチウムサイト(h-window;h-cavity)、他方には一つのリチウムサイト(t-cavity)が存在する。DV-Xα計算の結果とリチウム挿入に伴う格子定数変化の観測結果とが良好な対応関係を持つことを確認し、三種のリチウムサイトのうちt-cavityサイトが最も安定であると結論している。

 六方晶WO3に電気化学的リチウムインターカレーションを行なうと、挿入過程と引き抜き過程でリチウム組成−電位関係に大きなヒステリシスがあることや、引き抜き末期に異常に大きな分極が観測されるなど、他のインターカレーション材料では見られない特徴がある。これらの挙動について六方晶WO3の構造的特徴とDV-Xα計算の結果から考察している。電解質と六方晶WO3とのリチウムの出入りは最安定ではないサイトを通る必要があり、しかも最安定なt-cavityサイトへの移動時に非常に高い活性化エネルギーを必要とする。そのため平衡状態が実現せず、t-cavityサイト以外にもリチウムが配分されることを、リチウムの化学ポテンシャルの詳細な検討から説明している。

 第五章では、過酸化ポリタングステン酸の構造とプロトン伝導性について論じている。

 タングステンあるいはその炭化物や窒化物を過酸化水素と反応させることにより非晶質過酸化ポリタングステン酸を合成すると、含まれるポリアニオンが出発原料の違いによって異なり、プロトン伝導性にも影響を与えることを明らかにしている。特に、熱処理によるプロトン伝導性の低下がポリアニオン種により大きく異なる現象は、ポリアニオンの重合度に強く依存することを見出している。

 最も高プロトン伝導性を示した、炭化タングステンを出発原料とした過酸化ポリタングステン酸のポリアニオンにはシュウ酸が配位している。シュウ酸配位子の役割を明らかにする目的で、シュウ酸配位子の配位量を調節して、その構造及びプロトン伝導性との相関を詳細に調べ、配位子がポリアニオンの重合を抑制するために高プロトン伝導性を示すと結論している。重合の抑制には、ポリアニオンの末端修飾を大きな配位子で行なうことが有効であると考え、大きなカルボン酸であるマロン酸を配位させることを試み、重合の抑制により、配位修飾していない試料と比較して3桁以上大きな10-3Scm-1程度のプロトン伝導性を得ることに成功している。

 第六章は総括であり、本研究を要約し、成果をまとめた上で、今後の展望を述べている。

 以上に述べたように、本論文は、ソフト化学的に合成された酸化バナジウムゲル、六方晶三酸化タングステン及び酸化タングステンクラスター凝集体に対して、固体イオニクス材料としての評価を行う中で、構造の詳細な検討、構造と物性との関連及び機能を明らかにしており、材料科学・工学の発展に寄与するところが大である。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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