学位論文要旨



No 214749
著者(漢字) 斎藤,晴雄
著者(英字) Saito,Haruo
著者(カナ) サイトウ,ハルオ
標題(和) 低温で照射された酸化物微粒子集合体中のポジトロニウムの研究
標題(洋)
報告番号 214749
報告番号 乙14749
学位授与日 2000.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14749号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小牧,研一郎
 東京大学 教授 永嶺,謙忠
 東京大学 教授 長澤,信方
 東京大学 助教授 和田,信雄
 東京大学 助教授 常行,慎司
内容要旨 要旨を表示する

 ポジトロニウムは陽電子と電子の水素状束縛状態である。陽電子と電子の合成スピンが1のものをオルソポジトロニウム、0のものをパラポジトロニウムと呼ぶ。オルソポジトロニウムは、真空中において、142nsの平均寿命で対消滅し3本のγ線になる。一方パラポジトロニウムは平均寿命が125psと短く、対消滅して2本のγ線になる。

 多くの酸化物微粒子集合体において、陽電子を入射すると微粒子間の空隙にポジトロニウムが生成することが知られている。ポジトロニウムは微粒子問の空隙に出た時点でeV程度(微粒子がamorphhous-SiO2の場合〜1eV)のエネルギーを持ち、その寿命の間、次第にエネルギーを失いながら微粒子表面との衝突を繰り返す。この時、一旦微粒子間の空隙中に出たポジトロニウムは再び微粒子内部に入り込むことはできずに微粒子表面のみと相互作用する。

 ポジトロニウムは不対電子と出会うとスピン交換相互作用によりS=1とS=0の状態が入れ替わり、その消滅の特性が大きく変化することが知られている。不対電子の検出は通常ESRや磁化率の測定により行われるが、微粒子集合体に対してこれらの手法を適用した場合得られる信号は必ず微粒子表面からの信号と内部からの信号が混じったものになる。微粒子間の空隙中のポジトロニウムは微粒子表面のみと相互作用することが保証されているため、表面の不対電子と内部のそれを区別するためのプローブとして有望である。

 最近Dauweらは低温における弱い照射が酸化物微粒子集合体中のポジトロニウムの消滅の特徴に大きく影響を及ぼすことを見出した。彼らは77Kに冷却したアルミナとMgOの微粒子集合体中で、陽電子寿命測定に使用する程度の数μCiの線源による照射効果によってオルソポジトロニウムの寿命が短くなることを報告している。彼らはこの結果を表面不対電子とポジトロニウムのスピン交換反応によると解釈しているが、彼らの用いた測定方法は陽電子寿命測定法と陽電子消滅γ線の3γ/2γ比の測定に限られていたため、微粒子表面におけるポジトロニウムの反応の種類がスピン交換反応であることが実験的に明確に示されていなかった。またポジトロニウムの生成に最もよく利用されるシリカ微粒子の集合体においてこの効果が見出されうるかどうか分かっていない。シリカ微粒子については以前にKieflらによる4.5Kでの陽電子寿命測定の報告があり、その中では線源による照射効果は報告されていないが、照射効果が他の酸化物で確認された現在、シリカ微粒子に対する実験を条件を変えて行ってみる必要がある。

 本研究では上記の点を調べると共に、低温照射下における酸化物微粒子間の空隙中のポジトロニウムについて新たな知見を得ることを目的として研究を行った。測定の方法は、陽電子寿命測定法に加え、ポジトロニウムの反応の種類についての情報が得られる陽電子消滅2光子角相関法、陽電子消滅γ線ドップラー拡がり測定法を使用した。また常磁性中心の種類と濃度についての情報を得るためにESR法を併用した。試料の種類は、熱処理の条件を変えたシリカエアロゲル、シリカ超微粒子、アルミナ超微粒子である。シリカエアロゲルは、シリカ超微粒子が3次元ネットワークを成した固体である。使用したシリカエアロゲルは、Airglass社(Sweden)製で密度は0.1g/ccである。シリカ超微粒子はCabot社(米国)製のEH-5(平均粒径7nm)、アルミナ超微粒子は、Degussa社(独)のAlumina C(平均粒径13nm)を使用した。照射の方法は、最大30mCiの22Naβ+線源または低圧水銀灯を使用し、効果の違いを調べた。

 1次元2光子角相関の温度依存性測定の結果の一部を図1に示す。試料は未熱処理のシリカエアロゲルである。低温に冷却するとパラポジトロニウムに対応する低運動最の成分が急激に増加する。低温で測定後、室温に戻すとスペクトルは回復する。

 この温度変化は、低温でのみポジトロニウムのスピン交換反応が起こっていることを表している。オルソポジトロニウムは、室温でスピン交換反応が起きないときは、対消滅して3本のγ線となるため、1次元2光子角相関法では検出されない。それが低温でスピン交換反応が起こることによりパラポジトロニウムに変換され、2本のγ線に消滅するようになる。こうして、パラポジトロニウムに対応する低運動量の成分だけが急激に増加する。

 ひきつづき同じ試料に対して低温における陽電子寿命測定の実験を行った。温度を低温にしただけでは変化がみられなかったが、低温において1次元2光子角相関の測定に使用した22Na陽電子線源(25mCi)による照射を行うことにより、オルソポジトロニウムの長寿命の減少が見られ、また温度を上げると寿命が回復した。その際ドップラー拡がりスペクトルも同時に測定し、照射による低運動量成分の増加を見出した。

 これらの結果は、25mCiの22Na陽電子線源からの照射が低温において微粒子表面に常磁性中心を生成し、それとポジトロニウムがスピン交換反応を起こしていることを表している。また、室温でスピン交換反応が見られなくなることは、低温で生成した常磁性中心が室温で不安定になり消失することによると解釈できる。

 更に、アルミナ超微粒子、シリカ超微粒子、800℃で熱処理したシリカエアロゲルについて1次元2光子角相関の温度依存を測定したところ、全ての試料において冷却に伴うパラポジトロニウムに対応する狭い成分の急激な増加が見られた。つまり22Na陽電子線源による照射効果は、調べた範囲では、微粒子の種類によらずに見られることがわかった。また、陽電子の照射によってできる表面の欠陥とポジトロニウムとの反応は、全てスピン交換反応であることを見出した。シリカエアロゲル、シリカ微粒子に関して、低温照射による微粒子表面でのポジトロニウムのスピン交換反応が見出されたのは初めてである。またアルミナ微粒子に関しては、照射中心とポジトロニウムの相互作用はDauweらによって見出されていたが、この結果によって初めてポジトロニウムの反応の種類がスピン交換反応であることがわかった。

 一方紫外線照射の効果は微粒子の種類により大きな差がみられた。200℃で熱処理したシリカエアロゲルとアルミナでは長寿命成分の大きな減少がみられたが、800℃で熱処理したシリカエアロゲルとシリカ超微粒子においては全く紫外線照射の効果がみられなかった。結果の一部を図2に示す。200℃で熱処理したシリカエアロゲルでは紫外線照射によってオルソポジトロニウムの寿命が急激に減少するのに対し、シリカ超微粒子(Cab-O-Sil EH-5)では、長時間の照射にかかわらず、スペクトルは全く変化しなかった。

 紫外線照射の効果が試料の種類に大きく依存するのに対し、22Naの照射の効果が試料の種類を選ばない原因は、今回用いた4.9eVの紫外光は表面にそれを吸収するものがない限り不対電子を生じさせることができないのに対し、22Naからの陽電子は最大0.54MeVのエネルギーを持っており、様々なタイプの常磁性中心を作り得るためであると考えられる。

 低温で紫外線照射を行いESRを測定したところ、200℃で熱処理したシリカエアロゲルにおいて、-OCH2・ラジカルの信号が見られた。シリカエアロゲルは、Si(OCH3)4を原料とするため、表面に-OCH3が残る。-OCH2・ラジカルはこれから生成したものである。

 200℃で熱処理したシリカエアロゲルを低温で紫外線照射することで、ポジトロニウムと-OCH2・ラジカルがスピン交換反応をする系ができると考え、これを利用してポジトロニウムと-OCH2・ラジカルのスピン交換反応の断面積を推定した。ESRと陽電子寿命測定を、同じ紫外線ランプを用い、同じ強度の照射下で行った。ラジカルの濃度をESRの結果から推定し、ポジトロニウムのスピン交換の速度を陽電子寿命測定から得た。結果はσ=3-2+6×10-21[m2]であった。

 以上より、微粒子間の空隙中のポジトロニウムが、微粒子表面の常磁性中心を検出するプローブとして有効であることを示した。

図1 熱処理をしていないシリカエアロゲル中の1次元2光子角相関曲線

図2 左図:200℃で熱処理したシリカエアロゲル中の陽電子寿命スペクトル。30Kで測定。●:紫外線照射前、+:照射後。右図:シリカ超微粒子(Cab-0.SilEH-5)中の陽電子寿命スペクトル。30Kで測定。●:紫外線照射前、+:照射後。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり、第1章では導入説明,第2章では実験方法、第3章では実験結果、第4章では結果の考察が述べられている。そして,第5章に結論がまとめられている。

 ポジトロニウムは電子とその反粒子である陽電子が水素原子のように結合したものである。ポジトロニウムの全スピンが0のものをパラポジトロニウム、1のものをオルソポジトロニウムと呼ぶ。真空中では、パラポジトロニウムは寿命125psで対消滅し2つのγ線になり、オルソポジトロニウムは寿命142nsで3つのγ線になる。物質に入射した陽電子が消滅する際のγ線を検出することにより物質の性質や物質と陽電子の相互作用に関する情報を得る方法は陽電子消滅γ線検出法と総称され、陽電子寿命スペクトルの測定、2光子角相関測定およびγ線ドップラー幅測定などがある。

 陽電子寿命スペクトルは、一般に、ns以下の短寿命成分と数十〜100ns程度の長寿命成分が現れる。前者はポジトロニウムを形成せずに消滅したものとパラポジトロニウムを形成後消滅したものであり、後者はオルソポジトロニウムを形成した後消滅したものである。この長寿命成分の割合と寿命はオルソポジトロニウムと物質の相互作用に関する情報を担っている。

 2光子角相関法やγ線ドップラー法では対消滅直前の電子・陽電子の全運動量の分布が得られる。この運動量分布は、一般に、熱化された、あるいは熱化に近いエネルギーまで減速されたポジトロニウムの自己消滅による幅の狭い成分と、ポジトロニウムを形成せず、あるいはポジトロニウムの相手の電子以外の電子との対消滅による、幅の広い成分からなる。

 論文提出者は、試料として粒径の異なる2種類のシリカ微粒子とアルミナ超微粒子の3種類を用い、陽電子源自身および紫外線の照射下で、2光子角相関測定、ドップラー広がり測定および陽電子寿命測定を低温(13K)から室温において行い、オルソポジトロニウムが放射線照射によって生じた常磁性中心とのスピン交換反応により、短寿命化することを初めて示した。

 これらの酸化物微粒子集合体に陽電子が入射すると、eV程度の運動エネルギーのポジトロニウムが微粒子間の空隙に放出されることが知られている。ポジトロニウムは微粒子内部に再侵入せず、微粒子表面との衝突を繰り返し、エネルギーを失い、熱化されるか、その途中で消滅する。1992年Dauweらは、アルミナ微粒子で生成されたオルソポジトロニウムの寿命が液体窒素温度で短くなることを見出し、オルソポジトロニウムが、陽電子照射によってアルミナ表面に生じた照射損傷と相互作用していることを示唆した。

 本論文では、強い22Na陽電子源による照射下での2光子角相関測定から、低温において2光子崩壊が増加すること、増加分の運動量分布は狭いことを見出した。この狭い運動量分布は、熱エネルギー程度に対応する運動量をもつポジトロニウムの全運動量を反映しており、その増加は、本来は2光子崩壊しないオルソポジトロニウムがスピン交換反応によりパラポジトロニウムに変換されたことを明確に示している。さらに、磁場をかけて人為的に2光子崩壊を増すことにより、低温においてのみこのスピン交換が頻繁であることを見出した。

 また、強度の異なる陽電子源による陽電子寿命測定を行い、弱い線源では照射効果は見られないが、強い線源の照射では低温において寿命の短縮が起こることを確認し、短寿命化が起こったときのドップラー広がり測定から、この変化が狭い運動量分布をもった成分の増加、すなわち、オルソポジトロニウムがスピン交換して2γ崩壊したことによることを証明した。このスピン交換速度が照射時間に比例すること、温度の上昇によって減少することから、この反応が、放射線の照射によって生じた常磁性中心との相互作用によること、この常磁性中心は低温でのみ安定であることを示した。

 さらに、紫外光照射の効果を寿命測定とドップラー広がり測定によって調べ、2種類のシリカ微粒子については紫外光照射によっても上の変化が起こることを確認した。同時にESRにより、スピン交換反応の相手が、-OCH2・ラジカルであることを同定するとともにその量を求め、寿命測定から求めたポジトロニウムのスピン交換速度からポジトロニウムと-OCH2・ラジカルとのスピン交換反応断面積を見積った。

 以上のように,本論文はポジトロニウムが酸化物微粒子表面の放射線照射によって生じた不対電子とスピン交換反応していることを明確に示すとともに、スピン交換反応断面積を見積り、さらに、ポジトロニウムが微粒子表面の常磁性中心を検出する手段として有効であることを示して、新しい表面研究手法を提案しており、意義のある研究である。

 なお,本論文の研究は、兵頭俊夫氏、長嶋泰之氏らとの共同研究であるが,論文の提出者が主体となって分析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(理学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/40211