学位論文要旨



No 214753
著者(漢字) 岩波,徹
著者(英字)
著者(カナ) イワナミ,トオル
標題(和) 温州萎縮ウイルスおよびその近縁ウイルスに関する分類学的研究
標題(洋)
報告番号 214753
報告番号 乙14753
学位授与日 2000.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14753号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 助教授 山下,修一
内容要旨 要旨を表示する

 温州萎縮ウイルス(Satsuma dwarf virus, SDV)は我が国のカンキツに深刻な被害を与えている重要なウイルスである.本ウイルスは日本に広く分布しているほか,中国,韓国,トルコで発生が確認されている.SDVは発見以来その重要性のため,多くの研究がなされてきたが,分類学的研究に関して,次のような重要な2つの課題が未解決であった.すなわち,第1に,SDVはその生物学的性状,粒子形状,細胞内所見および理化学的性状よりコモウイルス科のコモウイルス属,ファバウイルス属あるいはネポウイルス属に近縁であることが示唆されていたが,その正式な分類学的位置は確定していなかった.第2はSDVと近縁ウイルスとの関係についてである.我が国のカンキツではSDVに加えて,これまでにカンキツモザイクウイルス(Citrus mosaic virus, CiMV),ネーブル斑葉モザイクウイルス(Navel orange infectious mottling virus, NIMV),およびナツカン萎縮ウイルス(Natudaidai dwarf virus, NDV)の3種のウイルスが報告されている.これらは検定植物の反応より,SDVの近縁ウイルスとされてきたが,SDVの系統とするべきか,近縁な別種のウイルスとすべきかについての根拠が曖昧であった.また,近年になって,典型的なSDVとは性状の異なる分離株が多く見いだされ,これらをSDVまたは近縁ウイルスの中のどのウイルスの系統とすべきか,または別種のウイルスにすべきかの明確な分類基準がなく,混乱をきたしていた.

 近年では,これまで所属未定であったウイルスも,塩基配列や,遺伝子構造の相同性により,分類的位置を推定することが可能となった.

 そこで,本研究においては,SDVの標準株について,ゲノム核酸の全塩基配列を決定し,それから推定される遺伝子構造をコモウイルス属,ファバウイルス属,ネポウイルス属およびその他のウイルスと比較し,SDVとの類縁関係を考察した.また,SDVと近縁のウイルスである,CiMV,NIMV,NDVおよび近年発見された2系統の分離株の生物学的,血清学的および理化学的性状を詳細に解析し,SDVとの比較検討を行った.さらに,これらの株について,外被タンパク質遺伝子の塩基配列および推定されるアミノ酸配列を比較した.最後に,これらを総合して,SDVとその近縁ウイルスにおけるウイルスの種と系統の分類基準を確立し,これにもとづいて,これらのウイルスの再分類を行った.主な研究成果は以下の通りである.

1.温州萎縮ウイルスの遺伝子構造と分類学的位置

 1)理化学的性状

 SDVの標準株S-58の外被タンパク質および核酸の性状を調べた.SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動で分析した結果,外被タンパク質は約42K(大サブユニット),および22K(小サブユニット)の2成分であることが判明した.また,変性アガロースゲル電気泳動により,ウイルス核酸は約7.0kb(RNA1)および5.4kb(RNA2)の2成分の1本鎖RNAであり,また,オリゴd(T)セルロースカラムとの親和性により,いずれも3'末端にポリA配列が付加されているものと考えられた.

 2)核酸の全塩基配列と遺伝子構造

 SDVのゲノム核酸RNA1およびRNA2についてそれぞれのcDNAを合成し,塩基配列の解読を行った.5'末端の数十塩基については,RNAを鋳型にし,特異的プライマーを用いたプラーマーエクステンション法により,直接,塩基配列を解析した.以上により,RNAl,RNA2について,それぞれ6795塩基,5345塩基の全塩基配列を決定した.その結果,RNA1とRNA2との間で5'末端の991塩基および3'末端の238塩基は,それぞれ80.4%および96.2%の相同性が認められた.推定されるアミノ酸配列よりRNA1,RNA2はそれぞれ6246塩基,4725塩基からなる一つの大きな読みとり枠(open reading frame,0RF)を持ち,遺伝子産物はいずれもポリプロテインとして翻訳されると考えられた.RNA1の5'末端非翻訳領域は301塩基,3'末端非翻訳領域は248塩基で,RNA2のそれらはそれぞれ302塩基および318塩基であった.RNA1とRNA2のコードするタンパク質の中で,それぞれの最初のアミノ酸から103番目のアミノ酸までは相互に完全に一致しており,また,104番目より138番目のアミノ酸までは69%の相同性を示した.従って,RNA1とRNA2の5'側領域に互いに類似したタンパク質(5'共通タンパク質)が重複してコードされていると推定された.RNA1のORFがコードするポリプロテインには,アミノ末端側の5'共通タンパク質に続いて,順に,MT結合タンパク質,プロテアーゼおよびRNA依存RNAポリメラーゼの各モチーフ配列が認められた.一方,外被タンパク質のエドマン分解によって得られたアミノ酸配列との比較により,RNA2のORFがコードするポリプロテインのカルボキシル末端に2種の外被タンパク質が含まれていると考えられた.さらに,5'共通タンパク質と外被タンパク質との間に,細胞間移行タンパク質のモチーフ配列が認められた.

 3)他のウイルスとの遺伝子構造の比較

 SDVでは,RNA1のORFに上流より順に,5'共通タンパク質,NTP結合タンパク質,プロテアーゼおよびRNA依存RNAポリメラーゼが,またRNA2のORFに上流より順に細胞間移行タンパク質,外被タンパク質(大サブユニット,小サブユニット)がコードされており,この遺伝子構造はコモウイルス属,ファバウイルス属およびネポウイルス属のウイルスとかなり類似していた.しかし,SDVにはコモウイルス属,ファバウイルス属には存在しない5'共通タンパク質が認められ,これらのウイルスとは明らかに区別された.また,両方のRNAに5'共通タンパク質がコードされている点はネポウイルス属の中でもサブグループCに所属するトマト輪点ウイルス(Tomato ringspot virus, ToRSV)にのみ認められ,この点においてSDVの遺伝子構造は同サブグループに類似していたが,SDVのRNA1およびRNA2の3'非翻訳領域はそれぞれ248塩基および318塩基で,同サブグループの特徴である1300塩基以上の3'非翻訳領域に比べ,著しく短かった.また,TomRSVを含むネポウイルス属のウイルスはすべて単一成分の外被タンパク質であるのに対し,SDVは2成分の外被タンパク質を有する.従って,SDVの遺伝子構造は既知のいずれのウイルス属とも明らかに異なっている.SDVとコモウイルス属,ネポウイルス属のウイルスとの間で,最も保存されていたのはRNAポリメラーゼで,アミノ酸レベルで約30%の相同性が認められたが,単一ゲノムを持つセクイウイルス科のParsnip yellow fleck virus, Maize chlorotic dwarf virus,およびイネわい化ウイルス(Rice tungro spherical virus)とはこれよりやや高い相同性が認められた.さらに,RNAポリメラーゼのアミノ酸配列の相関性に基づく分子系統樹分析の結果,SDVは同じ2分節ゲノムのコモウイルス科より単一ゲノムのセクイウイルス科にやや近縁であることなど,これまで知られているコモウイルス科のコモウイルス属,ファバウイルス属,ネポウイルス属とは明らかに区別された.以上の結果から,SDVは新しいウイルス属を代表するウイルスと考えられ,コモウイルス科にSDV(satsuma dwarf virus)を代表種とするサドワウイルス属(Sadwavirus)を新設することを提唱した.

2.温州萎縮ウイルスとその近縁ウイルスとの分類学的関係

 1)生物学的・血清学的性状の比較

 供試株として,SDVのS-58株(標準株)とMIE88株,CiMV,NDV,NIMvVの各標準株Ci-968株,ND-1株,NI-1株および近年分離された種未同定のAz-1株とLB-1株を用いた.いずれの分離株も,ゴマ(Sesamum indicum),Physalis floridanaに全身感染し,激しい症状を起こした.S-58株に対する抗血清を用いたエライザおよびウェスタンブロットではS-58株とMIE88株が強く,Ci-968株,ND-1株が弱く反応し,NI-1株が全く反応しなかった.Ci-968株に対する抗血清を用いた場合はCi-968株,ND-1株の順に強く,S-58株,MIE88株がやや弱く反応し,NI-1株とは全く反応が認められなかった.Az-1株は草本およびカンキツでの反応はSDVに最も似ていたが,血清反応ではCi-968株に最も近かった.また,LB4株はスイートオレンジの新葉に特異的なモザイクを生じ,病原性においてはいずれの近縁ウイルスとも異なっていたが,血清学的性状はCi-968株に最も近かった.従って血清学的には,SDV型(S-58株,MIE88株),CiMV型(Ci-968株,ND-1株,Az-1株,LB-1株)およびMIMV型(NI-1株)の3型が確認された.

 2)核酸・タンパク質の比較

 供試株はいずれも2成分のウイルス核酸を持ち,分離株間でアガロースゲルにおける電気泳動度に差は認められなかった.いずれの分離株からもサテライトRNAは検出されなかった.また,オリゴd(T)セルロースカラムとの親和性および逆転写反応によりcDNAが合成されることから,いずれのウイルス核酸も3'末端にポリA配列を持つ1本鎖RNAであると推定された.一方,タンパク質については,SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動により,いずれの分離株でも2成分の外被タンパク質が認められ,その分子量はS-58株とMIE88株で約4.2kDaと2.2kDa,Ci-968株,ND-1株,Az-1株,LB-1株で約4.2kDaと2.l kDa,NI-1株では約4.2kDaと2.15kDaであった.

 3)外被タンパク質遺伝子の比較

 各々の分離株の純化標品より抽出したウイルスRNA(RNA1,RNA2)よりオリゴdTプライマーを用いてcDNAを合成し,得られたクローンからノーザンハイブリダイゼーションによりRNA2特異的なクローンを選抜し,それらの塩基配列を決定した.これから推定されるアミノ酸配列中に,各々の分離株の外被タンパク質のエドマン分解で得られた配列と一致する部位が認められ,いずれの分離株もS-58株と同様に,RNA2の3'末端に大小2成分の外被タンパク質がコードされていると考えられた.外被タンパク質はS-58株とMIE88株で443残基(大サブユニット)と218残基(小サブユニット)のアミノ酸からなり,Ci-968株,Az-1株,LB-1株およびMI-1株のそれはいずれも439残基と217残基,ND4株では439残基と218残基であった.外被タンパク質のアミノ酸配列は大サブユニットに82〜99%,小サブユニットに76〜99%の相同性が認められた.外被タンパク質全体のアミノ酸の相同性は,血清型で分けたSDV型のS-58株とMIE88株は99%の相同性があり,CiMV型内の分離株間(Ci-968株,ND-1株,Az-1株,LB-1株)では90〜98%の相同性を示したが,NIMV型のNI-1株はいずれの型とも80〜85%の相同性しか示さなかった.すなわち,外被タンパク質のアミノ酸配列の相同性は,同一血清型内では90%以上であったが,異なる血清型間では85%以下であった.

 4)以上の結果から,SDVと近縁ウイルスは,生物学的性状,血清関係および外被タンパク質の相同性より,SDV,CiMV,NIMVの3種のウイルスに分類されると考えられる.すなわち新たに提唱したサドワウイルス属は,3種のウイルスが分類される.従来SDVの近縁ウイルスとされたNDVや近年発見されたAz-1株,LB-1株はいずれもCiMV種であり・CiMVの多様性が明らかになった.CiMVはさらに外被タンパク質の相同性より,CiMV-Ci系統(Ci-968株,LB-1株)とCiMV-ND系統(ND-1株,Az-1株)に分けられると考えられた.

 以上を要するに,我が国の重要カンキツウイルスである温州萎縮ウイルス(SDV)およびその近縁ウイルスについて,その性状を主として血清学的および分子生物学的手法を用いて詳細に解析し,SDVが既報のコモウイルス科のどのウイルス属とも異なることを明らかにし,SDVを代表種とする新たなウイルス属を提唱するとともに,本ウイルスおよび近縁ウイルスの種と系統に関する分類基準を確立し,再分類を行った.

審査要旨 要旨を表示する

 温州萎縮ウイルス(Satsuma dwarf virus;SDV)は我が国のカンキツに深刻な被害を与えている重要なウイルスであるが,その分類学的研究は未だ不十分であり,また,本ウイルスとカンキツモザイクウイルス(Citrus mosaic virus;CiMV),ネーブル斑葉モザイクウイルス(Navel orange infecrios mottling virus;NIMV),およびナツカン萎縮ウイルス(Natudaidai dwarf virus;NDV)などの近縁ウイルスとの関係についても不明確であった.

 そこで,本研究では,SDVについてゲノム核酸の全塩基配列を決定し,それから推定される遺伝子構造を他のウイルス属と比較するとともに,CiMV,NIMV,NDVおよび近年発見された2系統の分離株の生物学的性状,血清学的性状,理化学的性状,および外被タンパク質の推定されるアミノ酸配列を詳細に比較・解析し,これらの結果を総合して,SDVとその近縁ウイルスにおける種と系統の分類基準を確立し,これらのウイルスの再分類を行った.主な研究成果は以下の通りである.

1.温州萎縮ウイルスの遺伝子構造と分類学的位置

 1)理化学的性状:SDVの標準株の外被タンパク質および核酸の性状を調べた結果,外被タンパク質は約42K(大サブユニット)および22K(小サブユニット)の2成分であり,ウイルス核酸はいずれも3'末端にポリA配列を持つ約7.0kb(RNA1)および5.4kb(RNA2)の2成分の1本鎖RNAであることが示された.

 2)核酸の全塩基配列と遺伝子構造:RNA1およびRNA2について,それぞれ6795塩基と5345塩基の全塩基配列を決定した結果,RNA1,RNA2はそれぞれポリプロテインとして翻訳されるひとつの大きな読みとり枠(ORF)を持ち,RNA1上には,5'未端側から順に,5'共通タンパク質,NTP結合タンパク質,プロテアーゼおよびRNA依存RNAポリメラーゼが,RNA2上には,順に,5'共通タンパク質,細胞間移行タンパク質,大サブユニットタンパク質および小サブユニットタンパク質が、それぞれコードされていることが示された.

 3)他のウイルスとの遺伝子構造の比較:上記で示されたSDVの遺伝子構造を他のウイルス属と比較したところ,SDVのそれは既知のコモウイルス科のいずれのウイルス属とも異なっていることが明らかになったことから,コモウイルス科にSDVを代表種とするサドワウイルス属(Sadwavirus)を新設することを提唱した.

2.温州萎縮ウイルスとその近縁ウイルスとの分類学的関係

 1)生物学的・血清学的性状の比較:供試株として,SDVのS-58株(標準株)とMIE88株,CiMV,NDV,NIMVの各標準株Ci-968株,ND-1株,NI-1株および近年分離された種未同定のAz-1株とLB-1株を用い,数種宿主植物における病徴を比較するとともに,相互の血清学的関係を解析したところ,SDV型(S-58株,MIE88株),CiMV型(Ci-968株,ND-1株,Az-1株,LB-1株)およびNIMV型(NI-1株)の3種の血清型が確認された.

 2)核酸・タンパク質の比較:供試株はいずれも同じ長さの2成分のウイルス核酸と同一分子量の大サブユニットタンパク質を持っていたが,小サブユニットタンパク質の分子量には株間で若干の差が認められた.

 3)外被タンパク質遺伝子の比較:各々の分離株の外被タンパク質遺伝子の塩基配列を決定し、外被タンパク質のアミノ酸配列の相同性を比較したところ,SDV型の株間では99%,CiMV型の株間では90〜98%のそれぞれ相同性を示したが,NIMV型の株はいずれの型とも80〜85%の相同性しか示さなかった.

 以上の結果から,サドワウイルス属はSDV,CiMV,NIMVの3種のウイルスに分類され,さらに,CiMVはCiMV-Ci系統(Ci-968株,LB-1株)とCiMV-ND系統(ND-1株,Az-1株)のふたつの系統に細分されると考えられた.

 以上を要するに,我が国の重要カンキツウイルスである温州萎縮ウイルス(SDV)およびその近縁ウイルスについて,その性状を主として血清学的および分子生物学的手法を用いて詳細に解析し,SDVが既報のコモウイルス科のどのウイルス属とも異なることを明らかにし,SDVを代表種とする新たなウイルス属を提唱するとともに,本ウイルスおよび近縁ウイルスの種と系統に関する分類基準を確立し,再分類を行った.本研究で得られた成果は学術上,応用上寄与するところが大きい.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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