学位論文要旨



No 214755
著者(漢字)
著者(英字) FAUSTINO C.ICATLO,Jr.
著者(カナ) ファウスティノ シィ,イカトロ ジュニア
標題(和) ヘリコバクター・ピロリのウレアーゼが酸性pH領域で硫酸化多糖体に接着する作用を利用した新しい化学療法に関する研究
標題(洋) A novel approach to chemotherapy and prevention of Helicobacter pylori infection based on suppression of colonization by acid-dependent urease-homing polysaccharides
報告番号 214755
報告番号 乙14755
学位授与日 2000.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14755号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 助教授 原澤,亮
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

 現在、Helicobacter pylori(以下H.pylori)感染症は胃潰瘍の原因であり、また胃癌の危険性も高いことが認識されており、現代社会において最も広がった感染症であると考えられている。この細菌の除菌は通常の化学療法では、多剤を併用してもかなり困難である。この起因菌はグラム陰性菌であり、粘液中の移動のために螺旋型の菌体と多数の鞭毛を利用している。この細菌が酸性胃内環境において生息可能であるためのメカニズムはよく解明されており、通常、粘液中の移動時においては、外膜上のウレアーゼが尿素を分解し、産生されるアンモニアが酸を中和することによるとされている。この細菌が粘液ゲル層の表面に好んで生息することから、菌体外膜上の接着因子は酸性pH領域において機能する可能性があると考えられる。しかしながら、この菌は過酷な胃内環境に長期間、時には感染者が死亡するまで胃内に生息しているが、菌側の病原因子に関しては特定されていない。本菌の接着機構の解明は、臨床医と同様に薬理学者にとっても極めて興味深いものである。それは抗生物質の長期投与による薬剤耐性という最高のリスクを回避するアプローチを提供してくれるからである。そのために、本研究は本菌の接着因子とその受容体の関連を解明することに重点を置いた。

第1章 硫酸化セルロファインゲルを用いたヘリコバクター・ピロリのウレアーゼの精製方法の検討

 まずはじめに、接着因子として想定されたウレアーゼの簡便で再現性のある、かつ高収率な精製方法を硫酸化セルロファインアフィニティーゲルを用いて確立した。この方法により精製されたウレアーゼをビオチンでラベルして使用することにより、ウレアーゼとその受容体との相互作用を高感度で検出することを可能にした。この検出方法はin vitroにおける硫酸化アフィニティーゲルヘのウレアーゼの接着性に基づいており、生体内におけるムチンのような硫酸化多糖体との相互作用の存在を示唆している。In vitro実験の結果、ウレアーゼは酸性pH領域においてのみその接着性を有し、また、ヘパリン、硫酸化多糖類および胃ムチン型糖タンパク質を含むいくつかの負電荷を有する多糖類を認識することも判明した。これらの結果は、ウレアーゼ非産生株を用いた実験で、ウレアーゼは接着因子としては機能しないという報告を絶対的に否定するものであった。

第2章 酸性pH域で機能するヘリコバクター・ピロリのウレアーゼの接着性に関する検討

 次に、ウレアーゼ受容体を解明するために、多数の構造物について、そのウレアーゼ結合性の探索を行った。このウレアーゼの接着機能は酸依存性で、レクチン様であり、胃ムチン、上皮細胞膜上の硫酸化糖脂質およびH.pyloriのリポ多糖のO抗原を含む異なる形態の多糖によるヘテロ特異的であることが確認された。この特殊な接着パターンとH.pyloriがウレアーゼの酵素活性に依存しないメカニズムで酸性条件下で生存できるという事実より、特に、ウレアーゼの酵素活性が酸により不可逆的に失われる領域、つまり酸性度が保持されている領域において、この酸依存性の接着性が最も重要な機能であると思われた。さらに、この概念は、中性付近の領域における特異抗体の作用と同様に粘液中の酸性領域からその細菌を除菌する方法として、ウレアーゼに覆われた細菌に結合して凝集させるためにいくつかの硫酸化多糖類を用いることができることを示唆している。この仮説を試すために、以前、確立した急性感染のモデル動物であるヘアレスマウスに酸性領域においてウレアーゼに強い親和性を示した、ヒトIgGの3倍の分子量であるデキストラン硫酸を経口的に投与した。その結果、デキストラン硫酸によりH.pyloriの胃内への定着は特異的にそして有意に抑制された。この結果もまた、急性感染マウスにおいて胃粘膜中の菌の定着のために酸性pH領域で作用するウレアーゼの接着作用の重要性が示された。このようにウレアーゼはH.pyloriに対する新しい化学療法を確立するために極めて重要なターゲットになると思われる。

第3章 ヘリコバクター・ピロリ感染ヘアレスマウスにデキストラン硫酸とファモチジンを併用して経口投与したときの胃粘膜におけるクリアランス効果の検討

 最後に、第2章で述べた概念に基づき、胃酸分泌抑制剤ファモチジン(H2ブロッカー)およびウレアーゼ結合性を有する多糖類であるデキストラン硫酸を用いたH.pylori感染症に対する新しい化学療法の確立の検討に着手した。ファモチジンはオメプラゾールを投与されたラットでの報告のようにpH4.0以下の領域の粘液層の表面に移動する。このpH勾配の中性方向への移動は、フアモチジンにより胃酸分泌が抑制されている間、尿素の存在下において酸性領域を必要とするH.pyloriも粘液層の表面に押しやる。1日1回のファモチジン投与により24時間の大部分において胃酸分泌が抑制されるため、デキストラン硫酸のH.pyloriへの接触を促進する。これらのIn vivo試験の結果、ファモチジンとデキストラン硫酸の同時投与は、デキストラン硫酸の単独投与より短期間の投与でもH.pyloriに対するクリアランス効果を有意に増強させた。デキストラン硫酸は抗生物質のように耐性菌が生ずることはないため、これらの薬剤の相互作用によるアプローチは耐性菌に対する治療および治療期間の短縮に寄与する可能性を有している。これらのアプローチを、現在ヒトのH.pylori感染症において実施されている胃酸分泌抑制剤と抗生物質による多剤併用療法とともに医療現場で実用化するためには、マウス以外にH.pylori感染豚のような大動物を用いた試験を実施する必要がある。

 今日、胃内からのH.pyloriの完全除菌のために行われている化学療法およびウレアーゼワクチンのような免疫療法は、H.pyloriがpH3,0のような強い酸性条件下においてH+の膜透過を一定に維持する能力を有し、また、菌体表面のウレアーゼの酵素活性に酸性領域を必要とすることから、失敗に終わっている。それゆえに、胃粘膜上皮細胞を経由して粘液層の表面に循環してきた抗菌剤あるいは抗体は酸に対して不安定であるため、H.pyloriの生息する場所においては胃酸により活性が減少してしまう。これらの問題点を解決するためには、本研究において明らかにしたように、酸耐性でウレアーゼ結合性の高いポリマーとファモチジン等の胃酸分泌抑制剤を併用した新しい化学療法の応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 現在、Helicobacter pylori(以下H.pylori)感染症は胃潰瘍の原因であり、また胃癌の危険性も高いことが認識されており、現代社会において最も感染者の多い感染症であると考えられている。しかし、現在実施されている本菌の除菌療法では、複数の抗生剤を併用しても完全なものであるとは言えない。本菌が粘液層中の酸性領域に好んで生息することから、菌体外膜上の接着因子は酸性領域において機能する可能性があると考えられる。しかしながら、本菌の定着において作用する接着因子およびその受容体、そしてそのメカニズムはほとんど解明されていない。これらのメカニズムの解明は極めて興味深いものである。それは抗生剤の長期投与による薬剤耐性という最高のリスクを回避するアプローチを提供してくれるからである。そのために、本研究は本菌の接着因子とその受容体の関連を解明することに重点を置いた。

 まずはじめに、硫酸化セルロファインアフィニティーゲルを用いたウレアーゼの精製方法を開発した。この硫酸化されたアフィニティーゲルヘのウレアーゼの接着性は、生体内におけるウレアーゼと胃ムチンのような複合糖質との相互作用の存在を示唆している。in vitro実験の結果、ウレアーゼは酸性領域においてのみヘパリン、硫酸化多糖類およびムチン型糖タンパク質を含むいくつかの負電荷を有する多糖類と結合することが判明した。

 次に、ウレアーゼが接着因子として認識する受容体について調査するために、多数の物質について、そのウレアーゼ結合性を検討した。その結果、H.pyloriのLPSのO抗原、胃ムチンおよび胃上皮細胞膜上の硫酸化糖脂質がウレアーゼの受容体として機能し、硫酸基、シアル酸基あるいはリン酸基を有するグルコースあるいはガラクトースを認識することが明らかとなった。これらの受容体と同類の多糖類は、粘液中の酸性領域においてウレアーゼに覆われた本菌に結合し、そして凝集させることにより接着を阻止し、さらには除菌することが可能であることを示唆している。

 この仮説を立証するために、酸性領域においてウレアーゼに強い親和性を示した硫酸化多糖類であるデキストラン硫酸を、以前に確立した急性感染モデル動物であるNS:Hr/ICRマウスに経口的に投与することにより、その除菌効果を検討した。まずはじめに、予防および治療試験を実施した結果、デキストラン硫酸の投与により本菌の胃粘膜への定着は用量依存的に有意に抑制された。この結果は、マウスの胃粘膜への本菌の定着のためには、酸性領域でのウレアーゼの接着因子としての作用が重要であることを示している。このようにウレアーゼはH.pyloriの除菌療法の極めて重要なターゲットとなり得ることが示唆された。次に、デキストラン硫酸と胃酸分泌抑制剤ファモチジンとの併用療法を検討した。ファモチジンによる粘液層中pH勾配の中性方向への移動は、酸性領域を必要とする本菌をも粘液層の表面に移動させ、酸性領域でのデキストラン硫酸のH.pyloriヘの接触を促進する。この結果、ファモチジンとデキストラン硫酸の同時投与は、デキストラン硫酸の単独投与より短期間の投与でH.pyloriに対するクリアランス効果を有意に増強させた。デキストラン硫酸は抗生剤のように耐性菌を生ずることがないため、これらの薬剤の相互作用を利用したアプローチは耐性菌保有患者に対する治療および抗生剤による治療期間の短縮に寄与する可能性を有している。

 以上本論文は、酸耐性でウレアーゼ結合性の高いポリマーとファモチジン等の胃酸分泌抑制剤を併用した新しい除菌療法の応用の可能性を示唆したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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