学位論文要旨



No 214756
著者(漢字) 河野,訓
著者(英字)
著者(カナ) カワノ,サトシ
標題(和) 初期漢訳仏典の研究 : 竺法護を中心として
標題(洋)
報告番号 214756
報告番号 乙14756
学位授与日 2000.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14756号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,清孝
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 教授 丘山,新
 東京大学 助教授 下田,正弘
内容要旨 要旨を表示する

 初期の中国仏教研究では、一般に思想研究というよりも、仏典漢訳の歴史の研究いわゆる訳経史研究がその中心である。その際には、通例としては安世高研究、支婁迦識研究、支謙研究などと仏典漢訳者ごとに研究が行われてきた。

 このようななかで、学問的な方法としての訳経史研究の方法は林屋友次郎の『経録研究』でかつて検討され、その後、そこで示された諸々の方法にしたがうかたちでいくつかの研究成果が示されてきた。また、それに並行して、局部的な方法の見直しが検討されたり追加されたりしている。しかし、『経録研究』から数十年を経た現在、各分野におけるすぐれた研究成果により、螺旋的にその全体としての水準は高められ、その研究方法の再構築が迫られている。

 本論文は『経録研究』以降の研究成果を交えながら、その諸方法の再検討をすることにより、訳経史研究の今後のあり方と可能性を示し、第二章以下においてはそれにより近いかたちで具体的に漢訳された仏伝と竺法護の訳出経典を読み進め、仏伝を中心とした初期漢訳仏典及び竺法護の経典訳出の特徴を明らかにすることを意図している。

 本論文で一貫している方針は経典をできるだけ正確に読むことである。そのために採られる方法は、サンスクリット語テキスト、チベット語テキスト及び漢訳された異訳経同士の比較である。結果として、対照表と訳注の論文全体に占める割合が高くなっている。これはひとえに、経典をどのように読んだかを提示するためであり、表れた文字面のみから漢訳経典の技巧的な側面を取り上げて語彙、語法の特徴を述べることを避けるためである。

 経典を正確に読み解くには漢訳仏典のもつ背景を常に考慮しなければならない。漢訳仏典は漢文によって書かれた文献であるから、漢文の訓詁による読みの方法が採られなければならない。語法については、口語を多く取り入れていることから、中古文法も参照しなければならない。語彙についていえば、漢訳仏典は仏教の文献であるから、仏教それ自体についての基礎知識を必要とする一方で、術語については仏教漢文文献の中でその典拠を求める作業が必要である。それは仏典の中で用いられる語句が、中国古典と同じ意味で用いられる場合もあれば、無理な造語の結果、仏教独自の意味をもつことがあり、仏教語としての初出が重要な意味をもつからである。

 本論文でははじめに第一章として経典目録を研究することにより、広く訳経史研究の方法について論じた。その中では主に梁啓超と林屋友次郎の方法論を取り上げたうえで、学界における訳経研究の現状と可能性を論じた。

 内容の上で、本論文は大きく二部に分かれる。第二章の「中国の仏教受容」と第三章及び第四章における竺法護の訳経研究である。

 第二章では漢訳仏教世界の形成されたさまを論じた。仏教は仏の教えである。中国に仏とその教えがどのようなものとして伝えられたのか、初期の仏伝をたよりにその様を明らかにするとともに、他の諸文献も交えて、どの点がとくに強調されつつ受けとめられたのかを論じた。

 まず序として、中央アジアを経由して伝えられた仏教の概要を把握するために、仏塔、仏像、石窟という形に表れた仏教美術文化、于〓と亀〓という二つの仏教文化の中継都市の仏教、さらに大乗仏教と部派仏教という異質な仏教の伝来について論じ、次に、仏教を受容した中国社会との関わりの中で、仏教がどのように変容していったのかを、老荘思想、道教及び儒家の孝、礼教主義との関わりで論じた。

 そのうえで第一節では、初期の仏伝である『修行本起経』、『太子瑞応本起経』、『普曜経』の比較対照を行いながら、仏について、一体何が紹介され伝えられたのかを取り上げた。元来インドでは諸部派ごとに異なる仏伝を保持していたと考えられるが、中国に伝えられた仏伝は諸要素が混在している。この節では、後漢の訳出とされる『修行本起経』の成立が、考えられていたよりも時代がくだるものであることも併せて論じた。

 仏伝に続いて、仏教思想及び仏教受容当時の中国の思潮から、本末、縁起、生死、輪廻、自然を取り上げ、このような基本概念が中国ではどのように意味で受け止められていたのか、あるいはそれに関連して仏教の思想がどのように深められたのかを論じた。

 第三章及び第四章は竺法護についての研究である。

 第一節では正史と仏教文献に見られる竺法護伝により歴史上の竺法護を浮き彫りにし、杜会的要因からくる竺法護の特殊事情について論じた。

 第二節で竺法護の訳出経典といわれるものを経録のうえで詳細にたどり、さらに高麗本、宋本など刊本大蔵経の記載内容の違いからその訳出年時を明らかにすることにより、併せて竺法護の翻訳語彙の変化を見るための基礎作業を行った。すなわち、当初、漢語に習熟していなかった竺法護の前後約四十年にわたる訳経活動の間に使用語彙の変化が見られるのではないかと予測され、それを考えるのに必要な、訳出年時の明らかな経典を抽出することは不可欠の作業だからである。

 第四章では、竺法護の代表的な経典である『正法華経』、『漸備一切智徳経』、『如来興顕経』の三経を取り上げ、本文、諸テキストを提示して、訳経の方法、スタイル、語彙などを論じた。この三経は、経録等の伝承から竺法護の訳出であることが明らかであること、いずれも異訳経典あるいは他言語のテキストが豊富であることから、比較研究に用いるテキストとしては十分にその任に堪えうるものである。

 はじめに序として、四世紀から現代に至るまでの竺法護の訳風とされてきた特徴を整理した。

 第一節では『正法華経』を『妙法蓮華経』及びサンスクリット語テキストを参考にして読みながら、竺法護の訳の特徴を取り上げた。『正法華経』には『妙法蓮華経』及びサンスクリット語テキストにはない経典の解説、法供養を述べる箇所及び入海採宝の逸話がある。経典の解説の部分ではそれが後の挿入ではなく竺法護の真訳であること、法供養を述べる部分については竺法護の『維摩経』の訳の可能性について、また入海採宝については同様の逸話が現存する竺法護以前の経典には見出せないことを論じた。

 第二節では『漸備一切智徳経』の本文研究を行った。『漸備一切智徳経』、とりわけその第六地は他の翻訳経典と異なり深遠な教理内容を多く含んでおり、十地経の中でも特に重要視される住地である。サンスクリット語テキストと比較をしながら、竺法護の訳の特異性、雑然さ、訳の不適切さを指摘した。

 第三節では『如来興顕経』の本文研究を行った。サンスクリット語テキストを欠くため、チベット語テキストを参考に、他の漢訳の異訳経典を用いながら、竺法護の訳の特殊さを論じた。

 第四節では第一節、二節、三節から用例を抽出して竺法護の訳経の特徴をまとめた。すなわち、竺法護の時代の思潮として玄学がある。それとの交渉のなかで、竺法護の訳経は進められてきた。竺法護の訳経には竺法護自身の考えが挿入されており、いわゆる補填訳となっている。その中でもとりわけ「成仏」すること、「本浄」であることが強調されており、例を挙げて明らかにした。

 竺法護は同一経典内で同一語を種々に訳し分けている。『漸備一切智徳経』では、第一地から第十地を通じてほぼ同じ内容の箇所が見られるが、その部分の訳は様々である。種々に訳し分けるその手法は例えば、Skt.sattva(一般に衆生と訳される)一語に種々様々な訳語が与えられていることからも知られる。類義語を重ねて新語を作る造語法や複合語の一部をほぼ同義の他語と入れ替えて新語を作る場合もある。以上は、経典の訳語を豊富にして、豊かな表現を求めた例である。

 その一方で、竺法護には経典を完全に理解していなかったのではないかと考えざるをえない箇所がある。原テキストの語順どおりに意訳語を一対一対応させただけで意味の通る漢文としていない箇所、整然と法数によって訳すべきところを読み切っていない箇所がある。このような点は、竺法護の漢訳の限界としておきたい。

 最後に、四世紀後半に出た道安が唱えた五失本三不易という翻訳論と竺法護の訳経について論じた。道安は竺仏念の翻訳を批判しつつ五失本三不易の論を展開したといわれている。しかし、道安のいう五失本三不易という翻訳論は竺法護らの行ってきた経典漢訳全般に対する反省と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 東アジア世界の仏教は、原則的に、漢訳仏典を「聖典」と見なし、これを挺り所とする仏教である。ところが、その漢訳仏典は彪大な数に上る。しかも、それらの原典が成立した地域はインド文化圏内の各地に亘り、訳出年代は2世紀後半から800年以上に及ぶ。訳出された場所や、流布の状況も一様ではない。これらの諸点を考えるだけでも、東アジア仏教を究明するために、仏典漢訳の方法や特徴、ないし、その歴史(訳経史)を研究することがいかに重要であるかは明白であろう。本論文は、このような「漢訳」の問題の重要性を深く認識した上で、2-4世紀の思想史的状況と最初期の仏典漢訳用語の実際を踏まえて、3世紀後半から4世紀初頭にかげて活躍した敦煌出身の訳経僧竺法護の活動を追求し、その主要な訳出経典の内容を分析し、かれの訳語、訳風等の特徴と、他の訳経者の漢訳との関連性を明らかにしようとした労作である。

 本論文は、第一章「訳経研究の方法」、第二章『中国の仏教受容』、第三章「竺法護研究」、第四章「竺法護の訳経」から成る。このうち、第一章では、これまでの訳経史研究に関わる諸成果が紹介・再検討され、著者自身の研究の方法が開示される。第二章は、中国における仏教の受容がどのようにしてなされていったのかについての論考で、初期の仏伝文献である『修行本起経』等におけるブッダのイメージが解明され、さらに、初期漢訳仏典に多用される「本末」や「自然」の語、仏教の基本概念である縁起とその関連語および、パーリ語・梵語のsamsaraの訳語としての生死・輪廻の語の、初期漢訳仏典における表われ方が詳細に調査・分析されている。第三章では、竺法護の伝記とその時代背景を押さえ、その上で、諸経録の綿密な検討に基づいて、かれが訳出した諸経典の訳出隼時を確定する試みが周到に遂行されている。第四章は、量的にも本論文の約半分を占め、著者がもっとも力を注いだところである。ここで著者は、竺法護の訳出経典の中でとくに重要であると同時に、異訳があり、かつ、梵本・チベット訳本との比較もできるために学問的な実証性の高い『正法華経』『漸備一切智徳経』『如来興顕経』を採り上げる。そして、問題となる部分について諸種の関連テキストとの比較を行ない、結論的には、竺法護自身が訳出した諸経典の間で「ある程度自由に経文を融通させていた」こと、かれが「自らの考えで経典を再構成した」可能性があることなど、いくつかの説得力のある新知見を呈示している。

 以上のように、本論文は、竺法護の訳経の特徴を見出すことを主眼として、中国仏教最初期の仏典漢訳の方法、意義思想史的背景などを慎重に追求しており、当該分野の研究の進展に大きく寄与する成果であると認められる。ただし、仏教学の中でもとくに厳密な文言の解釈が要求される分野であることに鑑みていえば、関係文献の扱い方、語義の理解、あるいは論旨の展開に関して、疑問を感ずるところもないではない。しかしそれらは、著者が今後、いっそう仏教の基本思想の適切な把握と中国古典の正確な読解に努めつつ着実に研究を進めていくならば、おのずから解決するであろう事柄に属する。結論として、本審査委員会は、本論文を博士(文学)の学位に充分に価するものと判定する。

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