学位論文要旨



No 214759
著者(漢字) 栗原,伸和
著者(英字)
著者(カナ) クリハラ,シンワ
標題(和) 触媒抗体の活性および基質特異性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214759
報告番号 乙14759
学位授与日 2000.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14759号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 講師 加藤,晃一
内容要旨 要旨を表示する

 1986年に触媒抗体の第一号が報告されて以来、プロドラッグの活性化反応や選択的有機合成反応等、種々の化学反応を触媒する抗体が作製され、化学、生物学、医学をはじめとした多岐にわたる分野でその実用化が期待されている。しかしながら、現在の触媒抗体技術は天然酵素の持つ複雑な触媒メカニズムや高い触媒活性を抗体内に実現するには至っておらず、今なお種々のアプローチによる実用化に向けた研究が必要な段階にある。一般に天然酵素は、「オキシアニオンホール」のみならず「一般酸/塩基触媒」、「求核触媒」等の複数の触媒因子を協奏的に利用することにより高い触媒活性を獲得している。一方、従来の触媒抗体の多くは、「オキシアニオンホール」あるいは「一般酸/塩基触媒」といった単一の触媒因子のみを使って機能するように設計されているため概してその触媒活性は低い。このことから、天然酵素と同様、複数の触媒因子が機能する抗原結合部位を構築することが実用化に向けて不可欠と考えられる。また、有機合成試薬としての触媒抗体を考えた場合、幅広い化合物を基質として受け入れられる汎用性も要求されることから、基質特異性の広い触媒抗体の作製も一つの重要な課題である。

 以上の背景から著者は、「複数の触媒因子が機能する触媒抗体の創製および触媒抗体の基質特異性の改良」を目的に本研究を実施した。

1)多官能性ハプテンを用いた触媒抗体の作製

 「オキシアニオンホール」に加え第2の触媒因子が機能する抗原結合部位を構築することを目的に、新規な多官能性Bis-phosphonate型ハプテン1を設計・合成した(Figure 1a)。ハプテン構造中、基質の加水分解位置に相当するホスホン酸エステル部分は、加水分解反応の遷移状態における四面体中間体を模倣しており、その負電荷はオキシアニオンを安定化するアミノ酸残基を誘導すると考えられる。一方、C末端部分に導入したホスホン酸構造の負電荷により、「一般酸/塩基触媒」として機能するアミノ酸残基がさらに誘導されてくるものと考えた。そこで、マウスへの免疫によってモノクローナル抗体を作製した結果・立体選択的に化合物2aのみを加水分解する新規な触媒抗体12F12が得られた(Figure 1b)。

 C-末端にカルボン酸を有する基質4に対する抗体12F12触媒反応は、アミド構造を有する基質3と比較し反応速度に約5倍の低下が見られた(Figure 2)。この現象は、基質4を用いた場合、そのC-末端カルポキシレートの負電荷が、ハプテンのC末端ホスホン酸によって誘導されたアミノ酸残基(Y基)と相互作用し、Y基の触媒残基としての機能を阻害したために生じたものと推定された(Figure 2c)。また、基質4に対してもなお残存している触媒活性は、内部ホスホン酸エステルによって誘導された「オキシアニオンホール」として働くX基に由来するものと考えられ、複数の触媒残基の存在が示唆された。一方、触媒活性のpH依存性から、His残基の触媒機能への関与が示唆された(Figure 3)。また本抗体の3次元モデルからも、抗原結合部位におけるHis残基および塩基性アミノ酸残基(Arg,Lys)の存在が支持された。

 以上の結果から、抗体12F12の触媒活性はHis残基を含む複数の触媒残基に由来しているものと考えられ、多官能性ハプテンを用いる手法の有用性が示唆された。

2)Heterologous immunization法を用いた触媒抗体の作製

 触媒抗体6D9は、ハプテン9の免疫(Homologous immunization)によって作製され、クロラムフェニコールのプロドラッグ5をクロラムフェニコール(7)に変換する加水分解抗体である(Figure 4)。本章では、抗体6D9に第2の触媒残基を導入することでその高活性化が可能と考え、新たにハプテン10を設計・合成し9および10を用いたHeterologous immunizationを行った(Figure 5)。ハプテン9が遷移状態における四面体中間体を模倣した構造を有し、「オキシアニオンホール」を誘導することを目的としているのに対し、ハプテン10によって第2の触媒残基が抗原結合部位に誘導されるものと考えた。その結果、抗体6D9の触媒活性(kcat/kuncat)を約3倍上回り、かつハプテン10に対しても強い結合能を有する新規な触媒抗体4G5が得られた(Table 1)。

 4G5、6D9両抗体のアミノ酸配列は高い相同性を有し、抗体6D9と同様、抗体4G5においてもHis(L27d)残基が「オキシアニオンホール」として機能していることが示唆された。また、抗体4G5触媒活性のpH依存性から、Tyr残基の触媒機能への関与が示唆された(Figure 6)。さらに、抗体4G5-ハプテン10複合体の3次元モデルを構築した結果、His(L27d)およびTyr(H58)残基の触媒メカニズムへの関与が推定された。

 以上の結果から、今回Heterologous immunization法によって得られた抗体4G5は、その抗原結合部位において、複数の触媒残基が機能することによって抗体6D9を上回る高い触媒活性を獲得したものと考えられ、本免疫法の有用性が示唆された。

3)幅広い基質特異性を有する触媒抗体の作製

 本章では、ρ-ニトロベンジルエステルの脱保護反応を例に、広い基質特異性を有する触媒抗体の作製を行った。

 広い基質特異性を誘導することを目的に、ハプテン11を設計・合成した(Figure 7)。ハプテン11は、高い抗原性を持つp-nitrobenzyl phosphonate部分と、免疫原性の低いアルキル鎖リンカー部分の2成分より構成されている。従って本ハプテンを免疫した場合、p-nitrobenzyl phosphonate部分のみを特異的に認識する抗体の産生が期待される。そこで、マウスヘの免疫によってモノクローナル抗体を作製した結果、β-位あるいはγ-位にメチル置換基を有する化合物13、14、さらにはα-位に種々の置換基を有するアミノ酸エステル両光学異性体Leu(L-15a,D-15a),Norleu(L-15b,D-15b),Phe(L-15c,D-15c)に対しても加水分解能を有する新規な触媒抗体7B9が得られた(Table2,3)。基質のp-nitrobenzyl部位のみを認識し、かつその他の部位については非特異性を示す抗体が得られたごとは、触媒抗体試薬を実用化していく上で重要な知見であり、本研究におけるハプテン設計が有効に機能したことが示唆された。

 触媒抗体D2.3は、ハプテン11と構造的に類似した化合物16の免疫によって得られてきた抗体であり、そのX線構造が明らかとなっている(Figure 8)。そこで、抗体7B9一ハプテン複合体の3次元モデルを構築し、抗体D2.3のX線構造と比較した。その結果、抗体D2.3の深い抗原結合部位に対し抗体7B9の抗原結合部位は比較的浅く、基質が結合する際、そのα-、β-およびγ-位側鎖置換基が抗原結合部位の外側に位置し、抗体による認識を受けていないために広い基質特異性が生じたものと推定された。また、ハプテン11および16の構造的差異がリンカー部分のみであったことから、ハプテン設計において、リンカー部位の構造が抗体の基質特異性をコントロールする上で重要な役割を担っていることが示唆された(Figure 8)。

 以上本研究において、(1)既存の触媒抗体の活性を上回る新規な触媒抗体を獲得すると共に、触媒抗体の高活性化のための方法論に関する知見を得た。また、(2)広い基質特異性を有する触媒抗体を作製すると共に、基質特異性の改良に関する知見を得た。今後さらにハプテン設計の検討を重ねることで、実用に耐え得る高活性、高汎用性な触媒抗体の獲得が期待される。

Figure 1 Bis-phosphonate型ハブテンの設計

Figure 2 ハプテン-抗体および基質-抗体相互作用

Figure 3 抗体12F12触媒活性のpH依存性

Figure 4 触媒抗体6D9によるクロラムフェニコールモノエステルの加水分解反応

Figure 5 Heterologous immunization

Table 1 抗体4G5および6D9の速度論定数

Figure 6 抗体4G5および6D9触媒活性のpH依存性

Figure 7 ハプテン設計

Table 2 抗体7B9の基質特異性(1)

Table 3 抗体7B9の基質特異性(2)

Figure 8 抗体7B9およびD2.3のハブテン構造

審査要旨 要旨を表示する

 触媒抗体は、天然酵素と同様、反応の遷移状態と結合し安定化することで触媒作用を発現する抗体分子であり、抗体を作製する際に用いる抗原(ハプテン)を設計することで、あらゆる化学反応に対するオーダーメイドの人工触媒を創り出すことが出来る潜在的可能性を持った生体高分子として注目を集めている。1986年に触媒抗体の第一号が報告されて以来、プロドラッグの活性化反応や選択的有機合成反応等、種々の化学反応を触媒する抗体が作製され、化学、生物学、医学をはじめとした多岐にわたる分野でその実用化が期待されている。しかしながら現在の触媒抗体技術は、天然酵素の持つ複雑な触媒メカニズムや高い触媒活性を抗体内に実現するには至っておらず、今なお種々のアプローチによる研究が必要な段階にある。

 一般に天然酵素は、「オキシアニオンホール」のみならず、「一般酸/塩基触媒」、「求核触媒」等の複数の触媒因子を協奏的に利用することにより高い触媒活性を獲得している。一方従来の触媒抗体の多くは、「オキシアニオンホール」、あるいは「一般酸/塩基触媒」といった単一の触媒因子のみを使って機能するように設計されているため概してその触媒活性は低く、天然酵素と同様、複数の触媒因子が機能する抗原結合部位を構築することが実用化に向けて不可欠と考えられる。また、有機合成試薬としての触媒抗体を考えた場合、幅広い化合物を基質として受け入れられる汎用性も要求されることから、基質特異性の広い触媒抗体の作製も一つの重要な課題である。このような観点から本研究は、(1)複数の触媒因子が機能する触媒抗体の創製、および(2)広い基質特異性を有する触媒抗体の作製をハプテン設計によるアプローチから試みたものであり、実用に耐え得る触媒抗体を作製するための方法論を確立することを目指したものである。

 本研究では、複数の触媒因子を抗原結合部位に誘導する試みとして、第一に多官能性Bis-phosphonate型ハプテンを用いた触媒抗体の作製を行っている。本ハプテンは、「オキシアニオンホール」に加え第2の触媒因子を抗原結合部位に誘導するために、分子内に2つのホスホン酸を配置した、これまでにはない新規な構造を有しており、その免疫によってエステル加水分解活性を有する新規な触媒抗体12F12を獲得している。また、触媒活性のpH依存性や3次元モデルによる検討から、His残基を含む複数のアミノ酸残基の触媒メカニズムヘの関与を示唆する結果を得ており、今後のハプテン設計における一つの方向性を示したものと考えられる。

 第二に、Heterologous immunization法による触媒抗体の作製を行っている。触媒抗体6D9は、ホスホン酸ハプテンのみの免疫(Homologous immunization)によって作製され、クロラムフェニコーノレのプロドラッグをクロラムフェニコールに変換する加水分解抗体である。抗体6D9に第2の触媒因子を導入することでその高活性化が可能と考え、新たにアミンハプテンを設計、合成し、両ハプテンを用いたHeterologous immunizationを行った。その結果、抗体6D9の触媒活性(kcat/kuncat)を約3倍上回り、かつアミンハプテンに対しても強い結合能を有する新規な触媒抗体4G5を獲得している。また、触媒活性のpH依存性や3次元モデルによる検討から、抗体4G5の触媒活性をHis(L27d)およびTyr(H58)残基の触媒メカニズムヘの関与により説明できることを明らかにしている。

 触媒抗体に広い基質特異性を付与する試みとして、第三にρ-ニトロベンジルエステルの脱保護反応を触媒する抗体の作製を行っている。高い抗原性を持つp-nitrobenzyl phosphonate部分と、免疫原性の低いアルキル鎖リンカー部分の2成分より構成されたハプテンを設計、合成し、その免疫により、β-位あるいはγ-位にメチル置換基を有する化合物のみならず、α-位に種々の置換基を有するアミノ酸エステル両光学異性体に対しても加水分解能を有する新規な触媒抗体7B9を獲得している。このように基質のp-nitrobenzyl部位のみを認識し、かつその他の部位については非特異性を示す抗体が得られたことは、触媒抗体試薬を実用化していく上で重要な知見である。また、抗体7B9の3次元モデルを既存の触媒抗体のX線構造と比較することによって、本抗体の広い基質特異性が、その浅い抗原結合部位の構造により説明できることを明らかにすると共に、ハプテン設計におけるリンカー部位構造の重要性についても新しい知見を得ている。

 本研究により、既存の触媒抗体の活性を上回る新規な触媒抗体を獲得すると共に、触媒抗体の高活性化のための方法論に関する知見を得ている。また、広い基質特異性を有する触媒抗体を作製すると共に、基質特異性の改良に関しても新しい知見を得ている。

 以上、粟原伸和の研究成果は、生物有機化学や蛋白質化学、医薬化学研究に資するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに十分なものと認めた。

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