学位論文要旨



No 214760
著者(漢字) 森本,潔
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,キヨシ
標題(和) βアミロイドと興奮性アミノ酸のラット海馬内共注入による相乗的神経細胞脱落について
標題(洋)
報告番号 214760
報告番号 乙14760
学位授与日 2000.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14760号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 松木則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 鈴木,利治
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 アルツハイマー病(AD)は痴呆を主症状とする進行性の神経変性疾患で,病理的特徴として認知機能に関与する脳部位等での老人斑沈着,神経原線維変化,顕著な神経細胞脱落などがある.老人斑の主要構成成分であるβアミロイド(Aβ)はアミノ酸40残基前後からなるポリペプチドであり,AD発症原因のひとつと考えられている.その根拠として,1)病変時系列的に初期に出現する,2)疾患特異性が高い,3)家族性ADにてAβの代謝に変化が生じる,4)Aβはβシート構造をとり線維化することによりin vitro培養神経細胞に対して毒性作用(MTT還元能低下)を示すなどが挙げられる.

 これまでの問題点はin vivoではAβの毒性を示すモデルがないことである.現在までにin vivoにて,記憶学習に関与するラット海馬などにAβを注入し,その神経変性作用について多数調べられたが殆どの場合神経脱落が誘発されない.また,ヒトアミロイド前駆蛋白を過剰発現させたトランスジェニックマウスにおいてもAβの沈着は確認されるが顕著な神経脱落はおこらないことが報告されている.以上のことは,Aβだけでは神経脱落を誘発するには不充分であり,それ以外に何らかの+αのファクターが脱落に関与することを示唆する.このファクターを解明することはADにおける神経脱落機構を理解するのに重要であると考えられる.この+αのファクターが何であるかを探るため,私は興奮性神経伝達物質である興奮性アミノ酸に着目した.興奮性アミノ酸のひとつであるグルタミン酸は脳内に豊富に存在し,虚血時などに過剰放出されるとレセプターを介した神経細胞脱落(興奮毒性)を惹起することが知られている.この興奮毒性に特に脆弱なのが大脳皮質や海馬であり,これらの部位はADにおいて神経脱落が顕著な部位でもある.

 そこで本研究では,Aβのin vivoでの神経細胞脱落への関与を探るため,Aβと共に低用量のイボテン酸(グルタミン酸N-methyl D-aspartate(NMDA)レセプターアゴニスト)をラット海馬内に同時注入することにより,ADの場合と同様な海馬領域の神経脱落が誘発されるかを組織化学的に検討した.その結果,Aβとイボテン酸との共注入により広範囲で神経細胞が脱落することが分かった.このことは,Aβが興奮性アミノ酸に対する感受性を増強することにより,神経細胞を脱落させることを示唆する.また,そのAβの神経脱落促進活性はAβの特異的アミノ酸配列よりもむしろβ構造をとり線維化した高次構造に依存することが分かったので合わせて報告する.

Aβとイボテン酸とのラット脳内共注入による海馬神経細胞相乗的脱落

Aβあるいはイボテン酸単独注入によるラット海馬神経細胞への影響

 ラット海馬特定位置にAβ1-40(単独)を注入し1週間後組織をホルマリン灌流固定した.その脳切片をニッスル染色した結果,注入部位付近にAβ様の沈着物が確認されたが海馬神経細胞は殆ど脱落しなかった.イボテン酸単独注入を同様に検討したところ,高用量では神経脱落は起きたが,低用量注入では注入部位付近でわずかに神経細胞が脱落したのみであった(図1).

Aβとイボテン酸との共注入によるラット海馬神経細胞の相乗的脱落

 Aβ1-40と低用量イボテン酸を予め混合し,ラット海馬内に共注入し,ニッスル染色を行った.その結果,注入部位のみならず,そこから離れた海馬CA1や歯状回領域の広範囲にわたる神経細胞が脱落した(グリア細胞は脱落せず)(図2A,B).一方,逆配列のAβ40-1あるいはウシ血清アルブミン(BSA)をイボテン酸と共注入しても神経細胞脱落は殆ど起こらなかった(図2C-F).このことは,この神経細胞脱落がAβ特異的であることを示唆する.

 Aβ1-40またはイボテン酸を単独あるいは共注入したときの神経細胞体脱落範囲を以下の方法で定量的に測定した.すなわち,一個体につき全海馬を含む50μm厚の脳冠状断面切片を収集し,切片を6枚おきに抽出し,各切片について脱落神経細胞層部位を面積として算出し,それを積算して脱落体積とした(図3).その結果,Aβとイボテン酸の共注入による脱落は各々単独注入による脱落の合計をはるかに上回り,この効果が相乗的であることが確認された.図4と5は脱落部位の神経細胞特異的マーカー微小管関連蛋白(MAP2)免疫染色及び神経核および周辺部特異的染色NeuN免疫染色結果である.ニッスル染色の場合と同様にいずれの染色性も,単独注入群に比べてAβ1-40とイボテン酸共注入群では広範囲にわたって顕著に失われており,神経細胞は神経突起も含めて脱落していることが分かった.なお,NMDAもイボテン酸の場合と同様に,Aβ1-40との共注入により同様な神経脱落を誘発する.

脱落部位におけるAβの検出

 Aβ1-40とイボテン酸共注入による脱落部位を抗Aβ抗体で免疫染色した結果,Aβは注入部に沈着しているだけではなく,その周辺の脱落部位にも拡散していることが確認された(図6).従って,Aβは脱落部位まで到達し,そこでイボテン酸との相乗的脱落効果を発揮したものと推定される.但し,周辺脱落部位では沈着部分に比べて染色性が弱く,拡散したAβは量的にわずかであると考えられる.

グリア細胞の浸潤

 脱落部位でのグリア系細胞の浸潤について各々の細胞に特異的な抗体を用いて検討した.その結果,単独注入に比べてAβ1-40とイボテン酸共注入による脱落部位周辺では活性化アストロサイト及びミクログリア(図7)の顕著な浸潤が観察された.このことは,神経細胞脱落が起こった後にこれらの細胞が浸潤した可能性を示唆するが,Aβによりミクログリアが活性化され間接的に神経細胞脱落を惹起した可能性も否定できない.

MK-801による相乗的神経細胞脱落抑制

 NMDAレセプターアンタゴニストMK-801のAβ1-40とイボテン酸共注入による神経脱落に及ぼす影響を調べた.その結果,MK-801は神経脱落をほぼ完全に抑制した(図8,9).このことは,共注入による神経脱落が興奮性アミノ酸を介して起こることを示し,Aβは神経細胞の興奮性アミノ酸に対する感受性を増強することにより,神経細胞脱落を惹起することを強く示唆する.

 そのメカニズムとして,Aβにより神経細胞の膜電位が正常に保てなくなり,興奮性アミノ酸に対するNMDAレセプターの感受性が亢進するため,少量の興奮性アミノ酸でも細胞内にカルシウムが流入し,神経細胞が脱落した可能性が考えられる.

Aβとイボテン酸共注入相乗的神経脱落におけるAβ繊維構造既存性

線維形成

 Aβ興奮毒性増強作用がAβのアミノ酸一次配列によるものなのか,Aβがβ構造をとり線維化した高次構造に由来するものかは以上の実験からでは明らかではない.そこで,いわゆるβ構造を有し線維化した蛋白が組織に沈着し,機能傷害を引き起こすアミロイドーシスに注目した.ADも脳アミロイドーシスの一種と考えられている.アミロイドーシス沈着蛋白としてはAβのほかに,膵臓に沈着するアミリンや甲状腺のカルシトニンなどがある(表1).これらの蛋白は一次配列上の相同性はないが共通してMTT還元能を低下させる作用を持つ.ここでは,β構造をとり線維構造を保持したアミリン,カルシトニンがAβの場合と同様にイボテン酸との共注入により相乗的神経脱落を誘発するかどうかについて検討した.

 まず、セルフリー系におけるチオフラビンTとの結合による線維形成を調べた結果,Aβ1-40,アミリン,カルシトニンはいずれも線維形成を示したのに対して,Aβ40-1やBSAはほとんど線維形成を示さなかった(図10).

β構造を有し線維化した蛋自とイボテン酸による相乗的神経細胞脱落作用

 アミリンあるいはカルシトニンを単独でラット海馬内に注入したが,いずれも顕著な神経細胞脱落を誘発しなかった.一方,低用量のイボテン酸とアミリンまたはカルシトニンを共注入した結果,どちらの場合もAβと同様に相乗的に広範囲の神経細胞を脱落させた(図11).

 また,抗MAP2および抗NeuN免疫染色の結果,いずれの共注入群でも神経細胞が神経突起も含めて広範囲にわたり脱落していることが確認された(図12,13).脱落体積を定量的に測定したところ,これらのβ構造を持ち線維化した蛋白およびイボテン酸共注入による脱落は,各々の単独注入における脱落の合計をはるかに上回り相乗的であった.(図15).また,MK-801はこれらの蛋白とイボテン酸共注入による神経細胞脱落をほぼ完全に抑制した(図14,15).以上のことより,アミリン,カルシトニンなどのβ構造を持ち線維化した蛋白も,Aβの場合と同様に海馬神経細胞の興奮性アミノ酸に対する感受性を増大させ神経細胞脱落を誘発することが示唆された.

総括

 本研究により,in vivoにおいては初めてAβが神経細胞脱落に関与していることを明らかにした.この相乗的神経脱落は,一次配列は異なるがβ構造を有し線維化した蛋自(アミリン,カルシトニン)によっても共通に惹起され,NMDAレセプターのアンタゴニストによって共通に抑制された.

 以上のことから,Aβとイボテン酸によるin vivoにおける相乗的神経細胞脱落はAβの特異的アミノ酸配列よりもむしろ高次構造(β構造をとり線維化したもの)に基づく作用であり,Aβは興奮アミノ酸受容体の感受性を上げ,最終的にはその受容体を介して神経毒性を増強することが示唆された.この動物モデルは,Aβ毒性を抑制する化合物の評価系として応用できるものと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 アルツハイマー病は痴呆を主症状とする進行性の神経変性疾患で,その病理的特徴として老人斑沈着,神経原線維変化,顕著な神経細胞脱落などがある.老人斑の主要構成成分であるβアミロイドはアミノ酸40残基前後からなるポリペプチドであり,病変時系列的に初期に出現する病理変化であること,疾患特異性が高いこと,家族性アルツハイマー病にてβアミロイドの代謝に変化が生じること,βシート構造をとり線維化することによりin vitro培養神経細胞に対して毒性作用(MTT還元能低下)を示すことなどから,アルツハイマー病発症原因のひとつと考えられている.

 これまでの問題点としてin vivoではβアミロイドの毒性を示すモデルがないことがあげられる.現在までにin vivoにて記憶学習に関与するラット海馬などにβアミロイドを注入し,その神経変性作用について多数調べられたが,神経脱落を誘発するとする報告はほとんどない.また,ヒトアミロイド前駆蛋白を過剰発現させたトランスジェニックマウスにおいても,βアミロイドの沈着は確認されるが,顕著な神経脱落はおこらないことが報告されている.以上のことは,βアミロイドだけでは神経脱落を誘発するには不充分であり,それ以外に何らかのファクターが神経脱落に関与することを示唆する.このファクターを解明することはアルツハイマー病における神経脱落機構を理解するのに重要であると考えられる.この+αのファクターが何であるかを探るため,本論文の著者は興奮性神経伝達物質である興奮性アミノ酸に着目した.興奮性アミノ酸のひとつであるグルタミン酸は脳内に豊富に存在し,虚血時などに過剰放出されるとレセプターを介した神経細胞脱落(興奮毒性)を惹起することが知られている.この興奮毒性に特に脆弱なのが大脳皮質や海馬であり,これらの部位はアルツハイマー病において神経脱落が顕著な部位でもある.

 そこで本研究では,βアミロイドのin vivoでの神経細胞脱落への関与を探るため,βアミロイドと共に低用量のイボテン酸(グルタミン酸N-methyl D-aspartate(NMDA)レセプターアゴニスト)をラット海馬内に同時注入することにより,アルツハイマー病の場合と同様な海馬領域の神経脱落が誘発されるかを組織化学的に検討した.さらに,そのβアミロイドの神経脱落促進活性の構造特異性についても検討した.

(1)βアミロイドとイボテン酸とのラット脳内共注入による海馬神経細胞相乗的脱落

 ラット海馬特定位置にβアミロイド1-40あるいは低用量のイボテン酸を注入し,1週間後にホルマリン灌流固定した脳切片ニッスル染色においては,海馬神経細胞脱落はほとんど認められなかった.一方,βアミロイドト1-40と低用量イボテン酸を予め混合し,ラット海馬内に共注入すると,注入部位のみならず,そこから離れた海馬CAlや歯状回領域の広範囲にわたる神経細胞脱落を惹起することが明らかとなった.この神経細胞脱落は,神経細胞特異的マーカー微小管関連蛋白(MAP2)免疫染色,または神経核および核周部特異的染色NeuN免疫染色を用いても確認された.抗βアミロイド抗体で免疫染色した結果から,βアミロイドは注入部先端だけでなく,神経脱落部位にも拡散していることがわかった.また,この神経細胞脱落部位にアルツハイマー病でも見られるアストロサイト及びミクログリアの顕著な浸潤を認めた.βアミロイド1-40またはイボテン酸を単独あるいは共注入したときの神経細胞体脱落範囲を定量的に測定した結果,βアミロイドとイボテン酸の共注入による脱落は各々単独注入による脱落の合計をはるかに上回ることから,この効果が相乗的であることが明らかとなった.一方,逆配列のβアミロイド40-1あるいはウシ血清アルブミンをイボテン酸と共注入しても顕著な神経細胞脱落を殆ど惹起しなかった.

このβアミロイド1-40とイボテン酸共注入による神経脱落を,NMDAレセプターアンタゴニストMK-801はほぼ完全に抑制した.このことは,共注入により神経脱落が興奮性アミノ酸を介して起こることを示し,βアミロイドは神経細胞の興奮性アミノ酸に対する感受性を増強することにより,神経細胞脱落を惹起することを強く示唆する.脱落メカニズムとして,βアミロイドにより神経細胞の膜電位が正常に保てなくなり,興奮性アミノ酸に対するNMDAレセプターの感受性が九進するため,少量の興奮性アミノ酸でも細胞内にカルシウムが流入し,神経細胞が脱落した可能性について議論している.

(2)βアミロイドとイボテン酸共注入相乗的神経脱落における線維構造依存性

 βアミロイドの興奮毒性増強作用が,βアミロイドのアミノ酸一次配列によるものなのか,β構造をとり線維化した高次構造に由来するものかは以上の実験からでは明らかではない.そこで,いわゆるβ構造を有し線維化した蛋白が組織に沈着し,機能傷害を引き起こすアミロイドーシスに注目した.アルツハイマー病もアミロイドーシスの一種と考えられている.アミロイドーシス沈着蛋白として,膵臓に沈着するアミリンや甲状腺のカルシトニンなどが知られている.これらの蛋白は一次配列上の相同性は低いが,共通してMTT還元能を低下させる作用を持つことが知られている.ここでは,β構造をとり線維構造を保持したアミリン,カルシトニンが,βアミロイドの場合と同様にイボテン酸との共注入により相乗的神経脱落を誘発するかどうかについて検討した.

 ラット海馬への注入実験に先立ち,セルフリー系におけるチオフラビンTとの結合による線維形成を調べた.その結果,βアミロイド1-40,アミリン,カルシトニンはいずれも線維形成を認めたのに対して;βアミロイド40-1やウシ血清アルブミンは線維形成を認めなかった.このアミリンあるいはカルシトニンを単独でラット海馬内に注入したが,いずれも顕著な神経細胞脱落を誘発しなかった.一方,低用量のイボテン酸とアミリンまたはカルシトニンを共注入した結果,どちらもβアミロイドの場合と同様に,相乗的に広範囲の神経細胞脱落を惹起した.抗MAP2および抗NeuN免疫染色においても,いずれの共注入群でも神経突起も含めた広範囲にわたる神経細胞の脱落を確認した.MK-801はこれらの蛋白とイボテン酸共注入による神経細胞脱落をほぼ完全に抑制した.以上のことは,アミリン,カルシトニンなどのβ構造を持ち線維化した蛋白も,βアミロイドの場合と同様に海馬神経細胞の興奮性アミノ酸に対する感受性を増大させ神経細胞脱落を誘発することを示唆する.

 以上本研究により,in vivoにおいては初めて,βアミロイドが神経細胞脱落に関与していることを明らかにした.ここで示した本相乗的神経脱落は,一次配列は異なるが,β構造を有し線維化した蛋白によっても共通に惹起され,この脱落をNMDAレセプターアンタゴニストが共通に抑制することから,βアミロイドとイボテン酸によるin vivoにおける相乗的神経細胞脱落は,βアミロイドの特異的アミノ酸配列よりもむしろ高次構造に基づく作用であり,βアミロイドは興奮性アミノ酸受容体の感受性を上げ,最終的にはその受容体を介して神経毒性を増強することを示唆する.これらの新知見は,βアミロイドの毒性を抑制する化合物を評価する動物モデルとしても応用できるもので,アルツハイマー病治療薬の開発に重要な指針を提供するものであり,薬理学,病態生理学の発展に寄与するところが大きく,博士(薬学)の学位に値するものと判断した.

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