学位論文要旨



No 214762
著者(漢字) 渡辺,豊和
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,トヨカズ
標題(和) 記号としての建築
標題(洋)
報告番号 214762
報告番号 乙14762
学位授与日 2000.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14762号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨 要旨を表示する

 建築の機能、形態、空間構成と物語の構造との近似に着目し建築の記号性を言語論(学)の方法を援用して解読するのが本論の主旨である。

 第1章 建築と言語

 言語形態にはラング(通時態)とパロール(共時態)があるが建築でもロマネスク、ゴシックといった様式の部位それぞれはラングに当る。例えばフライングパットレス、ポインテッドアーチ、ピナクル、トリビューン等ゴシック特有の部位は長い年月をかけて建築家達によってコード化されたものでありこれがラングに相当する。似た様な部位を有するロマネスクも形態特性にはゴシックとは明らかに違いがありそれぞれのロマネスク特有の形態を有する部位もラングである。ゴシック建築でしかも北フランスにほぼ同時代に建立されたランス、シアトル、アミアン、ランの大聖堂もラングとしての部位は共通に使用されているがそれぞれの建築にあっては個性的に変形されていてそれを設計した建築家のラング解釈の違いが目立っている。この建築家の個性によって立ち表れる部位の形態なり組み合せの仕方がパロールに相当する。

 第2章 建築における所記

 言語機能は所記と能記に大別されるが建築にとって所記即ち意味とは何か。機能は建築を成立させる意味としては最も重要であり機能主義(近代主義)の代表建築家ル・コルビュジェの著作「建築をめざして」から建築の意味としての機能を読解する。構造、材料が示す所記としては19世紀後半近代主義直前の諸建築、例えばエッフェル塔などに照明を当て究明。形態が示す所記としてはガウディの研究書エンリケ・カサネリェス「アントニオ・ガウディ」の著述内容を解析することで究明する。

 第3章 建築における能記

 能記即ち単語そのものであるが建築において能記は設計図に記された一つ一つの記号である。設計図は言語では文章に当たりレクチュール(読み方)とエクリチュール(書き方)を知らない限り建築設計は不可能である。従って建築の能記を解明することは言語学におけるレクチュールとエクリチュールの解明に相当する。レクチュールは筆者自身の秋田市体育館の設計図、エクリチュールはパラーディオの「建築四書」の設計技法を例に考察する。更に言語イメージをそのまま設計図に置換した例として筆者の対馬豊玉町立<文化の郷>をとり挙げている。

 第4章 様式形成のメカニズム

 言語と建築の表層的な比較検討だけで建築を記号論的に構造ずけるのは困難である。その困難を克服するには言語形成のメカニズムを知る必要がある。言語形成を無条件反射から条件反射、言語へと至るパブロフの条件反射論を下敷きに比喩のメカニズムまで考察した山元一郎の「コトバの哲学」を手がかりに建築様式形成のメカニズムを考察する。但し言語から一足飛びに建築に至るのは容易ではなく、中間にゲシュタルト心理学を援用しながら平面形、絵画を媒介として言語と建築を繋いでいる。

 第5章 世界の切り分け(空間の差異化)

 言語行為は人間が自分を取り巻く世界(環境)の混沌とした様相から一つ一つの事象、事物を切り分けて認識することを前提とする。建築創作行為も広漠とした環境の一部分を切り取りこれを他の全体から差異化することである。その世界の切り分け例を地形、地理、風景と三分類して眺め読解する。

 第6章 統合の単位と体系

 本章は4章「様式形成のメカニズム」と共に本論の中核をなす。建築全体は言語における物語全体に相当する。ロラン・バルトが「物語の構造分析」で提示している諸概念を一つ一つ建築の空間構成に当てはめてみてその妥当性を確かめている。しかし言語空間をそのまま建築空間に転換するのは困難でありこの困難を映画技法を媒介することで克服する。この章は建築設計技法の考案と言っても過言ではない。

 第7章 記号深化のメカニズム

 建築創作は芸術行為である以上作家、即ち建築家の実存と深く関わっている。とはいっても建築家の実存を哲学的に解明しても彼の創作した建築空間を解読することにはならない。この解読を手助けするのがユングの深層心理学であり「元型」の概念である。建築は古来現代に至るも建築家個人の表現体である以上に彼が属するか又は依頼された社会の表現体である。従って「元型」が重要なのである。建築史を代表する建築から「元型」を抽出し記号深化のメカニズムを素描した。

 以上が1章から7章までの概要であるが章によってもう少し詳しく立ち入ってみる。

 2章ではル・コルビュジェの機能論に沿って所記の解明をしているが、建築を言語学的体系における意味として意識した最初の試みが近代機能主義である。勿論コルビュジェ自身言語学、言語論との対比で機能を論じているわけではない。むしろ「建築をめざして」は「ドミノ型住宅」等極めて具体性に富んだ論述が目立つ。従って厳密にはコルビュジェ等の機能主義者の建築認識は言語論(学)的内容を豊富に包含していたと言う方が正鵠を得ている。建築の部位、更に全体が示している形態の意味を解読するにはそれを設計した建築家自身に直接聞くしか方法はないであろうか。建築形態の創出にあたってはむしろ建築家の好みが反映されていて彼自身すら意味を明確に意識しているとは限らない。逆に他者が読み込んだことの方に意味解明の端緒が隠されているのではないか。ガウディ建築の形態、空間から存分に意味を引き出しているカサネリェスの著作はその意味で恰好の資料である。

 3章の能記であるが建築にあって設計図の果たす役割の重大さを否定する者はいない。ところが建築(デザイン)研究で設計図に着目、重視している例は余り認められない。設計図は物語においては作者の文章に当たるからこれを読み書きすることが建築(デザイン)教育の第一歩である。設計図のエクリチュールとしての意味を示唆しているのがパラーディオの「建築四書」であるがこの書は住宅の屋根や壁の形、部屋の形状、大きさなどを始め建築構成の技法が細大洩らさず記述されている。パラーディオの設計図は大雑把で細部が省略されているがこれはこのきまりきった技法を前提としていたから可能であった。日本の大工の指図(設計図)も同様の理由で単線の簡単なものである。パラーディオの技法書と設計図が一体として活用されてはじめて十全な設計図読みが完成される。この読みを予想してパラーディオは設計図を書いたであろうから彼の設計した建物例えば「ロトンダ」から建築の能記の実相を引き出すことが可能となる。設計図は能記の連なりであるからである。

 4章で重要なのは比喩の理論である。本来実物を指し示すのにはコトバはあいまいで不便である。象を見たことのない人にコトバで説明するのは至難の技である。ところが「家康は狸である」と表現することで家康の老獪さが一挙に伝えられる。建築は逆に具体的な物象であるから空間特性を読解するにはまず手始めに比喩の理論を使用して空間を分解する必要がある。「様式変遷の図式的意味分解」では比喩の理論を使用して逆に様式形成のメカニズムを引き出している。但し様式形成は長い年月を必要とし又多数の代々の建築家によってなされるから各建築空間の分解が出来ても使用する比喩に一貫性、連続性を認めることは出来ない。ところがトルコの建築家シナンは様式の発生から完成までを一身で体現したから彼の諸建築を分析解読するに必要とする比喩に連続性が認められる。シナンの諸建築を「様式変遷」の例として選び出した理由である。

 建築を言語論、記号論に依拠して読解する時に細部の部位に着目し過ぎて全体を見忘れる危険性が常につきまとうが5章「世界の切り分け」はこれを救助する手立てである。建築(の意味)が成立している理由を環境から読み解くことが「世界の切り分け」の実相解明に直通する。即ち「世界の切り分け」は建築を全体視するための概念装置である。

 6章の映画技法の援用はそのまま建築技法の応用にも繋がる。技法を構造化することよりも並列して列挙することに重点を置いている。映画技法をほとんどそのままの用語で建築空間構成の技法用語に転化しているがこれは映画が空間を背景とした映像であることが大きい。技法が記号論、言語論に依拠した建築論考に重要なのは技法自体が記号使用の重要な実際例であるからである。

 しかし以上6章までの論述では建築空間の芸術性を記号論、言語論的に究明したことにはならない。建築の芸術性は端的にはそれを建立し使用する人々の共同幻想に依拠する。当然建築家は彼らの共同幻想に感応して具体的イメージを結ぶ。従って建築空間の深層に立ち入らずに建築の記号論、言語論は完結しない。「記号深化のメカニズム」はそのためには必須の項目である。

審査要旨 要旨を表示する

 論題が示すように本論は建築を記号の一形態とみなし建築が示す種々様々な記号様相又は記号様態を克明に追いながら建築表現の本質を解明しようとしたものである。このことが本論の特徴であるのは言うまでもない。但しこの場合の記号とは主として言語を指すのであり言語学上の基礎事項である能記(語)、所記(意味)、エクリチュール(書記)、レクチュール(読解)、ラング、パロールが建築でも成立することをまず論証している。

 建築の意味を重視した最初の運動は機能主義であったが当然建築の所記としては機能が挙げられ、更に構造、技術、形態が示す様々の所記があるが本論では機能についてはル・コルビュジェの「建築をめざして」、構造技術はS・ギーディオンの「空聞・時間・建築」、形態はE・カサネリウスの「アントニオ・ガウディ」をテキストとして著者達の言説を解読することがそのまま所記の解明であるとしている。建築が言語を媒介として意味伝達が可能なことをこれ等の著述が証明しているからである。

 ラング(通時態)、パロール(共時態)は語と発話であるがラングはコード化された「語」のことであり建築では様式に当たりパロールはその語の使用を言うから様式使用する建築家の設計行為のことでありそれは個性として表れる。エクリチュールとレクチュールは設計図書きとその読みである。

 以上のことを前提として次に展開するのは建築の記号としての深度である。言語記号学の創始者ソシュールは記号発信者、受信者ともに語の所記として事物をイメージしているだけであって事物そのものを表徴しているわけではないとした。しかし語が所記としての事物から乖離してしまうこの認識には批判が絶えなかった。が今でも言語学はこのアポリアを克服し得ていない。ところが日本の記号哲学者山元一郎は「コトバの哲学」で1960年代にすでにこのアポリアを難なくクリアしていた。パプロフの「条件反射」を使用し信号強化の階型構造を提示し言語の意味の高次化のメカニズムを解明し、更に比喩の理論を駆使して語の所記である事物(山元は事象という)に還元できる道筋を明示した。百万言ついやしても表現出来ないはずの「象」のことを比楡で一拠に対話者にわからせてしまう可能性を発見していた。サルトルが指摘していた詩人の物性化した言葉「コトバ―もの」のことである。事物(事象)から語は乖離するものではなかったのである。山元の理論を駆使して建築の表現形式の意味伝達メカニズムを解明したのが本論4章である。但し建築を言語の信号強化メカニズムに当て嵌めるのにゲシュタルト心理学の「視覚言語」を媒介としている。「地と図」、「よい形」即ち形態の構造骨格化、形態の強弱といった概念が使用されている。4章は言語記号学のアポリアを克服した画期的な論述である。現代世界的な広がりを見せる建築記号論もこのアポリアにはまっているため具体印事象である健築」の意味伝達のメカニズムを解明出来ず単なる言語記号学の模倣におちいっていた。しかし本論の独自性がここのみにあるのではない。建築全体を物語とみなし物語の構造分析法を媒介として建築の空間構成のメカニズムを解明している。このことこそ先人のなし得なかったことであろう。しかし建築は具体的事象であるから言語空間と重ね合わすのは困難である。それをロラン・バルトの「モードの体系」を援用することで克服している。バルトは多数の人によって書かれたモードを解析してモードの意味論を確立したがその方法は至って単純明快でありしかも対象は衣服という具体的事象であるから建築に援用するには好都合である。

 モードや建築について書かれた文章からそのモード(対象)とそれを支持する事項、更に対象を支持する方法(又は様態)の3項目に解析している。たとえば「えりの(S)とじた(V)セウェーター(O)」といった具合である。但しSは支持項、Oは対象項、Vは変移項である。但し本論においては建築では一つ一つの部位を語、一つ一つの単位空間を意味単位とみなしていることもありある空間領域が成立している主目的空間をO、それに至る廊下等媒介空間をV、玄関等の支持空間をSとしても解析していて建築の哲学的意味を空間構成から読み解く方法も展開している。バルトが「物語の構造分析」で提示している諸概念はほとんどそのまま建築の空間構成にも適用出来るがそれも「モードの体系」の援用によって言語表現が具体的事象に還元出来る方途を示しているからである。更に本論ではM・マルタンの「映画言語」を参照し物語と建築を繋いでいる。最後にユングの「元型」を建築に投影し建築表現の意味解析の深部に至っている。具体的事象でもある建築を記号体系として解明し尽くした画期性こそ本論の意義であり本論によって曖昧模糊のままであった建築の空間構成の意味を古代から現代に至る一貫した体系として捉え直し更に言語空間である物語にまで接続し得たのは刮目すべきである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる

UTokyo Repositoryリンク