学位論文要旨



No 214766
著者(漢字) 坂井,優子
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ユウコ
標題(和) センダイウイルスの遺伝子操作 : 転写終結配列の同定と挿入外来遺伝子サイズの検討
標題(洋)
報告番号 214766
報告番号 乙14766
学位授与日 2000.07.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14766号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 助教授 渡辺,俊樹
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
内容要旨 要旨を表示する

 センダイウイルス(SeV)は15.3kbの1本鎖マイナス鎖のRNAをゲノムとして持つパラミクソウイルスに属するウイルスである。マイナス鎖RNAウイルスでは、ウイルスのライフサイクルの開始のためにはウイルス自身のRNAポリメラーゼを要し、その鋳型はヌクレオカプシド(N)タンパク質に被われたリボ核タンパク質複合体である必要がある。このようなことから、その相補的DNA(cDNA)からのウイルス回収は困難をきわめた。1986年、著者らの研究室でSeVの全塩基配列が決定されたのを機に、著者らは完全長のcDNAを構築し、1996年、ついにSeV全長cDNAから効率良くウイルスを回収する系の開発に成功した。この成功によって、SeVのゲノムの任意の改変、すなわち、SeVの遺伝子操作が可能になり、今まで解明されていなかったSeVの性質が明らかにされつつある。

 本研究は、第一に、このSeVの遺伝子操作技術を使用して、ウイルスゲノム上の転写の終結に関わる配列について検討し、ウイルス学的な新知見を提唱することを目的にした。

 また、SeV遺伝子操作技術は、SeVを新規の外来遺伝子発現ベクターとして使用する可能性へも展開しており、第2に、SeVベクターとして用いる際の技術的な知見を提供することを目的に、挿入できる外来遺伝子の長さや、長さによってウイルスの増殖が受ける影響について検討した。

 1 転写終結配列の同定

 SeVゲノムは各遺伝子の両末端に共通配列を有しており、それらがRNAポリメラーゼによる転写の開始と終結を制御している。SeVでは終結配列(3'-AUUCUUUUU-5')は各遺伝子で完全に保存されており、ウイルスの転写終結に重要な意味をもっていると思われる。また、著者は発現ベクターに挿入した外来遺伝子中にSeVの転写の終結配列類似の配列が存在する場合にはウイルスの回収が成功しない例があることを見い出した。そこで終結配列およびその周辺の配列の改変が転写終結ならびに次の遺伝子の転写開始に与える影響を遺伝子操作技術を用いて調べることにした。

 ウイルスの増殖には影響を与えずに転写の終結・開始のメカニズムを検討するために、SeVゲノムcDNAのNタンパク質ORFの下流に、終結・介在・開始配列の1ユニットを上流に配したルシフェラーゼ遺伝子を挿入したものを設計し、回収系を使用して組み換えSeVを得た。全遺伝子で保存されている終結配列を持ったウイルス(E/S)の他に、終結配列を1、2塩基ずつ改変したウイルスを作製し、その感染細胞中の転写産物の解析を行った。改変したウイルスではいずれもルシフェラーゼ活性が低下し、また、N遺伝子が転写終結せず次のルシフェラーゼ遺伝子までを読み通した(リードスルー:Rth)mRNAが40から80%存在した。すなわち、ウイルスRNAポリメラーゼは1塩基であろうとも終結配列を改変した場合には正確に認識できなくなったことが示された。

 一方、野生型に相当すると考えていたE/Sでも20%程度のRth-mRNAが存在した。これほどのレベルのリードスルーはSeVの通常の転写では認められない。周辺配列を拡大して検討したところ、終結配列の2塩基上流にあるUはSeVの全遺伝子で保存されており、E/Sではこれが失われていることがわかった。この塩基を持ったウイルスを再作成し、転写産物を調べるとRth-mRNAがほとんど出現しなくなっていた。このことによって、従来、教科書上でSeVの終結配列と考えられていた配列の2塩基上流のUは完全な転写の終結のためには必須な配列であること、すなわち、この2塩基(下線)を加えた3'-UXAUUCUUUUU-5'が正しい終結配列であることが初めて証明された。

 2 挿入外来遺伝子のサイズの検討

 SeVを外来遺伝子発現ベクターとして利用するため、どのくらいの長さの遺伝子が挿入できるか、又、そのとき挿入した遺伝子の長さによって組み換えSeVの増殖がどのような影響を受けるかについて、培養細胞並びにマウス個体において検討し、SeVのベクターとしての有用性を検証することにした。

 SeVゲノムcDNAの最上流にあるN遺伝子中のORFの直前部分に外来遺伝子とそれに連結した転写の終結・介在・開始のユニットをカセット式に挿入できる発現ベクターを使用して組み換えウイルスを得た。また、V遺伝子を欠失させたSeVは、細胞中での増殖が向上することが知られており、発現量を上げることのできる改良型ベクターとしてV遺伝子を欠失させたベクターも使用した。外来遺伝子として、SDF-1α(0.4kb)、GFP(0.7kb)、HIVgp120(1.6kb)、ルシフェラーゼ(1.7kb)、β-グルクロニダーゼ(2kb)およびlacZ(3.2kb)遺伝子を挿入し、組み換えSeVを得た。

 各ウイルスをCV-1細胞にmoi 10で感染させトリプシンを添加せずに一段増殖させた場合と、moi 0.01で感染させトリプシン存在下で多段増殖させた場合の培養上清中のウイルス力価を経時的に測定したところ、いずれの増殖法においても、VのあるV(+)、VのないV(-)とも挿入した遺伝子のサイズが長くなるにしたがって増殖が悪くなっていくことが示された。今回使用した挿入遺伝子の発現はいずれも特異的な細胞変性などを引き起こさず、ウイルス増殖には中立であるとみなされた。したがって、培養細胞中ではSeVゲノムが長くなるにしたがって複製の効率が低下すると結論された。

 次に、組み換えSeVをマウスに107CIU/匹で経鼻感染させ、経時的に体重、肺の肉眼病変およぴ肺内ウイルス量を測定した。V(+)のウイルスでは、外来遺伝子を挿入したSeVはマウス肺内ウイルス増殖がいずれも外来遺伝子を入れていないベクターウイルスに比べ低下しており、外来遺伝子挿入により、ウイルスの複製が影響を受け、弱毒化されたことが示された。しかし、それらの低下と挿入遺伝子の長さの間には高い相関性はみられなかった。個体レベルではウイルスゲノムの長さだけでなく発現する蛋白質の性状やマウス個体内のウイルス排除機構などが複雑にからみ合って影響をうけている可能性が考えられた。なお、いずれの組み換えSeVについてもV(+)のウイルスが感染1日目より肺内のウイルスが増殖し始め3から5日目をピークとしていたのに比べ、V(-)のウイルスは1日目でピークを迎えた後、それ以降急速にクリアされた。

 さらに、挿入したうちで最も長い遺伝子であるlacZ発現組み換えSeVを感染させ細胞中または上清中のβ-ガラクトシダーゼの酵素活性を測定したところ、40時間後のV(-)のβ-ガラクトシダーゼ活性はV(+)の約3倍もあることが示された。このことからV(-)ウイルスは最も長い外来遺伝子に対してもその細胞レベルでの発現量を高める上で有効であることがわかった。従って、V(-)ウイルスのNタンパク質ORFの上流に外来遺伝子を挿入すると最も高レベルに発現させることができる優良なベクターとなることを示唆した。SeVは多くの培養細胞、発育鶏卵によって良く増え、しかし、細胞への障害性も少なく、染色体への取込みも自然界での組み換えもない。これらの特徴から、このベクターは医学的に重要なタンパク質を、発現させたい細胞で大量かつ簡便に得ることができるため、構造と機能の研究にも、また、遺伝子治療のための発現ペクターの開発など、今後、多大な貢献が可能である。

 なお、上記のSeV回収成功例以外に1.で示したようにおそらく転写終結配列に類似あ配列の存在のためにウイルスの回収が成功しない例もあった。これらについては実際にアミノ酸変異をもたらさないように塩基を置換し終結配列を変化させることにより組み換えSeVが回収可能となる場合があった。終結配列類似の配列はウイルスRNAポリメラーゼに認識され外来遺伝子の内部で転写が中絶されてしまう可能性、ひいてはウイルス複製をも中絶させてしまう可能性が示唆された。

 以上のように、本研究は、SeVの遺伝子操作をおこなうことによって、従来教科書上で言われていたSeVの転写終結配列をさらに上流2塩基を含めた領域まで終結配列であると提唱した。また、SeVベクターにはゲノムの5分の1にあたる3.2kbまで外来遺伝子を挿入可能であること、外来遺伝子挿入によってウイルスの増殖が細胞内ではそのサイズに応じて低下すること、マウスにおいては弱毒化されることなど技術面での新知見を提供し、SeVベクターの有用性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は申請者らが開発したセンダイウイルス(SeV)の遺伝子操作技術を使用して、第一にウイルス学的な新知見を提唱することを目的に、ウイルスゲノム上の転写の終結に関わる配列について検討し、第二にSeVベクターとして用いる際の技術的な知見を提供することを目的に、挿入できる外来遺伝子の長さや、長さによってウイルスの増殖が受ける影響について検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1. 各遺伝子で完全に保存されているSeVの終結配列のうち、N遺伝子の終結配列を改変したウイルスを作製し、これらのウイルスの感染細胞中の転写産物の解析を行った。改変したウイルスではいずれもN遺伝子の下流に挿入したレポーター遺伝子であるルシフェラーゼ活性が低下し、また、N遺伝子が転写終結せず次のルシフェラーゼ遺伝子までを読み通した(リードスルー:Rth)mRNAが40から80%存在した。野生型ウイルスではRth-mRNAの割合いは1%程度であり、ウイルスRNAポリメラーゼは1塩基であろうとも終結配列を改変した場合には完全な終結を行えなくなったことが示された。

 2. 完全に保存されている配列を持った組み換えウイルスでも20%程度のRth-mRNAが存在したため、周辺配列を拡大して検討したところ、終結配列の2塩基上流にあるUはSeVの全遺伝子で保存されていることがわかった。この塩基を持ったウイルスを再作成し、転写産物を調べるとRth-mRNAがほとんど出現しなくなっていた。このことによって、従来、教科書上でSeVの終結配列と考えられていた配列の2塩基上流のUは完全な転写の終結のためには必須な配列であること、すなわち、この2塩基(下線)を加えた3'-UXAUUCUUUUU-5'が正しい終結配列であることが初めて証明された。

 3. SeV発現ベクターを使用していろいろな長さの外来遺伝子の組み換えウイルスを得、各ウイルスの感染細胞培養上清中のウイルス力価を経時的に測定したところ、挿入した遺伝子のサイズが長くなるにしたがって増殖が悪くなっていくことが示された。培養細胞中ではSeVゲノムが長くなるにしたがって複製の効率が低下すると結論された。

 4. いろいろな長さの遺伝子を持つ組み換えSeVをマウスに107CIU/匹で経鼻感染させ、経時的に体重、肺の肉眼病変および肺内ウイルス量を測定したところ、外来遺伝子を挿入したSeVはマウス肺内ウイルス増殖がいずれも外来遺伝子を入れていないベクターウイルスに比べ低下しており、外来遺伝子挿入により、ウイルスの複製が影響を受け、弱毒化されたことが示された。しかし、それらの低下と挿入遺伝子の長さの間には高い相関性はみられなかった。個体レベルではウイルスゲノムの長さだけでなく発現する蛋白質の性状やマウス個体内のウイルス排除機構などが複雑にからみ合って影響をうけている可能性が考えられた。

 5. V遺伝子を欠失させたSeVは、細胞中での増殖が向上することが知られており、V遺伝子を欠失させたベクターを使用していろいろな長さの外来遺伝子を挿入した組み換えSeVも作製した。培養細胞及びマウスにおけるウイルスの増殖はV遺伝子を持つウイルス同様の挙動を示した。挿入したうちで最も長い遺伝子であるlacZ発現組み換えSeVを感染させ細胞中または上清中のβ-ガラクトシダーゼの酵素活性を測定したところ、40時間後のV遺伝子を欠失したウイルスのβ-ガラクトシダーゼ活性はV遺伝子を持つウイルスの約3倍もあることが示された。このことからV遺伝子を欠いたウイルスは最も長い外来遺伝子に対してもその細胞レベルでの発現量を高める上で有効であることがわかり、高レベルに発現させることができる優良な:べクターとなることを示唆した。

 6. 外来遺伝子挿入の際、転写終結配列に類似の配列の存在のためにウイルスの回収が成功しない例があったためアミノ酸変異をもたらさないように塩基を置換し終結配列を変化させたところ組み換えSeVが回収可能となった。終結配列類似の配列はウイルスRNAポリメラーゼに認識され外来遺伝子の内部で転写が中絶されてしまう可能性、ひいてはウイルス複製をも中絶させてしまう可能性が示唆された。

 以上、本論文はSeVの遺伝子操作をおこなうことによって、従来教科書上で言われていたSeVの転写終結配列をさらに上流2塩基を含めた領域まで終結配列であると提唱し、また、SeVベクターはゲノムの5分の1にあたる3.2kbまで外来遺伝子を挿入可能であること、外来遺伝子挿入によってウイルスの増殖が細胞内ではそのサイズに応じて低下すること、マウスにおいては弱毒化されることなど技術面での新知見を提供した。本研究はSeVベクターの有用性を示したことにより、医学的に重要なタンパク質の発現や構造と機能の研究、遺伝子治療のための発現ベクター開発などに多大な貢献が可能であると考えられ、また、ウイルス学的な新知見を提唱したことにより、学位の授与に値するものと考えられる。

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